三、新マーレル公アルバート(1)
ルナは、ダイス邸の私室に閉じこもってばかりいた。エルとひどいケンカをしてから、ずっとこうだ。心配したジョゼが、少し外を散歩したらと、なんどもさそう。ルナはそのつど首をふった。
(どうしてなの、エル。どうして、私に会いにこないの。愛してるって言ったじゃない。守ってくれるって約束したじゃない。なのに、どうして。)
カッとなって、シルウィスを投げたのはたしかだ。でもそれは、ほんとにカッとなっただけで、本心からではない。エルはいつも、自分より子供を優先してしまうから、ついカッとなってしまっただけだ。
(でも、そのうち、会いにきてくれると信じていた。エルが、私を見捨てるはずないって。なのに、半年以上待ってもきてくれない。私は、いつ、エルがきてもいいように、どこにも行かずにこうして待っているのに。)
ルナは、せまい部屋でひたすら、エルを待ち続けていた。そしてある日、ダイスとジョゼの会話きき、がくぜんとしてしまう。用をすませたあと、二人の寝室の前の廊下を通りかかったら偶然、
「それは本当なの、ダイス。でも、ずっと懐妊しなかったのよ。どうして、今になって、ユリア様に御子ができたのかしら。」
「どうしてときかれても、おれは医者じゃないからな。だが、心当たりならある。シエラがサラサに里帰りしたろ。その時、ユリアの父親の形見の指輪を見つけて、ユリアにわたしたんだよ。ユリアは今、その指輪をだいじに指にはめてるんだ。
おれが思うに、ユリアの心によゆうというか、安心感みたいなものができたんだと思う。
でもまさか、ユリアがシエラの親戚筋にあたる娘だったなんてな。こっちだって、びっくりだったよ。レックスのやつ、何年もかくしやがってよ。だから、エルの嫁にしたんだよ。」
「でも、よかったじゃない。あとは、御無事に産まれるのを祈るだけだわ。エルシオン陛下も、これで安心でしょうね。なにせ、ユリア様は王后ですしね。」
ルナは、ショックを受けた。
(ユリアが妊娠。あのユリアが。それに、ユリアがあの女の親戚? そんなのきいてない。だとしたら、私はもう。)
もう、自分は必要ない。ルナは目の前が真っ暗になった。
雨がサーサー降っていた。エルは執務室で、アルが猛烈にメモを書き込んだ新型艦の設計図の原本をながめていた。レックスが現れた。
「アルは、ロイド以上だな。試行錯誤をしているようだが、確実に使えるように設計し直している。」
「はい。今、この設計図をもとに、造船所で実物をつくっているんです。模型ではうまくいきましたからね。アルが陣頭指揮をとって、がんばってますよ。もうすぐ完成するはずです。」
「ロイドの旧案は破棄か。十年以上もねばってたのにな。」
「使えない物は使えないんです。予算はじゅうぶん、つぎ込んだはずです。」
「お前、おれ以上にドライだな。まあ、それくらいでなきゃな。アルの地位、そろそろ考えてるんだろ。」
「マーレル公しかないでしょ。どう考えても、それしか浮かびません。王族以外、名乗れない地位ですが、私はどうしても、アルにそれをやりたいのです。父上も、そのために、アルを養子にしようとしたのでしょう?」
「ああ、そうだ。だが、できなかった。シゼレが、いい顔しなかったしな。けど、お前の事だ。どうすればいいか、すでに考えてるんだろ。だったら、さっさと実行しろ。サラサの動きがヤバイのは、お前もわかってるはずだ。シエラが拉致されかけたしな。」
「アルは、どう考えてるんでしょうか。ショックを受けると思ったので、その事は、アルにはまだつたえてませんけど。」
レックスは、窓からしたたりおちる雨を見つめた。
「宰相のエリオットがな、むかーし、似たような立場におかれたんだよ。父親がバテントス派、そして自分はゲリラだ。やつが、ライアスを愛してたのは、お前も知ってるだろ。ライアスにすべてを捧げ、自分を殺して、父親を討ったんだ。それで、バテントスと戦う最初の足場ができた。当時のおれは、エリオットの行動を理解でなきかったがな。」
「アルに、エリオットと同じ事をさせろとおっしゃるんですか。酷です。アルは心の奥では、父親を愛していますから。」
「エリオットもおんなじだったよ。だが、ライアスへの思いが強かった。ひたすら、ライアスの理想のために、父親への思いを切り捨てたんだ。あの時、エリオットがああしてくれなかったら、今という時代が無かった。おれは、エリオットの英断に感謝してるんだ。お前、アルが好きなんだろ。だったら、アルを敵にまわすな。お前では、アルは切れん。」
「アルが愛しているは、父上なんですよ。アルは私に忠誠を誓っているとはいえ、それはすべて、父上への愛の上に成り立っているのです。なのに、アルには、あなたが見えない。アルにとり、あなたはすでに、この世の住人ではないのです。いつ、アルを失うか、私はこわい。」
「そこまで、たよりにするとはね。最初、ずいぶん、きらってたじゃないか。おれを取られたと思ってさ。」
エルは、赤くなった。
「もう、昔の話です。アルが役に立つのは事実ですし、そばにいてくれると心強いのもたしかです。」
「だったら、お前が誘惑しろ。アルはな、父親の顔を見せれば、一発でおちる。年齢なんて関係ないんだぞ。とにかく、お前がアルの父親となり、アルがそれを認識すれば、それでいいんだよ。それで、結婚成立だ。アルは一生、お前だけについていく。ライアスがそうだったようにな。」
「そう言えば、ライアス兄さん、このごろ、姿が見えませんね。もう、そろそろですか。」
「ああ、母親となる女も決まったしな。おそくとも、来月あたりには腹の中だ。」
「だとしたらもう、兄さんではないですね。他人ですからね。」
レックスは、笑った。
「いや、そうとも限らないぞ。何が限らないかなんてきくなよ。あとのお楽しみってやつだ。それよりも早く、アルをなんとかしろ。あれは、マーレルの国家予算以上の価値がある。」
「じゅうぶん承知してますよ。ったく、現れるたびに注文ばかりつけられては、こっちだって身が持ちません。私よりも、母上に会われたらいかがですか。私がこうして父上に会ってるのも、いつまでも秘密にできるものではありませんよ。」
レックスは、こまったように頭をかいた。
「うーん、それがな、シゼレをだますために、しばらく現れないなんて、ライアスにウソつかせたんだよ。シエラを利用したのは事実だし、それで、逆ギレされるんじゃないかと思って。シエラ、怒らせたら、かなり怖いだろ。」
「たしかに怖いですね。だとしたら、シゼレ伯父は夏を待っているんでしょうね。母上を魔女だと決め付けてから、こっちには何も言ってこないし、軍を集結してる様子もないですからね。」
「やつは慎重だからな。双頭の白竜が、出現しなくなるかどうか見極めているんだろう。あれを呼び出せるのは、おれかライアスしかいないんだしな。」
「・・・父上の死と同時に、紅竜も白竜も宮殿から、消えてしまいましたからね。私では、あの二頭のどちらかと契約が結べないでしょうか。」
「無理だな。おれがどんなにたのんでも、白竜は乗せてくれなかったしな。だから、紅竜を説得したんだよ。だが、紅竜とおれとの契約も生前までだし、今、呼び出せるかどうかわからない。それに、紅竜は非常にプライドが高いんだ。おれが、説得できたのは奇跡に近い。」
エルは、そうですかとため息をついた。レックスは、息子の肩をたたく。
「いつまでも奇跡なんかにたよるな。お前は、実力で勝負できる。なんせ、おれの自慢の息子なんだしな。」
「父上には、かないませんよ。」
ロイドは、手紙をグチャッとつぶした。執事のファーが、心配そうにロイドに茶をさしだす。ロイドは、書きかけの設計図を工場の床に放り投げた。
「もう、兄貴は長くないって書いてあった。どうしても帰らなきゃなんないのかよ。」
ロイドは、頭をかかえつつ、広い工場内を見回した。職人がいそがしく働いている。工場で生産しているものは、ほとんど、自分が設計し考案したものばかりだ。
「カイルに帰っちまえば、おれがつくった、このすべてを捨てなきゃならない。おれの十数年の努力と成果すべてをだ。」
ロイドの秘書が、造船所からの連絡書を持ってきた。ロイドは、書面を広げ、それをまた、にぎりつぶしてしまう。まもなく完成するスチーム船の試運転にきてほしいと、書面にはあった。
「アルのやつ、おれがダメ出ししたら、エルに直接持って行きやがった。いくら、模型でうまくいったって、実物とでは重量がちがう。あんなちっぽけな風車で動くモンか。いままで、何十人も櫂で漕いで、やっと動いてたんだぞ。」
ロイドは、つぶした二つの紙をゴミ箱に放り込んだ。
それから、半月後、試作品は完成し試運転は成功した。力強く海をつきすすむ新型船の甲板で、アルが誇らしげに金色の髪を風になびかせている姿を見て、ロイドはたまらず視線をそらしてしまう。ロイドは、船が港にもどってくる前に、その場を去った。
試運転が成功し、その報告を持ちかえったアルを、エルはねぎらった。エルは、アルに思いがけない事を持ちかけた。自分の娘、クリスティアとの結婚である。
エルは、
「結婚といっても擬似的なものだ。書面手続きだけですます。お前を私の養子とするのがねらいだ。養子縁組がすんだら、離婚させる。」
「前国王陛下が、養子縁組に失敗したから、そのような案をお考えになられたのですか。たしかに、そうすれば、縁組もしやすくなれます。でもなぜ、そこまで養子にこだわるのですか。」
「お前をマーレル公にしたい。そのための縁組だ。」
アルは、びっくりした。エルは、
「それしか考えられなかった。私はお前をクリストンにかえす気はない。だから、どんな手段をつかっても、私のそばにおく。そう決めたのだから。」
「ですが、他の貴族から反発がでるのではないでしょうか。」
エルは、イスから立ち上がった。そして、アルにせまる。
「私がきらいか、アル。年下の私では、お前の父親は不足か。」
「い、いえ、そのような事は。ただ、あまりにも驚いているので。」
「やはり、父上をまだ愛しているのか。私では父の代わりとは、なれないのか。」
アルは、こまったように後退りをした。エルは、
「アル、私はずいぶん長いあいだ、お前に嫉妬してきた。父上の愛を独占していると思いこんでな。けどそれは、私がまだ父にたよりきっていた子供だったせいだ。今では、つまらない事で嫉妬して、お前にすまないと思っている。これからは、私が父上の代わりにお前を愛したい。」
「いきなり、そのような事を言われましても、なんと返事をしてよいものやら。いえ、決して陛下のお心遣いを、むげにするつもりはないのですが。その、やはりまずいのではないですか。どう考えても、私だけ特別あつかいでは。」
「特別あつかいで何が悪い。父上もこうやって、お前を自分のそばに置いたのだろう。お前に問いたい。クリストンに帰りたいか、それとも、ここにいたいのか。お前の父を選ぶか、私を選ぶか、今すぐ返事をもらいたい。」
アルは、エルから顔をそらした。
「・・・あなたは、私をただ必要としているから、そばに置きたいだけでしょう。私が愛した、あの方とはちがいます。あの方は、私を愛してくれました。愛してくれましたから、必要としてくれました。私が、あの方を愛し、必要としたようにです。あなたは、本気で、私を愛してはいないのでしょう。偽りの愛など、すぐにわかってしまいます。」
「偽りか。そうかもしれない。しょせん、私では父上にはかなわない。そして、いくら言葉をえらんでも、それは偽りだとすぐにお前にわかってしまう。だが、どうしても、お前にそばにいてほしい。お前が必要だ。たのむ、いてくれ。この通りだ。」
エルは、頭を下げた。アルは、
「もう、おやめになってください。じゅうぶんわかりましたから。ですから、頭を上げてください。国王陛下のすることではないです。あの方は、私にすべてを捨てろとおっしゃいました。クリストンも私自身もです。すべてを捨てて、あなたの影となれと。わたしの心は、その時点で、すでに決まっています。」
エルは、苦笑した。やはり、父の言うようには行かない。自分と父では、何もかもちがいすぎる。
「養子の件は、できるだけ早く返事がほしい。だが、無理強いはしない。」
アルは、だまって頭を下げた。そして、執務室を出て、ぼんやりと廊下を歩いていると、情報部主任のティムに声をかけられた。ティムは話があると言い、主任室にアルをつれていった。
アルは、レックスの親友だったティムに、思い切って、さっきの事をたずねた。ティムは、
「まあ、現状を考えれば、エルがあせっても仕方がないと思うよ。話も、それにかんするものなんだ。君に知らせるかどうか、ずいぶん、なやんだんだけど、やはり知っておいた方がいいと思ってね。この前、シエラ様が里帰りなさったろ。その時、シゼレ公に拉致されかけたんだよ。あやうく魔女裁判にかけられるとこだったんだ。ぎりぎり、逃げ出せたけどもね。」
アルは、びっくりした。