第弐戦、準備万端(2)
レックスは、さしだされた書類を受け取り、それを広げてみた。ユードスは、
「帝国内にある、味方の勢力図だ。表向きは、帝国に従ってはいるが、そこにいる者達はすでに我々の手の内にある。」
「この黒い丸でかこんである場所か。ひょっとして、お勤め場と呼ばれる工場や農園か? 数は多くは無いが、バテントス帝国中に散らばってるな。まるで虫食い穴だ。呪術でも使って、たらしこんだのか?」
「人聞きの悪い。必要以上には使ってはいない。この帝国は実力主義だ。より、実力がある者が、つねに上位にたつ。それゆえ、入れ替わりが激しい。蹴落とされた者達で不満を持つ者が多い。お勤め場は、最初の出世地でもあると同時に、左遷場所でもある。」
レックスは、手に取った勢力図をじっとながめていた。
「つまり、お前がたらしこんだ場所は、そういう者達が多かった、という事か。」
「そういう事にもなる。一度、左遷されたら、二度と返り咲きはできないからな。敗者を切り落とすがゆえに、この帝国は強固に見えても意外ともろいのだ。」
レックスは、勢力図を丸めた。
「サンキュ。これ、もらってっていいんだろ。さっそく、みんなで相談するよ。あ、そうそう。マルーに子供が産まれたんだよ。クリスティアって名前の女の子だ。さりげなく、クリスに教えてやってくれ。きっと喜ぶ。何かあったら、また来る。」
ユードスが、待てと言う。
「セレシアに会わないのか。お前は、ここへは数度きている。なのに、一度も会おうとはしない。」
「会う必要はない。どうせ、おれの姿は、クリスには見えないしな。きちんとしたかたちで、再会できるのを楽しみにしているんだ。だから、結婚しろと言っている。再会したとたん、よりがもどったらどうする?」
レックスは、ピアスを使い勢力図をマーレルへと送る。ポンと投げた勢力図が空間に吸い込まれるよう消え、それと同時にレックスも消えた。
ユードスは、クリスとシグルドが眠っている寝室へと足を向けた。クリスは、眠っていなかった。眠っているシグルドを抱きしめ、ずっと起きていた。
「寝てなかったのか、セレシア。」
クリスは、ベッドから身を起こした。
「眠れない。あの人がきてるような気がした。」
「会いたいのか?」
クリスは、自分の指にはめられている指輪を見つめた。レックスから、はめてもらった指輪だ。
「分からない。イリアで愛し合った時が、遠い過去のよう。たった四年かそこらなのに、夢、幻のように感じられる。今となっては、シグルドもあの人の子なのかどうかすら、よく分からなくなっている。」
クリスは、指から指輪をぬいた。それを、ユードスにわたす。
「処分してくれ、ユードス。」
ユードスは、指輪をクリスの指にはめなおした。クリスは、どうしてと言う。ユードスは、
「やつに会ってから決めろ。少しでも未練が残っているなら、指輪を捨てたことを後悔する。」
「シグルドの父は、お前だ、ユードス。お前しかいない。あの方との愛は、かりそめの愛でしかなかったことは、すでに理解している。あの方が、真に愛しているのは、シエラ陛下だ。二十年近くにわたり、苦楽をともにした后だけだ。側室すら持たないのが、何よりの証拠だ。」
「なら、なぜ起きていた。やつが来ていたからだろう?」
クリスは、ギクリとする。
「まさか、本当に来ていたのか? このような夜更けに、紅竜でか?」
ユードスは、違うと言った。
「体は、マーレルに置いてきている。ライアス公と同じだ。だがもう、すでに帰った。お前には、きちんとしたかたちで再会したいとな。だから、指輪を捨ててはいけない。やつはもうじき、お前の前に姿を現すはずだ。」
「始まるのか? やっと。」
「ああ、やっと始まる。待ちに待った時間がな。」
「私も、つれていってくれるだろう。シグルドを育てなければならないとは言え、待つだけの日々はつかれた。何ができるかわからぬが、できることならなんでもする。」
「エイシアと東側連合軍の力をかり、首都リスデンを奪還したのち、すみやかに新皇帝シグルドの即位を行う。紋章は、山羊ではなく黒獅子だ。」
クリスは、むじゃきに眠り続けている幼い息子を見つめた。漆黒の髪を静かになでる。そして、笑う。
「黒獅子、新帝国を築くつもりか。それも一興だ。イリアのためを思えばこそ、故国を背にしたのだが、私の心は、すでにイリアにはない。私と息子が生きるべき国を救いたい。私は、バテントスという国すべてを憎んだが、憎むべきはその愚かな体制であり、その国で暮らす国民ではなかった。
だが、その前にききたい。お前が、皇帝の血を引きながら、なぜ皇帝になろうとしないのか、なぜ、異国の王の血を引く、この子を皇帝にしようとするのか、お前の本心をきかせてもらいたい。」
「きいてどうすると言うのだ。」
「知りたいだけでは、教えてはくれぬのか。」
「簡単なことだ。新帝国は、旧帝国のまちがった遺産など一切ひきつがない。シグルドは、皇子という肩書きさえあればいい。必要なのは、帝国ができてから二百年にわたり、大陸をむしばみ続ける忌まわしき血を断ち切る、新しい血だ。それゆえ、私は影に徹する。」
「新しい血。だが、シグルドは、ともに二千年の歴史を持つ国同士の交わりで産まれた子だ。二千年の長きにわたり、袂をわかった民族が、再び一つとなりゆく象徴的な意味合いもある。だが、それのどこが、新しい血なのだ。」
「イリアとエイシアではそうだろう。だが、バテントスでは新しい。」
クリスは、息子の寝顔を見、フッと笑った。
「険しい道となりそうだな。この戦争が終わってからが真の戦いとなる。だがもう、引きかえすことはできない。ならば進むしかない。」
その翌日から、マーレルでは、さっそく戦争準備に取り掛かった。レックスは、軍の管理者となっているロイドを宮殿の執務室に呼び出した。
ロイドは、
「やっとかよ。もう、ずいぶん待ちくたびれたぜ。こちとら、いつでもOK状態だったんだぞ。んで、総大将殿はどうする。軍は、お前がいなくても、じゅうぶん仕事をしてくれるぜ。」
「総大将が、出撃しなくてどうするんだ? おれは、そういう戦いはきらいなの。まあ、ゼルム戦役の時は人質だったからな。」
「物好きだな。王様はだまって、マーレルで留守番してろってんだ。」
「総大将は、エルだ。おれとライアスは、一兵卒として、カルディア族の騎竜隊とともに戦う。」
ロイドは、マジかよ、という顔でレックスを見た。
「王様が、一兵卒として戦いに参加する? 寝ぼけたことを言うなよ。第一、まだ成人もしていないエルなんかに、総大将できるはずないだろ。マーレルで留守番でもさせとけ。」
「カルディア族は、おれの指揮下でなければ参戦しないんだよ。そういう約束だしな。エルには、マーレルで留守番させるより経験をつませた方がいい。将軍はお前だし、他にもそれなりの人材がいるから、総大将はエルでも問題ないはずだ。ところで、ルナは元気か?」
ロイドは、一瞬だけ、レックスから視線をそらした。
「ああ、元気だよ。死産してから、しばらくは落ち込んでいたけどもな。」
「お前には感謝してるんだ。お前がいなければ、ルナは結婚などできなかった。ルナには、虐待された時の記憶が無い。だから、何も気がつかないまま、お前の妻となってくれたことを、幸運に思っているんだ。父親として、いまさらながらだが、お前に礼を言いたい。」
ロイドは、赤くなった。
「な、何、言ってやがんだ、いきなり。おれは当然のことをしたまでだ。想像通り、美人になったしな。ハハァ、お前、孫を請求してるんだろ。マルーに女の子が産まれたから、もっと欲しくなったんだろ。けど、できないモンはどうしようもないだろ。」
「死産した影響なのか。医者の診察は受けているんだろうな。」
「もう、なんとも無いってさ。だから、あんまりあせらせるな。だまって待ってりゃ、そのうちできるよ。ルナはまだ、十八だしな。」
ロイドは、何か、かくしているようだった。レックスは、それ以上、追求はしなかった。