十、故郷(1)
ずいぶん時が流れたような気がした。けど、実際には、それほど時は流れてはいないだろう。あの晩、シエラに自分の思いを告げたあと、頂上から下へ向かおうと考えていたが、そのまま御殿で過ごしていた。
シエラは、やがて臨月となり、黒髪のかわいらしい女の子を出産する。レックスは、自分の娘に、ここの一族の名前にならい、ヒナタと名づけた。
「ルナが月だから、ヒナタは太陽だ。でもお前、リオンの時みたいに、ギャーギャー、さわがなかったじゃないか。」
黒髪のシエラは、自分の娘に乳をあたえながら、ほほえんだ。
「もう、二度目よ。どうなるかわかってたし、リオンの時ほど不安はなかった。それに待望の女の子よ。あなた、女の子、欲しがってたじゃない。」
「めちゃくちゃ、欲しがってたよ。やっぱり、女の子はかわいいしな。黒髪もいいし。マーレル、つれて帰りたいよ。神官なんかにならなくてもいい。シエラには、養女をもらったとでも言っとくか。おれの子だと説明するよりは、そっちのほうが納得するかもな。」
「あいかわらず、強引。でも、そうするなら、ここの族長さんの許可をとらなきゃね。私達の子でも、カルディア族の子なんだしさ。どうしたの、レックス。考えこんじゃってさ。」
「下界ではどれくらい、時間が流れてんだろう。それに、この子の妊娠がわかってから、エルは一度も頂上に帰ってこなかったし、そのかん、おれ達にとっては九ヵ月だが、エルにとっては、何日くらいの感覚なんだろうかな。」
「さあね。たぶん、一晩くらいじゃないのかな。帰ってきたら、びっくりするはずよ。」
レックスは、自分の娘を受け取った。そして、やわらかなほっぺたを、ツンツンする。
「魂的に、つながりがないなんて、ウソだよな。ほら、もうこうして、つながったじゃないか。ヒナタ、父ちゃんだぞ。」
女の子は、小さくあくびをした。赤ん坊は、父親の腕の中で寝てしまった。レックスは、愛おしそうに自分の娘をながめる。
「やはり、ヒナタは、ここに置こう。さびしいけど、ヒナタをマーレルにつれて帰ると、たとえ、養女だとしても、ルナのように王女様になってしまう。そしたら、政略結婚させなきゃならない。
この子には、下界の空気よりも、ここの清浄な空気がにあっている。王女とか、政略結婚とか、そういう世間の灰汁に染めてはいけないんだよ。このまま、この澄んだ世界で、澄んだままにしておこう。」
廊下が、さわがしくなった。ドタドタという音。エルが、もどってきたようだ。
「父ちゃん、妹できたって本当? 下で、朝ごはん食べてたら、そう言われたんで、びっくりしてもどってきた。え、産まれた? その子? ヒナタって言うの。たった一晩で妊娠して、産まれちゃったの?」
エルは、ペタンとすわりゼーゼーしていた。山道を全力で、かけあがってきたようだ。シエラは、
「みんなから、ここの時間の話はきいてるじゃない。あなたにとっては一晩でも、私達にとっては、九ヵ月だったの。エル、この子のこと、マーレルのお母さんには秘密だよ。あなたの妹だけど、つれて帰れないし、それに複雑すぎて、マーレルのお母さん、パニックになっちゃうしね。エルが、うまく説明できたら話してもいいけどもね。」
エルは、ブンブン首をふった。
「お母さんでもできないのに、ぼくができるはずないでしょ。いいよ、秘密にしてあげる。下手すれば、浮気したって大さわぎになるもの。離婚なんて、絶対やだからね。でも、かわいいな、この子。ヒナタか。黒い髪がきれいだね。マルーの髪みたいだ。」
レックスは、
「お前も抱くか。赤ん坊抱くなんて、リオン以来だしな。ほら、そっと受け取れよ。起こすんじゃないぞ。そうそう、そんな感じ。うまいぞ。」
「ね、父ちゃん。ぼくとマルーにも、いつの日か、こんな赤ちゃんできるかな。」
父親と母親は、顔を見合わせた。そして、かすかにほほえむ。レックスは、
「ああ、できるよ、必ずな。父ちゃん達も楽しみにしているよ。」
エルは、うれしそうに妹を抱いていた。マルーとの関係も、もう心配する必要はないだろう。エルは、
「下でさ、友達できたんだ。ぼくと同じ歳の子。カムイって言うんだ。」
「カムイか。お前、この旅で友達たくさんできたな。ユリアにマーシェにカムイ。マーレルいた時は、お前、ほとんど居住区から出なかったし、その歳になっても友達がいないから、ずいぶん心配してたんだぞ。」
エルは、うれしそうにうなずいた。
「マーレルのこと、話したんだ。カムイもここから出たことないから、マーレルに行ってみたいって。ね、父ちゃん、まだ、ここにいるよね。」
「ああ、ヒナタが産まれたばかりだし、しばらくはいるつもりだ。それにまだ、族長には会ってないしな。でもほんとに、ここは時間が無いな。まあ、考えようによっちゃ、便利な世界だけどな。」
エルは、妹を母親にわたした。そして、
「カムイにヒナタのこと話してくる。ね、父ちゃん、たまには下にきてよ。みんな、父ちゃんに会いたがってるしさ。」
「そう言えば、エッジはどうしているんだ。」
「兵士さん達に、ドラゴンの乗り方教えてもらってるんだ。むずかしいって。白竜乗ってたのにね。」
「白竜は、お母さんの命令で動いているんだよ。エッジは、ただ乗せてもらってるだけだ。自分でドラゴンを操るのとはちがう。」
「そうなの。まあいいや。じゃ、行ってくるね。」
エルは、行ってしまった。レックスは、日課となっている祈祷所に向かう。そして、昼食がすんだあと、下へと足をのばした。
エッジはフロに入ってたようだ。体に腰布一枚まいただけで、ぬれた髪を日の光にあてて乾かしている。縁側みたいなとこにいたが、ここは兵士である男だけだったので、気兼ねすることなどない。
レックスに気づいたエッジは、
「よぉ、今度はちゃんとした体でやってきたな。エルの妹が産まれたって? そりゃ、おめでとさん。」
レックスは、エッジにそばにすわった。エッジは、
「やっぱり、雰囲気が違うな。上で神官みたいなことばかりしてるって、きいてるよ。俗世間の灰汁みたいなものが、ぬけちまったような顔をしている。」
「おれは、もともと、ここの出身だったんだよ。何千年も前の話だけどもな。ここで、神官してたんだよ。雰囲気変わったとしたら、そのせいだろう。」
「むかーし、この部族を出た神官が、西へと向かったって話はきいてるよ。みんなして知ってて、お前をここへつれてきたんだよ。何千年かぶりの里帰りをさせるためにな。かなり、凄腕の神官だったようだ。まあ、今のお前さん見りゃ、どれくらい凄腕かよくわかるがな。
ちなみに、その神官は女だったって話もきいてる。それでみんなして、お前を見て、どれだけの美女だったんだろうなって話してたんだ。なあ、レックス。次、産まれる時は、絶対、女にしろよ。もったいない。」
さすがに、あきれた。考えることと言えば、それだけか。レックスは、
「お前、ユードスの話、だれかから、きいてないか。」
「つごうが悪くなりそうだから、話、かえたな。情報は入手済みだ。みんな、気軽に話してくれたよ。」
レックスは、身を乗り出した。
「どんな話だ。ユードス本人は、カルディア族には受け入れられなかったから、バテントスにもどるしかないと言ってた。どんな冷たい部族かと考えてたけど、真相は、どうも違うような気がしている。」
「ああ、違うな。少なくとも、おれがここで接触したやつらに、そんなことをするのは一人もいない。」
エッジは、少しでも早く髪がかわくよう、持っていたタオルでゴシゴシやる。そして、
「ここでは、お前さんも知っている通り、男女の役割が区別されている。ユードスは男だし、神官としての修行も積んでないから、兵士として今、おれ達がいる場所で暮らさなければならなかった。バテントスでは、冷遇されていたとはいえ、皇子だから、それなりのあつかいだ。だが、ここでは、ただの兵士だ。それで、周囲と衝突があったようだ。」
「ただの兵士ね。やつはプライドが高かったし、それにあの性格だ。あつかいの差に耐え切れなかったんだろうな。母親のきょうだいにさえも冷たくされたとか、なんとか言ってたけど、ここじゃあ、みんな、きょうだいだし、とどのつまり、ここにいる全員とうまく行かなかったってことだろう。
ユードスは、受け入れられなかったんじゃない。自分が、ここの環境を受け入れることができなかったんだ。そうだろ。」
エッジは、
「周囲も、ユードスには、かなり気を使っていたようだ。できるだけ早く、なれてもらおうと思って、それなりに世話もしていた。けど、ここまで不思議世界だしな。霊能者だが、唯物論帝国で育ってきたせいもあるだろうし、母親の故郷とはいえ、居心地はよくなかったらしい。それで、ここの時間でいえば、半年程度で飛び出してしまったときいた。」
「それで、バテントスにもどったところを、皇帝に拾われて、エイシア攻略の手先として使われたということか。でもって現在、行方不明。さがしてはいるんだろ。」
「いや、まったくさがしていない。ユードスが、ここを飛び出したとき、捜索しようとしたが、族長にとめられたとスザクは言っていた。」
レックスは、驚いた。
「じゃあ、やっぱり、追い出されたのとおんなじじゃないか。族長が、さがすなと命令したんだろ。」
エッジは、ポリポリ頭をかいた。
「そうでもないらしい。ユードスがサラサにやってきた時、族長命令で、スザク達が救出にむかったほどだしな。追い出すつもりだったら、最初からそんなことはしない。」
「理由があると言うことか。スザクはなんて言ってた?」
「自分達は命令にしたがうだけで、あとは族長にきけと。族長には会えたか?」
レックスは、ため息をもらした。
「会えたんなら、もうとっくにイリアに向かってるよ。祭事がまだ終わってないんだろ。ここの時間は下界とは違うしな。」
「おれは頂上には行けない。だが、いつでも出発できるようにしておく。それはそうと、お姫様は元気か?」
「子供とセット状態だよ。まったく、はなれようとしない。待望の女の子だし、かわいくってどうしようもないみたいだ。ヒナタって名前だ。エルにも言ったけど、このことは秘密だ。」
「秘密ね。まあ、秘密にするしかないだろうな。まともに話したって、信じてもらえるはずもない。ここは、たしかにいいとこだよ。正直、おれも帰りたいとは思わない。お前もそうだろ。魂の故郷なら、なおさらだ。」
レックスは、チラとエッジを見つめた。
「俗世間の垢みたいなお前が、そう思うなんてな。てっきり、こんなとこ、もういやだって言い出すのかと考えてたよ。おまけに、霊体が見えるようになっちまうし。」
「お前、どれだけ、おれのセンサイな心を傷つければ気がすむんだ。まあ、力じゃあ勝てないから、皮肉しか無いのはわかるがな。」
レックスは、ふてくされた。エッジは、
「そう機嫌を悪くするな。力と皮肉でおあいこだ。けど、お姫様と直接、話ができるのはありがたい。今まで、かなり制限があったしな。おい、服なんか脱いでどうすんだ。」
レックスは、下着だけになった。ここの民族衣装は、ズルズルしていて動きにくい。
「少し体を動かしたい。瞑想ばっかりしてたんで、体がなまってしまった。」
「おれはいつでも本気だぜ。ボコボコにされても文句は言うなよ。」
エッジは、いきなり襲いかかった。早い。レックスは避けたと思ったが、エッジのこぶしが右ほおをかする。ティムとは、よく、こうして戦っていたが、やはり段違いの強さである。
あっというまに劣勢になったのは言うまでもない。顔を数発殴られ、エッジはとどめをさそうと、レックスの顔面めがけて、こぶしを繰り出してきた。レックスは、これ以上、殴られてたまるかと思い、エッジの腰布をはぎとった。
エッジの動きがとまった。そのすきに、レックスは、今までのお返しとばかり、思いっきり、エッジの鼻にパンチを入れる。それで、終わった。
「腰布とは卑怯だぞ。おれは、絶対、男だけには見せない主義だったんだ。クソ、また、フロに入りなおさなきゃ。」
鼻血が、ボタボタと胸を染めた。レックスは、ざまあみろと思った。
「いくら自信があるからと言って、風呂アガリのまま戦ったお前が悪い。卑怯も何も無い。勝てばいいんだよ、勝てば。」
レックスは、腫れ上がった顔で笑う。そして、痛そうに顔をおさえた。エッジは、
「その顔で勝ちかよ。お情けで今のも、あいこだ。」
「おい、さっさと隠せ。おれも、男のモンだけは、絶対見ない主義なんだよ。エルとリオンは例外だがな。」
「うるさい。お前こそ、そのツラ目障りだ。さっさと頂上もどって、お姫様に優しく手当てしてもらえ。」
どこからともなく、しのび笑いがきこえてくる。レックスが降りてきたという話をきいて、ここの男達が、こっそり二人を見ていたらしい。しのび笑いは、すぐに大爆笑に変わった。