五、ベルセアの出来事(2)
それから、四日ばかり過ぎた日の夕方、グラセンがやっと帰ってきた。シエラとミランダは、今日も聖堂に出かけて、まだ帰ってきてはいなかったので、グラセンは、マーブルとレックスを書斎に呼び、先に話をした。
グラセンは、ゼルムの将軍の計らいで、ゼルム領主に会ってきたと言う。
「領主様と会う約束は、わりと早く取り付ける事ができたんです。ですが、なかなか会う事ができなくて、いままで長引いてしまいました。
ゼルムは、私達がくる直前に、バテントスから条約を結ばないかと持ちかけられていたようです。条約を結び交易してほしいとね。その対策に追われていて、私との面会が遅れてしまったのですよ。」
「ゼルムがバテントスと条約だって、そりゃどういうことだ。」
「バテントスも武力だけでは征服しないと言う事です。クリストンを占領して条約を持ち出し、ゼルムに脅しをかけたんです。今の領主様は、経費削減とかで軍の縮小をかけてましたからね。なめられても仕方が無い事ですよ。」
「で、条約はどうしたんだ。やめるよう言ったんだよな。」
「あの通行証を見せ、領主様に軍に対する考えを改めるよう進言しただけです。法王ならともかく、私の身分ではね。ほら、あなた方が巻き込まれた火事。あれがバテントスがらみだと調べがついたようで、ゼルム上層部は大騒ぎになっていましたよ。」
マーブルは、頭をガリガリかいた。
「クソ、なんてこった。けど、火事は、バテントスがらみだけで、調べは終わっているんだよな。おれ達の事は、ばれてないんだよな。」
「あなた方の遺体は出なかったですからね。出てたら、シエラ様の御遺体でも突きつけて、逃亡にゼルムは手をかしていたとかナンクセをつけ、今ごろ、条約を結ばせていますよ。いろんな意味で、あなた方はバテントスに利用されたのです。例え失敗したとはいえ、領主様のお膝元でおきた事件ですからね。」
マーブルは、ため息をついた。
「ひょっとして、ナルセラの前で橋が流されていたのは、おれ達のナルセラ入りをおくらせるためだったのか。そのあいだに、ゼルムに小細工をするために。」
グラセンは、うなずく。
「今、ゼルムは、バテントスにゆさぶりをかけられているんです。あの手この手でね。そうやって、精神的にも追いつめていき、最後は隷属させようとしているんです。実にいやなやり方ですよ。」
マーブルは、そうかと言った。レックスは、
「グラセン、バテントスは条約を結んでも、ゼルムにやってくるはずだ。軍で脅して、条約を盾にとって、クリストンみたいに占領するためにな。戦争無しでゼルムを占領するかどうかの違いだけでしかない。今は冬で、バテントスの動きもとまってるが、春になれば、きっとそうする。このままじゃあ、ほんとに島丸ごとやられちまうぞ。」
マーブルとグラセンは、レックスの顔を見つめた。
「なんだよ。おれの顔になんかついてんのかよ。」
マーブルは、
「いや、熱でもあるかと思ってな。」
「おれが、まともな話すんの、そんなに変かよ。こう見えたって、いろいろと考えてんだよ。」
グラセンは、笑う。
「アレクス様のお考えと、私の考えは同じです。クリストンには、ゼルムのそばに、中州の城という、その名のとおり川の真ん中にある城塞があります。そこを起点にゼルムを襲うはずです。
ダリウスは、クリストンと山脈でへだてられているので、攻略はあとになるでしょう。カイルは海軍を少しもっているだけで、ゼルムが終われば、何もしなくても手に入ると、バテントスは考えてるはずです。
あとは、ダリウスに軍を進めて、偽シエラ様を王にしろと言えば、完了というわけですな。」
レックスは、
「ダリウスは軍もってんだろ。抵抗しないのかよ。」
マーブルは、手をふった。
「もっててもカスだよ。ドーリア公のとき、あっさり負けちまったもんな。王の軍隊だ、官軍だと栄光に、あぐらをかいているだけの軍なんだよ。」
「アレクス様。バテントスは相手をよく調べております。ナルセラといい、その国のツボをついて戦いをいどんでくるのです。クリストンが真っ先にねらわれたのは、そのためでしょう。」
どうしてとたずねるレックスに、マーブルは、
「クリストンは、ライアスの代になっても、三国とは完全にもとには、もどらなかったんだよ。ライアスが、親父の不祥事の尻ぬぐいにあちこち行ったが、かんじんの王がいなけりゃ話にならん。孤立していて、攻めても、どこも助けにこないとバテントスは見抜いた。事実、そのとおりだったしな。」
レックスは、ひざの上でこぶしをぎゅっとにぎった。グラセンは、立ち上がった。
「そろそろ、夕食にしましょう。残りの話は、シエラ様もまじえて、夕食のあとでお話します。」
レックスは、
「おれ、ちょっと部屋に行ってくる。メシ、先に食っててくれよ。」
「お前、腹はすいてないのか。このごろ、何かあると部屋にいるな。」
「なんでもないよ。シエラはまだ、聖堂から帰ってきてないんだろ。シエラを待ってるだけだ。」
部屋へもどったレックスは、ベッドにすわり、剣をもった。意識を集中させる。中州の城、中州の城。ぼんやりとだが、雪にまみれた川中の城が見えてきた。
この城は、長いあいだ使われてはいない。だが、秋口からバテントスが出入りをし、使える状態にまで回復していた。城では、バテントス兵がいそがしく動いている。ゼルムは、この状態を知っているのだろうか。
気がつくと、目の前にグラセンがいた。こわい目で、レックスを見ている。
「アレクス様、様子がちがうと感じていましたが、いつのまにそのようなお力を。」
レックスは、苦笑した。
「やっぱり、すぐに気がつくんだな。あいつが、いなくなるわけだ。」
「あいつとは?」
「あんた、シエラを驚かせたくなくて、ずっと気がつかないふりをしてたんだろ。安心しろ、もういなくなった。さがしても見つけられない。」
「やはり、ライアス様でしたか。あなたの力を解放させたのですね。」
「どうやって、おれ達の事を知ったんだ。シエラをおれの嫁に選んだのは、そのためだろう。」
「そこまで、お分かりになられるとはね。ライアス様が、そばにおられたので、覚醒が早まられたようですな。」
レックスは、真顔になった。
「おれは、おれでしかないんだよ。無学で字もまんぞくに読めない書けないな。だから、お袋を女王にしたんだな。」
「そのとおりです。私もライアス様と同じなんですよ。結果として、同じような役目をしているのです。使命といったらよいでしょう。私は、国教会の秘密に通じておりましてね。ある意味、法王よりも、さまざまな事を知っているのです。
その中に、神の転生の予言がございまして、その予言の時期が、今と一致している事に気がついたのです。それで、さまざまな秘儀を試した結果、わかったのです。
ですが、その時は、ドーリア公とあなた様のお母上が、王位継承でもめている最中でしたので、冷や汗をかいたのも事実です。もう少しおそければ、あなたを王とする事など不可能だったはずです。」
「お袋は、劣勢だったはずだ。ドーリア公で決まりかけたのに、ひっくり返すのに、法王まで動かしたんだろ。いくら高位僧侶とはいえ、枢機卿でもないあんたが、よく法王を動かせたな。何をしたんだ。」
「ですから、使命と申し上げたのです。ダリウス王家始祖である、ミユティカ様よりも、あなた様のほうが上なのです。」
「ライアスとシエラも、同じようにして気がついのか。」
「予言では、神が転生されるとあるだけで、どの神かまではわかりませんでした。それで、片っ端からさぐったのです。でもまさか、主神三体とは、考えもしませんでした。ライアス様が、お亡くなりになられたのは、まさに悲劇としか言いようがありません。」
「ああ、悲劇だな。だったら、あいつを認めていいんだよな。たとえ、幽霊でもな。」
グラセンは、目をつぶった。
「死者は、やはりこの世にかかわってはいけません。この世は、生きている人間の手でつくられなければならないのです。ましてや、他人の体をかりて行動するなど論外です。」
「だが、そのおかげで、おれ達は助かったんだ。」
「シエラ様に、一番負担がかかります。シエラ様のお気持ちを考えてください。」
「おれにとっては、ライアスは死人だろうがなんだろうが、大事なモンだ。シエラがいやなら、おれが引き受ける。」
「ならなぜ、去られたのですか。やはり、死者としての負い目を感じていたのでしょう。」
「あいつは、かならずもどってくる。あいつは、おれの子供だ。子供は親のそばにいるモンなんだよ。」
「魂の縁ですか。まさに神話のとおりですな。現実世界でも、このような事が起きるとはね。」
「おれが分かったのは、あいつとシエラの関係だけだ。昔、何があったかなんて、分かったわけじゃない。とにかく、もどってきたとしても、あいつには手を出すな。おれが言いたいのは、それだけだ。」
グラセンは、ため息をつく。
「マーブルによく似てますよ、あなた様は。子供を守ろうとするところがね。これから、どうなさるおつもりですか。」
レックスは、剣をかるくふりまわした。
「ゼルムの事情は、だいたいわかったよ。カイルはどうかな。まだ、春までには時間がある。それまでに、もう少し詳しく、この島の状態を知りたい。」
「そのあとは。」
「シエラと結婚して、クリストンへ行こうかな。どのみち、なんとかしなきゃならない。ライアスがいてくれたなら、かなり助かったがな。グラセン、クリストン行くには、ゼルムにもどったほうがいいか?」
「おすすめできません。中州の城がありますからな。軍も春にむけて、集結しているはずですよ。道はけわしいですが、ダリウスからはどうですか。ですが、そのあとは、どうなさるおつもりですか。シエラ様とお二人では、何もできますまい。」
レックスは、グラセンは自分をためしているな、と感じた。事実、どうしていいか分からない。ここは、すなおに知恵をかりよう。
「あんたの考えを教えてくれないか。もうすでに、なんらかの手はうってあるんだろ。」
グラセンは、ほほえんだ。
「シエラ様の叔父上、サイモン様に連絡をとってあります。サイモン様をたよられてはよろしいかと存じます。お手紙を書かれてはいかがですか。」
「その手があったな。けど、手紙書こうにも、おれ、字がな。おれの手紙だとは、信じてもらえないだろうな。」
「シエラ様に出してもらえばよいのですよ。」
レックスは、首をふった。
「シエラは、あんたにあずけておくよ。危険にはさらしたくない。シエラはもう、じゅうぶん苦しんだ。それと、さっきおれが話した内容は、とうぶんのあいだ、マーブルには言うなよ。おれが、剣を使える事もだ。」
「私からは、マーブルに話す事など何もありません。廊下がさわがしいですから、シエラ様がおもどりになられたようです。食堂にまいりましょう。」
レックスは、剣をベッドにおいた。レックスと入れ違いに部屋へと入ってきたミランダは、グラセンにあいさつをすませたあと、シエラがレックスの正体に気がついていることをつげる。
「今日は、驚く事ばかりですな。ひさかたぶりに、お二人の顔を見たと思ったら、こうですからな。シエラ様が、自ら剣をわたすまで待ちましょう。そのほうがよろしいはずです。」
「レックスと話していたようですが、何を話されていたのです。」
「お前もいろいろと気がかりでしょうが、今は見守っていてあげなさい。お二人とも、大人になろうともがいているようですからね。」
グラセンは、少しさびしげにほほえんでいた。
一行は、グラセンと相談した結果、カイルへ行くことにした。グラセンがカイルの領主と直接会い、カイルが今後どうするか、考えをきくためだ。
レックスは、シエラをベルセアに置いていこうとしたが、シエラはレックスとはなれたくなかったので、どうしてもついていくと言い張り、バテントスに見つからないよう、変装するとの条件で連れて行くことにした。
シエラは、髪を切った。フワフワとしたやさしい栗色の髪を、バッサリと首筋で切ってしまったのである。そして、男の子に変装した。
ずいぶん、思い切った事をしたものである。シエラは、
「私だって、いつまでも子供じゃないわ。逃げ回って、おびえるのも、もうたくさん。クリストンのシエラとして、少しでも何かできるのなら、なんだってやります。」
レックスと、はなれたくない一心からでた言葉ではあったが、その場にいた者達を感服させるにはじゅうぶんだった。
シエラは、レックスの変化に気がついていた。何が、レックスに起こったのか分からない。けど、このままでは、自分はおいていかれる。
いっそのこと剣をわたそうか、とまで思いつめたが、シエラはやめることにした。今、わたしたら、自分のあせりを知られてしまう。
シエラは、馬車の中で、さむくなった首筋にフカフカのマフラーをまいていた。レックスは、シエラのみじかい髪をみて、髪と目の色こそちがうけど、ライアスにそっくりだと感じていた。