七、もうひとりのシエラ(1)
マデラで襲われた以上、ベルセアのグラセンの屋敷も安全ではない。レックス達はセシルと相談し、となりのダリウスへと行く事にした。グラセンは、襲撃事件のせいで体調をすっかりくずしてしまい、マデラから動けそうにもなかった。
マーブルは、
「カイルとダリウスの国境を越えると、クラサという土地に出る。クラサは、おれの土地だ。今は、人に管理をまかせてあるが、そいつの家まで行けば、おれ達をかくまってくれる。
クリストンが、すぐとなりだが、国のさかいは、けわしい山脈でしきられていて、道らしい道はつながってないから、とりあえずは安全だろう。そこで、シエラの叔父さんとやらの連絡をまとう。」
失った馬車の手配は、セシルがしてくれた。ついでに身分証も偽造してくれる。旅立つ日の朝、セシルはレックスに一通の封書をわたした。
「あなた方の結婚証明書です。式を私の手で行えなかった事を残念に思います。」
「まだ、結婚してないのに、こんなもの受け取れないよ。」
セシルは、ほほえんだ。
「では、グラセン様にでもあずけてください。シエラ様をたのみます。あのような状態にさせてしまって、責任を感じております。バテントスの事がなければ、回復までおあずかりしたいのですが、今は謝罪以外、方法も言葉もみつかりません。」
シエラは今、心を病んでいる。一日中、ぼんやりしており、話しかけてもほとんど返事はしない。襲撃事件で受けた、ひどいショックのせいでこうなってしまったのだ。
こんな状態のシエラをつれて、はたして旅を続けられるか、みんな疑問に思ったが、旅を続けるしか、シエラが生きていくすべはない。ゴトゴトとゆれる馬車からのぞく空を、シエラはうつろな瞳で見上げていた。
無理もない、マーブルはため息をついた。ずっと、うざったく感じていたが、懸命にレックスをおいかけ、いっしょにいるために髪まで切ってしまったシエラを、いじらしく、そして息子の嫁として愛おしく思い始めていたからだ。
せめて、ライアスがいてくれたら、マーブルはそう思わざるをえなかった。レックスもたぶん、おなじ思いだろう。
レックスは、シエラに王家の剣をわたした。シエラの指が無意識に動き、しっかりとにぎりしめる。
「おれがもっとしっかりしていれば、こんな事にならなかったんだ。守ってやると約束したのに。」
レックスは、おちこんでいた。マーブルは、少し考えたあと、
「今夜から、お前がシエラといっしょにいるんだ。セシルから、結婚証明書をもらったんだろ。偽の身分証も夫婦になってるし、別々にいると、あやしまれるぞ。」
レックスは、あわてた。
「お、おれ、女の子といっしょなんて困るよ。まだ、結婚してないのに。それに証明書は、グラセンにあずけちまった。」
マーブルは、ジロリとにらんだ。
「とにかくいっしょにいろ。そのほうが、今のシエラにとっていいはずだ。シエラはもう十八だ。成人した大人の女なんだよ。それに、おれは、ミランダと夫婦って事になってんだよ。」
レックスは、ピンときた。
「お前、なんでこんな毒女に手を出したんだよ。ヤキがまわったのかよ。それとも、四十半ばでモーロクしたのかよ。」
荷台から、ミランダのこぶしがレックスの後頭部を直撃した。クラクラする。マーブルは、
「ま、そういう事だ。おれがだれを好きになるか、お前には関係ないだろ。お前は、さっさとシエラとくっつけばいいんだよ。」
レックスは、困ってしまった。今の状態のシエラを、どうめんどう見ていいか分からない。シエラの症状は、日常生活に、あまりさしつかえなかったのが、不幸中の幸いだった。
レックスは、シエラと今夜からいっしょ、と考えるだけで頭がモワッとしてしまう。
(やばい。変なモウソウが。し、しっかりしろ、おれ。シエラは今、病気なんだぞ。ちゃんと、めんどうみなきゃ。そ、そうだ、妹だ。妹と思えばいい。)
レックスは、荷台のシエラを見つめた。シエラは、剣をしっかりにぎりしめたまま、あいかわらず空を見ている。今の話はたぶん、耳に入ってないだろう。
宿についたレックスは、シエラの手をひき寝室へとむかい、シエラをベッドにすわらせた。やっぱり、ドキドキする。レックスは、とりあえず声をかけることにする。
「あ、あの、シエラ。その、えと、おれ、なんにもしないから。き、きがえるんだったら、向こうむいて、」
シエラの手が、レックスの手をにぎった。
「ごめん、レックス。いろいろと心配かけて。分かってるの、なにもかも。でも、でも・・・!」
シエラは頭をかかえ、ベッドからおり床にうずくまる。死の直前まで行ったあの時の恐怖が、シエラの心をしばりあげる。
「ご、めん、レックス。ごめん。」
シエラは、床にうずくまったまま動かなくなった。目はうつろだ。レックスはシエラをベッドにすわらせた。正気にもどっても、すぐにこうなる。マデラを出て十日がすぎている。シエラは回復するのだろうか。
レックスは、王家の剣を持ち、シエラをだきしめた。よい方法はないのだろうか。ライアスがいない今、自力でシエラを助けなければならない。
(ライアス、おれに力をかしてくれ。たのむ。)
祈りにも似た思いだった。いや、祈りだったのだろう。レックスの脳裏に、一人の女性が現れた。レックスは、その女性に見覚えがあった。思わず、すがりつくよう助けをもとめる。女性はうなずき、ベル、と名乗った。
「シエラは今、二歳にもどり、母親とライアスとすごした、やさしい時間の中にいます。その世界から、シエラを連れ出す事ができるのは、ライアスだけでしょう。二歳のシエラは、あなたを知らないのですから。」
「ライアス、ライアスは、どこにいるんだよ。」
ベルは、少し目をふせた。レックスは、なんとなくいやな予感がした。
「あなたに覚悟はありますか。あの子の、ライアスのすべてをうけいれる覚悟はありますか。」
「ライアスとシエラをとりもどせるなら、おれはなんだってやる。何をすればいいのか教えてくれ。」
ベルは、
「昔、ある異国の男が、この島を支配していました。ミユティカが戦い、死においやった男です。この男の魂は、そのときの憎しみから、この地をのろう魔物になってしまいました。男は、ミユティカに復讐するために、彼女の魂が転生する時を待っていたのです。
そして、クリストンに介入し、さまざまな方法で、転生したミユティカの魂に闇をつくるべく、ライアスを追いつめていきました。ライアスが死してのち、その魂をとらえ、自分がいる世界へと引きずり込み、自分と同じ苦しみを味あわせるために、ライアスの魂を汚し続けていたのです。
けど、ライアスは、あなたとシエラへの思いが強く、シエラの中に留まることができました。シエラは私の魂から出た者ですから、シエラの中にいれば、魔物は簡単にはライアスに手を出せません。ですが、シエラの拒絶が強まり、ライアスは出ていかざるをえなくなってしまったのです。」
「ライアスは、シエラから出たあと、おれ達といっしょだったって言ってた。魔物の話が本当なら、なぜライアスは無事でいられたんだ。シエラから出ていたのにさ。」
「あなたの思いが、ライアスにつながっていたからです。私もできるだけ、ライアスを守っていました。ですが、あの剣の事故により、力を使いはたしたライアスは、自分の意識すら保てなくなり、本来逝くべき世界へと、魔物の力により、ひきずりこまれてしまったのです。
私は、ライアスを守るためには、シエラの中に置く事が最善だと考えています。ですが、シエラにはシエラの意志があるのです。私の本意ではないとはいえ、どうしようもありません。」
「じゃ、なぜ助けに行かないんだ。そこまで、あいつの事を考えていたならさ。」
「ライアスが拒絶したからです。」
「拒絶? ライアスが、お前をか。自分の魂の親であるお前を拒絶したのか、ベルセア。」
ベルセアは、悲しげな顔をした。
「あなたに、自分の本当の姿を知られたくなかったのでしょう。以前のあなたならともかく、霊的なものが分かりつつある今では、自分がどういう状況におかれているかを、ごまかす事はできなくなりつつありますから。」
レックスの手が、ブルブルとふるえはじめた。
「うそだ。おれは信じないぞ。ライアスがそんなだったなんて、おれは信じないぞ。」
ベルセアは、
「あの子のいる場所へ、あなたをおくります。真実は、その目でたしかめてください。」
レックスは、ベルセアによって、遠慮なく行くべき場所へとつきおとされた。手にもつ、ミユティカの剣とともに。
そこは、雪がまいおりる戦場だった。地面に、ふりつもっていないところを見ると、冬のはじまりかもしれない。
ワーッと言うかけ声と、ガチャガチャする甲冑の音。馬のいいなきとパカパカとかけめぐる足音。剣がはげしく交わる音、さらにドーンドーンという、耳をつんざくような音は、たぶん大砲なのだろう。
だが、音はきこえても、レックスの目には、モヤモヤとした黒い物が、はげしく動いているようにしか見えない。
ベルセアの声が響いてきた。
(まだ、あなたの力では、すべてを見通すには無理があります。はっきりしないものは、無視してもかまいません。)
レックスは、
「ここはどこだ。どこかの戦場みたいだが。」
レックスからは、ベルセアの姿は見えない。響いてきた声も、レックスの内側からきこえてきていた。
(ここは、ライアスが最後に生きた場所です。ライアスの記憶の中の世界。ライアス自身が、わすれたいとねがっている世界。ライアスは、自分がもっともいたくない世界に、閉じ込められているのです。)
「地獄って、もっとドロドロしたモンだとばかり思ってたぞ。ここは、ふつうの戦場じゃないか。やたら、薄暗いけどさ。」
(この世界は、そんなに深い場所にはありません。地獄の上の世界です。魔物は、もっと下にひきずりこみたかったようですが、下にいくには、魂をもっと穢さなくてはいけないのです。魔物は、この世界のライアスをもねらっているのです。魔物が、ライアスをもっと穢す前に助け出してください。)
「ライアスは、どこにいるんだ。」
(さがしてください。きっと、見つけられます。あなたの安全は私が守ります。ですから、あなたはライアスの説得だけに集中してください。)