十、故郷(2)
また、時間が流れた。レックスの感覚では、ここにきて、すでに二年近く過ぎたような気がしている。帰りたくないと思っていたが、さすがにもう、外へともどりたい気がしてきた。
ヒナタは、ハイハイしている。乳も取れ、離乳食も順調だ。レックスとシエラは、ここらが潮時だと感じていた。
シエラは、
「ヒナタが、もう少し大きくなってしまえば、たぶん、私達をしたって泣き出すわ。いつでも会いにこれるとはいえ、ずっとそばにいられるわけじゃない。つらいけど、しかたないわね。」
「けど、族長は、まだ帰ってきてないぞ。それに、ここから出るには、族長の力が必要だ。イリアの式典に合わせてもらわなきゃな。それに、いろいろと、ききたいこともある。」
「いつ、帰ってくるのかな。」
「さあな。」
二人は、あどけないヒナタを見て、弱りはてていた。それから、四日ばかりたち、族長とカガリビが帰ってきたと知らせがあった。
カガリビは、待たせたお詫びを言った。そして、ヒナタを見て、
「ヒナタ様は、私が責任をもってお育てしますから、なんの御心配もいりません。その子を得るために、こうしたのですからね。」
レックスは、
「やっぱり、それが目的だったのか。どうして、こんなことをしたんだ。借腹だけじゃないだろ。」
カガリビは、
「ここは、あなたの故郷です。ですが、あなたがここを旅立ってから、もう三千年になります。そのため、あなたにつながる縁は、ずいぶんうすくなってしまいました。ですから、もう一度つながりを持つために、その子はどうしても必要だったのです。」
レックスとシエラは、顔を見合わせた。カガリビは、
「お帰りなさい。あなたが帰られる日を、ずっと心待ちにしていました。私は、あなたの妹なのです。そして、あなたは、私の双子の姉です。」
それは、今現在の肉体的なつながりを意味しているのではない。カガリビが双子の姉と言ったのは、レックスが三千年前、この地を旅立ったときの二人の関係をさしているのである。
レックスは、
「そんな気がしてたんだ。いろんなことを思い出したからな。けど、おれは、やはり外で生きる。ここは、魂の故郷だが、おれがいるべき場所ではない。おれは、外の世界と、ここ以上につながっているんだ。だから、族長に会わせてくれ。そろそろ、行かなきゃならない。」
カガリビは、目をこすった。
「ええ、もちろんわかっています。あなたが、それを思い出してくれただけで、もう。それだけ、当時の私達の絆は強かったのです。あなたが、ここを旅立つと決めた時、私は、あなたを失う悲しみで押しつぶされそうになりました。でも、帰ってきてくれました。それもこうして、私が人として生きている時代にです。それだけでじゅうぶんです。」
カガリビは、スッとたつ。
「ここの母屋の奥の結界の中に、族長はおられます。この建物は、大きく感じられたでしょう。それは、族長が神示を受けるための、特別な場所をかくすために、そうした結界を張っていたのです。今、それをときます。」
カガリビが、大きく柏手をうった。そして、レックスだけをつれ、母屋の奥へとむかう。カガリビとともに歩く御殿は、それまでとは造りが違っているよう思われた。
奥座敷に、大きな鏡があった。こんな鏡がある座敷なんて知らない。カガリビは、その鏡に向かい、おつれしましたと、大きな声で言う。空間がゆがんだような気がした。カガリビは、鏡の部屋から出、庭に面した座敷へとやってきた。
そこには、五十半ばくらいの女性がいた。レックスは、その女性を知っていた。そして、その女性の前できちん正座をし、両手をつき、今まで留守にしていたことをわびた。
女性は、レックスの手をとった。
「姿は違えども、あなたは、カガリビと同じ私の娘です。よくぞ、帰ってこられました。私が族長となり、カガリビが三千年前と同じく私の娘として産まれ、この時期に、あなたが帰ってきたことは、天のめぐり合わせでしょう。祭事が長引いてしまい、待たせたことをお詫びします。」
「待ちました。ほんとうに待ちました。お母さん。」
お母さんという言葉が、自然と口から飛び出した。女性は、ほほえむ。
「あなたを、三千年待ちわびた、私達の比ではないでしょう。ヒナタの意識が出てきているようね。当時のあなたは、ヒナタと言ったのよ。だから、娘にヒナタと名前をつけたんでしょう。」
苦笑するしかない。シエラと同じパターンだった。女性は、
「当時のあなたは、外の世界への興味が強くてね。私達がとめるのもかまわず、数人の供をつれ、西へと向かったのよ。けど、私はあなたが心配で、ここの宝具の一つだった神杖をお守りとして持たせたの。そう、あなたのピアスね。いまでも、大事に持っていてくれたの、うれしいわ。」
「あ、でもこれは。本物は、エイシアにうまっているけど。」
レックスは、とりあえずピアスを杖にもどした。女性は、杖を受け取り見つめる。
「まちがいなく、これよ。私があなたに持たせた杖よ。物としての杖ではないわ。これにやどる力の問題なのよ。物として、どこかにうまっている杖には、もうなんの力もないはずよ。すべては、この杖にあるのだから。」
女性は、杖を返した。
「なつかしい再会は、ここまでにしておきましょう。本題に入るわね。何から、ききたいのかしら。」
「まずは、ユードスのことだ。クリストンへやつを迎えにきたのに、なぜ、ここから追い出すようなことをしたのかだ。」
「彼には、役割があるからです。そのために、カガリビの娘の一人を皇帝にさし出し、この一族の魂を帝国の皇子として産ませたのですから。」
レックスは、そばにいるカガリビの顔を見た。カガリビは静かにうなずく。女性は、
「ユードス本人は、気がついていないようですが、彼は私達一族の魂を持つ者です。ですから、クリストンに救出隊を向かわせ、ここへつれてきて、真実を話し聞かせようとしました。ですが長年、バテントスという闇の中で生きた彼にとり、ここは、居心地が悪かったようです。あなたのように、魂を澄ませることもなく、逃げ出してしまいましたからね。」
「ユードスが、呪術を皇帝から伝授されて、マーレルを襲ったことは、もう知っているだろう。」
「ええ、とても悲しいことです。まさか、ああなってしまうとは予想もつかず、そして、見通す事もできませんでしたからね。」
「ユードスの役割ってなんだ? おれは、マーレルを襲われて、本気でユードスを始末しようと考えた。やつがまた、バテントスにもどって悪さするようなら、次は容赦はしない。やつが、なんであれな。」
女性は、レックスを見つめた。そして、
「ヒナタだった時とは、ずいぶん違いますね。あの子は、ほんとに優しい子で、争いをずいぶん嫌う子でしたから。」
「おれはもう、ヒナタなんかじゃない。一つの国を二千年にわたって、守り続けてきた男だ。考えくらい変わるさ。けど、生前のシオン・ダリウスは、ヒナタの思いが強かったな。争いたくなくて、逃げ出したくらいだしな。」
「ユードスの役割は、バテントスを内部から破壊することです。」
レックスは、驚いた。
「内部から破壊? やつ一人にそんなことができるのか? 現にやつは、皇帝の手先にまで、なりはてた男なんだぞ。」
「できます。私はそう信じています。あの国に占領されたカリス族の悲劇は、あなたも見てきたはずです。そして、あなたのエイシアも、ああなりかけました。私はもう、あの国が拡大していくのを見たくないのです。」
「だから、こわそうとした。自分の孫娘の命を犠牲にしてまで。あんた、バテントスがどういう国か、知っているんだろ。ユードスのことはともかくとして、それを教えてくれ。少しでも情報が知りたいんだ。ここの族長である、あんたなら、かなりのことがわかってるはずだ。」
バテントスは、レックス達が予想してとおり、イリアから追放された呪術一族が、その呪術の力をつかって築いた国だった。そして、ある程度大きくなると、今度はその呪術を引っ込め、唯物論をとなえ、帝国拡大路線をとったという。
族長は、
「バテントスは、闇の力を使い、あそこまで国を大きくしました。使ってはならない闇の力をです。そして、その闇をかくし、正しい信仰を封じるために、唯物論を使ったのです。人が生きる基準を、この世だけにしてしまえば、人は真実がわからなくなりますからね。」
「バテントスは現時点、他国とは休戦状態だ。何年か前に、あっちこっちと、まとめて戦争したんで、国力がおちて戦争できなくなったからな。だが、もうそろそろ、国力も回復してきているだろう。いつなんどき、他国への侵攻が行われるかわかったものじゃない。その前に、なんとかしたい。イリアとは、それについて話し合いをしようと考えてるんだ。」
「今しばらくは、大丈夫でしょう。祭事を執り行い、闇の力をだいぶ封じてきましたから。こちらから、無理に戦を仕掛けない限りはね。」
レックスは、
「ユードスは、今どこで何をしてるんだ。どこにも居場所は無いとか言いながら、おれの前から消えたんだ。マーレルを去ったあとの、やつの足取りは、つかんでいるんだろう?」
「ええ、彼が産まれた時から、私達はずっと見守り続けていましたから。彼は今、バテントスにいます。バテントス国内に、自分の居場所をつくろうとして行動を開始しました。けど、本格的に活動するまで、もう少し時間は必要です。でもこれで、あの国は、内部から少しずつこわれていくはずです。」
「内部からこわすよりも、外から大砲、撃ち込んだほうが早くないか。おれもそのために、何年もかけて準備を進めてきてるんだ。イリアと縁組したのもそうだし、東側とも話をつけてきたのも、そのためだ。イリア王が行動を起こすとなれば、おれもすぐに軍を動かす。あんたが、封じ込めたのなら、敵の動きもにぶるはずだ。このチャンスを逃がしたくない。」
族長は、レックスを見つめた。
「あなたがこわしたいのは、バテントスという国そのものですか。それとも、まちがった体制ですか。」
「戦争は勝たなきゃ意味がない。体制をこわすのに、国をこわす必要があったら、そうするしかないだろう。」
「私達は、体制をこそ憎みますが、そこで生きる人々まで巻き込むつもりはありません。そのために、ユードスを送り込みましたから。現実には、ユードス一人では無理があります。けど、内部から、ゆさぶりをかければ、それだけ外部から攻めやすくなり、被害も少なくなるはずです。
あせる気持ちはわかります。ですが、あと四年、待ってはくれませんか。それだけ時間があれば、それなりの効果は現れてきますし、帝国崩壊後の再建のために必要な人材も現れてくるはずです。」
「それは神示か。それとも、あなたの考えか、族長。」
「どちらでもあり、どちらでもありません。すべては、現実を見据えての結論です。これは、光と闇の戦いです。バテントスという闇を、この大陸から消滅させるための戦いなのです。ですから、あなたの言うとおり、勝たなければならないのです。ユードスは、そのための布石の一つなのです。」
「つまり、この一族も戦っているというのか。」
族長は、うなずいた。
「私達も祈ってばかりはいません。その時になったら騎竜隊を送ります。二十騎ばかりの少数隊ですが、空を飛べますので奇襲や偵察などに役に立つでしょう。エイシア軍にくわえてください。」
二十のドラゴン部隊か、レックスは、うなった。
「そりゃ、たすかる。空を飛べるのは実にありがたい。たしか、イリアまで送ってってくれるって、カガリビが言ってたな。」
「彼らは、あなたの配下だったら、参戦してもよいと言っていたので、ぜひ、使ってあげてください。それと、お願いがあるのですが、きいてはいただけませんでしょうか。」
「おねがい?」
「カムイを、マーレルにつれてってあげてください。どうしても、エルシオン様と御一緒したいと申しておりますので。あの子もまた、あなたと同じように、外へと飛び出したがっているのです。」
「わかった。エルも喜ぶからな。」
レックスは、立ち上がった。族長は、
「ききたいことは、他にはありませんか。」
「今は、ない。ここには、ヒナタがいるから、ききたいことがあったら、そのつど、きくことにするよ。明日、イリアに向けて出発する。時間を調整してくれないか。」
「わかりました。明日の朝は、イリアの式典の二週間前としましょう。それだけの時間があれば、イリア国王とも話ができますでしょうから。いってらっしゃい、ヒナタ。」
レックスは、族長の優しい姿をながめた。そして、ほほえむ。
「いってくるよ、母さん。」
カガリビが、鏡の前に行く。そして、空間がゆがみ、もといた場所へともどってきた。どうやら、この鏡を起点にし、さっきの世界と行き来しているらしい。カガリビは、さっきいた場所は、族長が神示をうける神殿だと説明した。
「族長は、あそこから、部族内にある神殿に移動しているんです。そして、あそこから、さまざまな世界を垣間見ることもできるんです。母が世をされば、私があそこに入ることになるでしょう。ですが、その時はもう、あなたは向こうの住人でしょうね。」
「かもな。ヒナタをたのむよ。明日から、お前があの子の親だ。」
カガリビは、うなずいた。
「姉さんの子なら、私の子です。私からも、いってらっしゃい、姉さん。」
「姉さんかよ。おれは、今は男なのにな。まあいいけどもさ。」
シエラが、ヒナタと遊んでいるのが見えた。レックスは胸が痛くなる。シエラは、ヒナタが産まれてから、一時もそばをはなれたことなどなかった。
レックスは、シエラを抱きしめ、明日、出発すると告げた。シエラは、静かにうなずいた。