十二、畏怖(1)
私は、ずっと人の子の母になりたいと、心の底で考えていました。男で生きてきた私が、こんな考えを持っているとは、あなたはおかしいとお思いでしょう?
いいや。お前は男の姿をしていても、女だ。女である以上、そう考えていてもおかしいとは思わない。
あなたにおねがいがあります。あなたに、私が母となる人の子の名前をいただきたいのです。たとえ私の夫となる、バテントス皇帝がどんな名前をつけようとも、私は、その子を、あなたがつけた名前で呼びます。許しがあれば、ミドルネームとして、正式な名前に組み入れましょう。
うーん、そうだな。じゃあ、シグルドってのはどうだ。
シグルドですか。なんだか、なつかしい響きですね。男の子でしたら、そうしましょう。女の子は?
女の子か。いい名前が浮かばないな。お前、かくされた女性名もってるって、きいたな。なんて言う?
クリスティア。
じゃ、それにしよう。
船の甲板で、ライアスは、あいかわらずボンヤリしている。レックスは、そんなライアスを、なかば、あきれぎみにながめていた。
「つくづく、惚れっぽいやつだな。クリスに夢中になったときも、そうだったしな。そんなに娘が恋しいのか。」
「かわいくてたまらない。男の子よりも、やっぱり女の子だよ。シエラが産まれた時も、めちゃくちゃかわいかったけど、やっぱり、自分の子だと段違い。君は、会いたくないのか。」
「会いたいに決まってる。マーレルつれてきたいとも思っている。けど、ヒナタにとっては、あそこが一番なんだよ。」
ライアスは、ため息まじりにレックスを見つめた。
「君も女になって、子供産んでみればいいさ。たぶん、今の言葉は、絶対出てこないはずだから・・・。ヒナタ、ヒナタ。会いたいよう。」
そう言い、ライアスは、泣き出してしまった。ここまでくると、さすがにうざったい。レックスは杖を使い、強引にライアスを、カルディア族へと飛ばしてしまった。マーレルつくまで、もどらなくていい。
そして、一行は、無事にマーレルへ帰ってきた。留守にして、すでに五ヵ月が過ぎていた。出迎えたシエラを見たレックスは、おもわず、これだれ?とつっこみたくなってしまう。それだけ、シエラは変わっていた。
宮殿から居住区へと入り、レックスは久々に我が家のイスに腰をおろした。そして、マルーとリオンを連れてきたシエラを見つめる。
シエラは、赤くなった。
「やだ、あんまり見ないでよ。すごく、はずかしいんだから。にあうかな。ずっと男してたから、あんまり自信ない。みんなは、きれいだって言ってくれるけど。」
髪がだいぶ伸びていた。華美ではないが、女らしいラインが美しく出るドレスを身にまとい、薄化粧をしたシエラは、数ヵ月ぶりに会う自分の夫の前で、もじもじしている。
エルは、
「お母さん、とってもきれい。男装もかっこよかったけど、お母さんは、やっぱりこうでなきゃ。ね、キスしていい。」
シエラは、エルを抱きしめた。
「背、伸びたんじゃない。日に焼けてるし、ずいぶんたくましくなったわね。ほら、マルーが待ってるわ。ただいまと言ってあげてね。」
エルは、今にも泣き出しそうなマルーの手をとった。
「ただいま、マルー。ずっと留守にしててごめんね。いっぱい、旅の話をしてあげるね。友達、できたんでつれてきてるんだ。今、ダイス伯父さんのとこにいるけど、宮殿にきたら紹介するね。どうしたの、マルー。」
マルーは、エルに抱きついて泣き始めた。レックスはエルに、マルーを自分達の部屋へとつれていけと言う。エルは、マルーをいたわるよう、いっしょに歩いていった。
シエラは、
「よかった。マルー、会いたいのをガマンして、ずっと待ってたんだよ。出かける前のエルの態度見て、帰ってきて冷たくしなきゃいいと心配してたけど、あれだったら、もう何も心配いらないね。」
リオンを抱き上げたレックスは、
「宮殿の敷地内に、使ってない古い離宮があるだろ。あそこを改修して、あいつらの新居にどうかな。家具なんか、新しいのを運び込めば、新婚用にはじゅうぶんだと思うが、お前、どう思う?」
「私は、それでいいと思うけど、とりあえず、エルとマルーの意見きいたほうがいいわ。住むのは、二人だしね。でも、新婚なのかな、あの二人。結婚して、何年たってると思うの?」
「おれの感覚では、今やっと新婚なの。エルのマルーへの気持ち、あそこまで変えるの、すんごい苦労したんだぞ。留守してた、お前にはわからんだろうがな。」
シエラは、ムカッとした。
「あのね、私が、どれだけ、あなた達のこと心配したと思ってるの? エルが病気になったときいたとき、心配で眠れなかったんだから。親子関係までこじれるし、いったい、なんのために旅に出したのかと本気で悩んでたのよ。
すぐにでも、追いかけて行きたいのを、すごくガマンしてたんだから。おまけに敵地にまで行っちゃうしさ。もう、心配で心配で、生きた心地しなかったわよ。無事な顔見れて、すごく安心したんだからさ。」
「わかった、わかった、おれが悪かった。反省してます。心配かけて悪かった。ところで、ルナはどうしてる。出迎えにもこなかったが。」
シエラは、
「ロイド君が、デートにつれだしているのよ。今日は、あなたが帰ってくる日だから、デートはやめてとたのんだんだけどもね。なんか、わざと誘い出したみたい。」
レックスは、リオンをおろした。
「ったく、いやみったらしい男だな、ロイドは。よほど、おれに会わせたくないようだな。じゃあもう結婚させてやるか。ルナも十四だしな。」
「ちょっと早すぎない。十六でいいんじゃないかな。」
「マルーは、九歳だったよ。それに、これ以上、ルナをここにおいてたら、おれ達の生活、じゃまされそうだ。」
エルが、やってきて、リオンに旅の話をきかせるからと、レックスが抱いているリオンをひっぱって行った。シエラは、
「ねぇ、レックス。兄様、どうしたの。いっしょに帰ってくるとばかり、思ってたんだけどもさ。」
「ああ、あいつは、クリスと別れたあと、旅先で新しい恋を見つけたんだよ。カルディア族の娘で、ヒナタって言うんだ。かわいい娘だぞ。」
「また? なんだか、サラサにいたころの兄様にもどっちゃったみたい。そうやって、何人もとっかえひっかえしてたんだよね。付き合ってる相手が、しょっちゅう変わるから、こっちもわけわかんなくなって、いい加減にしてと文句言うと、シエラが一番だってごまかされるしさ。もう知らない。」
シエラには、こう言っておいた方がいいだろう。ライアスのあの様子では、ヒマさえあれば、向こうに行っているはずだ。レックスはシエラの手をとった。
「きれいだよ。出会ったばかりのころのお前を思い出す。」
レックスは、自分の髪を一本だけ引き抜いた。そして、シエラの指に巻きつける。
「あのころ、こうやって不器用にプロポーズしたよな。おぼえているか?」
シエラは、レックスから顔をそらした。今度は真っ赤だ。
「おぼえているわよ。すごく、うれしかった。」
「もう一回、言っていいか。結婚してくれ、シエラ。」
シエラは、赤くなったまま、こたえなかった。レックスは、もう一度言う。シエラは、
「もう! なんてこたえていいか、わからないじゃない。マルーをふくめて、子供が四人もいるのにさ。でも、結婚してくれって言うなら、うん、かな。」
レックスは、シエラを抱きしめた。
「ありがとう、シエラ。髪の毛が切れてなくなってしまっても、おれのこと、ずっと好きでいてくれ。」
「うん、好きでいたい。」
そして、秋も深まったころ、シゼレがマーレルへとやってきた。レックスは、国王の執務室で、シエラとともにシゼレに面会した。ライアスは、レックスの用事で、軍に出かけていたので同席していなかった。
シゼレは、
「このたびは、サイモンに勲章をたまわり、まことに感謝しております。本人が、あのような状態でなかったら、陛下からじかに、今までの労をねぎらって頂きたかったのですがね。もう、長くはないでしょう。」
レックスは、
「サイモンは、そんなに悪いのか。すまなかったな、もっと早く、こうしてやるべきだった。」
シエラは、
「私、サイモン叔父様には、ずいぶんかわいがってもらったし、お世話にもなったわ。シゼレ兄様、どうしてもっと早く叔父様のことを教えてくれなかったの。すごい、ショックだったのよ。」
「すまない。お前が悲しむと考えたのでな。サイモンからも、ないしょにしてくれと、たのまれていたから。」
レックスは、ウソだと思った。が、シエラには、大陸でエッジからきいたことは、いっさい話してはいない。
レックスは、
「まあ、サイモンは、ああいう男だったからな。ところで、シゼレ、お前、ラベナ族に、ソファラを嫁にやる約束してたよな。そこで提案なんだが、ソファラをおれの養女にしたい。マーレルから、王女として送り出してやるつもりだ。ラベナ族も、快く引き受けてくれたんだ。それでいいか。」
「いいも何も、陛下がお決めになられたのなら、私からは、何も申すことはありません。ソファラも喜ぶことでしょう。」
「春になったら、ソファラをこっちによこしてくれ。王女としての教育を受けさせたい。シエラ、ソファラを居住区に住まわせるから、ソファラの教育はまかせたぞ。」
シエラは、うなずいた。そして、
「女の子が、ほしかったのよ。シゼレ兄様の娘なら、私の娘とおんなじよ。まかせてちょうだい。すてきな王女様にしてあげるから。」
と、むじゃきに喜んでいる。シエラは、レックスとシゼレの駆け引きなど、気がつくはずもない。何も教えてはいないのだから。
シゼレは、
「かしこまりました。ところで、あれは、今どこにいるのですか。」
レックスは、
「あれとは、なんだ?」
「あれ、ですよ。」
「だから、あれ、とはなんだときいている。」
二人にあいだに沈黙が走った。シエラは、
「ライアス兄様のことでしょ。シゼレ兄様も、いいかげん、名前で呼んでよ。ライアス兄様なら急用ができたとかで、軍の工場に行ってるわ。まだ、帰ってきてないみたい。」
レックスは、
「ライアスのことだったのか。おれ、頭が悪いから、あれ、だけじゃあ、なんのことか、さっぱりわからなかったんだ。ライアスなら、ライアスと言ってくれよ。わからないじゃないか、あれ、だけじゃあな。」
と、最後のほうは、わざと語気を強める。シゼレは、
「陛下は、ラベナ族の女と御結婚したそうですね、おそくなりましたが、お祝い申し上げます。」
シエラは、え?と、夫の顔を見る。レックスは、頭をポリポリかいた。
「あいからわず、地獄耳だな。うちのミランダそっくりだ。ああ、結婚したよ。けど、偽装だ。」
レックスは、結婚した理由を話した。シエラは、ホッとした。シゼレは、早とちりをわびる。
レックスは、
「お前達、クリストン情報部の連中も、おれを護衛してくれてたのか。なら、最初から言ってくれればよかったじゃないか。そしたら、うちの護衛と連携させたのにな。うちは人手不足だしさ。でも、ありがたいことだよ。サンキューな、シゼレ。」
「ですが、カリス族へと向かわれたのは軽率ですよ。あそこだけは、うちの諜報員でも、侵入にはかなり気を使います。しかも、イリアに陛下が到着したと報告がくるまで、行方がわからなくなり、ずいぶん、さがしんたんですよ。」
「そうか、悪いことしたな。カリス族のあとは、カルディア族へ行ってたんだよ。カルディア族の男が、カリス族領地内で、おれを待ってたから、その男に案内してもらったんだ。トコトコと馬で移動してたんだぜ。見つけられなかったのか?」
「申し訳ございません。」
スザクは、クリストンの情報部の動きを感知しつつ、ドラゴン部隊がいる場所まで、案内していたに違いない。エッジは、スザクの移動する道は、自分でも予想がつかないと言っていた。
シゼレは、
「カルディア族ですか。そのような遠い場所まで。たしか、サラサにきていた皇子も、カルディア族の母を持っていましたね。たしか、ユードスとかなんとか。」
「ユードス・カルディアだ。あそこは、風変わりな部族だったよ。社会形態もずいぶん違うし、神官が族長をやってるしな。これからのバテントス対策について、族長から、いろんな話がきけた。それで、あそこにある、騎竜隊を借りることができたんだ。ドラゴン部隊だ。とうぜん、空を飛べるな。」
「騎竜隊のウワサは、本当だったんですね。では、カルディア族へは、ドラゴンで。まあ、そうでなければ、あんな短期間でイリアまで行けるはずもない。して、カルディア族の族長は、なんと? ドラゴンを駆使できる部族でしたら、さまざまな大陸情報をお持ちのはずです。」
「・・・四年をメドに、準備を進めておいてくれ。今度の戦いは、クリストンもゼルムもカイルも関係ない。エイシア軍として、軍の機能をすべてマーレルに集結させる。」
シゼレは、わざと驚いたような顔をした。そして、
「エイシア軍ですか。大陸では、あなたは、マーレル王ではなくて、エイシア王と名乗っていたそうですが、それは本当だったのですか。今の話をおききするまで、耳を疑っていましたが。」
レックスは、
「とうぜんだ。この島の宗主は、おれなんだからな。東側もイリアもそう考えている。」
シゼレは、ため息をついた。
「私は、どうやら今まで、かんちがいをしていたようですね。真に畏れるは、だれであるか見誤っていたようです。わかりました。あなた様のお心のままにしましょう。私はこれで、クリストンに帰ります。」
シゼレは、席をたった。