九、山民(2)
どうやら眠っていたらしい。目がさめてみると、シエラがいない。どこに行ったのだろうと、寝ているエルのフトンをかけなおしてから、さがしにいく。御殿は、外から見たより内部はかなり広く、えんえん似たような座敷ばかりが続いていた。
いそいそと廊下を歩いてくる女に出会った。女は、シエラは祈祷所にいるという。この母屋を出て、北のある平屋の神殿だ。レックスは案内してもらうことにした。
神殿は、母屋と外観は似ていた。けど、母屋よりも厳かな空気が満ちている。女は、レックスを内部へといざない、仕事があるからといい、母屋へともどった。
神殿には、人はいなかった。
(選ばれた人間以外、入れないとはいえ、ほんとに人がいないな。御殿をあれだけ歩き回っても、会ったのはさっきの女だけだ。族長やカガリビは、どこにいるんだろう。)
何重もの扉を開けていくと、静寂な空気につつまれた祈祷所があり、シエラがその中で祈っていた。レックスに気がつき、祈りをやめる。
「体をかしてくれた娘さんの習慣みたいなの。私の行動をさまたげないよう、眠ってくれてるんだけど、やはり、習慣だけはどうしようもないみたい。魂にしみついているしね。」
「何を祈ってたんだ。」
「祈ってたのは、私じゃないわ。たぶん、眠っている娘さんね。」
レックスは、祈祷所を見回した。ポツンとした、ただの座敷だ。だが、そこは、見えない高次の存在と言葉を交わす、特別な空間でもある。
シエラは、
「少し、瞑想してみたら。たまには、雑多な世界を、はなれてみるのもいいんじゃない。夕食までには、まだ時間があるからさ。」
「瞑想なんて、どうやってしたらいいのかわからないよ。」
「じゃ、教えてあげる。まず、ゆったりとすわってリラックスして。背筋は伸ばしたほうがいいわね。気持ちを楽にして、空を自由に飛んでる感じ。そうそう。」
なれないことは、するもんじゃない。リラックスどころか緊張でつかれた。四苦八苦したあと、今日はもうあきらめて母屋にもどることにする。そして、母屋にもどると、さきほどの女が出迎えてくれ、夕食の用意ができたと言う。レックスは、族長とはいつ会えるかとたずねた。女は、
「族長は、ここから西にある山の神殿で祭事を執り行っております。お帰りになられるまで、しばらく時間がかかります。族長が帰りしだい、お会いになられますから、お待ちください。」
「だから、先に旅のつかれを取れと言ったのかよ。それだったら、最初からそう言ってくれればよかったのに。客がきたのに、留守だって言いにくかったのかよ。おれは、そんなことくらいで気を悪くしない。」
「もうしわけございません。それと、エルシオン様が、さきほど目をさまされました。お父様をさがしておられましたよ。夕食の席で、お待ちしています。」
「やっぱり、腹減ると起きるんだな。まあ、夜中に起きなくてよかった。」
レックスは、シエラといっしょに夕食が用意されている部屋へと向かった。そして、エルに、シエラが、巫女さんの体をかりたことを話した。エルは、ふうんと言ったっきり、すぐに食べるのに夢中になった。
翌日も祈祷所に、シエラと二人で行った。また、瞑想をする。じょじょにコツをつかんできた。数日もすると、今まで溜め込んでいた、心の澱のようなものが取れ始め、気持ちが楽になりはじめる。
そして、いろんなことが思い出された。忘れていた記憶までが、よみがえってくる。幼い時、マーレルで過ごした日々。そして、そこから逃げた時のこと。父親と二人で逃げ回っていた時の記憶。実にさまざまなことが思い出された。
カガリビの言うとおり、ここでは時間は、あまり意味を持たなかった。そして、はじめて、時間という概念に、かんじがらめにされていた自分に気がつく。そこからまた、自分をときはなち自由にする。時間が止まったような気がした。いや、ようやく自分の時間が動き始めたように感じられる。
下にある男達の住まいに行ってみようと思った。そして、エルを誘おうと祈祷所から出て母屋へと行く。エルは、いなかった。どうやら下で子供達と遊んでるらしい。
男達の住まいは、役割上、兵士達だらけだったので、頂上の清浄な空気になれきってしまった身では雑多に感じられた。男達は、武芸場みたいな場所で、さまざまな訓練にいそしんでいた。
エッジとスザクが、さまざまな武器をつかい、模擬試合を行っているのを見つけた。レックスがきたのをみると、二人とも手をとめる。エッジは、
「よぉ、やっとお出ましか。なんか、ふんいきかわったな。上の空気に毒されたんじゃないのか。」
スザクは、
「あそこは、頂上全体が神殿ですからね。神示を受けるための場所ですから。聖霊とか、そういう者の姿を目撃しませんでしたか。」
「ああ、何体か見たな。おれに興味を持ってるみたいだったけど、とりたてて話をすることもなかったな。」
「まあ、そんなものでしょうね。聖霊達は、神官以外とは話をしないですからね。」
「ところでさ、おれがここへきてから、どれくらいたった。なんか、時間感覚が無くなって、よくわかんなくなった。イリアの式典まで、もうそんなに日がないはずだろ。ずいぶん、いたような気がするし。」
エッジは、
「あ、何、言ってんだ? まだ、三日じゃねぇか。」
「三日? おれはてっきり、ひと月はたってると思ってんだぞ。まだ、三日だって? たったの?」
スザクは、
「頂上は、神の領域だから、そういうことも、よくあるんです。あそこは、結界で守られているし、こことは時間の流れが違うんです。こっちの一年が、数日だったり、逆もあったりします。
そして、この山全体が、もう一つの結界で守られている聖域ですので、山で過ごした時間と、下界で過ごした時間は、さらに大きなずれがあるんです。
カガリビ様が、カルディア族は四千年前からあったと言ったでしょう。それは、下界の時間感覚でしかないんです。頂上に住むカガリビ様にとり、四千年は、ほんとに昨日か、おととい程度のことでしかないんですよ。」
「まさか、そんなことが現実にあるのかよ。四千年が、昨日かおとといだって? じゃ、ここにいる人間の歳はどうなっているんだ。」
スザクは、
「下界よりも長生きなのは事実ですよ。たとえ、あなたがここに十年いたって、歳はさして取らないはずです。私は三十五ですが、下界の感覚でいえば、もう七十をこえているでしょうね。」
「じゃ、イリアの式典の日がいつか、わからないじゃないか。終わってたら大変だ。」
「あわてることはないですよ。あなたが、ここで好きなだけ過ごして出発する時、族長が調整してくれるはずですからね。」
レックスは、あぜんとした。どこか、不思議な世界だと感じていた。けど、ここまでくると理解はむずかしい。
スザクは、
「ここは、俗にいうあの世と交じり合う特殊な世界なんです。特に頂上はね。だから、よほど特別な人間でもない限り、あそこには入れない。いや、入れないんです。行こうとしたって、こいつみたいに自分から降りてきますからね。そうだろ、エッジ。」
エッジは、うなずいた。レックスは、
「だから、人がほとんどいなかったのか。カガリビの姿も見えないしな。」
スザクは、
「カガリビ様は、いそがしいですからね。あなた方をむかえてすぐに、族長の祭事の手伝いに向かったんです。まあ、そのうち帰ってきますよ。」
「帰ってくるっていつ? 十年なんて待ってられないぞ。」
エッジは、
「ま、こまかいことは気にすんな。俗世間を、はなれてみるってのもいいモンだ。休暇をとるのも悪くはないさ。」
レックスは、おちつかなくなった。
「な、エッジ。おれのふんいき、どう変わった?」
「どうって、なんか、生身の匂いが感じられないな。フワッとした感じだ。」
スザクは、
「そりゃそうですよ。そこにいる陛下は霊体ですからね。肉体から離脱してきてるんです。エッジ、お前、見えるようになったんだろ。ここにいると、たいていそうなる。何せ、ここは、霊場ですからね。」
エッジは、びっくりした。レックスも驚く。
「おれが霊体? 何、言ってんだよ。たしかにさっきまでは、祈祷所で瞑想してたが。」
スザクは、
「なら、肉体を忘れてきたんですよ。ためしに、そこらのモノをさわってみてください。」
レックスは、エッジの肩に手をやる。スッとすりぬけ、レックスは目がさめた。そして、祈祷所にいる自分に気がつく。なんだか、わからなくなってしまった。
その晩、エルは帰ってこなかった。下で気の合う男の子と友達になり、お泊りになったらしい。レックスは、昼間のできごとが気にかかり眠れない。
シエラは、
「そう、そんなことが。ごめんね、祈りに夢中になってて、気がつかなくてさ。」
「不安なんだよ。おれが、どんどん、おれでなくなっていく。このまま、ここの空気になれたら、国にもどったとき、また国王ができるか心配なんだ。瞑想は、もうやめにするよ。明日から、下ですごすことにする。お前はどうする。下に行くなら、その体、返したほうがいい。」
シエラは、とまどったような顔をした。
「あのね、あの、びっくりしないでね。妊娠したの。」
「え、妊娠?」
シエラは、コクリとうなずいた。
「赤ちゃん、できちゃったの。見知らぬ女の子の魂がやってきて、私の体に入り込んだのよ。ここに出入りしている神官さんにきいたら、それは妊娠だって言われた。ここじゃあ、体に魂がやどるのが、はっきり分かるんだって。やってきた子が女の子なら、産まれてくる子も女の子だそうよ。」
レックスは、シエラのお腹を見つめた。
「ここに、おれの子が? おれ、また、父親になったのか。もう一人欲しいと、ずっと思ってたけど、ぜんぜんできなくて、あきらめかけてたんだ。まさか、こんなとこで子供ができるなんて、ウソ、じゃないよな。」
「マーレル王としての、あなたの子は、もう必要ないんだと思う。だから、できなかったんじゃないかな。でも、ここでは違う。お腹の中の子にとっては、ここに産まれることが重要で、親がだれであるか関係ないの。
だから、魂的に、私達と、なんのつながりのない子でも、私の体に入ってくる。この子は、王女としてではなく、神官となるべく、私達の子として産まれてくるのよ。」
「つまり、ここでは、親は、借腹みたいなものでしかないんだな。だから、男女や親子の関係は下界とちがって希薄なんだな。相手をとっかえひっかえ、その時のつごうによって、必要な子供をつくる。子供にとっても、親はその程度の存在でしかない。」
そして、レックスは苦笑する。
「留守番しているシエラは、なんて言うんだろうな。お前が使っていても、他人の女の体だからな。でも、つながりがない借腹でしかない、か。なんかさみしいな。」
シエラは、そっと自分のお腹をさわった。
「そうね。でも、そうであったとしても、この子は、私とあなたが愛し合った結果、こうして得ることができた子なのよ。私達は、私達でいいじゃない。この子は、まちがいなく、あなたと私の子なのよ。
ね、マーレル帰っても、この子に会いにきましょう。霊体出せるようになったんでしょ。私が、クリスに会いにイリアに通ったみたいに、この子に会いにくればいい。そうすれば、この子の親でいられるからさ。」
レックスは、黒髪のシエラをながめた。
「子供ができたことは、留守番しているシエラには内緒にしよう。神官になるつもりで、お前の腹に宿ったのなら、マーレルにつれて帰れないしな。それにたぶん、話しても信じてくれないし、下手すれば浮気騒動になってしまう。」
「まあ、世間一般の常識じゃあ、ここでのできごとは理解しがたいものね。だから、カルディア族は、他部族と交流ないんだよね、スザクさんの言ってたようにね。もう、ほとんど、別次元の世界だものね。」
「別次元か、そうだな。ここは、そういう場所だものな。あのエッジまでが、霊体が見えるようになっちまうしな。きっと、生のお前の姿が見えて、話ができるようになったって喜んでるぞ。けど、見えないほうが良かった、なんて、そのうち考えるはずだ。見たくないものや、知りたくないことまで、わかってしまうからな。」
レックスは、そこまで言うと、だまりこんでしまう。シエラは、どうしたの、とたずねた。レックスは、
「ここで、いろんなことが分かったよ。おれが、産まれてからのことはもちろんとして、それ以前のこともだ。おれが、だれだったか、何をしていたのか、はるか昔、もう、歴史にも残っていない過去の世界で、何をどう思って生きてきたのか、何をなさんとしていたのか、あまりにも分かりすぎた。」
「思い出したんだね。いろいろと。」
「ああ、思い出しすぎた。そして、ここが、おれの魂の故郷だったってこともだ。おれは、ここにいたんだよ。その時の名前までは思い出せなかったが、ここで、神官の一人として生きていた。そして、古代のイリアへと行き、初代神官として古代王国の建国にたずさわり、のちにシオン・ダリウスとして産まれ、エイシアへとわたり、また新しい世界をつくった。」
「・・・帰ってきたんだね。数千年かけて魂の故郷に。だから、不安になったんでしょ。帰りたくなくなるから。」
「ああ、帰ってきた。おれ達は、帰ってきたんだ。本来いた世界にな。」
シエラは夫によりそった。レックスは、ながれる黒髪をいたわるようなでる。
「このまま、時が止まってしまえばいい。そして、お前とこうして、いつまでもここにいたい。産まれてくる子と、ともに生きていたい。悲しみも苦しみも無い、この平穏な世界で、このままずっと生きていたい。シエラ、おれといっしょに、いてくれるよな。」
シエラは、コクリとうなずいた。