六、接触(1)
ひょんなことから同伴するはめになった、カイサと言う医者、馬車に乗せた瞬間から、メルーザのことをグチり始めた。
「たしかにいい女だ、メルーザは。今でも、あの色気だしな。若いときなんて、ゾクゾクするほどの美人でさ。それこそ、あっちこっちから、引き手あまただったんだ。けど、跡継ぎだったんで、あのジジィが片っ端から断ってた。おれも、頭がよくなかったら、まずは、結婚なんてできなかったしな。」
「じゃ、なんで捨てたんだよ。未練があったから、もどってきたんだろ。」
男は、ムッとして、御者席であぐらをくんだ。
「引きぬきの時、メルーザにいっしょに行こうと言ったんだ。けど、父親を一人残して行くのができないと言われた。あの村じゃあ、どのみち稼ぎはしれてたしな。それに、おれを留学させた借金が、かなり残ってたんだ。それも、ヤバイとこから借りててさ。毎月のごとく、取立てがうるさかった。」
「そう言えば、そんな事どなってたな。借金返すためだって向こうもわかってたのに、どうしてこうなったんだ。」
「メルーザは、おれが首都に行けば帰ってこないと思い込んだんだよ。都会には、誘惑が多いしな。現に、何人かの女と遊び程度につきあったし。」
「だから、捨てられたと言ったのか。借金返したら、すぐに帰ってくればよかったじゃないか。」
カイサは、笑った。
「借金返して、少し金をためたら帰るつもりだったんだよ。けど、同盟とかで、バテントスと戦争になっちまって、それで軍医として、戦場連れて行かれて帰るに帰れなくなった。やっと戦争が終わって帰ってみると、ちっちゃな女の子がいるじゃないか。それで、家には入れなくなって、遠目に見ただけで引きかえした。再婚したのかと、その時は思ったからさ。」
「で、誤解だってわかったから、いま、帰ってきたのか。」
「たまたま、この村の住人が首都に出稼ぎにきていて、飲み屋でバッタリ会ったもんでね。おたがい知った顔だったし、いろいろと話をしたんだ。それで、メルーザの娘の真相を知ったんだよ。あそこの家は、ジジィが旅人の話をきくのが好きだから、それこそ、いろんな連中泊めてるから、その中のだれかの子供だってな。」
レックスは、そうだったのかと言った。誤解や思い込みが、夫婦間の亀裂を生んでしまったのである。レックスは、メルーザもカイサも、どっちも気の毒になってきた。
(なぜ、相手を信じることができなかったんだろう。信じることさえできれば、この二人は、こういう結末にはならなかったはずだ。ユリアも、サイモンの娘なんかじゃなくて、こいつの娘として産まれることができたはずなのに。)
カイサは、
「ま、人生いろいろさ。借金は返したし、イリア時代に使ってた医学書もあの家に残してきたし、メルーザだけでも、なんとかやっていけるはずだ。おれもまた首都の病院にもどって、人生のやり直しでもするかな。」
じっときいていたエルが、質問してきた。
「ねぇ、カイサさん。ユリアのお母さん、好きなの。ね、好きってどんな気分なの。ユリアのお母さん、抱きしめたいってこと?」
あまりの無邪気な質問に、カイサは苦笑した。レックスは、
「こいつ、この前通った村にいた男の子が忘れられないんだよ。それで、人を好きになるってどういうことか、知りたがってるんだ。」
カイサは、
「あんたら、父娘、実に美形だね。メルーザも気になって仕方なかったんじゃないのか。おい、娘。好きなるってな、好きになった相手が、気になってどうしようもなくなるなんだ。忘れられないって、その通りになる。目をつぶって、そいつのことが、真っ先に頭に浮かんだら、恋したって言うんだよ。」
エルは、真っ赤になった。そして、ケーキの包みをきゅっと抱きしめる。カイサは、
「そうそう、そんな感じだ。今、その包みをそいつと感じて抱きしめたんだろ。まちがいない、恋だよ、そりゃ。」
「ね、父ちゃん。また会えるよね。一回限りってことないよね。絶対会えるよね。」
「ああ、お前がそう思うならな。いつの日かわからないけど必ず会える。だから、そのケーキの味を決して忘れちゃだめだぞ。」
エルは、うんと言い、包みをほどいてケーキを食べ始めた。カイサは、荷台に入り込み、エルのそばで寝始める。レックスは、なんだかえらい荷物を拾ったもんだと思ってしまう。
(首都の大病院につとめているんなら、いろんな情報知ってるはずだ。医者という職業柄、部族の上層部とつながりがあるかもしれない。うまくすれば、この男のつてをたどり、接触できる可能性もある。)
ラベナ族の本音にたどりつけるかもしれない。レックスはそう打算して、この男を乗せたのである。ライアスは、
「情報収集も熱心なのはいいけど、君がそこまでする必要はないと思うよ。まあ、この男は、ここいらの情勢にはくわしいはずだから、案内役にはもってこいかもしれないが、それ以上は、おすすめできないね。身分がばれるとも限らないしさ。」
「そうかもな。けど、知ることができることは、できるだけ知っておきたいんだよ。同盟も、サイモンのとき、一回結んだだけだ。それも、おれのクリストン時代の同盟でしかない。イリアほど、こっち側とマーレルは接触してないのが現実だ。クリストンは、どこまで、こっち側と接触があるのか、それを知りたいんだよ。」
「イリアを味方につけたマーレルに対抗するために、クリストンが東側と接触してる可能性有りと、君は考えてるんだね。ぼくもそう思う。」
「ああ、でなきゃ、ここまでデタラメな東側情報を報告書にのせるはずはない。シゼレはたぶん、このままでは、マーレルに吸収されてしまうと恐れているんじゃないか。」
「現時点では、ぼくもそう結論した。ゼルムは、マーレルの属州となったし、カイルも今のところは、ロイドとの関係上、マーレルと足並みがそろっている。そして、クリストンは、一番、ぼく達と縁が深い土地だ。だからこそ、逆に警戒も強くなる。」
「ライアス、念のため、シゼレの娘。たしか、エルと同じくらいの女の子がいたはずだ。その子を、エルの側室としてマーレルにいれよう。シエラだけじゃあ、たりなくなるかもしれない。」
「ああ、ソファラだね。でも、それだけで、クリストンの動きを抑えることはできないだろう。逆にシゼレの警戒心を強くするだけかもしれない。」
レックスは、馬の足並みをはやめた。そして、背後の男を警戒する。ライアスは、
「完全に寝てるから大丈夫だよ。レックス、ダリウス王朝を廃止し、エイシアを統一して、エイシア王朝をたてたほうがいい。」
「お前もそう思ってたのか。おれもそう思ってたとこだ。三国の宗主はダリウスとなっているが、現実には、それぞれバラバラな国の寄せ集めにすぎない。時代はすでに、海外とのつながりへと向かっているし、これまでのやり方では通用しなくなる。
エイシアは一つの国だけでいいんだよ。大陸にくらべれば、たいした大きさでもないし、イリアなんか、もっと広大な領土を持っているしな。」
レックスは、エルを見つめた。いつのまにか、カイサとともに眠っている。
「ダリウスの名を継ぐ者は、おれが最後でいい。もともと、おれが島に持ってきた名前だ。だから、持ち帰る。」
ラベナ族の首都エルバは、ゼルムのナルセラに、なんとなく雰囲気が似ていた。都市の大きさも、だいたい同じで、はじめてきたわりには、親密感みたいなものを感じさせる町だった。
カイサは、とある大きな病院の前で馬車から降りた。
「乗せてくれてありがとう。おかげで道中、退屈せずにすんだよ。メルーザと寄りをもどすために、やめてしまった職場だったが、院長にたのんで、もう一度やとってもらえるよう、交渉してみるよ。たぶん、またやとってもらえるはずだから、娘が転んでケガしたら、おれ、カイサを指名してくれ。治療代、安くしてやるから。」
レックスは、大きくて威厳のある病院の建物を見つめた。病院というよりも、どこかの貴族の大邸宅みたいだ。
「また、やとってもらえるって、お前、かなり腕いいんだな。こんな大病院、やとってくれと言っても、なかなかやとってくれないぞ。」
「ま、ここは、族長一族の御用達の病院でもあるからな。設備も充実しているし、医者も腕がいいのが多いし、他部族からも治療にやってくるほどだ。もち、金持ち限定だがな。それに、部族内でも、イリアに留学した医者は貴重なんだよ。だから、引きぬかれたんだ。」
「族長一族の御用達? じゃ、お前、族長と会ったことがあるんだな。」
「族長は、病院には縁の無い男だ。けど、子供が入院してる。じゃ、おれはこれから、院長に会いに行く。お前さん達はどうする。」
「しばらく、ここにいるよ。そうだ、お前からの紹介で、この病院の下働きにでも、おれをやとってくれないか。首都を娘に見学させてから、母親の実家に行く予定だったが、旅費が心細くなってたんだ。ここの病院なら、給料が良さそうだからな。」
カイサは、よしたほうがいいと言った。
「病院の下働きね。金はいいが、病気をうつされる可能性もあるし、体力的にもきつい仕事ばかりで、長続きしないかもな。それでもよかったら、おれといっしょにきてもいいぜ。」
レックスは、馬車を病院の敷地内に入れた。そして、エルをつれて、カイサとともに裏から建物に入る。院長は、愛想のいい初老の男だった。院長とは言っても、医者ではなく、族長一族の者で病院の経営を担当していると言う。
院長は、もどってきたカイサを喜んでむかいいれ、レックス達親子に病院職員のための寮を紹介してくれた。
院長は、下働きよりも、看護担当の仕事をすすめてくれた。看護人がたりなかったらしい。レックスは、看護なんてしたことはない。できないと言うと院長は、医者の指示に従って、患者を運んだり、食事させたり、入浴させたり、トイレにつれていく補助程度の仕事だと言う。
いっしょにくっついてきているライアスは、断るなと言った。
(患者や医者から情報引き出す絶好のチャンスだよ。それが目当てで仕事するんだろ。下働きよりも、かなりの好条件だ。とにかく断るな。)
レックスは、乗り気ではなかったが引き受けた。給料は、予想してたよりずっといい。院長室を出たカイサは、ニヤニヤしながら、レックスに言った。
「補助程度ね。たしかに補助程度だが、死ぬほど忙しいぞ。覚悟しておいた方がいい。」
「なんか、すごい職場だな、病院て。なんか、自信なくなってきた。」
「ま、金目当てだけじゃ続かないのは事実だ。この仕事に使命感もってなきゃな。」
エルが、レックスのズボンをひっぱった。
「ねぇ、父ちゃんが仕事しているあいだ、私は何をしていればいいの。一人ぼっちなんていやだよ。退屈だしさ。」
カイサは、
「そうだな、フラムちゃんはかわいいから、おれの助手ってのはどうかな。おれがつかれたとき、肩をもんでくれる助手だ。」
レックスは、
「娘には手を出すなと言ったろ。フラム、退屈だろうけど寮で待っていろ。」
「えー、そんなのやだ。」
車椅子の男の子が、三人のそばを通り過ぎた。エルよりずっと小さい。カイサは、
「難病で長期入院している子だ。かわいそうだが、治る見込みはない。友達もいなくて、一人ぼっちなんだよ。そうだ、フラムちゃん、院長に話を通すから、あの子の友達になってくれないか。そしたら、退屈しないだろ。」
エルは、少し考えた。
「うん、それでいいよ。あの子、名前なんて言うの。マーシュ君。わかった。」
カイサは、レックスにすばやく耳打ちをした。
(ここだけの話だが、あの子は、族長の十六番目の子だ。産まれた時から、病気がちで、この病院で過ごしてきている。母親は、ほとんど毎日ここにきている。フラムちゃんならたぶん、母親にも気に入られるはずだ。フラムちゃんて、お前と違って、上品なとこあるじゃないか。それに、とびっきりの美少女だしさ。)
レックスは、しめたと思った。