六、内乱勃発(3)
マデラの鎮圧から、マーレルに帰ってきたばかりのアルは、戦果の報告をするために執務室にやってきた。一通り報告を終えた後、アルは今まで住んでいた宮殿の独身寮を出て、市内に家を買うと言う。
「ロイド氏の妻になっていた、妹のルティアと暮らすためです。ルティアは、今回の結婚でだいぶ傷ついているんです。母のいないクリストンには、帰りたくないと言いましたから、私がマーレルとクリストンの事情を話しきかせたうえで妹の了承を取り、いっしょに暮らす事にしたんです。ルティアは、シゼレ公が恐ろしいと言ってました。」
エルは、
「カタリナといい、ルティアといい、シゼレ公はよほど娘達にきらわれているんだな。カタリナも怖いと言ってるしな。」
「・・・昔は、そうではなかったんです。私はともかくとして、妹達はずいぶん、かわいがってもらってました。あそこまで変わってしまったのは、ルティアの話では母の死後のようです。父は、母を愛していましたから。」
エルは、眉をひそめた。シゼレの父ドーリア公も妻の死後、態度が変わってしまったと、母からきいていた。今、マーレルとクリストンで起きている、さまざまな事象が、その当時と酷似している。
「ルティアも私が引き受けようか。お前は仕事柄、家を留守にする事が多いだろうしな。」
「いえ、姉妹二人は、さすがに。姉妹というものは、意外とおたがい張り合うものなのですよ。あなた様の愛情をめぐって、ケンカでもおきたら大変ですよ。」
「そんなものなのかな。ルナとマルーは仲がよかったしな。張り合っている姿など見た事なかったよ。あ、一つだけあった。父上だ。父上をよくうばい合ってたな。」
「でしょう。私も、妹達に、ひっかきまわされていたんです。五人も妹がいれば、兄は大変なんですよ。しかも、どういうわけか、姉妹は私にばかり。他の弟達には目もくれませんでした。」
エルは、アルを見つめた。
「理由がわかる。お前、ほんとにライアス兄さんそのものだしな。容姿端麗、頭脳明晰、しかも武芸の腕もたつときた。母上もライアス兄さんに恋をしていたしな。」
「冗談はよしてください。私は、ライアス公の足元にもおよびませんよ。でも、本当に大変でしたよ。うるさいし、しつこいし、一人に目をかければ、他の姉妹がヤキモチを妬くし。とにかく、それが原因で、私は女性がダメになったんです。」
「もったいないな。お前と結婚したい女は、山ほどいるのにな。」
「ダメなものはダメなんです。結婚する気もないんですからね。下手に結婚して、また姉妹が大勢できたらと考えるだけで、もう恐ろしくて恐ろしくて。トラウマなんです。」
「そんなんで、よく妹と暮らす気になったな。」
「一人くらいならね。まあ、気立てはよい娘ですから、そのうち、好きな男ができたら、いっしょにしてやるつもりです。私が親代わりになって、ちゃんと結婚させます。」
ティムがあわてて飛び込んできた。何事かときくと、ティムは、
「クリストン軍がゼルムに侵攻した。足の速い騎馬を中心に、ベルン軍に気づかれないよう、迂回ルートを使い一気に南下し、ナルセラを占領したんだ。州軍をあらかた、カイル側に集結させたすきをつかれてしまった。」
エルは、動揺しなかった。
「ティム、あわてなくてもいい。こっちはカイルを手に入れたし、ゼルムがクリストンのものになったとしても、島の勢力が二つに統合されただけだ。大陸南部と東部海岸は、こっちが押さえているし、戦力的にみても不利と言うわけではない。むしろ、逆だろう。」
アルは、
「落ちついてますね。属州が一つとられてしまったんですよ。クリストン軍が、ゼルムからカイルに入らないとも限らないでしょう。おまけに、ベルセアは、クリストン寄りですからね。それに、この期に乗じて、カイル内に残っている旧勢力が反乱を起こす可能性もあります。」
エルは、
「アル、造船所はどうなっている? ここへくる前に、報告書に目を通しているだろう。」
「三艘目がもうじき完成します。四艘目は、基礎はできておりますが、エンジン部分の製造がおくれているので、もう少し時間がかかります。」
「職人を昼夜交代させろ。突貫工事で行く。クリストンはとうぶんのあいだ、新しい獲物の対処におわれるはずだから、カイルに兵を向けるよゆうなどないだろう。ナルセラを取ったとしても、ゼルムの州軍すべてを降参させたわけではない。
カイルにかんしては、ダリウス軍が駐留しているから、今のところ心配は無いはずだ。旧勢力が反乱を起こすにしても、ダリウス軍相手なら、それなりの規模が必要だ。旧勢力をまとめあげるだけの人材は、今のところ、カイルにはいない。
それと、ダムネシアとティセア、クライス族、ラベナ族には使者を出せ。通達ではなく使者だ。内乱騒ぎは向こうも知るところとなっているだろうし、ウソではなく正確、かつマーレル側を有利に説明する必要がある。
シゼレはよくウソをつくから、こっちは正直で通せ。ただし、さっきも言ったように有利にだ。
そして、エイシアの覇権は、あくまでもマーレルにあり、クリストンの動きはいかなる理由があろうと、反逆にしかすぎないと強調しろ。マーレルは、決してゆらがないとな。いいな。だが、もう秋だし、海が荒れるまでが勝負だ。」
ティムは、
「君、レックスだろ。地、出ているよ。」
アルは、エルの顔を見つめた。エル、いやレックスは、生前と同じように頭をかいた。
「お前の前じゃあ、やっぱり、ダメか。ティム。」
「エルのふりするんなら、もっとおだやかに優雅にだよ。そういうとこって、君達親子は正反対なんだしさ。」
アルは、
「ベルセアには、どう対処したらよいでしょうか。何も対処しなければ、一方的にこちらが悪者になってしまいます。カタリナをエルシオン陛下の妻にした事で、かなり、ベルセアから非難されましたから。」
「カタリナの件では、シゼレは何も言ってこなかったはずだ。ベルセア側の対応は、表面的なものと見てよい。花嫁が、式場から逃げ出し、他の男と結婚したようなものだから、親としての体裁をととのえただけだろう。
それよりも、なぜ、シゼレが何も言ってこなかったか考えてみろ。お前達は、安易に妻にしたようだが、シゼレにとっては、ある意味ねがったりかなったりだったんだよ。だまっていたのは、そのためだ。」
アルは、あ、となった。
「も、申し訳ございません。妹を守りたい事しか、頭にありませんでした。」
レックスは、
「身内だと、そういう事もあるんだ。単純な事でさえも、こうなってしまう。だが、感情を優先して判断を誤るのは、これきりにしろ。それに、カタリナは悪くはない。利用されただけだ。エルを心から愛しているのはたしかだし、セラの助けにもなりたいと考えている。」
「肝に銘じておきます。陛下。」
レックスは、
「エルにも言っておくが、ベルセア本国と戦う事になったとしても、ちゅうちょするな。あそこには、主役の主神三体はもういない。ぜんぶ、こっちにいるんだしな。だから、迷うな。」
エルは、
「わかりました、父上。」
アルは、
「あの、陛下。いえ、御父上の方です。」
レックスは、なんだとエルの口をかりた。アルは、
「その、私的な事で申し訳ございませんが、どうしてもおききしたい事がありまして。」
「なんだ、言ってみろ。」
「その、まことに申し上げにくいのですが、私を、私個人を今では、どうお考えになっておられるのですか。以前は、実の息子のようだと、」
レックスは、イスから立ち上がり、アルを抱きしめた。
「今でも変わらないよ。あのころと同じだ。愛しているよ、アル。おれがいなくなって、ずいぶんつらい思いをさせたな。でも、見ていたから。そして、今でも見ている。」
アルは、ぎゅっと目をつぶった。涙があふれそうになる。
「ありがとうございます。そのお言葉だけでもう。」
レックスは、アルを優しく抱きしめていた。一通り話が終わった後、アルは自分の執務室にもどりボーッとしていた。次々と飛び込んでくるゼルム関係の情報も、どこふく風でしかない。
(陛下とまた話ができるなんて、夢のようだ。本当に見ていてくれてたんだ。信じてはいたけど、実感するしないじゃ、やはりちがう。エルシオン陛下のお体をかりてだったけど、あの優しい眼差しだけは、生前とまったく同じだった。)
夕方、緊急会議になった。レックスがまたきてエルの体に入り、執務室で言った内容を集まった者達に話しきかせる。今度は、地がばれないよう口調はできるだけ、エルのものとなっていた。
会議は夜中まで長引いてしまった。ルティアは、居住区のセラにあずけてあったので、アルはつかれた体を引きずりつつ、ルティアに会いに居住区へと足を向けた。
ルティアは、客室ですでに寝息をたてていた。ずっとつきそっていたセラは、
「夕食、食べて、すぐに寝ちゃったのよ。カタリナもさっきまでいたの。ロイド君、かなりひどい事したみたいね。」
「マデラでは、ダリウス軍に殺されるとパニックになってましたからね。マーレル公が私だとわかった瞬間、安心して気を失ったほどです。それからずっと、私からはなれませんでした。」
「どうしてロイド君、この子を避けたのかな。ルナより、ずっとすてきな子なのにね。」
「私ではわかりません。わかりたくもないです。でもこれで、はっきりした事があります。ロイド氏は、女性をとことんまで傷つけるのが得意な方だという事がです。ルティアを見るにつけ、ロイド氏への憎しみしか私の心には浮かびません。」
セラは、ぎゅっとこぶしをにぎりしめた。アルのロイドへの批判は、セラも思い当たる事実がいくつもある。セラは、ルナもひょっとしてロイドと結婚させなければ、ああはならなかったはずと思い、あわててルナを自分の心から排除した。
「ね、アル。ルティアを私にあずけてくれないかな。別にアルから引きはなすつもりはないの。この子、お兄さんだけが心の支えになっているしね。つまりね、私が設立した施設関係の仕事をまかせたいのよ。カタリナも手伝ってくれると言ってるしさ。姉妹二人に、私の仕事を引きついでもらいたいの。
ほら、私さ、いろいろと問題あるでしょ。もう、施設関係できそうにもないから、お願いしたいのよ。」
「それは、かまいませんが、はたしてルティアやカタリナに、実務的な仕事ができるんでしょうか。花嫁修業しか、した事が無いはずですよ。」
「実務は、私が教えるわ。とうぶんの間は、施設内の仕事、掃除や洗濯、料理、子供や老人や病人のお世話、そういう仕事になれてもらう。なれてもらいつつ、だんだんとレベルをあげるつもり。」
「レックス国王陛下は、カタリナを妻にした事は、シゼレ公の思う壺だったとおっしゃってました。お叱りを受けてしまいました。ルティアがマーレルにいる事で、またカタリナと同じになったらと考えると、私は陛下に顔向けできないです。」
セラは、笑った。
「あら、それこそ、私の思う壺よ。だって、すてきな娘が一人できたうえに、さらにもう一人飛びこんできたんだしさ。それに、仕事の強力な助っ人もしてくれると言うし、私こそねがったりかなったりよ。
アル、考え方一つなのよ。レックスは、ああいう人だから、そういうふうに受けとめるけど、私はちがう。カタリナもルティアも、私を幸せにしてくれたんだしね。
けどもし、レックスの心配したとおりだとしたら、その事をシゼレ公に利用される前に、クリストンをなんとかしちゃえばいいんだよ。もう、あの人はまともではないしさ。さっさとケリつけちゃいなさい。そのほうが、何もかも、うまくいくわ。」
セラは、手をのばし、アルの金色の髪をそっとなでた。
「やはり、ダリウス・カラーの髪はきれいね。あなたが子供の時の髪の色より、ずっときれい。色が変わって良かったのよ。レックスにちゃんとつながっている証拠だしね。あなたは、レックスの子よ。そして、私の子。できる事なら、私の体から、あなたを産んであげたかったわ。レックスを父親としてね。」
そう言い、セラは、優しさにみちた瞳でアルを見つめる。母親のサラとよく似た瞳で。アルは、セラに抱きついた。涙がこぼれてきた。
セラは、
「お母さん、亡くなったとわかっても、クリストン帰れなくてつらかったでしょう。いいんだよ、今、泣いても。」
「帰れなかったんじゃありません。帰りたくなかったんです。父に、あの男に会いたくなかったんです。ええ、大きらいですよ。今となっては軽蔑すらしています。私は、あなた方夫婦の子です。あんな男の子供じゃありません。」
セラは、優しくアルのほおにキスをした。
「ねぇ、お母さんと呼んで。ずっと、呼んでほしかったの。サラの事は忘れなくてもいいわ。彼女は、まちがいなく、あなたを愛していたしね。でも、私の事もお母さんって呼んでほしいのよ。」
アルは、とまどった。が、
「お、お母さん。」
「もう一回呼んで。」
「お母さん。お母さん。お母さん・・・。」
「ん、なあに、アル。なあに。」
「お母さん。」
アルは、ギュッとセラを抱きしめていた。そして、その日から、アルは私的な場所では、レックスを父上、セラをお母さんと呼ぶようになった。エルは、その事を、ごくふつうの感情で受け止めていた。