一、世代交代(1)
人間、なかなか死なないものだと思った。エルをかばって、これで、お終いかと思ったが、しっかり助かってしまった。ライアスとシエラが必死になって、おれの胸に食い込んだ銃弾をぬき、傷口をできる限り修復してくれたからだ。
あの時は、息子をかばって、かっこよく死ぬ事ができると、かすかに期待してたんだがな。親父も、おれをかばって死んでるしな。
でも、助かったとはいえ、おれは、健康体を取りもどす事はできなかった。あのあと、紅竜でマーレルまで運ばれ、傷はまもなく癒えたが、寝たり起きたりの生活になってしまった。
ライアスの診たてによると、おれは過去、二度も結核をやり、さらに銃弾まで撃ちこまれてしまったせいで、胸がすっかり弱くなってしまったらしい。胸の機能がまともでないから、全身弱ったとしても当然だろう。
おとといからの微熱が、今日になっても下がらない。カゼでもないのに、体はだるく、ずっと、ベッドにしばり付けられたままだ。こんな生活が、すでに一年近く続いている。回復の見込みは無いようで、おれ自身に残された時間も、そう長くはないだろう。
エルにすべてを譲るべき時が、やってきたようだ。
コンコンと寝室の扉をたたく音がきこえた。レックスは、ボンヤリと目をあける。ミランダが、香ばしい匂いがする焼き菓子を持って入ってきた。
「調子どう。あんたが好きなお菓子を焼いたのよ。ナッツとフルーツがぎっしり入った焼き菓子よ。」
ミランダは、レックスを起こした。そして、小皿に切り分けてさしだす。レックスは、かすかに笑った。
「結核の時も、おんなじのを焼いてくれたな。まあ、少しくらいなら、いただくとするよ。先にお茶をくれないか。喉がかわいてたんだ。」
ミランダが、ぬるめのお茶をさしだした。レックスは、ゆっくりとすする。
「なんか、病気になるたんびに、お前に看病されてる気がする。シエラのやつ、マーレル帰ったとたん、養護施設だもんな。おれを、お前にまかせっきりにしてさ。」
ミランダは、カップを受け取り、菓子の皿をさしだした。レックスは、少し食べ、皿を返した。初夏で、気温がグングンあがっている毎日だ。暑さもあり、ここ数日、食欲もだいぶ落ちている。
ミランダは、
「体を清浄しようか。ゆうべ、寝汗かいてたってシエラ様がおっしゃってたから。」
「たのむ。気持ち悪い。」
ミランダは、すぐにお湯を用意した。そして、ていねいにレックスの体をふく。筋肉質だった体が、今では見る影もなく、やせ細っている。日焼けしていた肌も、ぬけるように白くなってしまった。
ミランダは、清浄を終えた。シエラが、レックスをミランダに、まかせっきりにしているのは、レックスの看病ができないからだ。日に日に、やせ細り、弱っていく夫を見るのが耐え切れないのだろう。
「ミランダ、ありがとう。だいぶ、すっきりした。」
レックスは、咳き込んだ。ミランダが背をなでた。耐え切れないのは、ミランダも同じだ。レックスは、ミランダにとり実の弟も同然なのだから。
咳がなんとか収まった。レックスは、またお茶を飲み、さきほど残した小皿の菓子を食べた。そして、ため息をつく。
「も、どうしようもないな。こんなに弱っちまったしな。シエラと老後は向こうで暮らそうと考えてたけど、もう無理だしな。こんな状態じゃあ、いつまで持つかわからんし、まあ、冬まで生きてたら、ラッキーってとこだろうな。」
「何、言ってんの。父親が死んだ歳(レックスの父の享年は四十五歳)にもなってないじゃない。死ぬなら、せめて四十五以上にしなさい。」
「むちゃ言うな。死ぬときゃ死ぬしかないんだよ。それが、親父よりも短くてもな。まあ、やるべき事はやったし、とりあえず心残りはない。それよりも、ミランダ、お前、新しい男でも見つけろよ。シュウはティムが面倒見てくれてるし、エッジもいなくなっちまったし、いつまでも一人でいる必要なんかない。お前、まだまだ、いい女だしな。」
「もう、男はじゅうぶんよ。みーんな先立たれてしまうしね。それに、夫の帰りを待つのもつかれたわ。五年待っても、遺体ですら帰ってこないんだしね。」
ミランダには、エッジにバテントス人の妻子がいて、遺体をひきわたした事はつげていない。どのみち、当の本人は死んでるし、遺体は持ち帰れないし、だったら向こうの家族にひきわたして、ちゃんと埋葬してもらった方がいい。
ミランダは、
「まあ、あの人らしい最後でよかったと思ってるわ。シュウもそれをきいて、父親を誇りに思っているようだしね。」
「立派な最後だったよ。あいつがいてくれたから勝てたようなものだ。なあ、ミランダ、おれの告白をきいてくれないか。」
「なんの告白? まさか浮気じゃないでしょうね。」
レックスは、笑った。
「まさか、そんなの一回もしてません。シエラとお前がおそろしくてさ。でも、してみたい女なら、約一名いたさ。お前だよ、お・ま・え。だから、お前に新しい男を見つけろと、お前のダンナが死ぬたびに言ってんだよ。」
ミランダは、びっくりした。
「な、何、言い出すかと思ったら、あんた、バッカじゃないの? シエラ様がきいたら怒るわよ。」
「おれ、お前が好きだったんだよ。ナルセラの病院に入院してた時、毎日、菓子を焼いて持ってきてくれただろ。あれでさ。つまり、初恋の相手がお前だ。ケンカばっかりしてたから、気がつかなかったろうけどもな。」
ミランダは、赤くなった。レックスは、ミランダの手をしっかりとつかむ。
「けど、お前、あのころから父さん、好きだったんだろ。子供心にも、そう感じていたしな。だからまあ、あきらめて、シエラとくっつく事にしたんだよ。それでも、お前が好きだったのはたしかだ。お前は、おれの事、弟くらいにしか考えてなかったようだけどもな。」
ミランダは、何を言っていいかわからなかった。レックスは、
「キスくらいしてくれ。三十年にわたる恋心をばらしたんだ。いいだろ、それくらい。もうすぐ、死んでしまうんだしさ。」
「もう、何、言ってんだがさっぱりわからない。はりたおしたくなったわ。」
「じゃ、やってくれ。そんでキス、」
ふりあげたミランダの手が、レックスの頬ギリギリでとまった。
「どうした、やらないのか。」
ミランダの目から、ポロポロと涙がこぼれている。
「バカ、あんた、バカよ。あんただけじゃない。男はみんなバカよ。どうして、先に逝ってしまうのよ。マーブルもエッジもよ。だから死ぬなんて言わないで。私だけじゃない。シエラ様だって同じ思いでいるのよ。あんたが大好きだから。」
「すまん。調子に乗りすぎだ。今のは忘れてくれ。」
ミランダは抱きつき、キスをした。そして、涙にあふれる目で優しく見つめる。
「バカよ、ほんと。でも、この話はこれで忘れてちょうだい。私も忘れるから。」
ミランダはそう言い、清浄したあとのお湯と使った食器を持ち、寝室を出て行った。エッジの霊が、あきれたようにレックスを見ていた。
「ったく、あてつけかよ。おれがいる前で、わざとやったな。」
「だったら、さっさと帰れ。毎日、こられちゃたまったもんじゃない。まあ、冗談のつもりだったけど、ミランダ、本気にしちまったな。いつもなら、いい加減にしろで終わるんだがな。」
「死ぬなんて言葉、きかされたら、だれだって、ああするしかないだろ。」
「でも、ほんとじゃないか。マジで死にそうだしさ。おれも、お前やライアスのお仲間入りの時期が近づいてきてるしな。」
「お前もかなり無責任だな。女、泣かしやがってよ。」
レックスは、ベッドからエッジを横目で見つめた。
「お前、エルのお使いで、ユードスんとこ行ってきたんだろ。あいつら、今どうしているんだ。エルはいっさい、おれの前では仕事の話はしなくなったしな。」
「ああ、なんとかやってるって感じだ。だが、かなり厳しいのは事実だよ。けど、ユードスもセレシアも負けてはいない。それと、ユードスが呪術が使えなくなった。神殿を破壊したら、できなくなったらしい。」
「やはり、呪術の力は、あそこから引いてたんだな。使えなくなっていいんだよ。もともと、まともなものじゃなかったんだしな。ユードスがいまだに使えていたんなら、それを起点として、せっかく封印した魔物が復活してしまうかもしれないし。」
エッジが、笑った。
「邪神皇帝ユードスが誕生してしまうな。おれはもう、あんなバケモノとは戦いたくない。お前さんもだろ。」
「戦うも何も、もうできん。お前は幽霊になっちまったし、おれはこんな体だ。どのみち、おれの役目はここまでのようだしな。エッジ、帰ってくれ。少し眠りたい。」
「食いたくないのに、無理して食ったせいで気分悪くなったんだろ。いくら、ミランダが焼いてくれたからって、気分悪くなるのに無理して食う事ないだろ。」
「食いたいから食ったんだよ。」
「お前、あいかわらずバカだな。まあいい。またくる。」
エッジが消えた後、レックスは、テーブルに置きっぱなしの焼き菓子の残りを見つめた。
(ミランダ、さっきはほんとに悪かった。けど、初恋だってのは本当だ。いまでも、お前は、おれにとって特別な女なんだよ。だから、一人になって、さみしい思いだけはさせたくないんだ。父さん死んだ時の、お前の顔、いまだに忘れてないから。)
夜になり、エルはこっそりと宮殿をぬけ出し、供もつけずに一人、ダイスの屋敷に足を運んだ。ルナは、大きくなったお腹をかかえ、やってきた夫に静かによりそう。
「ルナ、そろそろ、父ちゃんとお母さんに会ってくれないかな。姉ちゃんに子供産まれるの、父ちゃん達、楽しみにしてるんだ。」
「エル、また姉ちゃんって言ったわ。」
エルは、あ、と口に手をやった。ルナは、ムッとしたようだ。
「私、あなたの妻なのよ。もうすぐ赤ちゃん産まれるのに、姉ちゃんはよしてよ。」
「ごめん。子供が混乱しちゃうね。」
ルナは、エルを見つめた。
「ね、私と夫婦になった事で、いやな思いしてない。かくしていても、こういう事って、すぐに知られてしまうしね。ダイス伯父さんは優しいから、私には何も言わないけど、伯父さんも色々と言われていると思う。」
「たしかに言われたよ。けど、ルナを守ると決めたんだ。だから、ルナは、赤ちゃんを無事に産む事だけを考えていて。さっきも言ったけど、父ちゃん達、すごく楽しみにしてるから、会ってくれないかな。子供が産まれたあとでもいいからさ。」
「会ってどうすると言うの。私が原因とはいえ廃嫡されたのよ。捨てられたのよ。もう、親子じゃないのよ。会えるわけないじゃない。」
「ルナ。」
「なぜ、廃嫡したの。会いたいのなら、どうして捨ててしまったの。私が悪いのはわかってる。その事でみんなにいやな思いをさせたのも事実だしね。ダリウス家の立場としては、廃嫡もやむおえないってわかってる。
でも、あの人達だけは、別だとずっと信じていた。私がどんな事をしても、あの人達ならば見捨ててしまう事はないと信じていたの。勝手すぎるのはわかってる。でも。」
ルナは、泣きそうだった。エルは、もういいとルナを抱きしめる。
「そんなにつらいなら会わなくてもいい。ぼくから父ちゃんに言っとくからさ。だからもう泣かないで。姉ちゃんが泣くと、ぼくも悲しくなってしまうしさ。」
「また、呼んだ。なんど、たのんでもダメね。」
「ごめん。気をつけていても、どうしても出ちゃう。しかたないよ、ずっと姉ちゃんだったんだしさ。」
「私ね、姉ちゃんと呼ばれるたびに、エルに同情されて結婚してもらったと感じてしまうの。実際、そうだったし、私から妻にしてとたのんだんだしね。でも、愛してほしいの。私だけを愛してほしいのよ。私、エルがほんとに好きになったから。」
「ぼくも、ルナが大好きだよ。ルナをマーレルに帰したくて結婚したけど、ルナとこうしていっしょにいて、どんどん好きになったんだ。姉ちゃんと呼んでしまうけど、ルナを一人の女として愛しているのは事実だからさ。」
「本当、本当に愛していてくれてるの。じゃ、キスして。」
エルは、ルナにくちづけをした。そして、立ち上がる。
「帰るの。泊まるんじゃなかったの。」
「父ちゃんの具合が、あまりよくないんだ。何かあったら、お母さん一人にしておけないから。」
「そんなに悪いの。」
エルは、うなずいた。そして、お休みと言い、ダイス邸を後にした。馬に乗り、屋敷から少し行くと、ロイドに出くわした。