第五戦、作戦変更(3)
ユードスは、専用のテントでシグルドと遊んでいた。レックスが訪れた時、どういうわけか、ユードスは素っ裸になってシグルドとじゃれあっていた。シグルドは、
「あ、王様のおじちゃん。今ね、ゲームに負けると服をぬぐって勝負してたんだよ。十回やって、ぜんぶ、ぼくの勝ちだった。おじちゃんもやる?」
テントの中には、セレシアはいなかった。あきれて外を散歩でもしているのだろう。レックスは、
「ただれた大人の遊びを子供とするんじゃない。さっさと服を着ろ、めざわりだ。」
「人の楽しみをじゃまするな。お前はいつもそうだ。暑いから、ちょうど良かったのだよ。」
ユードスは、シャツに袖を通した。シグルドが、レックスに抱っこをせがんだが、持ち上げただけで、ユードスに返す。そして、
「お前が、たらしこんだ帝国南部のお勤め場は、たしかこの近くにあったはずだ。そこへ行きたい。場所を教えてくれ。」
「物資の支援が心細くなったのだろう。戦いが、思ったよりも長引きそうか。」
「ああ、東側の動きが考えていたより悪い。戦いに勝ってはいるが、あまりにも一つの勝利にこだわりすぎているんだ。それに、ここはエイシアからはなれすぎている。できることなら、帝国内に味方をつくり、そこから物資の一部を補給したい。」
「まあ、そんなことだろうと思った。だから、お勤め場を押さえておいたんだよ。お勤め場も表立っては無理だが、横流しくらいはしてくれるはずだ。すまんが、シグルドを少し抱いてくれ。セレシアをさがしてくる。」
ユードスは、シグルドをレックスにあずけ、出て行った。くすぐったい感触。まだ、甘い母乳の匂いが残っている。気がつくと、ギュッと抱きしめていた。
レックスは、ユードスとともに紅竜で、お勤め場へと向かった。大きな農場だった。そして、その晩のうちに、エイシア軍への食料提供を約束してもらった。
レックスとユードスは、次の晩も、そうやって別のお勤め場へと行き、物資の横流しを要請した。そして、夜明け前ギリギリに宿営地へもどってみると、宿営地は火の手があがり、大混乱におちいっていた。
レックスが留守にしているあいだに、大がかりな夜襲をかけられたようだ。まともに戦っては分が悪いと判断したバテントス軍が、真夜中に攻撃をしかけてきたのである。
ライアスが現れた。レックスがもどってきたのを感知して現れたのだ。状況をきく。ロイドの奮闘で、なんとかエイシア軍は立ち直りつつあるが、物資をはじめ、かなりの被害が出ていると言う。ユードスは、セレシアとシグルドの安否をたずねた。
ライアスは、
「すでに避難している。エッジがびっちりくっついているから、まずは心配ない。エルが行方不明なんだ。パニックになって、襲われた宿営地から飛び出した。アルが捜索隊を組み、エルが逃げた方向を必死になってさがしている。」
レックスは、青くなった。あわてて、眼下の暗い森を見回した。ライアスは、
「エルの捜索は、アルにまかせるんだ。必ずエルを見つける。君は、ロイドとともに軍の指揮にあたってくれ。今、軍に必要なのは、君だ。」
レックスは、ぎゅっと目をつぶる。そして、ユードスを安全な場所に降ろし、自分は戦場となっている宿営地でロイドとともに指揮をとった。夜明けとともに、バテントス軍は引き、朝日に照らされた宿営地は、焼け焦げた物資と遺体、動けない怪我人で埋め尽くされていた。
エイシア軍は、かなりの物資と人員を失った。カルディア族の騎竜隊にも被害が出、ドラゴン一匹と隊員を二人ばかり失った。
エルは、まもなく、アルとともに宿営地へともどってきた。そして、惨状を見て、胃液を吐いてしまう。レックスは撤退を決めた。この様子では、せっかく取り付けた、お勤め場の協力も立ち消えとなってしまうはずだ。残された物資と人員だけで、戦い続ける力は、すでに残されていない。
ユードスは、国内の残る決意をした。エイシア軍の撤退は、ユードスと協力関係にある、帝国内のお勤め場をゆさぶってしまうだろう。それを食い止める必要があった。
セレシアは、ユードスとともに行動することにした。そして、シグルドをレックスに託す。
セレシアは、
「もう、待つのはつかれた。私も戦いたい。シグルドをたのむ。私達に代わり、この子の親となってほしい。」
レックスは、セレシアの決意を見て、シグルドを受け取った。
「必ず、またくる。撤退は決して敗北ではない。だから、それまで生き延びていてくれ。」
シグルドは、泣き叫んだ。レックスは、シグルドをギュッと抱きしめ、撤退を開始させる。ユードスとセレシアは、まもなく姿を消した。軍の足取りは重かった。
シグルドは、泣きつかれてレックスの腕の中で眠っていた。レックスは、そばにいるロイドに、食料はどれくらい持つかとたずねる。ロイドは、
「次の補充がくるまで、なんとか持ちこたえられそうだ。ギリギリだがな。だが、こっちが撤退したとなると、東側はどう思うかな。次の戦いでは、協力を得られなくなるかもしれない。」
「めずらしく弱気だな。撤退は敗北ではないと言ったはずだ。準備万端だと思い込んだのが、そもそものまちがいだったんだよ。おれも、以前勝って、いい気になりすぎていた。エイシア領とした公国へもどろう。そこで、公国内部をかため、帝国攻略の足場としよう。」
ロイドは、意気消沈しているようだった。考えてみれば、本格的な戦争は、ロイドも始めてのはずだ。ゼルムの時は、だまっていても勝てたのだから。レックスは、
「結果的には、占領されていた国三つと、カリス族は解放したんだ。次の戦いで、東側の協力は得られなくてもいい。足場さえしっかりしていれば、必ず勝てる。」
「なあ、レックス。なぜ、そこまで勝利にこだわるんだ。占領された国を解放しただけで、じゅうぶんなんじゃねぇのか。おれ達のしている事は、バテントスがしている侵略行為と変わらないんじゃないのか。」
レックスは、チラとロイドを見つめた。ロイドは、
「なんだか、わかんなくなってしまった。帝国に入る前は、たしかに意気揚々としてたけど、帝国内を行軍するにつれて、どんどんわかんなくなってしまった。おれだけじゃあない、他の将校達もおんなじなんだ。」
「ロイド、しっかりしろ。将軍のお前がそんなんで、無事に撤退できると思っているのか。撤退は進軍よりもむずかしいんだ。敵の追撃や奇襲、まちぶせなどすべて考慮に入れて、それだけに集中しろ。わかったか。」
ロイドは、ああと返事を返し、カムイとともに撤退の指揮にあたる。レックスは、眠っているシグルドをギュッと抱きしめた。そして、自分のすぐうしろからついてくるエルを見る。エルは蒼白な顔をしており、今にも馬から落ちそうだ。アルは、平然とした顔で、エルのそばからはなれなかった。
呪詛の黒い霧が、敗退を余儀なくされたエイシア軍に降り注いでいた。それは、レックスの心にも容赦なく侵入し、無気力にさせていく。この霧は、人の気力をうばう毒だった。いつも強気のロイドが弱気になってしまったのも、この毒にあてられたせいだろう。
(この霧は、おれ達が帝国内に入った時から、こうして、降り注いでいたのかもしれない。わからなかったのは、おれもライアスも、敵の幻術にかかってた可能性がある。四方結界が成功したので、安全だとばかり思いこんでいた。敵を、あまりにも甘く見すぎていた。驕りがあったんだ。)
これは敗退ではない。あくまでも作戦を変更しただけだ、レックスは自分にそう強く言い聞かせていた。