七、奇跡の時(2)
年が終わるころになり、サラサに行っていたアルが、やっと帰ってきた。クリストンで、穏健派である貴族を知事に任命してきたと言う。
「現時点では、知事はマーレルからの派遣では、あそこは土地柄うまく行きません。クリストン人は田舎者ですが、それゆえ、都会人に対してアレルギーを持つ者が多いのです。任期を一年と決めてきましたから、そのあとは陛下のお心にゆだねます。」
エルは、ごくろうさまと言った。そして、ため息をつく。アルは、どうしたのかとたずねた。
「君の弟の事なんだけどもね。どうしたらいいのかなって思ってさ。」
「ディランですか。負けとわかったら、あっさり降参したんでしょう。ディランは、そういう性格ですからね。」
「降参したはいいが、マーレルにつれてきたころは大変だったんだ。さっさと殺せと、そればっかりわめいていたんだよ。
丸一日中わめくから、牢屋番が頭が変になりかけて、もうどうしようもないから、カタリナとルティアに牢屋番をたのんだんだ。けど、そのおかげで、彼の気持ちもほぐれてくれたようで、おとなしくなってくれて助かった。
まあ、クリストンをこれ以上、刺激しないためにも、彼の罪をどうこうするのは得策ではないしね。監視付きで、市内にでも宮殿にでも、好きな場所に住まわせて、生活はこっちで面倒みようとしたんだよ。けどもさ。」
「弟は今、何をしているのです。」
エルは、窓の外を指さした。警備兵がいた。アルは、やはりと思った。エルは、
「生活の面倒を見てもらうつもりはないから、仕事をくれと。しかも、罪人だったから、一番下の仕事でよいと。まあ、あれなら、監視は必要ないが、いくらなんでもと思ってさ。君の弟だし、取りつぶしたとは言え、領主家の者だしさ。」
「好きにさせておいてください。弟は、弟なりの筋を通したいんです。」
ディランが、執務室に真下にきたようだ。真下で、大声で、エルシオン陛下に栄光あれ、とかなんとか叫んでいる。エルは耳をおさえた。
「一日になんど叫べば気がすむんだ。頭が変になりそうだ。いくら注意しても、聞く耳もたないしさ。アル、命令だ。なんとかしろ。」
「無理です。声がかれるのを待つしかありません。では、つかれているので、これで失礼します。」
年が明け、月が変わるころ、ユリアは王女を出産した。エルは、母親のかつての名前をもらい、シエラと名づけた。そして、王女誕生を機に、エルはシルウィスを正式な王太子とし、自分の後継者に指名した。
シゼレをかくまい続けているベルセアは、不気味なくらい沈黙していた。そして、冬の寒さが和らぐころになり、予定よりかなりおくれて神殿が完成し、セラは神殿で日夜、修行に明け暮れていた。
エルは、国教会の動きを常に警戒しつつ、父の霊と会うために神殿に通い続けた。マーレル市内に、国王一家が前国王の御霊を神殿に奉り、祭事を行っているというウワサがしだいに浸透し始め、マーレル市内の教会関係者が、その真偽をたしかめに宮殿へとやってきた。
エルは、つつみかくさず、すなおに信仰を認め、神殿にも気軽に案内をした。
「別に国教会の信仰を否定したわけではありません。それに、私は破門をのぞんではいません。いままで通り、国教会の従順なしもべであり続けたいと考えております。ですが、父の偉大な人生の軌跡だけは、尊敬し続けたいと考えております。それゆえ、父の功績を王家の子孫につたえるべく、このようにして神殿を築き、祭事を行う事にしたのです。」
「あくまでも、前国王陛下への尊敬の念から出たという事ですね。前国王陛下は、たしかに聖人の列にくわえられてもおかしくはないと、我々マーレル教会も考えていたのです。でもそうしたくても、本国が許可しない以上、我々だけの力ではいかんともしがたく、結果として、陛下に先をこされたかたちなってしまいました。」
エルは、関係者を神殿内の祈祷所に入れた。セラはそこで静かに祈り続けていた。関係者は、
「実にお美しく、神々しいお姿だと思います。このように、美しく祈る者は、ベルセア本国でも見たことがありません。魔女など、本国は何を根拠に判定したのでしょうね。」
エルは、
「教会の信仰を失わざるをえなかった母にとり、父への信仰がすべてなのです。母は、生前の父を、何よりも愛していましたから。父への愛を信仰にかえて、こうして日夜祈り続けているのです。」
セラは、目ざめるよう祈りから立ち上がった。そして、来訪者に心から歓迎の意をあらわす。
「ようこそ、いらしてくださいました。前国王陛下の御霊も、事のほか、お喜びになられています。よろしかったら、ここで御一緒にお祈りをしませんか。」
エルは、ひざを折った。ここには祭壇はない。天窓からさしてくる陽射しが、祈祷所いっぱいに満ちているだけだ。セラの笑顔につられて、教会関係者は、自然と祈りの姿勢を取っていた。
まもなく、マーレル教会では、独自に前国王を神の一人に認定し、信仰の対象とする事にした。
マーレルでは、レックスを慕う声が根強い。わずか四十かそこらで、この世を去った偉大なる王への思いは、そう簡単に消えるものではない。その思いが、ダリウス神の転生とされているレックスへの信仰にうつるのは、自然な感情でもあった。
エルは、マーレル市から、ベルセア本国の影響を断ち切る事に成功した。そして、そろそろレクスレイの名を出そうかと考え、神殿でレックスにその事を相談した。
レックスは、
「まあ、お前がいいと思うならな。だが、出したとしても、マーレルはともかく、他の地域では、その名は浸透しないと思うよ。出すとしたら、やはりそれなりの演出が必要だ。」
「この前の戦争で、双頭の白竜が雲でしかなかったのは、そのせいなんですか。まだ、時期ではないと。」
「シゼレがまた、よからぬ事を考えてるみたいだ。」
エルは、ため息をついた。
「もう、彼には、なんの力もないはずですよ。国も軍隊も何もかも失ったのですからね。クリストンの情報部は、訓練所もつぶして解体してしまいましたし、逃亡した情報部の残党の追跡もかなりしましたからね。」
「一部だけなら、いまだに機能している。それがすべて、ベルセアへと引きつがれた。あそこは、旧勢力の最後の砦だからな。マーレルのやり方に不満を持っている者が、シゼレを中心に集結しているんだ。中には、かなりの力を持つ貴族もいる。甘くみない方がいいぞ。」
「そうなったら、父上のおっしゃった通りにするつもりです。マーレル教会は味方につけましたし、私がベルセア本国から破門を言いわたされたとしても、問題とはならないでしょう。
母上の場合も、信仰を捨てた事実よりも、ベルセア本国から脅されて、教会権力に屈するかたちで信仰を捨てた行為に市民が怒ったくらいですからね。英雄王の后ともあろう者が、その程度の脅しで信仰を捨て改名するなんてナニゴトだってね。
母上は今は、父上の神官と認められましたから、市民から非難されなくなりましたが、一時は、外出もできないほどでしたよ。裏を返せば、それだけ父上が愛され尊敬されていたと言う事です。霊廟に真冬でも花が、たえないのはその証拠ですよ。
父上が亡くなられてもうすぐ二年です。去年は、戦争騒ぎで何もできませんでしたが、今年は盛大に行事を執り行いたいと考えております。」
レックスは、そうかと言った。そして、息子の肩に手をやる。
「お前ももう二十四なんだよな。お前と二人で大陸を旅してたのが、昨日のように思える。」
「ヒナタは、どれくらい大きくなりましたか。こちらでは年齢はわかりません。」
「八歳だよ。巫女修行を始めた。きっといい神官になるぞ。能力的にも高いしな。」
「ライアス兄さんの方はどうなっているんですか。もうすぐ夏ですしね。兄さんが、お腹の中に宿ってから、もう一年ですが、あそこでは時間がゆっくりですし、まだ産まれてはいないのでしょう。」
「もう、産まれた。時間感覚で言えば、お前の娘より、少し前だ。おそいとは限らないんだよ。毎日、元気いっぱい泣きわめいているよ。母親は大変だよ。おれをどうやら、父親だとわかり始めているようだ。もちろん、魂のな。」
「亡くなってからも子供をつくるんですね。母上ではないですけど、生前、子供の数では不満だったんでしょ。妹がまた一人、増えた気分です。」
「しつこいな。ライアスの希望なんだよ。父親になってほしいってね。やつのたのみなら断りきれんしな。」
「自分から志願したんでしょ。ところで、名前は。」
レックスは、笑った。
「あとのお楽しみ。それよりも、だいぶ、霊域がつながったみたいだな。セラのやつ、そうとうがんばって祈り続けてるしな。もうすぐ、向こうの神殿みたいな機能もはたせるようになるかもしれない。」
「じゃ、うまくすると、私でも行けますか。ヒナタに会えるのを期待してるんです。それと、生まれ変わったライアス兄さんにも会ってみたいんです。」
「セラはともかく、お前だと無理だよ。能力的に、かなり不足があるんだ。ま、あきらめて、おれの姿が見えるだけで満足しろ。それに、杖もだいぶ使えるようになってるしな。ヒナタに会いたかったら、神殿が機能次第、つれてくるからさ。」
エルが、がっかりしたのは書くまでも無い。
本格的な夏になり、ベルセア本国に不満分子が、兵を集結しているとの情報が飛びこんできた。どうやら、カイルにしつこくのさばっている旧勢力が、カイルを取りもどそうと準備をしているようだ。
エルは、執務室にティムとアルを呼んだ。ティムは、
「ベルセアだけじゃないんだよ。クリストンのケラータにも、属州化に不満を持つ分子が集結しているんだ。そこから、ベルセアに向けて資金やら人材やらを流している。ケラータは、もともとシゼレ公にゆかりが深い土地だし、彼をしのぶ声も非常に多い。」
アルは、
「私がケラータに行き、彼等を説得してきます。陛下、よろしいでしょう。」
エルは、だめだと言った。
「彼等は、クリストンの属州化が決まった時、マーレルにしたがうと誓約し、正式に文面をかわした者達だ。これは、あきらかに反逆行為だよ。」
「軍を派遣するつもりですか。」
「ああ、そうするしかない。放置しておく事はできないしな。カムイに行ってもらう。」
「なら、なおさら私が行きます。なんとしても説得してみまます。ケラータを軍でつぶす事になったら、サラサもマーレルから離反しかねません。」
二人の会話をきいていたティムが、口をはさんできた。
「二人とも、肝心な事を忘れているよ。サラサを抜きにしているよ。なんのための州政府だい。知事はなんのために存在しているんだ。」
エルは、
「たしかにそうだったな。すまない。まだ、戦争の続きしてた。けど、サラサにもケラータの賛同者がいるんじゃないのかな。」
ティムは、
「かもしれない。だが、順番としてまずサラサだ。ケラータを調べるようつたえ、もし、資金を流している事実をつかんだら州内で処分してもらう。それで、資金の流れが止まればよし、ダメだったら、その時は軍事行動をとればいい。サラサに何も言わないまま、軍事行動を起こすのは得策ではない。クリストン州内での、マーレルへの反発が強まるだけだ。」
エルは、ティムの進言通りにした。マーレルの通達を受け、サラサはすみやかに調査を開始する。調査の結果、ケラータからベルセアへの資金や人材の流れがあったのは事実だった。
だが、ケラータ側は、資金は国教会への奉納金と称し、人材は聖堂の修理のための派遣と言いはり、流れを止めようとはしなかった。
ティムは、
「教会への奉納金と言われれば、正攻法では流出は止められない。武器類とか流出してれば、証拠はつかめるんだけどもね。向こうもそれがわかっているから、資金と人材でしか提供してないんだよ。この二つがあれば、ベルセア内でも武器がつくれるしね。」
エルは、
「人材はともかく、資金は、どのルートを通って流出していくのか、つかんでいるか、ティム。」
「北回りの海だ。資金はいったん陸路を使い、クリストン北部の港に到着し、そこから、ベルセアに向けて流れている。いろんな積荷になってね。」
「ゼルム州軍の小型船を海賊船に偽装させよう。確実に資金を積んでいると思われる船を片っ端から襲い、流出をできる限り止めよう。ティム、君の情報収集にすべてがかかっている。無関係な船は巻き込みたくない。」