十一、別離(2)
とつぜん現れたにもかかわらず、国王はその日の約束をキャンセルして、レックスとエルに会いにきた。そして、夕食時、ウワサのマーレル王を見て、満面の笑顔を浮かべる。
「まさか、お一人でいらっしゃるとはね。東側を御訪問しているとは、きいていましたが、こちらへは、使節団とともにいらっしゃるとばかり考えておりました。せっかく、お出で下さったのに、このようなつまらない、おもてなししかできず、申し訳ない限りです。」
イリア国王は、人の良さそうな初老の男だった。態度も慇懃で、いばりちらしたところが無く、好感が持てた。レックスは、
「ドラゴンで移動するさいには、よけいな供は足手まといでしかないのです。そういえば、うちのエッジは今どこに? コウモリみたいな男ですよ。カムイという少年といっしょのはずです。」
クリスは、
「町へ出て行きましたよ。町の安宿の方がおちつくとか言ってましたから。門衛には、話は通してあります。」
レックスは、笑った。
「場所がわかればいい。それに、あいつは、用がない限り宮殿にはこないよ。クリス、どうした、おちつかないみたいだな。そんなに、ライアスに会いたいのか。」
クリスは、赤くなった。イリア国王は、笑い出してしまった。
「いや、遠慮は、いらないお方だときいてましたが、まさかここまでとはね。本当に、驚かせてくれるお方だ。今夜は、ゆっくりしてください。お話は、明日以降、予定を調整してからにしましょう。」
いっしょに食事をしていたエルは、大きなあくびをした。それを見た国王は、クリスに寝室に案内するよう言う。レックスは、
「場所を教えて下されば、勝手に行きますよ。クリス殿下に、わざわざ案内してもらう必要はありません。ただの押しかけ客ですからね、我々は。なのに、このような、あたたかいおもてなしをしてくださり、感謝にたえません。」
「でも、宮殿は広いですよ。クリス、案内してさしあげなさい。私はまだ、用がありますので、ここで失礼させていただきます。」
イリア国王は、そそくさと行ってしまった。レックスは、国王の態度に不自然なものを感じた。それに、寝室へは使用人ではなく、なぜクリス自らが案内しなければならないのか。
クリスは、何か言いたそうな顔をしている。レックスは、どうしたのかときく。クリスは、
「お部屋に御案内します。あなたがきて下さる時を、ずっとお待ちしてました。こちらです。」
用意された寝室までは、さして距離がない。クリスは、エルを先に案内したあと、別室にレックスを入れ、部屋の鍵をしっかりと閉めた。そして、クリスは、驚くべきことを話した。
ライアスとクリスが、一時的に別れてまもなく、バテントスから、二十歳前後の王女を迎えたいという話がやってきた。
断った。王女は、十歳になる前に、すべて嫁いでしまうので、その年頃の王女はいないとの理由で。でも、バテントスは、夫と死に別れて宮殿にもどってきた王女でもかまわない、と返してきたのだ。
クリスは、
「ねらいは、イリアの継承権でしょう。だから、幼い王女ではなく、二十歳前後の王女をよこせと言ったのでしょう。」
レックスは、
「サラサの時と言い、あいかわらず、占領するためには何重も策を用意してくるな。けど、皇帝は一度相手すると、人質妻は相手しなくなるともきいている。」
クリスは、首をふった。
「王女を妻にした事実さえあれば、それでいいんです。王女の子など、いくらでも用意できるでしょうから。以前、あなたの妻のシエラ様の偽物が用意されたようにね。」
「断りたくても、今は断れない事情があるんだな。」
「はい。イリアはこの前の戦争から、まだ完全には回復していないのです。こう着状態とはいえ、消耗戦のような戦いは休戦条約がむすばれるまで続いていたのです。火力的にも不利な状況で、兵数だけで戦っていたのですから、消耗は、かなり激しいものでした。ですから、現時点で攻められたら、勝ち目はありません。」
レックスは、イリアの戦力が、ここまで落ちているとは予想もしてなかった。とうぜん、ライアスも知らないはずだ。お互いの国政には関与しない、それが交際ルールだったのだから。
(交際ルールを決めたのも、ライアスに内部を知られたくなかったからだ。なぜ、こんな大国が、うちみたいな島国を重要視するのか不思議に思ってたが、そういう事情があったせいか。しかし、ライアスも生真面目と言うか、恋愛にのぼせていたと言うか、おい、ライアス、なんとか言え。)
ライアスは、レックスの中で縮こまっている。
クリスは、
「式典を盛大に開催するのも、そのためです。少しでも、国内外に、イリアは、まだ健在だという証をしめすためでもあるのです。マルーをエルシオン殿下にさし上げ、エイシアとの関係を強化したのも、そうすることでしか、イリアに生き残るすべはなかったからです。今のイリアは、国土が広いだけの王国でしかありません。」
「わかった。けど、どうして、おれにこんな事を話すんだ。王女の話はともかく、イリアの内情までバラす必要もなかったろうに。ライアスと交際ルール決めてまでも知られたくない話だったんだろ。それに、国王からじゃなくて、なんであんたが、しかもこんな寝室なんかで、おれに話したりするんだ。」
クリスは、ギュッと両手をにぎりしめた。
「姉妹が、自殺したんです。その話をきいてすぐに。彼女の死は伏せられているんです。私が代理として向こうにいくしかないんです。王女が、バテントスへ行くのが嫌で自殺したなどと知られたら、それこそ、この国はおしまいです。」
レックスは、クリスを見つめた。そして、クリスの肩をつかむ。
「だからって、あんたが犠牲になることはないじゃないか。仕事に生きる女なんだろ、あんたは。」
「私は、こういう事態にそなえて、男として育てられたんです。これも私の仕事なんです。私の務めなんです。私には、その務めをまっとうすることでしか、国を守ることができません。それが、一時的な平和であったとしてもです。」
レックスの表面意識に、ライアスが飛び出てきた。
「クリス、ぼくだよ。わかるか。だめだ、そんなことをしては。これは、イリアがどれだけ腰抜けの国か、試すためでもあるんだよ。やつらは、イリアに、戦争をする体力が無いとわかりきっているからね。
そうやって、一つのことを受け入れると、あとはズルズルと持っていってしまう。あの国に、つけ入れられないようにするためには、きぜんとした態度を取り続けなければだめなんだよ。いくら、おどされてもね。」
「だが、バテントスは、国境沿いに軍を集結してるんだ。あれが、おどしでなくて、なんだと言うんだ。それに、いくら同盟をむすんでいるとはいえ、東側は、烏合の衆でしかない。それに、同盟自体にも以前ほどの力は無い。
たとえ、エイシアがたすけにきてくれようとも、それまでに、国内奥まで侵入されていたら、どうしうようもなくなるだろう。エイシアは遠すぎるから。それとも、双頭の白竜でたすけにきてくれると言うのか。」
レックスが、出てきた。
「おれは、レックスだ。双頭の白竜では被害が大きすぎる。敵も味方も関係なく、その場にいるものすべてを破壊してしまう。だから、出したくても出せない。お前も、マーレル郊外の被害地を見てるはずだ。」
クリスは、
「だから、私は、時間を稼ぐつもりで行くんだ。少なくとも、花嫁をもらってすぐには、攻撃してこないはずだ。それに、私もただで行くつもりはない。行くのなら、内部をひっかきまわす程度のことは、意地でもしてみせる。そのかんに、バテントスを倒せるだけのを準備をしてもらいたい。」
「それだけの覚悟をしていると言うのか。だが、人質となった女がどうなるか、お前が知らないはずがない。子を産んでも産まなくても悲惨なものだ。」
クリスは、キッとなった。
「だから、どうしたと言うのだ。そんな、くだらないことで、私がひるむと考えているのか。内部は絶対ひっかきまわす。そのためだったら、なんだってするつもりだ。たとえ、この手と肉体を極限まで汚すことになるとしてもだ。」
「手と肉体を極限まで汚す? それがどういう意味か、わかっているのか。それに、汚すまでもなく、そこまでしたら殺されてしまうぞ。若い女が、そんなことを考えるな。姉妹の身代わりになると言うのなら、おとなしく後宮で、じっとしていろ。必ず、助けに行くから。」
クリスは、ギュッとこぶしをにぎった。そして、激しい情念をグッとこらえて、しぼりだすよう言う。
「許さない。私の大切な姉妹を自殺に追い込んだ、あの国を。姉妹には、恋人ができたばかりだった。あの幸せな笑顔を、一瞬で破壊した、あの国をどうしても許せない。」
「復讐か。自分の大切なものをうばった国に対して。そのために、自分のすべてを犠牲にすると?」
「たとえ、とちゅう、そのことで死ぬことになろうとも、死ぬまぎわまで、私は戦い続けてみせる。あの国を滅ぼすために、私が少しでも役にたつのなら、この命、捨て駒になってもかまわない。」
レックスは、どうしたらよいものかと少し思案していた。
「お前と同じことをしようとしている男がいる。ユードス・カルディアだ。おぼえているだろう。」
ユードスの名を聞き、クリスはビクリとした。レックスは、
「向こうに行ったら、その男と手を組め。お前が生き延びる可能性は、ずっと高くなる。」
「ユードス、あの男とか。あの恐ろしい男と手を組めと言うのか。」
「騎竜隊を見たろ。あれは、カルディア族のものだ。おれは、カルディア族の協力を得たんだよ。そこの族長が、ユードスをおしてるんだ。だから、まちがいない。」
クリスは、レックスをにらむよう、じっと見つめていた。そして、
「あなたを信用しよう。ユードスとは、どうやったら会えるんだ。」
「カルディア族は、たえずユードスの動きを監視している。おれから、族長に話を通しておく。いずれ、やつから接触があるはずだ。」
ライアスが、ささやいた。
(レックス、なんていうことを言い出すんだ。危険すぎるよ。それに、クリスをあんなとこに行かせたくない。)
(クリスはもう、とめられないよ。父親の国王ですら、とめることができなかったのに、他人のおれじゃあ、無理だ。なら、彼女が生き延びる方向をさぐったほうがいい。)
(じゃあ、せめて、お別れをさせてくれ。)
レックスは、心の中で笑った。
(もう、愛してないんだろ。無理に別れ話をしても、こじれるだけだ。もともと縁がある女だ。彼女は、シオン・ダリウスの正妻のイリアだろ。)
ライアスは、何も言わなくなった。そして、式典は盛大に執り行われ、式典が終わって半月が過ぎたころ、レックス達親子はカムイをつれ、随行員とともに、マーレルへと帰国する事にした。
最後の夜、クリスは、ライアスからもらった指輪を、レックスにわたした。クリスは、ほほえんでいた。
「マーレル公とは、こうしたかたちで別れるはめになったけど、悔いは無い。そして、あなたを愛したこともね。最初は、好みではないと思っていたが、それは私が幼かっただけだと気がついた。あなたに再び会える日がくるまで、私は生き延びてみせる。」
レックスは、受け取った指輪を、あらためてクリスの指にはめた。
「おれからの贈り物だ。おれも、こんなかたちで、お前をまた愛するようになるなんて、想像もしなかった。ライアスには感謝しているよ。あいつが、お前との縁をつないでくれたんだ。必ず行く。待っていてほしい。」
指輪を見つめるクリスの目に、涙が光った。