二、兄と妹(3)
シエラは、
「破門したかったらすればいいわ。私にはレックスがいるから。」
ごう然と言い放つ妹の態度に、シゼレは怒りよりもあきれた。
「やはり、子供達をベルセアに行かせて正解だった。父、ドーリア公は、根本的なまちがいをおかした。当時に考えにしたがい、次男である私しか教会に修行に行かせなかった。それゆえ、お前達、二人のきょうだいは、正しい信仰を知る事もなく、一人は死に、そしてお前は、教会を愚弄するまでになってしまった。なげかわしい事だ。」
「そうね。そうよね。私、娘時代は遊んでばかりいたものね。友達と、まーいにち、おしゃべりばかりしてさ。教会には、よく行ってたけど、祈る内容は、すてきな恋人ができますようにとか、恋愛結婚できますようにとか、そんな事ばっかりだったしね。」
シエラは、ワインをまた自分でグラスについで、グイと飲んだ。そのまま、ヤケクソのように飲み続け、一本あけてしまった。そして、フーと息を吐く。
「そんでもって、いろんなことを妄想すんだよね。私もレックスと会って、すぐに好きになって、それこそいろんなことを妄想しちゃったわよ。あーして、こーしてとかさ。あれ? いまでもしてる。ひょっとして、欲求不満。未亡人になっちゃってるしさ。」
シゼレは、頭が痛くなった。シエラも中年の女だ。昔の清楚さなんて、すでに蒸発してしまってるようで、しっかり生臭くなっている。シエラは、席から立ち上がり、シゼレにそばに行き、赤くなった顔を近づけた。
妙に色っぽいしぐさだったので、いくら妹とはいえ、シゼレはドキリとしてしまう。
「ねぇ、サラがいなくてさびしいんでしょ。私もレックスがいなくて、つまらないんだしさ。今夜、いっしょに寝ていいかしら。ライアス兄様が昔、私といっしょに寝てくれたみたいにさ。」
さすがにシゼレは逃げ出した。シエラは、おもしろそうに笑う。
「やだ、冗談よ。冗談に決まってるじゃない。なに、あわててんのよ。」
「シエラ、もう寝なさい。こんな酔っていては、私もつき合いきれない。さっさと部屋にもどって寝なさい。」
「酔ってるぅ、私、酔ってるんだよね。じゃ、シラフじゃたのめない事、たのんじゃおうかな。領主の地位をマーレルに返してよ。お願い。」
「本当にいい加減にしろ。これ以上、クダクダ言うと、いくらお前でも宮殿からたたき出すぞ。」
「はーいはい、野宿はいやだから、いい子にします。じゃ、お休みなさい、シゼレ兄様。」
シエラは、フラフラと食卓をあとにした。シゼレは、やれやれと頭をふる。
(シエラはもう、私の知っているシエラではない。あれは、違う人間だ。)
寝室には、ライアスがいた。シエラは、酔っぱらった体をベッドにしずめる。ライアスは、
「ったく、むちゃしてさ。シゼレは本気になって、たたき出す直前だったんだぞ。」
「あれ、きていてくれたの。半年ぶりね、兄様。話、どこできいてたの。そう、私と意識をリンクさせてたのね。ダメね、シゼレ兄様は。古い考えにしばられきっている。」
「そうだね。頑迷で頑固だ。過去にばかり目が行き、未来を見ようとはしない。新しいものを受け入れる要素がまるでない。」
「シゼレ兄様が、レックスを否定しだしたのも、自分の信じているダリウス像とちがうからなのね。自分の知ってる範囲から、レックスが飛び出してしまったから。だから、マーレルに距離取り始めたのね。いったい、いつごろからなのかな。」
「マルーとエルの結婚が決まったあたりかな。シゼレは、エルの正妻にソファラをと考えていたらしいんだよ。君とおんなじようにね。けど、イリアに先手をとられてしまった。まさか、六歳で結婚なんて考えもしなかったし、第一、王女が相手じゃ身分的にも負けるしね。だいたい、そのころから、マーレルに距離を取りはじめたようだ。」
「そんな前から。ソファラか、いい子だったな。いまごろどうしているのかな。ラベナ族で幸せになってるといいな。」
「シゼレが、レックスに疑問を感じ始めたのも、そのころからだよ。クリストンよりも、海の向こうのイリアとの関係を重視し始めてたしね。たぶん、うらぎられたと思ったんじゃないかな。ゼルムも実質、マーレルの属州になったし、このままではいずれ、クリストンも吸収されると考えたはずだ。」
「だから、偽情報ばかり流して、そのかんに東側を味方につけようとしたのね。けど、それもレックスの大陸訪問でダメになってしまった。ねぇ、訪問中、クリストンはレックスの暗殺なんて考えなかったのかな。こっそり、つけまわしてたんでしょ。」
「監視してたのは、たしかだよ。けど、さすがにそこまではね。」
シエラは、酔った顔を枕にこすりつけた。
「レックスに会いたいな、どうして、会ってくれないのかな。」
「当面は無理だよ。彼にも色々とする事があるんだよ。しばらくは、こっちにもどれないって言ってたよ。」
「しばらくって、どれくらい。私、おばあちゃんになってしまうよ。」
「そこまでは。でも、数年は無理みたい。まあ、気長に待ってれば、そのうち、顔を出すはずだよ。それと、シエラ、ぼくが君とこうして会えるのも、夏までだ。」
シエラは、ベッドから身を起こした。ライアスは、
「新しい命をもらうんだよ。カルディア族の子としてね。神官になるんだ。」
「そう、おめでとう。兄様、生まれ変わりたがっていたものね。それを、無理に引き止めてたんだものね。そうなんだ、よかった。」
「生まれ変わっても、君の事は絶対忘れないからね。」
「さみしくなるね。でも、うれしい。今度こそ、幸せになってよね。」
シエラは、目をこすった。ライアスは、シエラの髪をしずかになでた。
「愛しているよ、シエラ。ぼく達は、いつでもいっしょだ。だから、新しいぼくの命を見守っててほしい。」
シエラは、うんとほほえみながら、うなずいた。
シゼレは、ライアスに気がついていた。シエラの部屋に現れたのを感知していたのである。それで、こっそりと寝室の前で、二人の会話をきいていた。
そして翌日、シエラは、ライアスとともに別の倉庫をあさった。ライアスは、
「サイモンの妻から、何度か宝飾類をもらった事があったんだ。この倉庫は、領主一家が使ってた物をしまっておく保管庫だし、ぼくの遺物もまだ残っているかもしれない。」
「そっか。叔母様からもらったのなら、叔父様からもらったのとおんなじだもんね。この箱かな。けっこう、ずっしりしてる。やだこれ、私のじゃない。時のはやり物だわ。すごく時代遅れね。でも、なつかしい。」
「こっちの箱はどうかな。」
「どの箱。これね。あ、見おぼえがある鎖が入ってるわ。え、この指輪がそうなの。やった、見つけた。」
シエラは、うれしそうに指輪を自分の指にはめた。こうして、はめておけば、無くす事はない。
シエラは、指にはめた指輪を見て、うんざりとした顔をした。
「ひょっとして、兄様の指のサイズって、私とかわらなかったの。男のクセに? なんだかムカついてきた。けっこう身長差あるのにさ。」
「くだらない事を気にするな。用がすんだら、こんなカビ臭い倉庫から出るぞ。午後から墓参りに行くんだろ。さっさと用事全部すまして、明日にでも帰ろう。エルが、すごく心配してるしさ。」
「そうね。里帰りできるから、すごくウキウキしてきたけど、もうここは、私がいたサラサじゃないもんね。私のお部屋は当時のままだったけど、他はもう、シゼレ兄様の家族の匂いがしみついてる。私のうちは、マーレルなのよね。」
「シエラ、君は立派だよ。なんだかんだ言いつつ、レックスにちゃんとついていってる。」
「ついていけなかったよ。レックスの考えが、どんどん変わっていってしまうしさ。もう何、考えてんだがわかんない時期もあったしね。でもね、そこはやっぱり夫婦なんだよね。理解できなくても、ついていけなくても、必死になるわけ。レックスが大好きだから。」
「今もまだ、わからないか。」
シエラは、首をふった。
「どこまでわかってるか、正直、自信ない。けど、守りたいのよ。夫が残したものを守りたいの。ただ、それだけ。」
「じゅうぶんついていってるし、理解もしているよ。ただ、ひたすら守りたい。それは、彼を信じているからだね。シゼレも、君を見習ってほしいよ。」
「そう言ってくれると、すごくうれしい。だってもう、信じるしかないんだものね。レックスは、いないんだしさ。」
そして、午後。サラサにある墓地へ、シエラとミランダは向かった。広大な墓地の一角に領主の霊廟がある。シエラの両親の棺も、そして、ライアスのからっぽの棺も、ここにおさめられていた。
シエラは、霊廟に入り、両親の棺に花をそえ、ライアスの棺にも花をそえた。そして、帰ろうとし、霊廟から出たとたん、数人の兵士にかこまれてしまう。
シゼレは、サラサ教会の異端審問官をつれていた。
「シエラ、ゆうべのお前の話は、使用人達がきいていたようだ。今朝になり、教会から連絡が入ったんだよ。もはや、私では、かばいきれない。すまない。」
兵士が二人をとららえようとした。ミランダが小刀を取り出し、けん制する。シエラは、ミランダを制した。
「ミランダは関係ないわ。シゼレ兄様。」
「その女は、スパイだ。ゆうべ、私の執務室が荒らされた形跡がある。」
「ウソよ。ミランダは、スパイなんかじゃないわ。たしかに昔は、そんな事してたけど、今は、ふつうの人よ。」
「ではなぜ抵抗する。ふつうの女ならば、武器など持ってないはずだ。」
「私を守ろうとしてくれてるの。正当防衛よ。」
ミランダが、兵士達に切りかかった。話してもムダだと判断したらしい。
「シエラ様、逃げて。早く、あっ!」
つかまってしまった。多勢に無勢とはいえ、ミランダはもう五十近い。鍛錬を怠っていなかったとはいえ、動きはもはや若くはない。シエラは、シゼレをにらみつけた。
「私は、本当の事を言ったまでよ。それが、そんなに気に入らなかったの? ミランダにまで、ナンクセつけてつかまえてさ。ミランダは無実よ。さっさと解放してあげてよ。つかまえるなら、私だけでじゅうぶんでしょ。」
シゼレは、シエラの顔を見て、わざと悲しげにため息をついた。
「実におそろしい表情だ。私の知っている妹は、このようなおそろしい表情をした事などない。審問官、私の亡き兄の名をかたる魔物がマーレルに現れ、前国王をまどわしたと聞いた事がありますが、その魔物は、シエラに取りついて妹の魂をうばい、前国王をまどわしたと判断してもよろしいでしょうか。」
審問官は、うなずいた。シエラは、しまったと思った。
(ゆうべの話を利用されたんだわ。やっぱり、私じゃ、兄様やレックスのようにはいかない。)
このままでは、魔女にされてしまう。シゼレはきっとそれを利用し、エルにゆさぶりをかけるはずだ。
シエラは、無慈悲に自分を見つめている目の前の男を見た。
(私を見る目、ライアス兄様やアルを、あれ、と呼んでいた時の目と同じ。この人はもう、私の知っているシゼレ兄様ではない。)
シエラとミランダは、縄できつく拘束され、罪人用の荷馬車に詰め込まれようとした。その時、空から黒い影が降ってきて、あっというまに兵士達をなぎ倒し、シエラとミランダの縄を切った。
エッジは、輝く王家の剣をかまえた。シゼレは驚愕する。
「お前、エッジ。死んだのではなかったのか?」
まだ、動ける兵士がエッジに切りかかった。だが、胴体を切ったのにすりぬけてしまう。エッジは王家の剣で兵士を気絶させた。上空から白竜が舞い降りる。エッジは、白竜に二人の女を乗せ、上空高く舞い上がった。
「大丈夫か、妹姫様。間一髪だったな。ミランダ、お前、キレが悪いぞ。やっぱり、歳か。」
「うるさいわね。たすけにきてくれるんなら、もう少し早くきなさいよ。」
「数年ぶりに会えたのに、文句しか出ないのかよ。ライアスのおかげで、お前にも見えてんだからな。もうすぐ消えちまうから、もちっと優しくしろよな。」
「あんたの気配なんか、ビンビン感じているわよ。見えなくても同じよ。ったく!」
ミランダは、手に怪我をしていた。エッジは、王家の剣で数回傷をこすり治した。
「これも、ライアスだ。ちょうど今、剣の中に入って、おれに力をかしてくれてんだよ。」
「あんた、いつからいたの。ひょっとして執務室荒らしたの、あんたなの。」
エッジは、バツが悪そうに頭をかいた。
「剣を右手に仕込めば、とりあえずは、いろんな物をさわれるようになるんだが、片手では、なかなかうまくいかなくてな。不慣れで、失敗しちまった。しっかり、形跡残しちまったしな。」
シエラは、ため息をついた。
「エルね。エルが私を心配して、あなたをここによこしたんでしょ。こうなる事がわかっていてさ。」
「妹姫様の気持ちもわかるが、むちゃしすぎだ。母親が危険なのに心配しない子供はいないんだよ。エルは特に母親思いだからな。とにかくマーレルに帰ろう。もう用はすんだはずだ。」
白竜は、白い筋雲とともに南へと消えていく。シゼレは異端審問官と空を見上げていた。
異端審問官は、
「あの黒い男、まちがいなく魔霊です。王太后にとりついた魔物の手下のはずです。あの白いドラゴンも魔物が呼んだものです。シゼレ公、エルシオン国王が危険です。母親にとりついた魔物にまどわされてしまいます。前国王と同じようにです。」
「すぐに危険というわけでもない。夏まではたぶん、大丈夫だろう。」
白い雲が、空に溶け込み消えた。シゼレは、何事もなかったかのよう宮殿に引き上げた。