四、負傷(1)
エルの体調は回復したが、親子関係は、過去最悪と言ってもいいくらいだった。エルは、ムッとしたまま、まったく口をきかない。レッスが話しかけても、ライアスが呼びかけてもだ。
エルは馬車での移動中、荷台に引きこもったままだった。無理に荷台から引きずり出そうとすると、暴れて手がつけられなくなる。
そして、出てくる言葉は必ず、大きらいだ、の一言だけ。レックスは、精神的にかなりまいってしまった。
そして、ある日、宿についたレックスは、エルが寝静まり、ライアスがマーレルに報告に行ってしまったあと、フラリと一人で出かけてしまう。そして、帰ってきたのは早朝だった。
ライアスは、
「どこに行ってたんだよ。ずいぶん心配したんだよ。さがそうにも、エルを一人にするわけにはいかなかったしさ。」
レックスは、二人部屋の片方のベッドにすわり、頭をおさえた。
「でかい声だすな、頭に響く。それに、エルが目をさましてしまう。酒場だよ。酒、飲みに行ってたんだよ。」
ライアスは、びっくりした。
「酒? 君、下戸だったじゃないか。グラス半分も飲めないくせに。」
「たまんなかったんだよ、毎日、こうじゃな。酒でごまかせば、少しは気分が晴れると思った。水で割ったうすいのを二、三杯飲んだだけだ。」
レックスは、う、と口をおさえ、寝室を出て行った。そして、少ししてからもどってくる。
「気分悪い。二日酔いだ。」
レックスは、ベッドに転がった。ライアスは、
「飲めないくせに、よく酒場なんか行く気になったな。まあ、気持ちはわかるよ。ぼくも、そういう時期あったもんね。でも、今までどこにいたんだ。酔っぱらって、そこらの木の下あたりで寝てしまってたのか。まあ、夏だから寒くないしね。」
レックスは、薄手の夏用の毛布を頭からかぶってしまった。ライアスは、その不自然な態度に、まさかと思ってしまう。レックスは、
「酒場にいた女が、すごい美女に見えた。酔っぱらって、クラクラして、つい。シエラには、ないしょにしてくれ。殺されてしまう。」
ライアスは、ため息をついた。
「死んだ父さんの背中を追うのもいいけど、そこまで追いかけるとはね。わかった、君を一人にした、ぼくも悪かった。これからずっと君のそばにいて、バカやらないか監視してる。シエラからも律儀に報告にこなくてもいいって言われたんだよ。エルと君との、こじれ話は、ききたくないってさ。」
「もう、何も言うな。自己嫌悪で死にかけているから。」
一方、マーレルで留守をあずかっているシエラは、女性らしいドレスをきて、執務室で仕事をしていた。昨日、ようやくドレス類がそろい、今日から、やっと男装をやめることができたからだ。
仕事にきていたエリオットは、そんなシエラを感慨深げにながめていた。
「さすが、ごきょうだいの血は争えませんね。男装姿もすばらしかったですけど、やはり、女性はそのようであってよろしいのです。実にお美しい。」
シエラは、赤くなった。
「あんまり誉めないでよ。すごく、緊張してるんだからさ。でもみんな、不自然に思われないかな。いきなり、女にもどったんですもの。」
「どう、不自然に思うのですか。シエラ様は女性でしょう。それが、あたりまえになっただけです。いままでが不自然でしたからね。」
シエラは、エリオットから目をそらした。
「不自然ね。それって、だれから見ても、無理してたってことなのかな。やっぱり、無理してたんだよね。こうしていると、はずかしいけど、ホッとしてる自分もいるしさ。」
「陛下がお帰りになられたら、さぞ驚きになるでしょうね。そして必ず、お喜びになられます。自信をもってください。それはそうとして、ライアス様は、ゆうべは何をお話になられましたか。」
シエラは、
「いつもとおんなじよ。レックスが何をしたとか、エルが元気で旅を楽しんでいるとか。あーあ、うらやましい。私も行きたかったな。」
エリオットは、そうですかと言い、いつもの仕事の話になった。
レックスは、ベッドから動かなかった。二日酔いと浮気という打撃が、かなり響いてしまい、とても出発できる状態では無かった。
エルは、ベッドにすわり、退屈そうに足をブラブラしている。そして時々、横になっている父親に冷たい視線を投げかけ、顔をそらしてしまう。レックスには、それがいっそうこたえた。
ライアスが、エルに散歩に行かないかと声をかけた。エルが無視しようとすると、ライアスは、
「白竜で、空を飛んでみないか。少し行くと、きれいな湖があるんだ。今日は暑いし、水浴びでもしようよ。山の中の湖だから、人がいないから大丈夫だよ。」
エルが行くと言った。宿で退屈していてもどうしようもない。白竜に乗って空を飛べるのなら、そっちのほうがいい。
ライアスは、レックスに心の声で話しかける。
(そのシケた顔を、ぼく達が帰ってくるまでに掃除しておけ。酒を飲めば、だれだって理性をなくす。どんな女でも美女に見える。事故だと考えろ。ようは、二度と事故を起こさないことだ。二度目は、シエラに報告する。)
レックスは、二人がいなくなったあと、やっとベッドから身を起こした。まだ、フラフラするが、動けないというほどでもない。
(事故か。父さんと違って、おれは下戸だし、酒なんか飲んでも、まずいとしか感じなかった。美女に見えて理性をなくしたんじゃない。ヤケクソになって、おれの方からさそったんだ。罪悪感ばっかりで、なんの慰めにもならんかったがな。すまん、みんな。)
レックスは、寝室を出た。そして、馬車をあずけている車庫に行き、片手剣を取り出す。それを持ち、車庫のそばの裏庭でブンブンふりまわし始めた。
エルは、冷たい山の湖で、たっぷり水浴びをし、冷えた体を太陽にあてて温めていた。ライアスは、エルのそばで湖を見つめていた。
「ライアス兄ちゃん。」
エルがめずらしく話しかけてきた。ライアスは、エルに視線をうつした。エルは、
「兄ちゃんは、父ちゃんのどこが好きで、いつもいっしょにいるんだ。マーレルじゃ、わからなかったけど、父ちゃんて思ってたより弱いし、たよりがいがないしさ。それに、怒ってばかりいるし。」
「英雄だと、ずっと思ってきたのに、そうじゃなかったから、がっかりしてんだろ。」
エルは、ライアスから顔をそらした。ライアスは、
「君の死んだおじいちゃんも、ああだったんだよ。今の彼は、おじいちゃんにそっくりだ。」
「死んだおじいちゃんて、どんな人だったの。父ちゃんと十年以上、逃げ続けてきたんだろ。そして最後は、父ちゃんかばって死んだってきいてる。」
ライアスは、フッと笑った。
「酒と女にだらしなくて、しかも金づかいが荒くて、いい加減で、ずいぶん怒りっぽかった。」
「金づかいが荒いとこ以外は、父ちゃんとおんなじじゃないか。お酒で理性をなくしたんじゃないよ。きっと、父ちゃんからさそったんだ。父ちゃん、美形だしさ。さそわれて断る女なんていないよ。」
ライアスは、エルのぬれた頭をなでた。
「ずいぶん、ませた口きくじゃないか。まあ、本当はそうだろうね。死んだおじいちゃんもそうだったしね。嫌なことや辛いことがいっぱいあって、酒と女に逃げてたんだよ。つまり、ごまかしていた。ゆうべの父ちゃんとおんなじにね。」
「嫌なことや辛いことがあるからって、お酒や浮気でごまかすなんて最低だよ。死んだおじいちゃんも父ちゃんも、どうかしてる。」
エルは、石を湖に投げた。ポンポンと二回水をはねて、ポチャンと沈む。そしてまた、最低だとつけくわえ、ムッとした表情を見せた。
ライアスは、
「そうだね。エルの言うとおりだね。でも、父ちゃんはともかく、死んだおじいちゃんを、そう思うのよくないな。当時のレックスは五歳だったんだよ。五歳の男の子をつれて、あてどない逃亡生活は、とても辛いものだったんだよ。
帰りたくても、宮殿は燃えて、レックスのお母さんの女王様は亡くなられていたしね。しかも、ドーリア公の追跡はとてもしつこくて、気をぬくことなんて、絶対できなかった。年がら年中、いつ捕まるか、おじいちゃんは怯えていたんだよ。
そして、気をぬけない逃亡生活は、子供のレックスの体にも、かなりの負担だった。今の父ちゃんからは、想像もつかないだろうけど、熱なんてしょっちゅう出していたし、結核にもかかったんだよ。」
「結核って、ぼくがたしか、四歳かそこらの話?」
ライアスは、首をふった。
「レックスの子供の時だよ。レックスは、二回、結核をやっているんだ。それを考えれば、十年以上の逃亡生活はどういうものか、君にもわかるはずだ。それを、君のおじいちゃんは、一人でがんばって、父ちゃんを守り抜いてきたんだよ。」
エルは、ライアスの顔を見つめた。けど、すぐにそらしてしまう。
「でも、浮気なんて、ぼくはいやだよ。おばあさんの女王様にも、そして、お母さんにも悪いことしてるじゃないか。」
「おじいちゃんの場合は浮気じゃないよ。その時はもう、女王様は死んでいるからね。父ちゃんのことは許してあげなさい。それが一番だから。」
「すごくいやだ。フケツだよ。」
ライアスは、ため息。
「フケツね。君も言うようになったね。でも、その原因は、君にもあるんだよ。何かっていうと、マーレル帰るとか、大きらいとか、そればかりじゃ、父ちゃんもまいってしまうよ。君は、なんのために旅行にきたんだい。」
エルは、ライアスではなく湖をにらみつけた。ライアスは、
「君は、次期国王だ。世継ぎなんだよ。そして、これからは、エイシアは外国ともっと密接に接しなければならない。だから、今のうちに、君がかかわる世界を見せようと、この旅につれたしたんだよ。今しか、チャンスはないからね。」
「ぼくは、王様なんてならないよ。こんな旅をさせられるくらいなら、王様なんてならなくてもいい。マーレル帰りたいよ。」
ライアスは、思わず笑ってしまった。レックスと最初に出会ったときが、思い出されたからだ。
「ほんと、何もかもおんなじだ。父ちゃんは、おじいちゃんとおんなじく酒と女だし、君は君で、そんな父親に反抗して、王様にならないって言ってるし。何もかも、あの当時と、まったくおんなじだ。」
「おんなじ?」
「そう、おんなじ。ぼくが出会ったころのレックスは、王様にはならないって、おじいちゃんこまらせてた。今の君とそっくりだ。」
エルは、ぎゅっと手をにぎった。ライアスは立ち上がる。
「そろそろ帰ろう。もう昼だしね。」