十二、畏怖(2)
シゼレは客室にもどり、使用人が用意したお茶をのみ、一休みをしてから帰ろうとしたとき、シエラがやってきた。
「ごめん。レックス、かなり、きげん悪かったみたい。」
シゼレは、妹を安心させるよう、ほほえんだ。
「陛下も、いろいろと御懸念が、おありなのでしょう。大陸情勢もふまえて、むずかしい時期にさしかかってきてますからね。お前も、陛下と子供達をしっかり見守ってあげなさい。それと、ソファラをたのみましたよ。」
「うん、まかせて。でも、ほんとにごめんね。私もまさか、ケンカ越しになるなんて、考えてもいなかったからさ。レックス、以前とは、だいぶ変わっちゃったのよね。」
「変わった? どのように。」
「今のレックスは、昔のライアス兄様よ。ううん、ライアス兄様以上だわ。私も、そばにいて、とてもこわいと感じるときがある。何を考えているか、わからないの。旅に出る前もそう感じていたけど、帰ってきてからのレックスは、とてもこわい。でも、かんちがいしないで。私と子供達には、以前と変わらない優しい人よ。」
シゼレは、
「たぶん、真の王として目覚めたのだろう。エイシアだけでなく、大陸をもせおう王としてね。それが、彼を畏怖させる存在へと変えているのだよ。」
「大陸をせおう? なにそれ。レックスは、エイシアの王よ。大陸の王ではないわ。大陸には、東側部族はともかくとして、イリア国王様がいらっしゃるじゃない。大陸のことは、イリア国王様にまかせればいいはずよ。」
「イリアは、もう末期だ。ここ数十年、生き延びたとしても、あの国は解体してしまう。国自体が衰弱しているんだよ。陛下も、それをじかに見てきたはずだ。」
「イリアが衰弱?」
「陛下は、お前には何も教えてはいなかったようだな。まあ、現時点では、知らなくてもよいことだしな。私も、知ってても、陛下には報告しなかった。エルシオン殿下の御結婚に、水をさすことにもなるしな。」
シエラは、ショックを受けた。シゼレは、
「エイシアは、陛下の時代になって勢いを増している。軍事力でも、ぬきんでている。バテントスとまともに戦えるとしたら、エイシアしかないだろう。東もイリアもすでに、エイシア抜きでは、国防もままならない状態になっているようだし。」
シエラは、ふるえだした。
「そんな、私、何も知らなかった。何も知らされてはいない。それって、レックスは私のこと、信用しなくなったってこと。以前なら、なんでも相談してきたのに。」
「シエラ、すべてを知っていたとしても、お前に明確な答えが出せるのか? もし、出せないと考えるならば、彼が相談しなくなったとしても、やむをえない事だ。だから、陛下と子供達を見守ってあげなさい、と言ったのだ。ここから先はたぶん、お前では、力不足になるはずだ。」
シエラの目に涙が光った。シゼレは、
「それだけ、器が大きくなったと言う事だ。祝福してあげなさい、シエラ。」
「ううん、わかってたの。私ではもう、ついていけないって。私、今年中に、政治から手を引くつもりでいるの。ただの妻と母親になるつもり。もちろん、王后としての仕事はちゃんとやるけど、できるだけ、ひかえめにするつもりでいるんだ。」
シゼレは、妹の肩に手をあてた。
「お前は、ここまでよくがんばった。陛下もそれがわかっているから、こうしたのだと思う。これからのお前の仕事は、重責をせおう夫に、できるだけ笑顔と安らぎを与えてやることだ。私も、それが一番だと考えている。」
シエラは、涙をふいた。
「ありがとう、兄様。やっと、ふんぎりがついた。ごめんね、泣いちゃったりしてさ。」
「お前は、いつまでも変わらない。それでいいんだよ、私のシエラ。兄上をたのんだぞ。」
兄上、シゼレがライアスを、そう呼んでいたのは、いつのころだったのだろう。シエラは笑った。
「うん、まかせて。なんだか、たよりなくなっちゃってるけど、私がお尻たたいて、レックスの役に立つよう、がんばらせるわ。それと、サイモン叔父様にさ、私がとても愛してるってつたえてほしいの。本人がもう、わからなくなってても、耳元で、そうささやくだけでもいいからさ、つたえてほしいんだ。」
「ああ、つたえておく。お前は、本当に優しい。サイモンにも、その思いが、必ず、とどくはずだ。」
「ソファラは、立派な王女にするわ。そして、すてきな花嫁にしてみせるわ。」
シゼレは、妹のひたいにキスをした。今度、会えるのは、いつになるのだろう。シエラは、そのまま子供達の部屋へと向かった。
執務室には、ライアスがきていた。ライアスは、
「軍の倉庫にある設計図が何枚か紛失してた。君の予想通りにね。持ち出したのは、クリストンだろう。もう必要のない設計図だったけどもね。今度から、設計図の管理は徹底するよう、ロイドに言っておいたよ。」
「うかつだったな。おれも、昼前にシゼレが到着したときくまで、そこまで考えが回らなかった。もう少し早く調べておけばよかったよ。いつごろ、盗まれたんだろ。」
「さあ。何百枚もあるしね。何が紛失しているか、工場総出でしらべるのに、かなり時間がかかったくらいだ。使った設計図は、適当に倉庫に放り込んでいたからね。」
レックスは、窓から外をながめた。
「シゼレはもう信用できない。今はまだいいが、いずれ、ゼルムみたいにしなきゃならなくなるだろう。シエラはなんて言うかな。ライアス、ミユティカの時の記憶はどれくらい持っている? 女王のほうだぞ。どうして、今の統治形態にしたのか理由を知りたい。」
ライアスは、
「てっとり早く言えば、今のカイル、クリストン、ゼルム、ダリウス、大陸は、この四分割にそれぞれの領主を派遣して、エイシアを支配してたんだよ。けっこう、それがかっちりとした支配形態として、当時のエイシアにしみついててね、何もかも新しくするよりも、大陸が残した遺産のうえに、ダリウスを宗主としてのっかったほうが、より早く国としての体裁がととのうと、当時は考えたからなんだよ。
まあ、今ほど人口無かったし、中央政府機関もずっと小規模なものだったしね。地方まかせにしたのも、中央の人手不足だったせいもあるんだ。」
「だが、今は違うと言うことだな。やはり、以前考えたとおり、エイシアを統一して、王は一人にしなきゃならない。そうでなければ、国としての方針を海外にしめせない。」
「いっそのこと、領主を廃止して任期を決めて知事でもおく? ゼルムみたいにさ。」
レックスは、笑った。
「まあ、おれの時代では、できるかどうか微妙なとこだな。エルに仕事を残してやるのも悪くはない。さて、そろそろ会議の時間だ。お前、出席するんだろ。」
レックスは、鼻歌まじりに執務室から出て行った。ライアスは、
(ほんとに変わったな。ぼくが想像したより、はるかに大きくなった。そして、どんどん先へと進んでいく。うかうかしてると、おいてけぼりをくらってしまう。)
ヒョイとエッジが、窓から執務室に入ってきた。
「よぉ、ライアス。何、シケたツラしてんだ? さっきまでいた、シゼレとケンカでもしてたのか。」
エッジは、ヒモでグルグル巻きにされた紙の束を、いつもの袋から取り出し、執務室の机に放り投げた。ライアスは、チラと束を見つめる。エッジは、
「お前の毒の研究の成果だよ。雑刷りして、かなりあったよ。お前が処分する前に、だれかが、こっそり書き写していたらしい。今じゃあ、お前がいた研究所の財産にもなっている。けっこう、応用がきくみたいで、新薬の開発にも使われているとさ。研究所行って、適当な理由つけておねがいしたら、あっさりくれた。」
「じゃ、シゼレがやったという証拠にならないじゃないか。それだけ、人の手にわたっているならさ。」
「だよな、サイモンもああいう仕事柄、いろんな恨みを買いやすいからな。けど、動物実験もひどいようだな、あそこの研究所。ひさんな動物達の、ナントカがいっぱいいた。研究途中で毒にあたって死んだ、死人までいたし。」
「見えるってことはね、そういうリスクもあるんだよ。後悔してるんだろ。」
「情報源が広がって、たすかっている。死人にまで、話、きけるしさ。サイモンのボスが死んだら、だれにやられたか、きいてくるよ。ボスは、そう簡単に成仏しないだろうからな。たぶん、サラサ宮殿で会えるはずだ。」
ライアスは、エッジを見つめた。
「お前が、そういう能力を持ってること、だれにも知られていないだろうな。こういう仕事をしている以上、知られたら、まっさきにねらわれてしまうぞ。死人に口無しどころか、死人に会いに行って事情をきけるほどだしな。」
「ティムやミランダでさえも、気がついてないよ。知っているのは、お前とレックスだけだ。おれは、エルやカムイの前じゃあ、慎重にふるまってたから、二人とも気がついていない。だれかきたようだ。じゃ、おれは行くぜ。」
秘書が、書類を持ってきた。ライアスが姿を現し、エッジが置いていった紙束を、棚に置くよう言う。あとで、軍に持って行って研究の役にでもたてよう。
シエラは、リオンしかいなくなった子供部屋で、ミランダに、さっきのことを話していた。
ミランダは、
「レックスは、シエラ様のおっしゃるとおり、もう別人ですよ。父親や私が、手をやいていたころのレックスではないです。あれが、本来のレックスなんでしょうね。」
シエラは、指を見つめた。巻いてもらった髪の毛は大事にしていたが、すでにない。
「どんどん、遠くに行っちゃう。二人で、がんばっていたころがなつかしいな。けど、レックスはもう、ダリウスだけの王様じゃあなくなった。私にできることは、そばにいてあげることだけ。」
リオンは、ボールをシエラに投げた。少し前までは、このボールを受け取るのは、エルの仕事だった。エルは今、マルーとともに、マーレル商工会議所が開いたパーティに出席している。
シエラは、ボールを、はいとリオンに投げ返す。にぎやかすぎた子供部屋も、さみしくなってしまった。ミランダは、
「ルナ様は今ごろ、どうしていらっしゃるんでしょうね。レックスが、結婚を許可してすぐに、ロイド様の花嫁となられましたからね。」
「さあね。いい奥さんしてるといいんだけどもね。ジョゼさんは、カムイ君、引き取ってから、もうこっちにこなくなったし、プリシラも双子が産まれたんで、ここの仕事やめちゃったしね。私はいいけど、リオンがかわいそうだわ。いきなり、一人になってしまったんだもんね。」
リオンは、絵本を持ってきた。シエラが、リオンをひざに乗せ、本を開いた。
「リオンね、レックスと話し合ったんだけど、来年になったら、マーレルの寄宿学校に入れようと考えているの。この子、にぎやかなの好きだからさ。ここにいても、一人だけだしね。」
「でも、それじゃあ、シエラ様がさみしくなられませんか。仕事ももう引退するんでしょう?」
「春になったら、ソファラがきてくれるわ。ラベナ族にお嫁に行くまでのあいだだけど、精一杯、お世話するつもり。」
シエラは、絵本を読んだ。リオンは、シエラの読むスピードを無視して、どんどんページをめくっていく。ミランダは、お茶を用意しますと子供部屋をあとにした。
それからまもなく、マーレルに、マルーの兄、クリス・オルタニアが病死したとの悲報が入った。大好きな兄の死をきいたマルーは何日も泣き続け、レックスとシエラは、イリア国王にお悔やみの使者を送った。
年がかわり、ロイドの妻となったルナが懐妊した。レックスの兄ダイスは、カルディア族の子カムイを正式に自分の養子とし、リオンと同じ寄宿学校に入学させる事にした。
そして、夏になるころ、バテントスに嫁いだイリア王女セレシアは、男の子を出産する。母親ゆずりの黒い髪と、バテントスではめずらしい緑色の瞳を持つ子は、王女の希望にしたがい、シグルド・イリアスと名づけられた。
第八章へ続く。
親子間の葛藤、夫婦間の考えの違い、そして、変化していく環境、さまざまな人々の思いが交差しつつ、物語は終盤へと突入しました。次章は、いよいよ、宿敵との対決です。時代をおそう闇に、どのようにして主人公達は立ち向かっていくかご期待ください。