第壱戦、時機到来(1)
昨日の朝から始まったマルーの陣痛は、今日になっても続いている。シエラもライアスも王太子邸として使っている離宮に行ったっきりだ。すでに丸一日経過しており、長引く出産に、レックスは気が気でなかった。
ライアスに代わり、マーレル公に就任したばかりのエルシオンが書類を持ち、国王の執務室に顔を出した。もう、十五だ。背もずっと伸び、父親より、やや少し低い程度でしかない。
息子の顔を見たレックスは、離宮へ行ったらどうだと言う。エルシオンは、
「行っても、なんの役にも立てませんよ。それに、母上とライアス兄さんがついているから、心配していません。産まれたら、すぐに知らせがくるはずです。父上こそ、そんなにイライラしてて、どうするのです?」
エルは、涼しい顔をしている。初めての子だと言うのに、まったくあわてていない。レックスは、自分とは、えらい違いだなと思ってしまう。エルが産まれた時、仕事なんか手につかなかったっけ。
「エル、父上は、よしてくれ。尻がかゆくてたまらん。マルーに子供ができたとたん、呼び方かえやがって。父ちゃんでいい、父ちゃんで。」
エルは、やれやれと父親の顔を見つめた。
「もう、恥ずかしいですよ。何もわからない子供ではないんです。リオンも、父ちゃんは恥ずかしいと言っていますし、そろそろ、父上も考えを変えて下さらないとこまります。」
「ったく、いっぱしの口ききやがって。おれにとっては、お前は、まだまだガキなの。なんにするにしても、あぶなっかしくて見てらんないんだよ。マーレル公の仕事だって、ライアスがびっちりくっついてなきゃ、まともにできないくせに。」
「始めたばかりですから当然でしょう。これでも、少しでも早く務めをはたせるよう、努力はしているんです。では、仕事の話にとりかかりましょう。この前、提出された条例案なんですが、」
そこに、産まれたと知らせが入った。エルは、持っていた書類を机に放り投げ、すっ飛んで行く。口では、なんだかんだ言ってても、気になってたのはたしかだ。レックスは、知らせにきた使用人に出産の様子をたずねた。
「はい、母子ともに御無事でした。とてもかわいらしい王女様です。」
レックスは、そうかと言った。そして、安心したように、エルが放り投げた書類を手に取る。そこで、ハタと気がついた。
(おれ、ジイサンになったって事? 産まれたのは、エルの子供だし血がつながってるしマゴって事だし、やっぱり、ジイサンじゃねぇか! マジ? まだ、三十五だぞ。)
なんか、急に老け込んだような気がした。エルに子供が産まれるのを楽しみにしていたけど、自分がどういう立場になるのかまでは、まったく考えていなかった。
「ハ、ハハ。孫ね。おれ、そのうち、おじいちゃんて呼ばれるんだろうな。そんで、シエラは、おばあちゃんか。たしかにもう、父ちゃんじゃねぇな。」
ややあってから、離宮から、ライアスがもどってきた。レックスは、
「ゆうべから、シエラといっしょに、ずっとマルーにつきそってて大変だったろ。女の子だって? どんな子だ?」
「シエラそっくりだよ。顔立ちも髪も目の色もね。君が欲しがっていた栗色の、かわいい女の子。」
レックスは、満面の笑みを浮かべた。
「じゃ、おれの娘も同然だな。おじいちゃんじゃなくて、おれのこと、大きな父ちゃんて呼ばせよう。名前、なんてつけるんだろうな。エルは、男の子を期待してたから、男の子の名前しか考えてなかったようだが。」
「大きな父ちゃんね、エルのあきれる顔が目に浮かぶよ。名前なら、マルーがもう決めてたよ。エルもそれでいいってさ。名前は、クリスティア。」
レックスは、え、と言う顔をした。ライアスは、
「マルーは、クリスと同じ母親から産まれた姉妹だ。クリスが死んだときいた時から、娘が産まれたら、絶対、その名をつけようと決めてたみたい。ぼくも、クリスティアでいいと思うよ。」
「クリスティアか。シエラは、その名の由来を知っているのか?」
「知ってると思う。クリスと名前が同じだしね。けど、すてきな名前だと喜んでたよ。それにシエラは、死んだクリスの事、もう、なんとも思ってないみたいだし。」
レックスは、窓から外を見つめた。雪がチラホラ舞い始めている。季節はまもなく春を迎えようとしているのに、今日はやたら寒い。
レックスは、
「ベルセアから、エルにまた結婚話がきたよ。ぜひ、王太子妃にってね。イリアとの関係上、王太子妃にはできないと断っても、王太子妃が二人いても、かまわないだろうと言って、強引に話を持ち込もうとしている。ラベラ族からもらったユリアもいるし、第一、エル自身、乗り気じゃない。」
「いままでの慣例だからね。王がベルセアから花嫁をもらうのは。シエラだって、先代法王の養女になってるしね。」
レックスは、机で腕を組んだ。
「ベルセアは、あせっているんだよ。エイシアが外に向けて、どんどん変わってくし、海の向こうからも、次々と新しい価値観が入ってくる。このままでは国教会自体、古い価値観にしばられたまま、忘れられるんじゃないかってね。だから、何度断っても、しつこく結婚話を持ち込んでくる。側室ではなくて、あくまでも王太子妃にこだわってね。王太子妃二人なんて、バカな話でもだ」
「マルーとユリアは、すごく仲がいいよ。ユリアがエルの初恋の相手だから、どうなるかと心配してたけど、懸念だったみたい。いつも、三人いっしょにいるしさ。」
「まあ、マルーもユリアも、嫉妬するよりは、まずは相手を理解しようというタイプの娘達だしな。エルもいまのところ、この二人以外に妻をもらう気はないようだし、こっちとしても、王太子妃ねらいのベルセア女なんか欲しいとは思わない。
第一、ユリアがかわいそうだ。ユリアは、自分が平民出だと言う事を気にしているし、プライドの高いベルセア女なんかきたら、必ずいじめられる。」
「ぼくも、ベルセア女なんか、もらったとしても、いい事なんて何も無いと思うよ。」
「おれは、ベルセア教会自体が、時代に合わなくなってきていると感じている。あれは、古い世界の象徴みたいなモンだ。教義自体が、エイシアだけに特化した内容だしな。」
レックスは、暖炉に薪をつぎたした。少し冷えてきた。ライアスは、
「天空の神が、空に風と太陽をつくり、大地の女神が、地上に命を栄えさせ、人々の母となった。二千年前、ダリウスとベルセアが、一族を率いて、この島へきた事を象徴的にあらわしている、この島の始まりの伝説だ。
国教会の教義は、この伝説がもとになって出来ているから、君の指摘通り、この島だけに限定された内容でしかない。それゆえ、その教えを国教としている限り、エイシアは他国を受け入れる素地が広がらなくなる。他国には、他国の神々がいて、それに基づいた様々な宗教があるのだから。
君は、そう考えているんだろ。」
レックスは、笑った。
「さすが、おれの分身。やっぱり、おんなじ事考えてたな。」
「けど、それはまだ、考えだけの範囲にとどめておくべきだよ。下手すれば、君自身、異端とみなされて国教会から破門を言いわたされてしまう。二千年、この島に根付いた宗教は、時代遅れとなっていても、そう簡単には変えられない。」
「わかってるよ、そんな事。けど、お前の存在自体が、すでに異端だって事、忘れてないか。こうして、生きている人間と同じように生活をし、国政に対して影響力を持っている幽霊の存在自体、国教会の定義には無いんだしな。
その証拠に、お前を公式に認めた時、国教会がかなりうるさかったろ。存在自体が認められないのに、マーレル公の地位などケシカランと言う事で、しつこいくらい横ヤリが入ったじゃないか。
まあ、その時の法王が、シエラの養父だったから、なんとかなったんだが、結局、坊主どもよりも国政にたずさわる連中の方が、お前の受け入れが早かったな。けど、十年たった今でも、うとましく考えている坊主どもも多い。」
「だから、エルにマーレル公ゆずってから、あんまり、表に出ないようにしてるじゃないか。とにかくもう、必要以上に目立つ事はしない。それと、エルの補佐、つまり、ぼくみたいな役割をする人を早めに見つけた方がいいよ。ぼくだって、いつまでも、エルのそばにいてあげられるわけじゃあない。」
レックスは、頭をかいた。
「そうだよな。けど、なかなか、いい人材が見つからないんだよ。エルは、友達つくるの下手だしな。カムイと仲がいいが、カムイは適任では無いし、弟のリオンは、どっちかって言うと、死んだ親父似の風来坊タイプだ。
国政に精通していて、人心掌握もうまくて、エルに対して絶対的な忠誠心があって、それでいて、自分の地位や名誉にこだわらないタイプ。うーん、マジいるのかよ、そんな貴重品。」
「どこかにいると思うよ。ぼくがいるように、エルにも、必ず、そういう役目をする人がいるはずだ。まだ、出会ってないだけだと思う。」
「出会ってないね。だとしたら、そのうち出てくるはずだ。気長に待つとしますか。」