五、ベルセアの出来事(1)
ベルセアは、その名のとおり、ベルセア国教会が支配する宗教国家だ。ゼルムとカイルの間に位置しており、土地もせまい上、人口も少なく、国全体が教会でできているような国だ。
一行は、国教会の総本山がある、国と同じ名前の首都ベルセア市のグラセンの屋敷で、グラセンの帰りを待っていた。
「ここには、シエラの親戚がいるんだろ。シエラの母さんが、ここの出身なんだろ。母さんの実家があるんなら、あいさつしてきたらどうだ。ミランダも、せまいベルセアに、バテントスは入ってこないだろうって言ってるしさ。」
暖炉の前でぼんやりしているシエラに、レックスは声をかけた。シエラは、かすかに笑った。
「おじい様もおばあ様も、もう亡くなられているし、母様の実家とはいえ、知らない人達ばかりよ。父様がした事を、いまだに許してはいない人達だしね。」
「家に閉じこもってばかりいると体に毒だよ。少しくらい、外に出たらどうだ。」
シエラは、ここについて以来、一歩も外へ出ていない。グラセンの屋敷は、それほど広くはない。使用人も、中年の夫婦がいるだけである。
シエラは、
「退屈よ。でも、ここにくるまでが、ずっと緊張の連続だったから出たくないの。外が怖いって言ったら、たぶん当たっていると思う。」
「おれがついてるよ。危険があったら守るからさ。」
シエラは、少し笑った。レックスでは、自分を守りきれないくらい、シエラだって理解している。
「外も怖いけど、気がかりな事があるの。ずっと言えなかったけど。たぶん、信じてもらえないんじゃないかって。グラセン様がお帰りになられたら、相談しようかって考えていたの。」
「おれでよかったら相談にのるよ。話してみろよ。シエラ、元気ないしさ。」
シエラは、ため息をつき考えた。
「兄様がいるって言ったら、レックス、笑うかな。」
レックスは、ドキリとする。シエラは、
「ふつう、頭がおかしくなったって思うわよね。でも、本当よ。兄様の気配を感じるの。あんな死に方なさったから、行くとこ行けなくて、私にとりついたのかな。」
「兄様って、どっちのだ。」
レックスは、ドキドキしていた。ライアス兄様、シエラは小さくこたえた。
「ライアス兄様は大好きよ。亡くなられたとき、何日も泣いたわ。でも、思い出だけにしてほしかった。バテントスも怖いけど、兄様の亡霊も怖いの。」
「べ、べつにいいじゃないか。シエラの大事な兄さんなんだろ。なら、悪さなんてしないさ。きっと、シエラ、守ってんだよ。」
シエラは、首をふった。
「レックス、小さいころ、お母さん亡くしたんだよね。そのお母さんが、いまだにレックスにとりついてたらどう思うかな。死にきれなくて、自分の肉親にずっとまとわりついたらさ。」
「そりゃ、いやだよ、正直。でも、シエラの兄さんなら大丈夫だよ。シエラ、困らすような事はしないはずだ。」
シエラは、レックスを見つめた。
「どうしてそんなに、兄様をかばうの。まるで知ってる人みたい。」
レックスは、言葉につまってしまう。どうこたえても、ボロが出る。
「お、おれ、なんか飲み物もってくる。寒くなったし、あったかいの飲もう。」
と言い、とりあえずこの場を逃げた。シエラは、疑問に思った。
台所へと向かったレックスは、使用人の奥さんに飲み物を用意してもらいつつ、必死でドキマギしている感情をしずめていた。
(やばい。もう、ほとんど、ばれてるじゃないか。ベルセアきてから、あいつ、一回も顔ださないのは、そのためか。このままグラセンが帰ってきて、イクソシズムになったら、あいつ、追い出されてしまう。何か、何か、いい手はないのか。いっそのこと、おれが、あいつの霊をひきとるか。いや、それもおなじだ。グラセンにかかったら、イクソシズムだしな。)
レックスは、あれ?と思った。
(なんで、おれ、あいつの事、かばってんだ。ウザイと感じていたのに。いや、かばわなきゃ。あいつがいなくなったら、めちゃくちゃ困るのは、おれじゃないか!)
レックスに逃げ場はない。シエラとの結婚はともかく、グラセンが帰ってきたら、すぐにでもマーレル・レイ、とくるだろう。今の自分では、とてもじゃないが王様は無理だ。
(ライアスがいてくれて、アドバイスしてくれたら、こんなおれでも王様やれる自信がある。とにかく、イクソシズムだけはだめだ。なんとかしなくちゃ。)
使用人が、飲み物をレックスにわたそうとしたら、レックスは台所から消えていた。レックスは、グラセンの屋敷にきてから寝てばかりいるマーブルをたたきおこす。
マーブルは今朝、久しぶりにフロに入ったので、体からいい香りがただよっていた。あまりの汚さに悲鳴をあげた使用人が、町の共同浴場へおいはらった成果である。
「なんだよ、そんな事で起こしにきたのか。まあ、いずれ、ばれちまう事さ。あわてるところを見ると、お前、ライアスに惚れたのか。」
「冗談言ってる場合かよ。あんたも、ライアスなら安心するって言ってたじゃないか。おれ、あいつがいてくれたら、王様だってできそうな気がしてんだ。困るんだよ、イクソシズムされちゃあ。」
マーブルは、レックスのひたいを指ではじいた。
「お前、何、なさけないこと言ってんだ。あいっかわらず、人にたよる事しか考えないやつだな。これじゃあ、シエラとの結婚は無理だな。」
「そんな事言ったって、バテントスをどうしていいか分からない。とにかく、ライアスがいてくれなきゃダメなんだよ。おれ一人じゃ、とてもじゃないが無理だ。」
マーブルは、息子の顔をじっと見つめた。
「やっと、怖気づいたか。いままで反抗ばかりしてたものな。バテントスになんども襲われて、やっと目がさめたんだな。そう、それでいいんだよ。王になる事に怖気づいたんじゃなくて、自分の無力さに怖気づいたんなら、お前もやっと大人になってきたって証拠だ。ライアスの事は、おれからグラセンに話してみる。シエラには、あまり気にするなとでも言っておけ。」
「わるい、たのむ。」
レックスは、寝室を出て行こうとした。マーブルは、
「お前、ライアスをどう思ってる。ただ、必要なだけか。」
「よく分からない。けど、体の一部みたいに思えるときがある。なんていうかな、昔っから、あいつはおれのそばにいた、そんな感じかな。」
レックスは、マーブルの寝室から出た。窓から外を見る。どんよりとくもった空から、ポツポツとつめたい雨がおちてきている。
(恋愛とか友情とか、そんな感情とはちがう。なんだろう、この思いは。ただ、はなれたくない。失いたくない。そばにいてほしい。リクセンから、たいして時間がたってはいないのに、もう何十年もいっしょにいるような気がしている。)
レックスは、シエラの部屋へ、さきほどの飲み物をもっていった。そして、つとめて明るくふるまい、ライアスに話題がおよばないよう、気をつかっていた。
だがそれは、シエラの疑惑を深めるばかりだった。
翌日、ミランダはシエラを、国教会の総本山にある大聖堂へとさそった。いつもは、旅行客やら巡礼やらでにぎわっている大聖堂も、昨日からシトシトとふる雨のせいで、ガランとしている。
シエラは始めて見た壮大な大聖堂に心を奪われていた。とくに天井画がすごい。ミランダは、
「こういう日でもなければ、ゆっくりする事はできませんわ。いつもは、押すな押すなの、すごい人だかりですからね。」
「きれい。エイシア創造の話を題材にした天井画だわ。天の神ダリウスが光と風をあたえ、女神ベルセアが地をつくり、そこに人を満たした。人は、天と地のめぐみにより大地に栄え、国をつくり、創生の神ダリウスとベルセアをたたえるために、ベルセアがつくりし大地に国教会をつくり、そこに二人の神をまつった。
いったい、だれがこの物語を画にしたのかしら。物語がそのまま再現されている。たとえ、物語を知らなくても、画をながめるだけで分かってしまう。すごいわ。」
シエラは、天井画を順に見続け、最後にダリウス王家の始祖ミユティカの真下にきた。
「翼のある白馬にのり、黄金の髪と空の瞳をもつダリウスの娘ミユティカ。ベルセアより与えられし神の剣を持ち、双頭の白竜をしもべとし、エイシアを解放せん。レックスの御先祖様ね。」
ミランダは、びっくりした。シエラは、
「ごめんなさい。分かってた。一目でね。」
「じゃあなぜ、剣をわたさないのですか。」
シエラは、うつむいた。
「グラセン様は、王子様をさがせとおっしゃったのよ。レックスは、私の大切な人だけど、グラセン様のおっしゃる王子様ではないわ。」
ミランダは、うつむいているシエラを見つめた。グラセンがシエラを選ぶわけだ。ミランダは、シエラを聖堂のわきにならべてあるイスへと連れていく。
「シエラ様、あせる必要はないと思いますよ。グラセン様も、シエラ様のお気持ちをお喜びになられると思います。」
「私、レックスが大好きなの。だれよりも好きなの。レックスだけなのよ。だからまだ、剣はわたせないの。」
「お祈りしましょう。レックスが一日も早く、王子様になれますようにと。」
シエラは、小さくうなずいた。
そのころ、レックスはグラセンの書斎にいた。書棚から本をひっぱりだし、眉間にしわをよせている。レックスが本を読んでいるときいたマーブルは、めずらしい事もあるんだな、と書斎へとやってきた。
「読めない字が多すぎるよ。おれって、こんなに無学だったのかよ。」
「勉強しなきゃならんときに逃げ回ってたからな。どこが読めないんだ。」
レックスは、マーブルに教えてもらいながら、本を読んでいた。これは、エイシアの歴史書の冒頭の部分である。
「ほら、あの剣、あの剣の事を、もう少し知ろうと思ってさ。あれ、魔法みたいな事できるだろ。けど、剣については、神剣としか書いてないんだな。」
マーブルは、頭をかいた。
「あの剣が、ああいうモンだったなんて、王家ではだれも知らなかったはずだ。儀式でしか使わなかったしな。本物の伝説の剣かどうかも分からんかったしな。」
「グラセンは、どうして気がついたんだろ。」
「いじくってるうちに分かったんだろう。好奇心が強いからな。」
「ライアスは、これは自分の剣だって言ってたよ。」
「ライアスも王家の人間だからな。自分の剣になるはずだった、という意味じゃなかったのか。」
「おれもそうだと思ったけど、少し意味がちがうような気がするんだ。ライアスは、自在に剣を使ってた。グラセンが使うのとはちがう。本当に自在なんだよ。まるで、最初から、この剣の事が分かってたみたいにさ。荷物の中にしまってても、いつのまにか手にもってるしさ。おれ、なんども見たんだよ。あいつの手に、剣が現れたり消えたりするのをさ。」
「そのおかげでたすかったんだ。なんせ、本物の神剣なんだしさ。」
「神剣で片付けるな。あの剣は、ライアスの分身なんだよ。あいつ、剣を大事にしていたし。」
レックスは、本を書棚にもどした。マーブルは、
「お前、何を言いたんだ。王は、ライアスの方が似合うとでも?」
「国教会の教えに転生があるよな。ミユティカは、ダリウスとベルセアと違って、伝説になっているとはいえ、一応、おれの御先祖になっている。」
「それがどうした。」
レックスは、少し考えた。言うか、言わないか、迷っているみたいだった。
「おれの推測なんだけどもな。ライアスがそうじゃないかと、ライアスはミユティカの転生なんじゃないかと。さっき、本を読んでいて、そんな気がしたんだ。」
マーブルは、あきれた。
「それだったら、ライアスはクリストンなんかじゃなく、ダリウス王家に産まれていたはずだ。なーにを言い出すかと思えば、くだらん。」
「いや、まちがいないと思う。ライアスがミユティカなら、グラセンも納得してくれるんじゃないか。」
マーブルは、今度はため息。
「寝言をいうのも、たいがいにしろ。例えそうだとしても、ライアスはライアスだ。過去、だれであったかなんて関係ない。それにもう、死んでいるんだよ。」
レックスは、立ち上がった。
「シエラはどこにいったんだ。屋敷に、いないけど。」
「ミランダと大聖堂だよ。外出嫌いのシエラは、大聖堂なら行くと言ったからな。今日は雨でガランとしているから、おちついて見学でもお祈りでもできるだろう。」
レックスは、書斎を出ようとした。どこに行くとのマーブルに、レックスは、
「ライアスと話がしたい。おれの考えが正しいか、問いただしてみる。あいつ、きっと、自分がそうだと分かってるはずだ。」
レックスは、マーブルが止めるのもかまわず、雨の中、屋敷をとびだした。
レックスは、雨よけ用のマントの下に、王家の剣をかくしもっていた。そして、聖堂に、しずくをたらしつつ入ると同時に、かくしもっていた剣が強い光をはなつ。いきなり人が消え、レックスは一人だけ、ポツンと聖堂の中にたっていた。
「気がついたんだね、ぼくの事を。」
金髪で青い目をした青年が、そこにいた。この時代にしてはめずらしいほど、髪をみじかく切っており、白い首筋がはっきりと見えている。男性とも女性ともつかない非常に美しい顔立ちをしており、体全体がオーラのような光で満たされていた。
レックスは、青年を見つめた。青年は、
「グラセンのイクソシズム程度では、ぼくを追い払う事はできない。力の差が、はっきりしているからね。問題なのはシエラだ。彼女に拒絶されたら、ぼくは、いられない。」
「なら、おれが引き受けるよ。」
ライアスは、首をふった。
「シエラは、ぼくの命だ。ぼくは、彼女の意思には逆らえない。君に移ったとしても同じだ。」
「おれが無力だからか。今のおれでは、お前を守りきれないからか。」
「天空の神も、人間として生をえれば、ただの人だ。ぼくが、だれか分かると同時に、自分の事も分かったはずだ。ぼくと君は、魂がつながっているから。」
「ずっと、いっしょにいるって約束だったんだろ。たとえ、命がおわったとしても、おれはお前をはなすつもりはない。」
「ミユティカは、ダリウスの子であると同時に、ベルセアの子でもあるんだよ。二人の思いが同じでなければ、ぼくはここにいることができない。」
レックスは、持っていた剣をライアスにさしだす。
「お前のものだ。」
ライアスは、受け取らなかった。レックスは、
「シエラは何も知らないんだ。おれが今日、分かった事を話しても、まずは信じない。マーブルにお前の事を少し話しただけでも、バカにされておしまいだった。今のおれでは、それもしかたないさ。
ったく、いままで何やってたんだろうな。ワガママばかりで、マーブル困らせてさ。ライアス、命令だ。どこにも行くな。この剣を持ち、おれの助けとなってくれ。」
「生きて、肉体をもっていたら、それもできたさ。シエラの体に仮住まいをして、君のもとへとたどりついたけど、そろそろ限界かな。やはり、幽霊は幽霊でしかないんだよ。だれかの体を借りなきゃ、なんにもできやしない。」
ライアスは、さびしげにほほえんだ。
「レックス、君とこうして、昔の姿で話ができただけでも、ぼくは幸せだった。シエラを大切にしてくれよ。その剣は、これからは君が使うんだ。君の眠っている力を引き出すよ。」
ライアスの白い指が、レックスのひたいをそっとつついた。レックスのなかで、何かがパリンと音を立てて割れたような気がした。とたん、はげしい頭痛におそわれ、その場にうずくまってしまう。
気がついたら、聖堂の扉の前でうずくまっていた。祭壇の前に、シエラとミランダがいる。頭痛は消えていた。レックスは、二人に声をかけずに、また雨の中へともどっていく。
その夜、レックスは眠る事ができなかった。不思議な感覚。そして、知る前と知った後で、まったくちがってしまった自分。レックスは、寝たまま、そばにおいてあった剣を手にとった。
剣は、闇のなかで、かすかに光っている。以前は、この光は見えなかった。レックスは、剣に熱くなれと命じ、すぐに冷たくなれと命じた。剣は瞬間的に熱くなり、すぐに氷のように冷たくなり、もとにもどった。
レックスは、ひたいに手をあてた。
(聖堂から出てきてから、感覚が妙にするどくなった感じがする。するどい? いや、いままで見えない感じない、人間の五感ではとらえられない、何かを感じはじめているんだ。剣が、反応したのもそのせいか。)
そう言えば、聖堂で、ライアスが、眠っている力がどうのこうの言ってた。眠っている力、霊能力を意味してるのだろうか。レックスは、ベッドから起きた。じっと剣を見つめる。
(やるしかない。ライアスをとりもどすには、そうするしかない。おれがもっと実力をつければ、周囲の目もかわる。シエラだって、納得するはずだ。)