五、初恋(2)
サイモンの娘、ときき、レックスは、すぐに反応できなかった。
(どうするって、どうもこうもないだろ。まさか、こんな場所でサイモンの隠し子に遭遇するなんて、びっくりする以外、どうもこうもできないじゃないか。少し考えさせろ。)
ライアスは、
(たく、サイモンのやつも、妻一筋だとか言っといて、これだもんな。遊び程度に考えていたんだろうけどもね。)
(でも、子供が現にいるじゃないか。か、考えるにしても、ど、どうしよう。ほんとのことは話せないし、でも子供が。)
(・・・パニックになるほどのことじゃあないよ。メルーザが知らないのなら、それでいいんだよ。)
(じゃあ、どうするってきくな! 頭、いたくなってきた。)
メルーザは、レックスを心配そうに見ていた。
「あの、顔色悪いみたいですけど、どこか具合が悪いのですか。私、この辺りで医者のマネゴトをしてますから、よろしかったらお体を調べさせてください。」
「あ、ちょっと疲れていただけですから。メルーザさんて、医者だったんですか。すごいですね。どこで、その技術を?」
「亡くなった主人が、イリアで正式に医学を勉強した医者だったんです。父が、将来の私の婿にと、村で一番、頭の良い青年を選んで、お金を出して留学させたんですよ。この辺りには、ちゃんとした医者がいなかったものですから。
ですが、医者の不養生と言いますか、自分の身を省みず、人々の治療をして、無理がたたって亡くなってしまいました。私の技術は、夫の技術を少しだけマネしたものです。」
「じゃあ、娘さんの婿となる人もやはり、イリアへ?」
メルーザは首をふった。
「借金までしたんですよ。もう、とてもじゃないですけど、うちの経済力では無理です。娘には、私の知る限りの技術を教えるしかないです。」
レックスは、悪いことをきいたと思い、メルーザから目をそらした。メルーザは、
「夫は、私に医者としての技術を残してくれました。そして、二人目の人は、私に娘を残してくれました。今では、二人ともいませんけど、どちらも私に大切な宝物を残してくれたんです。でなければ、私はこのまま年老いて死ぬだけでしたから。」
「二人目の人に会いたいとは思ってませんか。」
メルーザは、苦笑した。
「娘を見てもらいたい気もしています。けど、娘には、父親は死んだと教えています。会ったとしても、相手はもう老人ですし、たぶん、がっかりするだけだと思いますよ。」
レックスは、ライアスの言うとおり、このまま知らないフリをしていた方がいいと感じた。ましてや、サイモンはもう。メルーザは、
「どうして、見ず知らずのあなたに、こんな話をしてしまったのでしょうね。いままで、だれにも話したことはなかったのに。父も、ユリアの父親はだれかは、たずねてきませんでしたし、私も話さなかったですしね。今、話したことは忘れてください。」
メルーザは、洗った洗濯物を物干しに干した。風が気持ちよく、洗濯物をなでていた。
エルは、はじめて作るケーキに四苦八苦していた。ユリアから、いろいろと教えてもらっているが、どうもうまく作れない。
「もう少し、卵をあわ立てた方がいいわ。あ、粉を入れる時はそっとね。でなきゃ、せっかくあわ立てたあわがつぶれてしまうから。そうそう、それでいいわ。」
オーブンに生地を入れ終わった時、エルはびっしょり汗をかいていた。ケーキ食べたさにユリアの誘いに乗ったのはいいが、ケーキ作りは意外と骨が折れる。
「ね、フラムちゃんて、どこからきたの。フラムちゃん、すごくかわいいし、お父さんも美形だし、私、お父さんいないから、すごくうらやましいわ。」
「ユリアのお母さんだって、優しそうで女らしい人じゃないか。うちのお母さん、すごくいさましくて、女には見えないから、こっちの方こそうらやましいよ。お母さん、父ちゃんよりも強いんだよ。」
「フラムちゃんのお母さんって、亡くなったんじゃなかったの? まるで、生きている人みたい。」
エルは、あせった。
「あ、そういう人だったって事。ね、ケーキまだ焼けないの。お腹すいちゃった。」
エルは、オーブンのふたを見つめた。ユリアは、
「あんまり顔を近づけちゃだめよ。ヤケドしちゃうわ。あ、どうしたの、その指。え、さわっちゃった? 見せて。」
ユリアは、エルの指のヤケドをていねいに治療してくれた。そして、ニコッと笑う。
「はい、もう大丈夫よ。今度からは気をつけてね。」
気取らない自然な笑顔が、そこにはあった。エルは、思わずボーッとしてしまう。ユリアは、
「顔、赤いね。熱でもあるのかな。おフロ、おじいちゃんが用意してるけど、入るのやめる?」
エルは、ブンブン頭をふった。
「た、たいしたことはないよ。ほら、オーブンの熱にあたったんだよ。」
あせってごまかしたのはいいが、心臓はどういうわけか大さわぎをしている。エルは、ユリアの顔を、まともに見ていられなくなった。そして、外でメルーザの手伝いをしている父親のそばに行く。
「父ちゃん、なんか変だ。ユリアの顔が、とつぜん見れなくなった。心臓がドキドキしてさ。すごくつらいから、台所から逃げてきた。」
レックスは、ハハァと思った。そして、メルーザが母屋の裏へ行ったのを確認してから、まよわずつっこむ。
「そりゃ、恋ってやつだ。お前、ユリアに恋したんだよ。恋をすると、そうなるんだよ。父ちゃんもおんなじだったからな。」
エルは、真っ赤になった。
「ちがうよ。そんなんじゃない。かわいいって言われたから、ドキドキしたんだよ。それに、お母さんのこともきかれたし、ごまかすの大変だったんだ。だからだ。」
「じゃ、台所にもどれ。ユリアの顔をちゃんと見れたら、お前の言うとおりだ。見れなかったら、父ちゃんの言うとおりだ。さあ、行け。」
エルは、ジロリと父親をにらんだ。
「ユリアのお母さんに浮気しちゃダメだよ。さっき、ずいぶん親しげだったじゃないか。」
「もう、こりた。さっさと行け、ったく!」
とは言っても、一度タガがはずれてしまったから、やっぱり気になってしまう。今夜、宿をかりたら、すぐに退散した方が良さそうだ。サイモンの娘のことも、きっぱり忘れてしまった方がいいだろう。
でもって、翌朝、まんじりともしない夜をすごしたレックスは、出発の準備をするために荷台がある倉庫へと向かった。すごい朝霧が出ていた。朝霧の中で、何かどなりあう声が響いてくる。老人とメルーザが、だれかと言い争っているようだ。
まずは老人。
「だから、いまさら、寄りをもどしたいなどと、身勝手な話が通じると思っているのか。村のために、お前をイリアに留学させたんだ。なのに、首都の大病院からの引きぬきなんかで、村と娘を捨ておってからに。」
男の声がきこえた。
「捨ててはいませんよ。だからこうして、もどってきたのです。私は、お金を稼ぐために首都に行ったんです。でなきゃ、借金を返せなかったじゃないですか。」
メルーザは、
「私はあなたに、そばにいてもらいたかったのよ。借金なんて、なんとでもなったじゃない。こんな田舎なんかで医者やるよりも、首都で医者するほうがいいものね。イリアの大都会で暮らしていた昔が、忘れられなかっただけでしょ。」
「メルーザ、君が浮気してできた娘を、私の正式な娘にする。だから、寄りをもどしてくれ。」
老人が怒った。
「浮気も何もない! 娘とこの村を捨てた時点で、夫婦ではなくなってるんだからな! これ以上しつこくすると、ただではおかないぞ。」
メルーザの悲鳴がきこえた。
「痛い、はなして。何をするのよ。」
そして、男のあざ笑う声。
「ただでは、どうすると言うのです。何もできない非力な老人のくせに。メルーザを返してもらいますよ。私の妻ですから当然です。」
レックスは、ついにガマンできなくなった。飛び出していき、男を殴ってメルーザを取り返す。
「おれは、この家にやっかいになってる者だ。これ以上しつこくすると、おれが、ただではおかない。さっさと、ここから出て行け。」
男は、レックスのどうどうとした体格にひるんだ。そして、おぼえていろと逃げ出す。メルーザは、ホッとしたように地面へとへたりこんでしまった。
老人は、
「ありがとうございます、たすかりました。」
レックスは、へたりこんでいるメルーザを見つめた。
「本当のことを言ってくれないか。何か力になれるかもしれない。」
老人の話によると、あの男がこの村で医者をしていたのは、一年かそこらだったらしい。技術的にも高く、イリアへ留学したということもあり、男の評判はたちまち、ラベナ族の首都にまでとどいた。そこで、引きぬきがきたのである。
男は、あっさり村と妻を捨てた。そして、十数年後になって、やっともどってきたのである。
メルーザは、
「すみません。捨てられた事実にたえきれなくて、ウソを言ってしまいました。都会で何があったか知りませんが、いまさらもどってきて寄りをもどそうなど、つごうがよすぎます。」
「けど、さっきの様子から見ると、あんたに未練たらたらって感じだったな。寄りをもどしたいのも、そのせいじゃないのか。あんた、美人だしさ。」
メルーザは、首をふった。
「一度、この村と私を捨てた男を、ユリアの父になどしたくはありません。どうしても、この村にいたいと言うのなら、家を建てて、そこで医者をやればいいのです。それなら、村にいることに、私も父も反対しません。さっきは、たすけていただいて感謝しています。ですがもう、あなたもここからお立ちになってください。これ以上、ごめいわくはおかけできませんから。」
レックスは、ため息をついた。たしかにそうだ。これ以上、かかわっても、どうしようもない。レックスは、エルをつれて出発した。ユリアが、昨日焼いたケーキの残りを包み、エルにもたせてくれた。
エルは、元気がなかった。ずっと、ケーキの包みを持ったままだ。
「食べないのか、エル。」
エルは、首をふる。
「喉がつまって食べられない。ねぇ、夕べはずっと苦しかった。苦しくて眠れなかった。別れる時だって胸が痛かった。ぼく、ほんとにどうしちゃったのかな。」
「ユリアに会いたいのか?」
「わかんない。でも、ユリアが笑っている顔ばかり、思い出すんだ。ほんとに、どうしちゃったのかな、ぼく。」
「だから、恋だって。それが、初恋ってモンなんだよ。いいかげん認めろ。」
エルは、荷台に引っ込んでしまった。そして、村はずれまできたら、朝の男にバッタリ会ってしまう。男は、フンと顔をそらした。レックスは、
「またメルーザに、しつこくするんじゃないんだろうな。話は全部きいた。どうあっても、寄りはもどらないぜ。あきらめろ、いいかげん。」
「お前、これからどこに行くんだ。メルーザにしつこくさせたくなかったら、おれをどこかに連れてってくれ。でなきゃ、気になって、村から出れないだろ。あの女は、美人だからな。それに、色気があるしな。」
レックスは、ひたいがピキッと割れそうになった。
「いい度胸しているな、お前。名前、なんて言う。」
「カイサだ。さっきのパンチはきいたぜ。このご時勢、まだお前みたいな男がいたなんてな。気に入ったから、ここでお前がくるのを待ってたんだ。」
「勝手なことをぬかすな、だから、メルーザにきらわれるんだよ。まあいい。こうなった以上、お前を乗せるしかないな。お前、首都からきたんだよな。おれは首都に向かってる。ついでに案内しろ。おれは、ここいらの情勢にはくわしくないからな。
名前は、ウォーレンだ。それと、後ろにいるのは、娘のフラム。まちがっても、手を出すんじゃないぞ。川にうすぎたい死体を浮かべたくなかったらな。」
「だれが、ガキなんかに手を出すか。さっさと乗せろ。こんな村なんかに、もう未練はない。」