七、奇跡の時(3)
エルは、秋に行われる予定だった父の追悼式典を早めに執り行った。そこで、エルは、式典の演説でレクスレイの名前を出し、それをダリウス神に代わり、主宰神として王家の信仰の柱とすると宣言した。
マーレル教会は、この件について、エルから事前に連絡を受けていた。前国王への信仰は、すでに市内では当たり前となっており、エルが王家の主宰神を切りかえた事に対しては、黙認するかたちで承認した。事実上、レクスレイ神を認めたのである。
これには、ベルセア本国から強い反発があった。だが、マーレル教会は、前国王レックスはまちがいなく天空の主の転生だと言いはり、前国王が神となった姿であるレクスレイ神を、国王が信仰したとしても問題はないとつっぱねた。
もともと、マーレル教会は、国王のお膝元という場所柄もあり、ベルセア本国とは、他の地域の教会ほど密接に結びついてはいない。むしろ、千年以上にわたり、ダリウス王家とともに歩んできたマーレル教会にとり、本国の干渉は、うるさくてしつこいだけのものでしかなかった。
マーレル教会は、これを機に本国との関係を切り、独自の道を歩む事にした。そして、新たにマーレル国教会を設立し、ベルセア国教会とのちがいをはっきりさせるために、王家と同じく主宰神をレクスレイ神とした。
当然と言えば、当然だろう。レックスとともに、二十年間マーレルで生きてきた者なら、レックスが起こすさまざまな奇跡を、なんども目の当たりにしてきたはずだ。それは、一般市民も教会関係者も同じだ。
マーレルが見えない何かに襲撃された時、国王が双頭の白竜を使い、マーレルを守り抜いた奇跡も、いまだ、色あせてはいない事実だ。真紅の馬に騎乗し、それが大きなドラゴンに変化し、空へと舞い上がる姿を見る事は、マーレル市民にとり、輝かしい誇りでもあった。
まさに、奇跡の二十年だったのである。その思いが、レスクレイ神への信仰へつながったのだ。だが、奇跡からは遠いベルセアの地では、マーレル側は、国王ともども魔の手におちたとしか言いようがない。
再び、魔女シエラが浮上した。魔女を放置した事により、マーレルのすべてが汚染されてしまったと法王が口汚くマーレルを非難し、国王エルシオンを破門した。
シゼレは、裏でマーレルを信仰上の敗北に追い込もうと画策しており、ベルセア本国はそれに乗ったかたちで、そうしたのである。
エイシア中が、マーレルとベルセアのあいだでゆれ始めた。現実的な力を持つ国王をとるか、それとも精神的なよりどころとなっているベルセアをとるか、である。
エルは、ベルセアに向けての進軍を決めた。エルは、出発前日、マーレル市内にある大きな広場に市民達を集め、演説台を設置し演説を行った。
演説は、生前の父の功績を称え、なにゆえ神となったのか説明をし、このたびの進軍が何のためにあるのか市民に納得させ、父の形見である神杖を取り出し、空にある雲をすべて奇跡の力で消し去った。
澄みわたった青い空に、双頭の白竜が現れた。前国王死後、再び出現した双頭の白竜に、市民が涙を流し、前国王の名を呼び始めた。エルは、神杖を頭上にかかげ、レクスレイ神を称え、高らかに勝利を宣言する。
双頭の白竜が消え、壇上に真紅の馬が出現していた。エルは、紅竜の背に神杖を持ち騎乗する。もはや、疑いようがない。レクスレイ神と国王エルシオンを称える歓声が、その日マーレルにこだました。
セラは、神杖を持ち紅竜に騎乗する息子の姿を見て、涙ぐんでいた。
(レックス、あなたにそっくりよ。ううん、あなたそのものよ。また、奇跡の時代が始まろうとしている。新しい時代の奇跡の時が。)
ベルセアに行くまで数度にわたる戦いがあった。ケラータからの資金提供は、ゼルム側で差し押さえたが、すでにかなりの資金がベルセアに行きとどいていたようで、敵の兵数も軍備もそれなりに充実していた。
が、エルは、まともに戦うなどと、めんどくさい事はいっさいしなかった。戦いが始まるたびに、双頭の白竜を呼び出し威嚇し続けていたのである。
相手が双頭の白竜では、どんなにがんばってもムダだ。ダリウス軍が、ベルセアにせまったときき、総本山側は戦う前にベルセア防衛網をとき、ダリウス軍に道を開いた。
ベルセア市内を、ダリウス軍とともに進む、真紅の馬に騎乗した国王エルシオンの姿は、おびえる市民達の目に畏怖とも恐怖ともつかないまま、焼きついていた。
エルは、総本山教会の広場で軍を止めた。そして、待った。まもなく、側近にかこまれた法王が現れ、市民には危害をくわえないよう嘆願をする。エルは、だまってきいていた。
「シゼレ公を引きわたしてほしい。」
嘆願をききおえたエルは、それだけ言った。何を言われるかと、おびえていた法王と側近達は、いちおうの安堵する。まもなく、縄につながれたシゼレが現れた。
エルは、紅竜からおり、罪人となっているシゼレの前に立った。シゼレは、
「ダリウス神よ、あなたは、私をだましていたのですか。なぜ、そこにいるのですか。なぜ、その者の中にいるのですか。」
レックスは、
「なぜなぜね。じゃ、こっちからも、なぜってきくよ。シゼレ、なぜ、サイモンが、毒だとわかっていて毒を飲んだのか、その理由がわかるか。」
シゼレは、とまどい何もこたえなかった。レックスは、
「わからないだろうな。古いものに固執しているお前ではな。サイモンは、自分の意思で毒を飲んだんだよ。お前にも、そうしてもらいたいとのメッセージをこめてな。
マーレルの要求をのみ、領主の地位を返すのは、お前にとっては毒そのものだ。実際、領主家は滅んでしまうんだしな。だが、サイモンは自らそうする事により、お前がしなければならない事を教えたんだよ。」
「・・・すべて、あなた様のためにした事です。子供達を教会に行かせたのも、正しい信仰を持ち、あなた様のお役にたてるようにするためでした。なのになぜ。」
「なぜって、お前、まだわからないのかよ。お前が見たダリウスはな、おれじゃあない。魔物が化けていたんだよ。お前は、ダリウスは生まれ変わっても、ベルセア国教会にいると考えていたようだが、おれは、そんな古い教義にしばられるために、生まれ変わってきたわけじゃあないんだ。それだったら、なんの意味もない。だから、神を人の尺度にはめるなと言ったんだよ。」
シゼレは、目を見開いた。レックスは、
「ダリウスの魂はな、古い時代を終わらせ、新しい時代を切り開くために、ポイントとなる時代に常に生まれ変わってきてる。おれが人間だったころ、何をしたか、よく思い出してみろ。エイシア島は当然として、大陸までも変わってしまったじゃないか。」
法王が、進み出た。
「あの失礼ですが、あなた様は前国王陛下、様ですか。」
「ああ、そうだよ。前国王レックスだ。今の名はレクスレイ。そして、何度も言うように、ダリウスの今現在の姿だ。信じないと言うなら、双頭の白竜だそうか。あれ、エルのたのみで、ここへくるまで、おれが毎回出してたんだ。」
法王が、ひれ伏した。
「も、申し訳ございません。あなた様の真偽を疑った事に、深く陳謝します。」
レックスは、ため息をついた。
「だったら、王太后の魔女判定を取り消してくれ。おかげで、マーレル市民のベルセアへの感情が、がた落ちだ。だから、教会ごとマーレル市は、お前達に愛想つかしたんだよ。それに、セラは、おれの神官だしな。」
法王は、地面に頭をくっつけ恐縮してしまった。レックスは、
「私を神と認めるかどうかは、お前達の判断にまかせる。だが、事実は事実だ。私は、ダリウスにして、新たなる神レクスレイ。」
レックスは、神杖を取り出した。
「ここに、レクスレイを主神とした、新エイシア王朝の設立を宣言する。この神杖を国王エルシオンに授け、これを持って、新たなる契約とする。法王、お前が承認だ。この事実を、しかと歴史に記せ。以上!」
「どうしても行くのか、ディラン。」
ディランは、アルの執務室でうなずた。ディランは、カタリナとルティアをしっかりと抱きしめた。ディランは、
「あのような男でも、私の父親です。もう、五十に近い歳ですし、この島をはなれて、一人で生きていくにはきびしいでしょう。」
アルは、
「本来ならば、死罪もしかたの無い事だ。陛下の御慈悲に感謝しろよ、ディラン。」
「陛下ではなくて、神の許しでしょう。私は、前国王陛下は知りません。双頭の白竜を呼び出す、恐ろしい方だとばかり思ってましたからね。兄さんがなぜ、クリストンからマーレルについたのか、理由がよくわかりました。」
そう言い、ディランは屈託なく笑った。アルは、机から金袋を取り出した。
「当面の旅費だ。足りなくなったら、遠慮なく言え。それと、ダムネシア行きの船に、左半分、顔をおおった老人が乗船したとの報告が入っている。何日か前の情報だから、今ではどうなっているか分からないがな。」
ディランは、金袋を受け取った。
「じゃ、遠慮なく当面だけの旅費にします。私は健康で丈夫ですから、あとは仕事でも見つけてなんとかします。老人ですね、父は老人なんですよね。」
「ベルセアでの一件以来、急速に老け込んだようだ。もう、長くはないかもしれない。それまでに、お前が見つける事を妹達と祈ってるよ。」
「祈ってくれますか、兄さん。父にもそうつたえておきます。」
「ディラン、帰ってこいよ。カタリナとルティアと三人で待ってるから。」
ディランは、笑顔でうなずいた。
祈祷所で日夜祈っているセラのもとに、小さな子供を抱いたレックスが現れた。一歳くらいの、黒い髪と黒い瞳の愛くるしい女の子だ。セラは、それがだれであるか、すぐにわかった。
セラは、抱きしめた。黒い瞳が、じっと自分を見ている。レックスは、
「乳が取れたんでな。その子を産んだ母親は、つかれはてたから、こっちで育ててくれと言ってきたんだ。まあ、毎日、あれだけ泣きわめかれちゃあな。だから、お前、育てろ。」
「名前、なんて言うの。」
「まだないよ。お前がつけるんだ。ライアスの希望だしな。」
セラの腕の中で、女の子があくびをし、そのまま寝てしまった。レックスは、
「ぐずらずに寝るなんて、始めて見たよ。こいつ、だれがほんとの母親か、ちゃんとわかってるんな。」
セラは、女の子を見つめた。
「・・・ティカ、ミユティカ、ユーティカ、ユーティア。ユーティアにしようか。」
「ユーティアか。どうやら、おれ達のネーミングセンスは、そんなんばっかりだな。」
セラは、クスッと笑った。女の子の寝顔がかすむ。セラは、涙を手でこすった。レックスは、
「おれとお前の子だ。王統にも、エルとリオンに続く実子として記してくれ。ずっと昔、この子の親になると約束してたんだものな。四十半ばになっての子育ては大変だろうが、しっかりたのんだぞ、セラ。」
セラは、
「こまめに会いにきてね。父親不在にだけはしないでね。私だけで、育てるなんてしたくないからね。」
「ライアスから、しつこいくらい、そうしてくれとたのまれてるんだよ。まあ、魂となったこいつを二十年以上、コキ使ったしな。今度はこっちが、この子にコキ使われる番だ。な、ユート。」
レックスは、娘の小さな鼻をつっついた。ユートは、クシュンとくしゃみをする。セラは、もう言葉が出なかった。