十一、別離(1)
レックス達は、騎竜隊五騎に護衛され、カルディア族領地から飛び立った。遠ざかっていく山と、それにともない下界の空気が色濃くなるにつれ、あそこで過ごした二年という歳月が、一瞬の幻だったような気がしてくる。
もし、騎竜隊とカムイがいなかったら、そう錯覚していただろう。紅竜に、エルとともに乗ったカムイは、紅竜に大きさに興奮をかくせないでいた。
「すごい、エル。こんな大きなドラゴン、部族にはいないよ。それに、すごく乗り心地もいいしさ。エルのお父さんって、すごいんだな。」
「それほどでもないよ。第一、お母さんには頭があがらないしさ。あ、お母さんって、マーレルにいるお母さんのことだからね。それと、約束通り、ヒナタのことは、だれにも言わないこと。わかった。」
カムイは、不思議そうな顔をする。そして、エルに向かい、
「話すも何も、ヒナタは部族の子供だ。エルのお父さんの子供だけど、部族では、だれが父親で、だれが母親なんて、あまり関係ないんだ。ヒナタは、エルの妹だけど、おれの妹でもあるんだよ。まあ、約束だから、ヒナタのことは、だれにも言わないけどな。」
レックスは、
「カムイ。下界では、両親がはっきりしている。お前も外に出ると決めた以上、一族の感覚は捨てたほうがいい。でないと、周囲に溶けこめないぞ。」
「わかってるよ。カガリビから、きつく言われてるしな。ところで、レックスのこと、これからなんて呼べばいいんだ。カガリビは陛下と呼べと言ってたけどさ。」
「人前じゃあ、陛下が無難だろう。お前は、おれの兄の養子として、とうぶんの間、兄のもとで生活してもらうつもりでいる。兄には子供がいないから、きっと、かわいがってもらえるはずだ。そこで、親子という感覚を勉強しろ。宮殿には、兄につれてきてもらえ。そしたら、いつでもエルと会えるから。」
エルは、がっかりした。
「居住区につれてくるんじゃなかったの? マルーにも紹介してやりたかったのに。」
「それとエル。マルーとお前の寝室には、もうリオンは入れるな。三人いっしょに寝るなんてことはするなよ。リオンが、泣いてもわめいても、追い返せ。わかったな。イリアから帰りしだい、お前には、王太子として、マルーとともに公式行事に参加してもらうからな。」
エルは、えーとなった。
「公式行事? 人前に出るの? それって、仕事しろってことなの。でもぼく、どうやっていいのか、わかんないよ。」
「まずは、イリアで予行練習だ。おれのそばで、おれのすることを見ていればいい。何をするかは、おれが指示を出すから、その通りにな。」
エルは、父親のきびしい視線にひるんだ。
「父ちゃん、怖い。旅が始まった時みたいだ。あの時も、すごく怖かったしさ。」
「いつまでも、甘やかしておくつもりはないだけだ。楽しい子供時代は終わったんだよ。お前はもう大人だ、エル。」
白竜の背でシエラは、紅竜の様子をじっと見ていた。いっしょに乗ってるエッジは、
「いい親父になったじゃないか、レックスは。ところで、いつまでお姫様してるんだ。イリアについたら、マーレル公にもどるんだろ。」
シエラは、元気が無かった。
「なんか、もどりたくない気分。」
「クリスのこと、ケリをつけるんだろ。忘れたわけじゃあないよな。」
「クリス、クリス、そう言えば、クリスのこと好きだったな。もうずっと、昔のことみたい。」
シエラは、ハァーッと大きなため息をついた。エッジは、
「おいおい、しっかりしてくれよ。時差ボケもいいとこだ。こっちの世界では、まだ一ヵ月もたってないんだぜ。イリアについたら、即、恋人関係に終止符をうっちまえ。わかったか、ライアス。」
シエラは、しかたなくライアスにもどった。そして、真っ青になる。
「クリスへの気持ちが消えている。好きだという気持ちが、なくなってしまった。そんな、どうして。」
エッジは、ため息をついた。
「やっぱりな。なんか、そんな気がしてたんだよな。イリア行くというのに、ライアスにもどる気もなく、なごりおしそうにしてたしな。それに、二年もたってりゃな。そのかん、お前は女だったし、しかも妊娠して出産したんだ。今、頭の中を占めているのは、クリスでもなくレックスでもなく、ヒナタだろ。」
ライアスは、頭をおさえた。エッジは、
「まあ、好都合じゃないか。そのいきおいで、別れ話にまで持っていけ。」
「でも、クリスがかわいそうだ。あれだけ、愛し合っていたのに、ぼくの気持ちが一方的に消えてしまってるなんてさ。別れるにしても、クリスがかわいそすぎるよ。」
「つくづく、人がいいやつだな、お前。だから、シゼレになめられるんだよ。もう、夢は終わったんだ。少し、シャキッとしろ。これから、イリア国王と会うんだぞ。」
「わかってるよ、けど、まだイリアまで時間がある。そのかん、気持ちを整理しておくよ。二年も寝てた気分だ。でも、ヒナタに会いたい。」
「なんか、重症だな。ライアスやめて、お姫様にもどれ。そこまで、へたれたお前は見たくない。」
ライアスは、シエラにもどった。そして、白竜の上で、ぼんやりしていた。エルが奇声をあげてるのがきこえる。
「ね、ね、あの山にある高い塔みたいな建物、なに? すごく高いね。」
騎竜隊の隊長が、よってきた。レックスは、この男を紹介されたとき、見おぼえがあった。サラサにきていた、カルディア族の代表だった男だ。
隊長は、
「あの塔は、皇帝の住まいですよ。下に見えるのは、バテントスの首都リスデンです。皇帝の住まいの皇宮は、首都から、ややはなれた山に築かれているんです。建物が大きくて、すごく高いでしょう。まだ、建築途中とかで、まだまだ高くなるらしいですよ。」
皇宮というより、まるで町のようだ。山全体をおおうように建物が密集しており、中心部ほど、空へ空へと建物がのびていく。
レックスは、
「まるで、天に挑戦しているみたいだな。あそこに、皇帝一家が住んでいるのか。ユードスが育った後宮とかも、あそこにあるのか。」
「あそこに住めるのは、皇帝一家だけですよ。それと、国の中枢機関があります。人質妻は、皇宮から少しはなれた場所にいるんです。今、見えてきました。皇宮の西側方面の平地に、宮殿みたいなものが見えるでしょう。あそこです。」
皇宮にくらべると規模がやたら小さく感じられた。そして、宮殿のまわりには、頑固な塀がめぐらされており、逃げ出せないようにされている。まるで、牢獄だ。
「おい、隊長さん。こっちの姿は、下からは見えてないんだよな。族長が、結界で守ってくれてるんだろ。」
「大砲も、この距離まではとどきませんよ。けど、新型の開発に成功したようですし、平地での飛距離は格段にのびてるようです。兵も増強していますし、戦いでは、どれだけ早く、首都を制圧できるかが、勝負どころでしょうね。」
「お前達を、うちの軍に編入できるのは、ありがたいと思っている。機動力がモノを言うからな。イリアでは、騎竜隊のこともふまえて、国王と話し合いをするつもりでいるが、それでかまわないか。」
「かまいませんよ。カルディア族は同盟に入ってますからね。あなたの配下につく以上、これからは、他部族と、もっと密接に意思疎通をはかるつもりでいるんです。」
「そうしてくれ。おれも霊体、出せるようになったし、必要とあれば、部族会議にも出席するつもりでいる。ヒナタには、必ず会いに行くから、何か動きがあったら、そのつど報告をたのむ。」
隊長は、わかりましたと言い、少し下がった。レックスは、先導している副隊長のドラゴンを見つめた。副隊長のスザクは、なんの迷いも無く、イリアに向けてまっすぐ飛んでいく。どうも、この空路は、はじめてではないようだ。
カルディア族はこうして、あちこちに飛び、いろいろなことをしているのだろう。だから、族長も、ああいう非現実的な世界に住みつつ、現実的な提案を下すことができるはずだ。
皇宮は、たちまち見えなくなった。あれだけ大きくても、飛び去れば一瞬で視界から消える。一行は、バテントス領内の安全な山の奥で昼食をとった。少しの休憩のあと、イリア目指して再び飛翔する。
日が傾きかけたころ、イリアの首都アリアーデ市が見えてきた。隊長は、
「あそこが、アリアーデ宮殿です。宮殿広間に降下しましょう。あなた様が無事、宮殿に入られたのを見とどけてから、私達は引きかえします。」
レックスは、
「夜になっちまうじゃないか。おれから国王に、泊まる場所を用意してもらうよ。一晩休んでから帰ればいい。」
隊長は、
「騎竜隊の姿を、あまり人目にさらしたくはないのです。こう見えても、うちのドラゴンは繊細でしてね。人の目には、なれてはいないんですよ。それに、夜間の飛翔は、なれてますし、強行軍はいつものことです。」
レックスは、笑った。
「ま、カガリビによろしくな。でも今夜、さっそくもどるから、よろしくも何も無いな。おれの方から無事、騎竜隊を送り返しましたとつたえておく。」
レックスは、紅竜とともに宮殿広場に舞い降りた。ついで白竜、そして、騎竜隊。とつぜん、空から現れたドラゴンに広場はそうぜんとなった。
レックスは、
「私は、エイシア国王レックス・ダリウス・レイだ。イリア国王にお目通り願いたい。」
ドラゴン部隊を背にどうどうとしたレックスに、みな、ひるんでしまったようだ。宮殿内からさわぎをききつけた、お偉方らしき男達が、バタバタとよってくる。その中に、成長したクリスがいた。
レックスにかけよる。そして、あいさつよりも先に、マーレル公はときく。レックスは、
「ああ、あいつは少しおくれてくる。まだ、話があるとかで、こっちへくるのは明日になる。白竜は、つれてきただけだ。」
クリスは、白竜を見つめた。シエラは、宮殿につきしだい、レックスの中にかくれてしまっている。クリスは力をおとした。
「もうしわけございません。あいさつも無しに、ぶしつけでした。ようこそ、お出でくださいました。我がイリアは、エイシア国王を歓迎します。」
レックスは、クリスをながめた。背もあの時よりずっと伸び、すでに女であることをかくせなくなっている。レックスは思わずほほえみ、クリスの手をとり、貴婦人への礼をした。
「クリス王子も、すっかり大人になられましたね。実に美しくなられた。もう、王子とはお呼びできませんね。」
「ご冗談を、私は男です。それに、あなたも以前お会いした時とは、ずいぶん、印象が変わりましたね。なんて言いあらわしたらよいのか、失礼かも知れませんけど、以前より、御立派になられました。真の王者としての威厳が感じられます。それしか、言葉を見つけることができません。お許しを、陛下。」
「それは、光栄です。あなたのような美しいお方から、おほめいただくことは、男としてこれ以上の栄誉はございません。」
以前の自分だったら、こんなことは絶対言わなかった。こんな言葉が自然と出るほど、クリスが美しく魅力的な女性として成長していたのである。心の中で、ライアスに話しかける。
(ほんとに、もういいのか。おれが取っちまうぞ。ずいぶん、いい女になったじゃないか、クリスは。)
(好きにしろ。もう、なんとも思ってない。いっそのこと、君が、なんとかしてくれた方がたすかる。今のぼくの心にいるのは、ヒナタだけだ。)
(だったら、向こう行ってろよ。ほんとにグチグチと。二度と、会えないんならともかく、お前、しつこすぎる。まあ、ぴったりくっついてたから無理もないがな。けど、そろそろ、もとのライアスにもどってくれよ。でなきゃ、こっちがこまる。)
頭上で、バザバサと羽ばたく音がきこえる。騎竜隊が帰っていく音だ。レックス達一行は、クリスの案内で宮殿へとまねかれた。