六、マデラの罠(1)
カイルの首都、マデラ市にやってきた翌日、グラセンはレックスだけをつれ、朝早くマデラ宮殿へと出かけた。カイル領主セシルに、法王の内々の御用のための使者という名目で会いに行ったのである。
グラセンとレックスが行ったあと、かなり遅く起きたマーブルは、すぐにどこかへ消えてしまい、宿で退屈を持てあましていたシエラは、ミランダとともに町を散歩する事にした。
マデラはこの時期、よく晴天が続く。気候的にも島の最南端に位置しているせいで暖かく、冬だというのにコートもマントもいらない。雪もめったにふらず、クリストンの雪にうもれた冬しか知らないシエラにとり、ここは別天地のようだった。
ぼんやり道を歩いていると、馬に乗った少年がよってきて、シエラをジロジロ見たあと、声をかけてきた。
「あんた、ねーちゃんか、にーちゃんか? どっちにしたって美形だね。」
髪をみじかくし、少年のかっこうをしているとはいえ、シエラは美少女でめだつ。すれちがう人がみな、男か女か、興味をしめしていたようだったので、それで声をかけられたのだろう。
「どう見ても、ねーちゃんだな。男装の令嬢かよ。こりゃいいね。あんた、なんて名だ。」
十四か五か。シエラより年下なのは確かだ。シエラは無視した。
「まてよ。無視するこたぁねぇだろ。あんた、旅行者だな。どっからきたんだ。」
ミランダは、
「しつこいわね。ナンパだったら、別の子に声をかけなさい。」
「おお、こわ。威勢のいい女だな。おれ、威勢のいい女はきらいじゃないけど、あんた、年上すぎるよな。栗色の女の子の名前、教えてくれよ。」
シエラは、うざったそうに少年を見た。
「シエラよ。教えたから、どっか消えてよね。」
シエラは機嫌が悪い。このごろのレックスは、何かにとりつかれたように、剣ばかりいじくっている。声をかけても生返事ばかりで、自分には以前ほど関心をはらってはくれない。
少年は、うれしそうに笑った。
「シエラか。いい名だな。おれ、ロイドってんだ。ロイド・ゼスタ。」
シエラは苦笑した。ゼスタと言ったら、領主の名前ではないか。
「おれ、あんたをむかえにきたんだよ。グラセンとかいう坊さんにたのまれてさ。知らないとは言わせないぞ。宿いったら、だれもいなかったもんな。これでも、けっこうさがしたんだぜ。その機嫌の悪そうな顔、なおせよ。せっかくの美人がだいなしだぜ。」
シエラは、
「ロイド・ゼスタなんて、きいたことないわよ。ここの領主様のセシル・ゼスタ様なら知ってるけどね。」
ロイドは、
「カイルの領主セシルには、十歳年下の弟がいるんだ。マーレル・レイの寄宿学校に去年までいたんだよ。バテントスのせいで、たのしい寄宿生活もおわっちまったんだがな。まあ、次男坊の名前なんて、知らなくてとうぜんか。」
シエラは、カイルの領主に弟がいたなんて知らなかった。国をつげない次男坊なんて、長男が死ぬまで表にでないから、知らなくて当然である。シエラのもう一人の兄シゼレも似たようなものだった。
「あんたの事は、セシル兄さんからきいてるよ。昔、兄さんと婚約してたんだろ。ドーリア公が、あんな事したばっかりに破談になっちまったけどさ。」
「たしかに、そんな時期もあったわね。でも、私が三歳くらいのころよ。婚約してたのは、一年かそこらだったはずよ。私も大きくなるまで知らなかったわ。」
「あんた、フリーだろ。あのデカイ金髪とは、なんの関係もないんだよな。」
シエラは、ロイドから視線をそらした。ロイドは、
「ジーサンのボディーガード兼使用人だときいたけど、なんせ、見た目が見た目だろ。宮殿の女どもがさわいでたしさ。身分なんか、カンケイないって事になってないかなー、なーんて心配してたんだ。」
ミランダは、
「言いたい事があったら、言いなさい。あんた、男のくせに、まどろっこしすぎるわ。」
「黒髪の姉ちゃんはだまってな。おれは、シエラと話してんだ。」
シエラは、足をとめた。
「恋人よ。でも今は、そうでもないみたい。髪をばっさり切っちゃったせいかもしれないしね。これで、御満足かしら。」
「じゃあ、おれと婚約しようよ。あんたなら大歓迎だ。男装してんの気に入ったし、その気の強いとこもいい。どんな女か興味あったんで、使用人にまかせず、あんたをむかえにきたんだけど、会って正解だったと言う訳だ。」
シエラとミランダは、あきれた。シエラは、
「何を考えているのよ。私と婚約したって、カイルにはメリットはないわ。バテントスの攻撃対象になるだけよ。」
「次男は国をつげないんだよ。おれは坊主になるのがいやで、マーレル・レイへ行ったんだ。兄貴は体が弱いから、今、補佐をやってるけど、どのみち一生冷や飯食いだ。クリストン行って、一旗あげたいのさ。」
「あなた、バカじゃない。あのバテントス相手に、どうやって戦うというの? ライアス兄様でも負けたのよ。」
ロイドは、ムッとしたようだ。
「おれを、負け犬なんかといっしょにするな! ライアスは負けたが、おれは負けない。絶対、バテントスをおっぱらってやる。とにかく、四の五の言ってないで、宮殿にきてくれよ。兄貴が、あんたに会いたがってるんだよ。」
ずいぶん、威勢がいい次男坊だと感じた。シエラは、レックスもこのくらい、はっきりしてくれたらいいのにな、とつい思ってしまう。
(レックス、私の事、もうなんとも思ってないのかな。ライアス兄様の気配が消えて、やっと安心したと思ったら、レックスが、ああなっちゃうんだものね。兄様の霊は、レックスにとりついたんじゃないかと思って、グラセン様に相談したんだけど違うと言われたし、本当にどうしたんだろう。)
シエラは、ロイドに連れられて、マデラ宮殿へとやってきた。南国の町にふさわしい、あでやかな宮殿である。宮殿についてすぐにロイドはいなくなってしまい、出迎えた使用人の案内で、シエラはセシルの執務室に連れて行かれた。
ミランダが案内された客室には、レックスがいた。あいかわらず、剣をいじくっている。ミランダは、ため息をついた。
「あんた、ライアス様が自在に使ってんの見て、自分でもなんとかすれば使えると考えてるの。無理よ。あんた、そういう能力持ってないじゃない。」
レックスは、顔をあげた。
「ライアスのやり方見てて、マネでもすれば、なんとかなると思ってさ。ところで、ミランダ、町で、あやしいやつらを見かけなかったか。なんか、気になる動きをする連中を見つけたから。」
「どんな連中なの? 私が歩いてきたあたりには、そんな人はいなかったわ。」
「町の人間と区別がつかないよ。けど、何かをさがしてるみたいで、目抜き通りとかウロウロしていた。ここへくるとちゅう、つけられてなかったか。」
ミランダは、
「私の注意力にも限界があるわよ。素人の動きならともかく、諜報員ともなると、むずかしいわね。ところでなんで、そんな事がわかるのよ。」
レックスは、ギクリとする。
「い、いや。グラセンが、ここへくるとちゅう、だれかの気配を感じるとか言ってたからだよ。」
「あんた、その剣、使えるんじゃないの。いじくってばかりいたのは、そのせいなんでしょ。」
「だから、マネしてるだけだって。いつか、使えたらいいかなって、それだけだ。」
「マーブルも気づいているはずよ。剣を見つめるあんたの目つきが、ライアス様そっくりだしね。なら、下手なウソをつかないで正直に言いなさい。」
レックスは、フーと息をはいた。
「ちょっとだけだよ。ほんとにちょっとだけ。練習中と言ったらいいのかな。その程度。」
「どうやって、剣、使えるようになったの。能力なんて持ってなかったはずよ。」
レックスは、苦笑した。
「眠ってただけだ。ライアスが、おれの能力を起こしてくれたんだよ。この剣を使えって言ってさ。」
「眠ってただけね。まあ、そこのとこの解釈はいいわ。私では、よく分からないしね。使えるなら使えるにこした事ないわ。使えれば助かるしね。どうしたの、レックス。元気無いわね。剣が使えるようになって、うれしいんじゃないの。」
レックスは、首をふった。
「おれの中に、とんでもない力を感じるんだよ。この力が目覚めてから、日に日に強くなっていくんだよ。制御できないのにさ。いつ、暴走するか怖くてたまらないんだ。シエラに知られるのも怖い。もし、おれがふつうじゃないと知ったら、シエラはきっと、おれからはなれていく。」
「だから、あんなに必死になってたのね。」
ミランダは、レックスから剣を取り上げた。
「しばらく私があずかってるわ。あんたのとんでもない力も、この剣無しじゃ出す事できないはずでしょ。少し、この剣からはなれなさい。シエラ様、あんたに相手されないんで、最近、機嫌悪いから。」
「シエラ、ライアスとよく似てるな。さすが、きょうだいだな。ライアスの姿は、聖堂で一度だけ見たんだよ。あれだけ似てれば、髪と目の色さえ変えれば見分けがつかないな。」
「でしょうね。私もそう思ってた。でも、シエラ様には、その事は口がさけても言わないでね。ライアス様の亡霊で、ずいぶんまいっていたから。」
「お前、ライアスに会ったことあるのか。」
「ベルセアにいらしたときにね。私も女だから、興味があったのよ。遠くからだったけども、今でもよく覚えているわ。」
「一目惚れしたんじゃないか?」
レックスは笑う。ミランダは、
「あこがれたのは確かね。まさか、あの時のあこがれの人と、しばらく旅するなんて、考えてもいなかったわ。」
「ときめかなかったか。」
「シエラ様の姿で声も同じ。中身は、たしかにライアス様だけど、女の子相手じゃ無理ね。さめた、といったほうがいいかもね。あこがれは、あこがれのまま、とっておくのが一番かしら。」
「今、つきあってる男はいるのか。」
「気になる男がいる事はいるわ。でも、ふりむいてはもらえないみたい。」
「ミランダほどの美人相手に何やってんだよって感じかな。お前の気になる男って、ひょっとして、おれ?」
ミランダは、剣でレックスの頭を、かるく小突いた。
「十年早いわよ。冗談言ってるヒマがあったら、シエラ様をだいじになさい。ロイド・ゼスタ様って知ってる?」
「あの生意気なガキか。シエラ、むかえに行ったんだろ。おれんとこきて、シエラの特長とかごちゃごちゃきいてたよ。言い草が、かなりムカついたがな。」
「シエラ様にプロポーズしてたわよ。クリストン行って、一旗あげるそうよ。」
レックスは、びっくりした。
「シエラ、なんてこたえた?」
「気になるのだったら、シエラ様にきいたら?」
レックスは、そわそわしはじめた。ミランダから剣を取り返そうとしたが、ひっこめられてしまう。
「あんた、何かにたよるのもいい加減にしなさい。マーブルにたよって、ライアス様にたよって、今はこの剣なの?」
「わかったよ。そんなに怒る事ないじゃないか。」
「私は、これから町に出て、あやしいやつらをさがしてみるわ。」
「ついでにマーブルをたのむよ。東通りの三丁目あたりに、赤い看板の居酒屋があるんだ。そこで、酔いつぶれているみたいだからさ。」
「東通りの三丁目の赤い看板ね。マーブルの行動を監視するなんて、とてもよい心がけね。じゃあ、行くわね。」
ミランダは、剣を持ち、出て行った。レックスは、何もする事がなくなった。
(グラセンのやつが、おれが必要になるかもしれないとか言うから付いてきたけど、シエラがきた以上、出番はなさそうだな。もどってくるまで昼寝でもすっかな。)
「ヒマそうだな。だったら、おれにつきあえよ。」
ロイドが、客室の扉でニヤニヤしている。レックスは、露骨に嫌な顔をした。
ロイドは、
「機嫌悪そうだな。おれが、シエラにプロポーズしたのが、そんなに気にいらないか。さっき、その事で兄貴にしぼられたよ。でも、あきらめたわけじゃないからな。」
レックスは、じろりとにらんだ。ロイドは、
「そんな顔するなよ。あんな美人、いつまでもほっとくほうが悪いんだ。それよりも、見せたいモンがあるんだよ。」
「見せたいモンじゃなく、はっきり言え。でなきゃ、寝る。」
「もうすぐ正月だろ。レスリングの奉納試合があるんだよ。おれが今年、それを取り仕切るんだ。それに出る、いい選手がいないかなーって。」
「当然、お断り。おれは見世物じゃない。」
「ま、そう言うと思った。この宮殿からも何人か出るんだ。今、宮殿北にある武芸場で練習してるんだよ。あんた、強そうだし、どうせ兄貴の話は長引くし、ヒマなら選手達の相手になって、遊んで欲しいんだよ。あんた、強そうだしさ。」
「長引くってどれくらいだ。」
「夜までかかるかもな。兄貴が、今夜は宮殿泊まってけってさ。」
レックスは、ちょっと考えた。夜まで、こんな客室で退屈はいやだ。レックスは、ロイドのさそいにのることにした。
そこは、熱気ムンムンだった。いかにもムサい男どもが、汗臭い汗をしたたらせ、練習にはげんでいる。ロイドが入ってくると手をとめ、いっせいに敬礼。
「練習ごくろうさん。お客さんだよ。お前らと遊びたいってさ。」
選手達はレックスを見て、なんでこんな優男が、とばかりの視線をなげつける。ロイドは、
「見た目で判断するなと、いつも言ってるだろ。おれの目に狂いはなければ、ここで一番の選手、おい、ファー、お前だ。レックスとか言ったな、ちなみにここの一番と二番の差は話にならんからな。ファーは、四年連続優勝をしてる。」
ひょろりと背の高い、二十代後半の男がやってきた。ロイドは、
「レックス。お前の実力は、ここの二番に匹敵するはずだ。つまり、互角の二番じゃ、つまらんだろう。そんで、一番のファーと遊んでくれ。」
「おれ、レスリングなんてやった事ないぜ。ルールも知らないし。それをいきなり一番かよ。」
「とっくみあいのケンカだと考えてくれ。ルールは、相手をコテンパンにやっつけること。さあ、はじめ!」
「そりゃ、お前のルールじゃないか。わ、待て。まだ、準備が。」