六、マデラの罠(2)
ミランダは、あやしいやつらをさがしていた。注意深く、あちこちさがしたつもりだったが、それらしい人物は見つからなかった。
ミランダは、東通りの三丁目へとやってきた。赤い看板は、すぐ見つかった。マーブルは、店のテーブルで大いびきをかいている。ミランダは、マーブルを叩き起こし、フラフラのマーブルを引っ張るよう、宿へと帰ってきた。
「ったく、朝からよく飲めるわね。ナルセラの事があってから、たしかに夜遊びはしなくなったけど、これじゃあね。」
「ぎゃーぎゃーわめくな。んだよ、いい夢見てたのによ。」
「どうせ、女の夢なんでしょ。酒と女しかない男だもんね、あんたは。」
マーブルは、フーと酒臭い息をはいた。
「おれが、なんの夢見ようが勝手だろうが。よく、おれがいる場所が分かったな。」
「町中、かけずり回ってればね。」
「なんか、見つかったか。」
ミランダは、首をふった。
「今のところはね。けど、マデラに侵入してる仲間には、気をつけるようつたえておいたわ。」
「レックスは、帰ってないようだな。シエラはどうした。」
「宮殿よ。グラセン様に呼ばれたの。たぶん、長くなると思う。夜まで帰ってこなければ、宮殿に泊まるかもね。」
マーブルは、そうかと言った。そして、
「なあ、ミランダ。お前、だれかとつきあっているのか。」
ミランダは、はぁ?という顔をする。マーブルは、
「レックスは、もうすぐ、おれの手をはなれる。そしたら、おれの役目はおわる。その、もし、お前がかまわなかったら、おれと所帯もたないか。ダリウスのクラサという田舎に、おれの土地があるんだ。信頼できる人間に管理をまかせてあるから、おれが行方不明のままでも人手にわたる心配は無い。そこで暮らさないか。」
ミランダは、びっくりした。
「あんた、酔っぱらって、変な事言わないでよ。びっくりしたじゃない。」
「酔った、いきおいじゃなきゃ、こんな事言えるかよ。お前は、いい女だ。すこーしばかり気が強いがな。いい女だ。ずっとそう思ってた。もし、だれともつきあってなかったら、おれと結婚してくれないか。」
「いきなり、言われたって。」
ミランダは、困ってしまった。マーブルは、
「やっぱり、四十五の男とはいやか。」
「いやとは言ってないわよ。ただ、とつぜんすぎて。」
マーブルは、ミランダの手をつかんだ。
「じゃ、いいんだな。とつぜんだけどいいんだな。」
「少し考えさせて。バテントスやら何やらでピリピリしてるのに、結婚なんて持ち出されても、どう返事していいのか分からないわ。でも、あんたはきらいじゃない。ううん、ずっと気になってた。」
マーブルは、ミランダをだきしめた。
「幸せにできるか分からない。おれはすでに一人の女を不幸にしている。けど、お前を大切にしたい。ミランダ、お前が好きだ。」
ミランダは、苦笑した。今日は、プロポーズ日和らしい。
夕方になり、シエラが客室にきたとき、レックスは、ボコボコになった顔をタオルで冷やしていた。
「ど、どうしたの、その顔。」
「ロイドにさそわれて、レスリング選手の相手をしたんだよ。いきなり、一番と戦わされて、このザマだ。」
「負けちゃったの?」
「こっちは素人なんだぜ。ロイドのやろうに一杯食わされたよ。あいつ、腹いせに、おれをレスリングさそってボコったんだ。くやしいから、宮殿の従業員食堂で昼飯食ったあと、また行って殴り合いしてきた。」
「お昼さそいにきて、いなかったわけね。どこ行ったのかと心配してたのよ。セシル様がね、夕食どうかって。ロイド君もいっしょするって。」
レックスは、ため息をついた。
「また、ロイドかよ。おれ、あいつの顔は見たくないんだ。ガキじゃなきゃ、一発ぶんなぐってやるとこだった。自分じゃ、おれにかなわないから、一番選手をあててきたんだしな。」
シエラは、レックスからタオルをとり水でひやして、ふくれあがった目にあてた。
「ヤキモチよ。レックスがうらやましくて、しょうがないのよ。私にとって、やっぱり、あなたが一番かな。」
ほほえむシエラを見て、レックスは、ほんわりとした優しさにつつまれてしまう。
「シエラ、その髪、似合ってるぜ。お前、美人だから、なんでも似合っちまうんだな。」
「美人だから、なんでも似合うはよけいかな。でも、うれしいな。変装すすめられて、自分でもやりすぎたと反省してたもの。髪を切る必要なんて、なかったんじゃないかって。」
「シエラはシエラだ。髪切っても男装してても、目の前には、おれの好きなシエラしかいない。ひさしぶりにキスしてほしいよ。」
「こんな顔じゃあ、ふんいきでないな。でもまあ、いいか。」
セシルは、やせた顔色の悪い男だった。また、二十半ばだというのに、十も歳をとってるように見える。けど、性格はおだやかで、ただの使用人のレックスにも丁寧に接してくれた。
「すてきな青年ですね。これでは、シエラ様もお心を奪われるというもの。私もかつて、使用人の女性に、身分違いの恋をした経験がありましてね、ずいぶん悩んだものです。結局は領主としての責任上、ベルセアから妻をもらいましたけどもね。」
「セシル様もそうだったのですか。そのお相手の女性は今は? お付き合いとかしてたのですか。」
セシルは、ほほえんだ。
「私は、自分の思いをかくしていましたから、その女性は私の思いなど知りません。私が結婚してまもなく、その女性も仕事をやめてしまいましたからね。たぶん、結婚したはずです。なつかしい思い出ですよ。」
そうですか、シエラはつぶやくよう言う。セシルは、
「シエラ様、今がチャンスですよ。彼とさっさと結婚してしまいなさい。あなたが国に帰られたら自由はなくなります。私同様、領主という立場にしばられてしまいます。けど、既成事実をつくったうえでの帰国ならば、どうしようもなくなります。私が証人になりますから、明日にでも宮殿の祈祷所で式をあげなさい。」
ちょっと待て、ロイドが口をはさんだ。
「待てよ。おれのプロポーズはどうなるんだよ。おれが、この金髪よりも先にしたんだぜ。こいつ、まだしてないはずだよ。」
レックスは、
「もうしてあるよ。ゼルムでだ。ごたごたしてたから、式をあげるひまがなかったんだよ。」
ロイドは負けない。
「使用人のお前に、シエラの国がとりもどせるかよ。おれはな、マーレル・レイの学校で、いろいろと勉強してきたんだ。無学の使用人の男なんて、シエラの足手まといにならぁ。」
セシルは、
「ロイド、失礼を言ってはなりません。身分は制度上、たしかにありますけど、人は大地の上に平等にたっているんです。太陽も風も身分をえらびません。国教会も、そう教えているでしょう。彼にあやまりなさい。」
ロイドは、ダンと席をたち出て行ってしまった。セシルは、
「申し訳ございません。なにぶん、世間知らずの子供でして。両親が早くに亡くなり、病弱な私では、領主の仕事だけで精一杯で、あの子の親代わりはできず、大変、ごう慢でワガママな少年に育ってしまいました。」
グラセンは、
「いやいや、元気のよい弟御ですな。若い者は、あれくらいでなければなりません。学校での成績も優秀だったのでしょう。自信が、お顔に満ちあふれております。彼は、羽をのばす場所をさがしているのではと思いますよ。」
と言い、ほがらかにほほえむ。セシルは、赤くなった。
「まことに申し訳ございません。厳しく言いつけておきます。弟は、自分の我をおさえる事を知らなくてはなりません。」
シエラは、セシルがなぜここまで、レックスに気を使うのか分からなかった。セシルの身分違いの恋が、セシルの人間観をつくったのは分かる。けど、必要以上に、ただの使用人のレックスに気を使う理由があるのだろうか。
レックスは、おもしろくもなさそうに皿をつっついていた。顔の腫れは、だいぶひいてきている。若くて体力が並以上にあるレックスは、体の代謝も活発で、怪我の治りも早い。
セシルは、
「ファーが、自分の顔にパンチを入れただけでも、たいしたものだと感心してましたよ。私もそう思います。」
レックスは、ファーってだれだと思ったが、すぐにあの一番だと分かった。
「ボッコボコにされたんだよ。リベンジしようとしたけど戦ってくれなかった。代わりに二番、三番とやったけど、やっぱりファーをぶちのめさないと、気がおさまらない。領主様から命令してくれよ。明日、おれと戦うようにさ。」
セシルは、
「ファーは、私が命令しても、あなたとは戦いませんよ。彼は、自分に実力がおよばない相手とは、いっさい戦わない主義なんです。たとえ、無理に戦わせたとしても、防御だけで何もしないはずです。」
「つまり、子供を相手にしてるのと同じと言う事かよ。ロイドといい、なんかムカつくな。」
「ファーには、すぐにあなたの実力が分かったはずです。ですが、ロイドの気持ちも考えたんでしょう。ファーは、ロイドが幼いころより身辺の世話をしてきてますからね。彼は、ロイドの執事なんですよ。」
レックスは、ますますおもしろくなかった。グラセンは、
「ひさしぶりに汗をかいて、なまった体をほぐしたのでしょう。レックス、もうそのくらいで、その不機嫌な顔をしまいなさい。負けてくやしかったのなら、実力をつけて、再度いどんだらよいだけです。セシル様に失礼ですぞ。」
セシルは、ほほえんだ。
「実にたのしいですよ。私は自分がこうですから、元気な人をみると、なんだがパワーをもらった気分なるのです。今夜は、ぐっすり眠れそうです。」
セシルは、かるく咳きこんだ。
「失礼しました。そろそろ、おひらきにしましょう。長くなりましたので、みなさま、おつかれのはずです。今夜は、ゆっくりとお休みください。」
セシルは、そそくさと席をたった。廊下から、はげしい咳きこみがきこえる。長い話は、セシルの体力ではかなりの重労働だ。
そして、翌日、朝早く、レックスはセシルに呼び出された。使用人にセシルの私室に案内してもらう。青白い顔のセシルが、にこやかにむかえてくれた。
「よく、眠れましたか。本来ならば、私の方から、ごあいさつに出向かねばならないのですが、陛下。」
レックスは、広い室内にいくつかあるイスに、てきとうにすわった。
「グラセンからきいたのか。夕べのあんたの態度が気になってたからな。陛下はやめてくれ。おれは今は、ただの使用人だ。」
「グラセン様は、カードは簡単には切りませんよ。陛下の事は、うかがってはおりません。陛下は、おぼえておいでにならないみたいですね。ダリウスからいらした、あなた方親子を、数日ここでかくまっていたのです。私は、そのかん、あなた様のお相手をしていたのです。」
そして、御立派になられましたね、と付け加える。レックスは、
「だから、陛下はやめてくれって。耳の辺りがかゆいんだよ。それに、でかくなったのは体だけだ。自信のあった腕力も、プロの前では子供あつかいだったしな。おまけに、字もまんぞくに書けない、読めないだし、王族としてのふるまいも知らない。」
「シエラ様のお力をかりればよいのです。読み書きなど、あとでいくらでも身につきます。王としてもふるまいも、シエラ様のたすけをかりれば、どうにでもなるでしょう。」
レックスは、ため息をついた。
「そうなるんだよな。結局、何から何までたよることになる。知り合いの女から言われたよ。おれは、なんでもたよってばかりだって。」
「最初だけですよ。何も知らなければ、人にたよるしかありません。教えてもらったものを、自分のものにしてしまえばよいのです。そのうち、すべてを御自分の力で解決できるようになるでしょう。」
「シエラは、グラセンから王家の剣をあずかっている。王子を見つけて、わたせってな。シエラ、おれに気がついてるはずだ。何ヵ月もいっしょにいるしな。けど、まだわたしてもらってない。おれが、たよりないからだ。」
セシルは、
「わたす機会を考えているだけかもしれませんよ。わたしたら、シエラ様にも逃げ場はなくなりますからね。
昨日、ずっと彼女と話をしていて、迷いがある事に気がついたのです。口では、責任とかどうとか言ってましたよ。けど、迷いがある。相手が、バテントスでは気がひけるのは、私も同じです。
けど、領主は、それを表に出してはいけないのです。シエラ様は、御自分が領主としてやっていけるか、最終的には王妃としての責任を背負えるか、自信が無いのでしょうね。」
「そりゃ、おれだって同じだよ。でも、やらなきゃなんないんだ。自信が無くてもな。」
「ですから、夕べ、御結婚をすすめたのです。シエラ様に覚悟をしていただくためにです。やはり、王が必要なのです。エイシアをもう一度、一つにまとめるためには、やはりダリウスの正統なる宗主が必要なのです。」
やはり、ライアスがいてくれたら、レックスはギュッとこぶしをにぎった。
「おれは、シエラをバテントスとの戦いにまきこみたくない。あいつ、もうさんざんいやな思いをしてるからな。けど、やっぱり、おれ一人じゃ無理だ。身近にいて、たすけてくれる人がどうしても必要だ。おれ、シエラと結婚するよ。あんたに証人たのむ。」
「かしこまりました。で、式はいつ。」
「あんたとグラセンの話が終わってからでいい。そのあと、おれはシエラにきちんと求婚する。この話はロイドにないしょだぜ。あいつ、じゃましてくるかもしれないしな。」
セシルは、ホッとしたようにほほえんだ。
「ロイドには、用件をたくさん言いつけておきますよ。シエラ様には、私の方からもさりげなく御結婚をすすめてみます。そろそろ、相談役がやってくる時刻です。あなた様は、退散したほうがよろしいでしょう。」
レックスは、セシルの部屋を出たとき、向こうから一人の僧侶がやってくるののが見えた。
僧侶は、レックスとすれちがいざま、うさん臭そうににらみ、ここはお前のような者がいてよい場所ではない早々に立ち去れ、とかなんとか言いながら、セシルの部屋へと入っていく。
レックスは、フンと鼻をならし昨日の武芸場へと向かった。朝練が始まっているころだ。