四、救いきれぬ者(2)
ティムは、
「エルの左耳のピアスは、神杖のピアスをごまかすためにしてるんだ。それと、神殿。これから、何が始まるか考える事すら、ぼくでは恐ろしいよ。レックスが死してのち、何を考え、これから何をしようとしているかなんてね。でも、地位を返上する気なら、君には関係ないか。」
アルは、こぼれたお茶を見つめた。ティムは、
「君は向こうでレックスに会って、なんて言い訳するつもりなんだい。言い訳ができるんなら、いつでも地位を返上して、エリオット様同様クリストンに帰ればいい。君もすでに、エリオット様と同じくらい、いろんな事に通じているしね。」
「ずるいです。私にはもう、後が無いではないですか。逃げる事も死ぬ事もです。」
「見られていると考えていいよ。レックスは君をずっと見ているはずだ。本当に大切な人がだれであるか、君にとって、命をかけるべき相手がだれであるか、よく考えてみろ。エリオット様では無いはずだよ。そろそろ仕事にもどりなさい、アル。」
アルが仕事にもどったあと、ティムはテーブルをふいた。エッジが姿を現した。ティムは、
「やっぱりいたんだ。ずっときいてたんだろ。」
「気配は消したつもりだっんだがな。ミランダ同様、お前の前じゃあ、いるってわかっちまう。」
ティムは、お茶がしみた雑巾を、すみに置いてある水が入った桶に入れた。
「兄貴、死神する気ない? 兄貴なら侵入に手間がかからないし、証拠も残らないし、おまけに心臓マヒで死んでくれるしね。それと、たのみたい事も、たくさんあるんだけど。」
「おれは、エルから以外の仕事はせん。もう、情報部の人間じゃあないんだしな。」
「エリオット様、他のだれの手にもかけたくなかったんだろ。なんだかんだで、三十年の付き合いだものね。でも、こっちの仕事も手伝ってくれたら助かるんだけどもな。兄貴の穴って、そう簡単に埋められないしさ。」
「・・・おれも、けっこう業が深いんだよ。それを清算するために、エルと契約したんだ。レックスがこれから創ろうとしている、新しい時代のためにだけ尽くすってな。それ以外の仕事をすると、レックスのそばに居られなくなっちまう。」
「新しい時代ってなんだよ。アルの前じゃあ、恐ろしいって言ったけど興味がある。」
「これからわかるさ。ティム、アルが最悪の結論を出したとしても、行動を起こすさいには必ずエルに相談しろ。それだけを言いにきたんだ。」
「わかってるよ。けど、たぶん大丈夫だよ。でも、兄貴も死んでからも、いろいろと大変だね。ほんと、死んですべてが終わりじゃないね、マジでさ。ぼくも気をつけて生きる事にするよ。」
エッジは、消えた。
数日たった。ダイスが夜遅く居住区へとやってきた。シエラは寝入りばなを起こされ、何事かと寝ぼけ眼をこすりつつ、ダイスを寝室へと入れ話を聞き、そしてがくぜんとした。ダイスは、
「ルナがいなくなった。五日前の昼間、出かけると言って、それきり。ジョゼと二人で、方々、さがしつくしたんだが見つからない。すまん、シエラ。」
「五日前から。じゃ、家出じゃない。どうしてすぐに知らせてくれなかったのよ。警察には知らせたの?」
「知らせていない。王族だった娘で、しかもあれだけ騒ぎを起こしたんだ。下手に知らせると、また騒ぎになりかねないし、それに、ルナの事でさんざん苦労したお前まで、巻き込みたくなかった。」
「だからって、二人だけでさがすなんて無茶よ。精魂つきはてたから、こんな夜中にきたんでしょ。だったら、最初からすなおに知らせてくれればよかったじゃない。ところで、出かけるって、どこに出かけたの、ルナは。」
「散歩だ。ここ数日、一人でフラリとな。エルとケンカして以来、ずっとこもりっきりだったんで、おれとジョゼは、少しでも気が晴れるならと、どこに行くとも、きいてなかったんだ。」
「何か、書置きみたいな物ない? 心当たりとか。」
ダイスは、首をふった。
「ルナの部屋には何も。心当たりがあるとすれば、家出の二日くらい前、ルナとジョゼが軽い口論をしたんだよ。ジョゼが、ユリアの産まれてくる赤ん坊のために、服をぬい始めたのが気にさわったようだ。だが、ほんとに軽い口論だ。ジョゼは、ああいう性格だし、口論とは言っても、ルナを諭すような口調だった。ルナもそれ以上は何も言わなかったし、おれ達はそれでルナがわかってくれたと思ってた。」
「嫉妬か。また嫉妬。ルナは、こまった子ね。どうして、そういう風にしか考えられないのかしら。」
「ルナは、自分中心の考え方しかできない娘だ。他人を思いやる気持ちをもてないんだ。だから、すぐに嫉妬してしまう。エルとの結婚が破綻してから、それがいっそうひどくなってしまった。カムイとの親子関係がうまく行き、ルナは子供のころから知ってる娘だから、養女にと安易に考えたが、正直、これ以上面倒を見る自信がない。」
「・・・かなり、大変だったみたいね。ごめんね、ダイスさん。私もレックスも、うかつだった。わかったわ、ルナにはもうかかわらなくていい。ジョゼにもそう言っといて。後は、私がなんとかするわ。」
「だが、どこに行ったのか分からないんだぞ。」
シエラは、ほほえんだ。
「ティムにたのんで、捜索してもらうわ。夕方、何かの情報が飛び込んできて、エルといっしょに、まだその対処に追われているはずだから。ダイスさんは、もう帰って休んで。ルナが家出してから、ほとんど休んでないんでしょ。ひどい顔よ。」
「ほんとにすまん。」
ダイスは頭を下げた。ダイスが帰ったあと、シエラは着がえた。そして、寝室から出ようと扉に手をふれたとたん、その手をレックスにつかまれた。
「民間人の娘を捜索するのに情報部は使うな。ただでさえも忙しいティムの手を、家出娘の捜索なんかでわずらわすんじゃない。」
「じゃあ、どうやってさがしたらいいのよ。家出してから、もう五日もたっているんだしさ。」
シエラは、レックスの手をはじいた。レックスは、
「ルナはロイドといっしょだ。家出する何日か前から、寄りをもどしてたんだ。散歩に出かけたのは、市内でこっそりとロイドに会うためだ。」
「ロイド君と。じゃあ、二人してカイルに行くつもりなの。ロイド君、軍に退職届け出してたしね。でも、それだったら、なぜ、ルナはそうだと、ダイスさんに言わなかったのかしら。」
「ルナは、ダイスを捨てたんだよ。もう、親じゃないとね。ユリアの事で、だいぶ不満がたまってたようだ。ユリアとお前のつながりをきいてからな。」
シエラは、レックスをにらみつけた。
「どうしてすぐに教えてくれなかったのさ。その様子じゃあ、家出するとこ見てたんでしょ。だったら、知らせるなり止めるなりできたでしょ。」
「おれは、生きている人間の行動には、個人的な関与は必要以上にするつもりはない。それに、おれは生前、ルナにできるだけの事はしたつもりだ。」
「だからって、だまって見てる事ないでしょうに! ルナがロイド君と寄りをもどすのは勝手よ。エルはもう、妻じゃないと言ってるしね。でも、このままでは、ダイスさんとジョゼがかわいそうよ。ルナをとても大切にしてくれたし。せめて、きちんとしたお別れくらい、させてあげたかったわ。」
「ルナは、ダイスを捨てたと言っただろう。それに、常識がわかる娘ではない。ルナは、ダイスとジョゼを恨んでいこそすれ、感謝などしてない。とうぜん、別れのあいさつもする必要は無いと考えてる。ルナをあれだけ愛したお前を、つまらない事で、いまだに恨んでいるほどだしな。」
シエラは、レックスから目をそらした。レックスは、
「だが、どうしても、あきらめきれないと言うのなら、最後のチャンスをやる。おれは、そのつもりできたんだ。二人はカイルには向かっていない。ロイドが趣味の釣りをするために買った漁村の別荘があるだろ。そこにいる。ルナは、ロイドをさそって、心中するつもりでいるんだ。」
心中、と聞き、シエラは目を見張った。レックスは、
「ロイドも、マーレルでの居場所を無くしたものな。いままで、自分が苦労してつくりあげた物すべてを、エルに取り上げられてしまい、どうしたらいいのか分からなくなっていたんだ。そこに、ルナの方から近づいてさそった。ただの家出だったら、おれは出てこない。」
「つれてって。なんとしても助けてみせる。ルナは私の娘よ。何があっても愛しぬくと決めてるのよ。ルナをつれもどすわ。」
シエラは、レックスとともに宮殿の中庭に出た。紅竜が出現した。レックスは、
「お前との契約は生前までだったのに、無理言って出てきてもらってすまなかった。」
紅竜は、
「契約は生前まででしたが、これからは、私の自由意志で、あなたにおつかえします。いつでも必要な時に呼び出してください。あなたの御命令とあれば、いかようにもしたがいます。」
シエラは、紅竜が言語をあやつるところを始めて見た。レックスは、紅竜の鼻面をそっとなでた。
「じゃあさ、エルといっしょにいてくれ。あいつ、お前が気に入ってるからさ。今すぐじゃない。時期がきたらだ。」
紅竜は、うなずいた。警備兵がこっちに向かって歩いてくる。だが、自分達には気がついていない。どうやら見えないようだ。レックスはシエラを紅竜に乗せた。そして、飛べと命ずる。真紅のドラゴンは、空高く飛び上がった。
シエラは、夫の背にギュッと抱きついた。
「会いたかった、とても会いたかった。どうして、すぐに出てきてくれなかったのさ。」
「すぐにって、おれだって向こうで、いろいろとやってたんだよ。エルに会ったのも、この春だったしな。それに、お前にしばらく会えないって、ウソついちまったしな。」
「・・・シゼレ兄様をだましたんでしょ。エルのピアス見た時、そんな気がしたんだよ。私を利用してさ。とうぜん、ムカついた。」
「いてっ! 腹をつねるな。お前のために実体化してんだぞ。あんまりゴネるなら、霊体にもどってもいいんだぞ。」
ふりむいたレックスにくちびるに、シエラのくちびるがかさなった。シエラの閉じたまぶたから、ひとしずくの涙がこぼれる。レックスは、しっかりとシエラを抱きしめた。