第五夜、拉致(2)
闇商人は、コウモリ男とともに、どこかへ行ってしまった。レックスは、しばられ、地下倉庫へとたたきおとされる。戸が閉められ、真っ暗になった。
(クソ、マデラのときとおんなじパターンかよ。けど、ガードの連中、ほんとにおれを監視してんのかよ。犬のエサにされかけてんだぞ。)
けられたせいで、胃がいたい。また、ムカムカし、胃液を吐けるだけ吐いたレックスは、その場にたおれこんでしまう。ツンとする吐しゃ物の匂い。そういえば、昨日から何も食べず、一睡もしてないんだったけ。気分が、もうれつに悪い。
どうやら、眠っていたらしい。目をさましたレックスは、闇の中でおきあがり、タルらしきものを背にすわった。まだ、腹がいたむ。
(どうにかして逃げなきゃ。母さんのことは、かまってる余裕はないな。けど、どうやって逃げる。マデラのときは、ミランダがたすけにきてくれたな。)
レックスは、なんとか縄をほどこうとしたが、ギッチリしめられていて、一人じゃ無理だ。
(最悪を通りこしている。こんなトラブルにまきこまれる可能性があったから、ベルセアは、さっさとクリストンへ行けと忠告したのか。けど、おれって、つくづく無力だな。一人じゃ、なんにもできない。)
扉がスーッと開いた。飯でも運んできたのかなと顔をあげたレックスに、何か光る物がふりおろされ、その瞬間、天井から黒い物がドサリとおちてきた。
カララと床にころがるナイフ。例のコウモリ男が、一人の男を羽交い絞めにしている。そして、集まってきた闇商人と、その子分どもに突き出し、金を受け取った。
闇商人は、
「やはり、お前だったんだな。ジョルジュ。」
男は、クスリと笑う。
「ずるいね、あんたも。その子をつかって、ワナをはるなんてね。ワナかもしれないと思いつつも、きてしまう私も、ほんと、どうにかしてる。あんた、わかっていたなら、なんで今までだまってたのよ。さっさとつかまえればよかったじゃない。」
闇商人は、だまっていた。男は、
「甘いのね、あんたは。店から連れ出すだけで、解決しようとするなんてさ。」
「なぜ、こんなことをした。あんな店をやるより、ずっと儲かるんだぞ。贅沢な暮らしもできる。」
男は軽蔑のまなざしを、目の前の闇商人に向けた。
「私は、あの店でお茶をたてて暮らしていきたかった。小さくても静かな、何もない、つつましやかな暮らし。よい匂いのお茶にかこまれて、お客さん達と楽しい話をして、笑って泣いて、そして眠る、ただそれだけ。
こんな組織で、きたない手下どもを使って、きたない商売なんてしたくもない。そんなことで得たお金に、なんの価値があるの。こんな組織、なくなってしまえばいい。」
闇商人は、
「だから、組織の者どもを一人ずつ始末したというのか。」
「下っ端を始末しても組織はガタつかない。ねらったのは中堅クラス。つまり、組織を実際に動かしている連中。あと、三、四人ねらえば、組織は機能しなくなるはずだった。だから、あんたはあせった。このままでは、敵対勢力に負けてしまうからね。」
闇商人は、つれていけと手下に命じた。ジョルジュと呼ばれた男は、レックスに向かい、
「まさか、あんなとこで、あんたとぶつかるなんてね。あんたが、私のかわりに、犯人にまちがわれたのが運のツキってことかしらね。」
化粧はしてない。女の格好もしてない。けど、まちがいなく、ジョアンナだ。そして、みんないなくなったあと、コウモリ男はレックスの縄をほどいた。
「ま、そういうことだ。警察には、おれの仲間が通報してるはずだから、さっさとこんな町をおさらばして、クリストンへむかうぞ。長居は無用だしな。」
レックスは、耳をうたがった。コウモリ男は、
「ヌケたツラをするな。ヌケてるのは頭だけにしろ。お姫様から、頭が悪いときいてたが、ここまで悪いとは思いもしなかったよ。一言で言えば、バカだ。」
「なんで、ガードのお前に、そこまで言われなきゃなんないんだよ。ガードは、だまってガードだけに専念してればいいんだよ。」
「専念したから、こうしてお前の前にいるんだよ。おれの名は、エッジ。クリストンまでのガード兼案内役だ。お前を守るために、ずっとこの地下倉庫にいたんだが、お前の吐いたモンで気分が悪い。さっさと外に出るぞ。」
エッジにつれられ、レックスは外へと出た。けっこう、長い時間いたらしい。太陽がだいぶ傾いており、もうすぐ夕方だ。
周囲を見回した。建物がまばらなところをみると、下町のはずれのようだ。まばらな家の向こうには、広々とした農地が見えている。
エッジは、
「ここらあたりは、空き家が多い。十三年前の戦場が、そこから見える農地だからな。ドーリアの親父は、そこの農地でマーレル守備軍をやぶって首都に入ったんだ。だから、町の住民は、この辺りには住みたがらず、それゆえ、裏組織の勢力図からもはずされていた。ま、犯人をさそいだすには、絶好の場所だったってことだ。」
「どうやって、ジョアンナをさそいだしたんだ。」
「犯人にされたお前が、ここに逃げこんだのを見たと、うまい具合にジョアンナにきかせ、おびきよせたんだよ。ジョアンナにとり、顔を見られたお前は、やっかいだからな。ワナだとわかってても、こうするしかなかったんだよ。」
「ジョアンナが犯人だったなんてな。つかまらなかったわけだ、昼は女だしさ。ジョアンナは、組織継ぐのをいやがってたしな。けど、連続殺人犯できるって事は、ジョアンナはかなり強いんだろ。なのに、どうして、男に守ってもらおうとしたんだろ。初対面の時だって、父親に髪までつかまれたのに、なんにも抵抗しなかったしさ。」
エッジは、ニヤリと笑った。
「ま、そこが女ゴコロってモンだ。お前が、助けにきてくれるのを期待してたんだよ。女ってのはな、気に入った男の前じゃあ、そういうモンなんだよ。お前は見目がいいからな。たとえ、守備範囲じゃなくてもな。」
見目がいいと言われ、レックスはムカッときた。
「悪かったな。見た目だけでさ。けど、警察は、裏組織をなんとかしないのかよ。裏組織さえ、どうにかなれば、ジョアンナは、そこまですることはなかったはずだ。」
「殺されたのは、下町の住民ばかりじゃない。貴族もだ。つまり、組織は、マーレル中に浸透してる。警察にも入り込んでいるはずだ。だから、長居は無用と言ったんだよ。いくら、犯人捕まえて、お前の無罪を証明したとしても、つごうが悪くなれば、お前さんが再び犯人にされるかもしれんしな。まあ、とりあえず安全になったという程度だ。」
レックスは、びっくりした。エッジは、
「ボス(シエラの叔父サイモン)が、お前をマーレルに行かせたのは、こういう理由があったんだよ。聞くのと見るのじゃ、大違いだからな。現実を知ってもらいたかったんだ。どうだ、事件にまきこまれたおかげで、だいぶマーレルの事情にくわしくなったろ。」
レックスは、だまりこんでしまった。エッジは、
「このまま、西の海岸へ向かう。そこから、船を使う。冬荒れしてた海が、静まってきたころだから、船で海岸沿いにクリストンに入れるはずだ。まあ、船酔いするかもしれないが、雪でいっぱいの山脈をこえるよりは、まし、おい、何つったってんだよ。さっさとついてこい。」
レックスは、動かなかった。
「あ、あのさ、出発は明日にしよう。ほら、もうすぐ夜だしさ。とりあえず、おれは安全になったんだろ。」
「お前、自分の立場をわかってんのか。とりあえず、と言ったんだぞ。警察に見つかったら、証人として連行されて、そのままって可能性もあるんだよ。下手すれば、身分だってばれてしまう。このまま、トンズラが一番平和なんだよ。」
「そこをなんとかたのむ。宮殿に行きたいんだ。心配なら、お前がついてきてくれ。一晩だけでいいんだ。」
「なんでそんなに宮殿に執着するんだ。あんな廃墟に。」
レックスは、顔をそらしたまま、何もこたえなかった。じっとしていて、そこから動きそうにもない。エッジは、やれやれと思った。
「しかたないな。一晩だけだぞ。あんな幽霊屋敷はごめんだが、どうしても行きたいと言うなら、いっしょに行ってやってもいい。けど、一晩だけだからな。」
レックスは、ホッとしたようだ。
「エッジとか言ったな。お前、なんであそこが幽霊屋敷だって知ってたんだ。」
「町のウワサなんだよ。火事のあった玉座の間に女王の幽霊が出るってな。その幽霊目当てに、いっとき、宮殿での肝試しが、はやった時期があったんだよ。だが、火事あとに入るのは危険だ。実際、天井が崩落して怪我人が出たんだ。それで、立ち入り禁止にしたんだ。お前、玉座の間が目当てか? 幽霊でも母ちゃんに会いたくなったってのかよ。」
「そ、そんなんじゃない。ちょっと考えたいことがあってさ。」
「玉座の間だけはダメだぞ。わかったか。」
「わかったよ。だから、そんな怖い顔でにらむな。そんなに心配なら、おれのそばにへばりついてればいい。お前がいいと思う場所でガマンするから。」
エッジは、ため息をついた。
「まあ、お前が何をしようが、おれには感知できないことだ。けど、お姫様を悲しませるような真似だけはするな。あいつの悲しい顔は二度と見たくはないんだよ。もう、二度とな。」
レックスは、え?と思った。悲しい顔は二度と見たくはない。ライアスが死んで、シエラが泣いていたことを言っているのだろうか、それとも。