第九戦、首都制圧(1)
エルは、新たに編成したエイシア軍を率いて、ダリウスの港にいた。大陸へ向けての出港準備があわただしい中、エルはある人物と個人的な面会をするために、港に程近い海岸沿いにある別邸へと足を向けた。
ルナだった。エルが、一年くらい前から情報部に命じて、ひそかにさがし続けていたのである。
ルナは、マーレルを去ったあと各地を転々とし、そのかん、いろんな仕事で食いつないでいたようだ。そして数日前やっと、この近くの漁村の加工工場で働いていたところを情報部に発見され、この別邸に軟禁され、エルの到着を待っていたのである。
数年ぶりに再会したルナは、十歳は老けて見えた。王族として育ち、生活など考える必要のなかったルナにとり、マーレルを去ってからの日々は、苦労の連続だったはずだ。
輝くような銀色の髪もすっかり色あせ、まるで白髪のようになり、化粧すらしていない顔には、うっらとクマが浮き出、手もガサガサで、しかも、ろくな食事はしていないようで、体はやせ細っていた。
エルは、ルナから思わず目をそらした。ルナは、皮肉っぽく笑う。
「浮浪者みたいだと思ったでしょ。そうよね、私、みにくくなったものね。もはや、貧しい女でしかないものね。だれからも相手されない。なぜ、私をさがしたりしたのよ。もう、あなたとは関係ないでしょう、エル。ううん、エルシオン殿下。」
「・・・なんで、あんな事をしたんだよ、姉ちゃん。みんなが、どれだけ、いやな思いしたかわかってんのか。リオンだって、学校で、姉ちゃんの事で、さんざん友達からいじめられたんだぞ。いくら、ロイド兄ちゃんと離婚したからって、あてつけみたいに、男を屋敷に引きずり込むなんて、王女のする事じゃあないだろ。」
「廃嫡されたのよ。私、あの人達に捨てられたの。もう王女じゃないわ。どこにも身寄りのない、ただの女。まあ、しょうがないわね。娼婦の娘だったしね。」
「お母さんにひどい事言ったんだろ。ユリアもいじめたんだろ。ライアス兄ちゃんから、きいてるぞ。」
「ユリア、ああ、そんな女いたわね。あなた、彼女を王太子妃にしたのよね。みんなして言ってるわよ。平民の女なんかに、将来の王后がつとまるわけないって。子供も満足に産めないんだしね。それに、お母さんって誰なの。私の本当のお母さんは、もう亡くなっているのよ。かつての夫をうばった女の事を言っているのかしら。」
エルは、ルナをにらんだ。
「マジで、姉ちゃんなぐりたくなってきた。こまっていると思って、さがしたんだけど、こんなんだったら、さがすんじゃなかったよ。父ちゃんとお母さん、しかたなしに姉ちゃん廃嫡したけど、今でも、姉ちゃん心配してるし子供だと思ってる。」
「他人よ。廃嫡が決まって、せいせいしているくらい。もう二度と、あんな人達に会わなくてすんだんだものね。」
エルは、懐から手紙を出し、ルナにわたした。
「ダイス伯父さんから、あずかってきた手紙だ。ダイス伯父さん、姉ちゃんの廃嫡が決まったら、姉ちゃん養女にするつもりでいたんだよ。父ちゃんとも、そう相談してたんだ。けど、姉ちゃんに、その話をする前に、いなくなってしまったしさ。見つけたって教えたら、この手紙をわたしてくれって、たのまれたんだ。今でも、そのつもりでいるんだよ、伯父さん。」
ルナは、手紙をひらかず、やぶり捨ててしまった。
「マーレルなんか帰らないわよ。あんないやな思い出ばかりのとこ帰りたくない。つらくても苦しくても、今の暮らしの方がずっとマシ。もう、何もかもおそいのよ。帰ったって、また娼婦の娘ってバカにされるだけだわ。」
「姉ちゃんが、どうしてそうなったのか知ってるよ。ライアス兄ちゃんが、ぼくにだけ話してくれた。けど、姉ちゃんは、おぼえてないんだろ。だったら、気にしなくてもいいはずだよ。」
ルナは、カッとなった。
「あなたに、何がわかるというの。例え、記憶には無くても、この体に幼いころに刻印された傷は消えないのよ。あの日、ロイドが私に言った言葉を忘れろと言うの。かなりひどい事を言ったのよ。何を言われたかなんて、きかないでね。私の口からは言えないから。」
そう言い、ルナは、エルから顔をそむけた。エルは、
「ロイド兄ちゃんが、何を言ったかなんて、きかないよ。けど、ぼくは、姉ちゃんが心配だったからさがしたんだよ。もっと早くさがせばよかったと後悔してるんだ。けど、情報部も手一杯だったし、とてもじゃないけど、姉ちゃんさがすよゆうなんてなかった。去年になって、やっと人員も増えて、姉ちゃんさがす事できたんだよ。」
「あなたはもう、立派な国王代理でしょ。マーレル公なんでしょ。なのになぜ、私みたいな捨てられた女をさがすの。さがしたって、なんの得もないでしょう。むしろ、逆じゃない? あれだけ問題起こしたんですものね。」
「まだ、男と遊んだりしてるのか。生活するためにとかさ。」
ルナはまた、エルをにらんだ。
「してないわ。廃嫡が決まってから一度もね。どんなに苦しくても、それだけはしなかった。だってもう、私には、なんにもないもの。女としての最後の砦もなくしてしまったら、私もう、死ぬしかないもの。」
「姉ちゃん。」
「・・・そりゃ、何人もの男にさそわれたわよ。まだ、美しさが残ってた時はね。最近はもう、だれもふりむきもしなくなったけどさ。二十三歳なのに、三十半ばに見られちゃうしね。ほんとの歳を言っても、だれも信じなくなったし。」
「姉ちゃん、やっぱり、マーレル帰ってよ。ダイス伯父さんは待っていてくれてるからさ。伯父さんの子供として、もう一度やり直せばいいんだよ。まだ、二十三なんだよ。また、もとのきれいな姉ちゃんにもどれるよ。」
「もどってどうすると言うの。結婚してくれる男なんて現れてくれるはずないのに。マーレルで一生、後ろ指さされながら、死ぬまで孤独に生きるなんて考えたくもない。もう、話はすんだんでしょ。私を解放して。私、こうして、あなたといるだけでつらいの。だって、あなたは、まぶしすぎるもの。」
そう言い、ルナはギュッと自分で自分を抱いた。ルナが小さく見えた。ほんの数年前までは、ルナの方が自分より大きく、いつも見上げていたはずだった。エルは、ルナの小さな体を抱いた。
「姉ちゃん、父ちゃんとお母さん、本当にきらいなのか。違うだろ。二人とも、あれだけ姉ちゃん、大事にしてたじゃないか。姉ちゃんだってわかってるはずだ。だからもう、意地を張らないで、お願い。ぼく、すごくいやだ。こんな姉ちゃん見てるの。」
エルは、泣いていた。ほんとに泣いていたのである。
「姉ちゃんの事、大好きだよ。ずっと、ずっと大好きだったんだよ。なのに、どうして、ぼくに相談してくれなかったんだよ。苦しんでいたんなら、なおさらだよ。父ちゃんにもお母さんにも言えなかったんなら、どうして、ぼくに言ってくれなかったんだよ。そりゃ、たよりにならかったのはたしかだけど、話だけでもきく事できたはずだよ。」
「・・・ありがとう、エル。あなたのその気持ちだけで、すごくうれしい。私、自分のした事くらい、わかってるの。けど、つらくて、どうしようもなかったの。だから、まわりのみんなにあたりちらしていた。マルーが病気でなかったら、きっと、マルーにもそうしていたでしょうね。ごめんね、エル。ほんとにごめん。」
「姉ちゃん、マーレルに帰ってよ。きっと、父ちゃんもお母さんも安心するよ。ね、いいだろう。ぼくもできるだけ、姉ちゃんの力になるからさ。娼婦の娘だなんて、だれにも言わせないからさ。」
「もうはなして。私、きたないし、エルがよごれちゃうよ。」
エルは、ルナを見つめた。
「きたなくなんかないよ。ぼくの姉ちゃんは、きたなくなんかない。まだ港を出るまで時間あるから、それまでここにいてよ。マーレル帰る前に、ここの使用人達に、姉ちゃんの服、用意させるからさ。じゃあ、今日はもう港に行くよ。いろいろといそがしいからさ。明日、またくるよ。どこにも行かないでね。」
ルナは、うなずいた。エルは、別邸の使用人に、ルナから決して目をはなすなと命じる。やっと見つけたルナが、また、いなくなってしまわないかと不安だった。そして、数日がすぎ、エルは軍とともに大陸へ向けて出発した。
ルナは、別邸の海岸から船が見えなくなるまで、エルを見送っていた。
ディナ・マルー州に、エイシア軍、ティセア軍、ダムネシア軍が集結した。そして、東側からバイス率いるラベナ族が到着するのを待つだけとなった。
エルは、両親にルナを見つけたと報告した。二人の親は抱き合い、涙をながし、ルナの無事を喜んでいた。エルは、この時、父親の涙を始めて見た。
「よく、見つけてくれたな。もう、会えないかと思ってた。よく、やってくれた、エル。」
レックスは、エルを抱きしめた。
「そうか、マーレル帰ってくれると約束してくれたのか。じゃあ、そろそろ、ダイスんとこに到着してるころだよな。よかった、本当によかった。これで安心だ。エル、よく、ルナを説得してくれたな。ずいぶん、おれ達をうらんでいたろ。」
「あたりちらしていただけだと言ってました。本心からでは無かったようです。ひどい事を言ったと後悔してました。」
シエラは、涙をふいた。
「ひどい事を言ったのは、私の方よ。ケンカ越しだったものね。あれきり、一度も会わないまま、捨ててしまったものね。もっと、ルナの気持ちを受け止めてやればよかったと、ずっと後悔してたのよ。エル、本当にありがとう。あなたを誇りに思うわ。もう、私達では、ルナに何もしてあげられないから。」
エルは、
「マーレルに帰ったら、私がルナの面倒を見ますよ。そこで、お話なんですが、ルナを私の妻にしてもよいですか。宮殿に置く事も、公にする事もできませんけど、ダイス伯父上の屋敷に住まわせて、私がこっそり通う程度ならかまわないでしょう。ルナは、結婚したいって言ってましたから。」
二人の親はびっくりして、エルを見つめた。エルは、
「もう、私しか、ルナの夫になれないはずです。ルナは、それで、マーレルに帰る事を承諾してくれたんです。」
レックスは、
「お前がそうしたいと言うなら、おれはかまわないが、だが、ずっと姉として見てきた女を妻としてあつかえるのか。ロイドとあれだけもめて離婚したんだ。少しでも、弟としての素振りを見せたら、ルナはまた、女として愛されていないと思いこんでしまうかもしれない。弟に同情されて結婚してもらったとな。けど、思い切った決断をしたものだな、エル。」
「それしか方法は無いと思ったからです。父上の言うとおり、姉と言う感覚はすぐには抜けないと思います。正直に言います。ルナとはすでに結婚してます。式はあげることはできませんが、ルナがそうしてほしいとのぞんだものですから。」
エルは苦笑した。レックスは、驚くよりあきれてしまう。
「・・・五人目ともなると、もう遠慮は無しかよ。なんか、お前、死んだジイサンに似てきたな。けど、そうしたんなら、ルナを大事にしろよ。おれ達は、お前がルナを守ってくれるなら何も言わない。」
シエラは、ほほえんだ。
「ルナは幸せな子ね。必ず、自分を救ってくれる王子様が現れてくれるしね。ね、エル、今度こそ、ルナを幸せにしてちょうだい。あの子の本当のお母さんは、悲しみの中で亡くなってしまったの。娘の幸せを願いつつね。でも、私達では、幸せにはできなかった。だから、お願い、エル。」
「父上と母上は、ルナをじゅうぶん幸せにしましたよ。ロイドと結婚する前まで、ルナは笑っていたではないですか。あのころのルナにもどしてみせますよ。そして必ず、父上と母上にルナを会わせます。その時まで待っていてください。」
「たのんだぞ、エル。」
エルは、コクリとうなずいた。