七、友好(2)
翌朝、ライアスはシエラのままでいた。レックスは、
「めずらしいこともあるんだな。いつもはすぐに、ライアスにもどってしまうのに。」
「ライアスのままだと、クリスのことばかり考えてしまうの。つらいから、しばらくシエラのままでいるね。別にかまわないでしょ。」
「かまうも何も、おれはこっちの方がいい。やっぱり、旅の道連れは男よりも、女だしな。あのな、一度きいてみようと思ってたけど、シエラって名前、偶然か?」
「言ってる意味がわからないよ。どっちのシエラなの?」
「マーレルで留守番してるほうだ。シエラという名前をつけた由来を知りたい。」
シエラは、笑った。
「私がつけたの。ドーリア公に、名前つけていいよって言われたんだ。まだ、そのころは、すごく大切にされてたものね。シエラって名前はね、なんて言うのかな。ずっと気になってた名前だったの。それでつけちゃった。
どういう名前か知ったのは、死んだあとだった。気になってたのは当然だよね。自分の名前だったしね。わかっていたら、シエラってつけるんじゃなかった。ややこしくなっちゃったしね。」
レックスは、シエラの姿を見つめていた。シエラは、
「どうしての。怖い顔して。」
「いや、なんでもない。朝飯前に、外を少し散歩してくる。」
レックスは、シエラを残し、客室から出て行った。シエラは、レックスが客室を出たあと、その場から消えた。
昼過ぎ、レックスはつかの間の休憩を客室で過ごしていた。マーシェとずっといっしょだったエルがもどってくる。そして、ライアス兄ちゃんはとたずねる。
「外出中だ。いろいろと調べているんだ。マーシェはどうした。ケンカしたのか。」
「お昼寝中だよ。たいくつだから、もどってきた。」
「マーシェは、新しいお父さんになれたか。」
「うん、すっかり仲良し。でも、フクザツだね。男女の仲ってさ。ねぇ、昨日、もう一人のお母さん、いたでしょ。」
レックスは、ため息をついた。
「物音がしたと思ったら、やっぱり、お前だったんだな。夜中に目がさめたら、なんか、さみしくなって、あいつにシエラになってくれとたのんだんだよ。」
「復活したの? ややこしい関係。」
「エル、おれはやっぱり、もう一人のお母さんが好きだ。今朝方、あいつの姿を見ていて、あいつに関係する、いろんなやつに嫉妬を感じた。もう、終わったとばかり考えてたけど、あの姿になると、どうしても好きだという気持ちがおさえきれなくなる。
すまん、またややこしい関係が復活してしまって。けどもう、そのことについて考えるな。おれも、考えないことにする。」
「ねぇ、なんでぼくにだけ見えるの? ルナお姉ちゃんもリオンも見えないのに。」
「さあな。たぶん、特別な意味があるんだと思う。エルにだけ見えている理由がな。いずれ、わかる時がくるはずだ。」
「ぼく、やっぱり、もう一人のお母さんの子供なんだね。もう一人のお母さん、すごくきれいに見えるから。とても好きだよ。それに、なつかしい気がする。」
レックスは、エルの髪をなでた。
「そうだろうな。もう一人のお母さんは、お前と縁が深い。だから、大切にするんだぞ。」
エルは、すなおにウンと言った。
それから、ひと月あまり、レックスは首都エルバにとどまっていた。そして、次の目的地をどこにするか、シエラとエッジ、エルで相談する。
シエラは、
「予定では、このあと、ナギ族へ行って、あと二つくらい訪問するはずだったよね。でも、正体ばれちゃったし、この先お忍びはできなくなったよね。それにもう、マーレル出て二ヵ月半以上だしさ。
イリアへの使節が出るまでもう、半月程度しか時間残ってないし、予定変更して、今一番行きたいとこだけしぼって訪問した方がいいと思うの。
エイシア王がきたというウワサは、かなり広まっているはずだし、みんな、きっと待ちかまえているだろうから、訪問したとたん、今みたいに足止めくらっちゃうはずだよ。たぶん、次の訪問先だけで、いっぱいいっぱいなんじゃないかな。」
レックスは、
「一番行きたいとこか、さて、どこがいいかな。どこも行きたいとこだらけだしさ。」
エッジは、
「いっそのこと、カリス族ってのはどうだ。敵情視察もふまえて、思い切って行ってみたらどうだ。」
シエラは、
「危険すぎるわ。カリス族もたぶん、レックスのこと知ってるはずよ。それに、カリス族領地内には、バテントス軍が駐留しているってきいてるしさ。レックスはともかく、エルに危険がおよんだらどうするのよ。」
エッジは、
「だったら、マーレル帰すか? けど、貴重なチャンスを逃がしちまうぜ。隷属している国がどうなってしまうのか、エルに直接見せるのも悪くないはずだ。エル、どうする? 行ってみるか。」
エルは、少し考えた。
「行ってみたい、怖いけど。」
エッジは、レックスに視線をうつした。レックスは、何も言わなかった。
エッジは、
「よし、決まり。おれは、お姫様と白竜で先行する。お前さん達の出発は、おれ達から一日あとだ。白竜がもどってこなかったら、そのまま進んでよし。もどってきたら、その場で待機し道をさがす。ルートを決めよう。族長から、新しい地図をもらってるだろ。」
レックスは乗り気じゃない。シエラとエッジを二人きりにするなんて嫌だ。なんだかんだ、ナンクセつけているとエッジは、
「じゃ、おれとお前が先行だ。ただし、エルの危険はずっと高くなる。霊体のお姫様だと、物理的にエルは守りきれないからな。ったく、くだらない嫉妬しやがって。」
「わかった。じゃ、シエラとお前が先行でいい。嫉妬なんかするか。だいたい、カリス族なんて気が進まないんだよ。敵地訪問なんて、国王のすることじゃないしな。」
エッジは、フンと鼻をならした。そして、翌日早く、二人は白竜で首都エルバを飛び立った。エルは、マーシェと最後の一日を過ごしていた。
マーシェは、
「お別れだね、エルお兄ちゃん。ほんとのお兄ちゃんできたみたいで、すごく楽しかった。リオンにも会いたかったな。」
「また、会えるよ。そうだ、マーシェ。ケーキつくろうよ。ぼく、教えてもらったことがあるんだ。そして、いっしょに食べよう。」
マーシェは、目をこすった。
昼過ぎ、マーシェの母親が、レックスにお礼を言いにきた。深々と頭を下げる。そして、この恩は、主人ともども生涯忘れないと言った。そして、そのあと、仕事が終わったバイスもやってくる。
「妻と結婚できるなんて、想像もしてませんでした。まさか、あんなやり方があったなんてね。今では妻は、父の元正妻ではなくて、元エイシア国王妃ですよ。これで、父の妻達は、私の妻をとやかく言うことはできなくなりました。」
「やっぱり、いじわるとかされてたのか。」
バイスは、うなずいた。
「私の母は、すべて承知済みでしたが、私が義理の母とのあいだに子などつくったものですから、部族内でも問題になってたんです。特に、父にそれほど愛されていない妻達の嫉妬は、かなりのものだったのです。部族を守るための方便だったとはいえ、妻にはつらい思いをさせてしまいました。」
「新居は決まったんだろ。まあ、お前さん達親子は、こんな家なんかサヨナラした方がいい。だれにもじゃまされず、どうどうと幸せになればいいさ。」
「バテトンスとの戦いでは、必ず部族を率いて、あなたの助けとなります。ラベナ族の名誉にかけて、あなたの剣となり盾となりましょう。」
「ああ、おれもまた、お前に会える日を楽しみにしている。カイサもつれてこいよ。メルーザはたぶん、ユリアがいなくなると、カイサとの縁も考えるはずだ。寄りをもどしているかもしれないから、その話をカイサから直接きくのを楽しみにしている。」
二人は、がっしりと手を取り合った。短い時間だったが、いい友達ができた。
カリス族領内に侵入したエッジは、その日の夜、森の中で過ごしていた。シエラが、ドラゴン姿のままの白竜とともに、夜空を見上げている。さきほど、ルートのことで話をしたあと、姿を消すのを忘れてしまっているかのようだ。
エッジは、
「人恋しそうな顔だな。だれを思ってるんだ。」
シエラは、笑った。
「姿が変わると、気持ちも変化しちゃうんだよね。だれを思ってるのか、時々わからなくなる。」
エッジは、
「器用な性格だな、お前は。いまさらと思うかもしれないが聞きたい。なぜあの時、いっしょに逃亡してくれなかった。」
「あなたが言いたいことは、ライアスが死ぬ前夜のことだね。いっしょに逃げてくれって。逃げられるわけないじゃない。ライアスは領主なのよ。」
「んなことは、わかってるよ。わかってても、あの時、いっしょに逃げてほしかったよ。第一、死なずにすんだはずだ。」
シエラは、笑った。
「ねぇ、あなたにとって、ライアスってなんなの。友達、弟、それとも?」
「全部だ。お前といっしょにすごす時間は特別なんだよ。それは、今になっても変わらない。だから、レックスのやつ、事あるごとに嫉妬ばかりしやがるんだよ。」
「じゃなぜ、レックスだけを好きになれって言ったの。」
エッジは、頭をかいた。
「おれは、そういうお前が好きなんだ。お前はいつも、自分の王子様に恋をしていた。おれは、そんなお前が好きになった。それだけのことだ。」
「だから、イリア女と手を切れか。きいたよ、あれは。けど、決心がついた。今度会ったら、クリスにその事を話すつもりでいるんだ。前々からわかってたの。クリスはいずれ、二十六歳を追いこしてしまうって。その前に、お別れしなきゃってね。」
「二十六。ライアスが死んだ歳か。」
シエラは、うなずいた。
「それが、恋人としての限界。私は、自分より歳を取っていくクリスは見たくないの。そして、クリスもたぶん、いつまでも変わらないライアスを見ていたいとは、考えなくなるでしょうね。女がどんどん歳を取るのに、愛する人が、いつまでも変わらなかったら残酷だものね。」
「変わらないか。だから、ついこんな話をしちまったんだな。」
そう言い、エッジはうつむいた。シエラは、エッジのそばに行き、エッジの顔をのぞきこむ。
「ね、エッジ。一瞬だけ、あなたを心から愛するから、あなたも私を愛してみない。ほんの一瞬だけよ。」
エッジは、シエラの顔を見つめた。
「その姿じゃな。まあ、ちょっとした浮気も悪くない。じゃ、一瞬だけやってみるか。」
エッジは、シエラを抱きしめくちづけをした。ほんとうに一瞬だけだった。けど、それでじゅうぶんだった。抱きしめ、たしかにくちびるがふれたと感じた瞬間、シエラは消え去る。そして、過ぎてしまった、はかない思いだけが両手に残った。
エッジは、泣いていた。涙など、ライアスが死んだ時も出なかった。それは、親に捨てられた時、なくしてしまったものだと、ずっと思い続けていた。
(これでいい。おれにはもう、失うべきものは何もない。けど、守るべきものは、たしかにある。)
エッジは、白竜を見つめた。暗闇なのに、ぼんやり光っているようにも見える。
「お前、いい御主人様を持ったな。おれもそうだよ。」
エッジは、白竜によりそい眠った。白竜が、そんなエッジを守るよう、白い翼を広げる。夜は静かに更けていった。