三、苦難(2)
その晩、レックスはエルが寝たあと、ライアスと、食堂のマスターからきいた内容について話をしていた。ライアスは、
「シゼレがこのごろ何を考えているか、ぼくもよくわからないんだ。思考をさぐろうにも、あいつ、昔っから、ぼくに対しては何も考えないことで接してきているしさ。」
「クリストンからは、毎月のごとく大陸情報がとどいている。なのに、今日きいた話と、まるで違う。サイモンが細工しているとは考えにくいし、シゼレでなかったら、だれがこんなことをするんだ。」
ライアスは、ちょっと考えた。
「シゼレだろう、やはり。マーレルに出す書簡類は、すべてあいつが最終チェックしてるしね。」
「おれが、お忍びで大陸旅行しているのは、シゼレは知っているのか。」
ライアスは、レックスから目をそらした。
「実を言うとね、ぼくもこのごろのシゼレは信用できなくなっていたんだ。だから最近、サラサには必要以上には行っていない。旅行前に、長期休暇をとるから、必要なことは留守番のシエラにつたえてくれとだけ言ってきただけだ。」
「何が、シゼレをそうさせたんだろう。おれは、あいつだけは信用できると、ずっと信じていたんだ。理想が高いし誠実だし、それに妹思いだしな。」
「そうだね。ぼくに対しても、一時は態度を軟化させてたんだけどもね。サラサには、シゼレに変な事を吹き込む連中は今のところいないし、理由がわからない。」
「お前、今夜もまた、シエラに会いに行くんだろ。カリス族の話をつたえておいてくれ。それと、おれの手元にある、この地図。情報がまちがっているかもしれない。これからは、行く先々で情報を集めてから、先に進む。ライアス、お前も見えるようにして、情報収集にあたってくれ。それと、マーレルからエッジをつれてきてくれ。それまで、ここで待っているから。」
「わかった。けど、約束の十日がそろそろだよ。どうする。」
レックスは、眠っているエルの顔を見つめた。
「十日に一度、マーレルに帰れるわけないだろ、常識的に考えてもだ。エルを紅竜に乗せての強行軍になる。どだい無理だ。それに、ただでさえ帰りたがっているのに、帰ってしまったら、つれもどせなくなる。おれは、最後まで、エルといっしょに旅をしたいんだ。」
ライアスは、うなずき消えた。レックスは、エルの金色の髪をそっとなでた。
(ったく、何かあるたんびに、マーレル帰りたい、そればっかりだな。生意気な口をきくわりには弱音ばかり吐く。子連れの旅って、こんなに大変だったのかよ。)
レックスは、人の気配を感じた。ライアスが、もうもどってきたのかと思った。が、違った。
「と、父さん、どうして、ここに。」
父親のウォーレンだった。昔の小汚い格好とは違い、貴族風のきちんとした服装をしている。ウォーレンは、怖い顔をしていた。
「弱音を吐いているのは、お前だろうが。自分で決めておいて、何をグダグダ言っている。」
「んなこと言ったって、帰りたい帰りたい、そればっかりきいてりゃ、こっちだって嫌になる。けど、エルと旅をすると決めたのは、おれだ。だからこそ、キチッとやりとげたくて、がんばってるじゃないか。」
ウォーレンは、首をふった。
「もって、あと一週間だ。予言してもいいさ。お前は、あと一週間で根をあげる。エルは、もっとひどくなるぞ。泣いてわめいて、しまいには親に殴りかかってくる。五歳のお前が、そうしたようにな。」
「おれが、殴りかかった? 父さんにか? おぼえてないぞ。」
「忘れて当然さ。五歳だったものな。けど、おれには、お前と違って帰る家がなかった。根をあげても、帰る家がなかったんだよ。」
レックスは、父親から顔をそらした。ウォーレンは、
「生半可な好奇心だけで出てきたんだろ。昔、おれと旅をしてたから、なんとかなるだろう程度にな。現実は甘くはないんだぞ。おれが、どれだけ、お前に手をやいたのか、お前自身、当然のごとくわかってなかったろうがな。」
「だから、それをわかるために、」
ウォーレンは、レックスのほおをたたいた。もちろん、ただの霊体だから、なんの手ごたえもない。けど、痛かった。レックスは、ほおをおさえた。ウォーレンは、
「後戻りする気が無かったら、歯を食いしばってでも、耐えて、ねばり続けるしかないだろ。お前はもう、一人前の人の親だ。エルが大切だと思うなら、この旅を最後までやりとげてみせろ、わかったか。」
ウォーレンは、行ってしまった。レックスは、ほおをおさえたまま、じっとしている。なぜ、こんなに痛いのかと考えつつ。
そして、翌日の昼近くになり、ライアスはエッジをつれ、もどってきた。町でエッジとエルと三人で、いっしょに昼食を食べ終えたあと、エッジは、情報収集のために、すぐに消えてしまう。そして、レックスは馬車を走らせた。
レックスのとなりにすわっていたライアスは、
「そうか、父さんが。やっぱりね。実を言うとね、この旅、父さんは反対してたんだ。国王が、国を留守にしてまで、することじゃないってね。」
「なあ、ライアス。どうしてお前は、すぐに賛成してくれた。本音は、違ったんじゃなかったのか?」
ライアスは、笑う。
「本音は反対。理由は、父さんと同じ。ぼくはね、君の方針には服従するって決めてんだ。まちがっていることに対しては、反対するけどもね。今回の旅にかんしては、本音は反対でも、まちがってないって判断したから。」
「どうして、まちがってないと判断したんだ。国王が、国を留守にしてまで、することじゃなかったんだろ。それって、結局、まちがってるってことだろ。」
「短期的に考えればね。でも、国王が思い切って国を飛び出して、自分の目と足で、他国の生の姿を見るのは、千の情報以上に価値がある。君が今、見ているすべては、マーレルのイスにすわっていたら、絶対見ることができなかったはずだ。」
レックスは、昨日と同じような山道の光景を見わたした。
「ま、山道なんざ、どこでも似たような風景だな。少しは、エイシアと違ってるよう期待してたんだがな。」
ライアスは、荷台で荷物の中にうずくまっているエルを見つめた。レックスは、
「放っておけ。何を話しかけても返事すらしない。あれだけ、旅行を楽しみにして、こっちにくるまで、はしゃいでいたのに、旅が始まってすぐにこれだものな。」
「エル、こっちへきなよ。風が気持ちいいよ。」
エルは、荷物の中にかくれるよう、身を小さくした。ライアスは、もう一度呼びかける。エルは無視した。レックスは、
「お前がくる前に、帰る帰らないで、さんざんもめた。結界張らなきゃ、部屋の外にまで、声がきこえちまうくらいだった。なあ、ライアス、荷馬車での旅は、子供にとってそんなに嫌なものなのかよ。」
「一般庶民の子供でも、荷馬車での長期旅行は嫌がるよ。退屈だし、それに一日中、ゆられ続けていれば、つかれもたまってくるしね。ましてや、エルは王子様だ。十三年も旅を続けてきた君とは違う。」
レックスは、ため息をついた。
「父さんは、一週間で根をあげるって予言してたよ。けど、はずれだな。一日だ。ライアス、今からエルをマーレルに帰してやってくれ。馬車は、紅竜だけでもじゅうぶんだからさ。」
荷台のエルは、チラとレックスを見つめた。
「帰っていいの、ほんとに帰っていいの?」
「そうしろ。旅は、おれ一人でじゅうぶんだ。馬車をとめて白竜をはずす。」
ライアスは、御者席の上に立った。
「ごめん、用事ができた。エッジといっしょに情報収集しなきゃ。夜になったら、帰ってくるよ。」
「おいこら。エルを帰すのを先にしてくれよ。情報収集は、あとでいいからさ。」
「まちがっている命令には、従うつもりはないんだよ。それと、エル、旅をすると決めたのは、君自身のはずだ。想像してたのと違うだけで、マーレルに帰りたいなんて弱音を吐く程度の世継ぎなら、これからのエイシアには必要ない。
レックス、君にも言っておく。父さんは、のちにマーレルに帰れる状況になっても、弱音を吐き続けている君を、マーレルに帰そうとはしなかった。よくよく、思い出してみるんだな。」
ライアスは消えた。レックスは、クソと思う。エルは、荷台で顔をこすった。この日の晩も野宿だった。ライアスがマーレルから、エッジをつれてくるのを宿で待っていたので、出発がおそくなってしまったからだ。
夕食後、エルは高熱を出した。薬は用意してたが、熱は下がりそうにも無い。レックスは、杖を取り出し、エルの熱を下げようとした。
(ライアスのやつ、夜に帰ってくると言ってたのに、何やってんだ。またマーレルに行ったのかな。毎晩、律儀に帰らなくてもいいってのに!)
「お、かあ、さん。」
レックスは、エルの手をギュッとにぎった。そして、思う。
(やはり、エルをつれてきたのはまちがいだ。エルにとって必要なのは、おれじゃあない、母親だ。大人相手の看病ならともかく、子供では、どうやって看病していいのか、まったくわからない。)
エルは、目をあけて、レックスを見つめた。
「父ちゃん、頭痛い、気持ち悪い。」
エルは、いきなり吐いた。荷台で寝かせていたので、荷台の床がドロドロだ。レックスは、金ダライを取り出した。
「吐くんなら、これに吐け。雑巾はどこだ。クソ、暗くてよく見えない。」
エルは、また吐いた。今度は金ダライに吐いたが、フラフラしてて、タライをひっくり返してしまう。荷台は、汚物まみれになった。こういう時、ふだん子供に接しない男親では、もうお手上げだ。
ライアスが、やっと帰ってきた。惨状を見て、すぐにエルの体を調べる。
「エル、体は痛くないか。関節とかは?」
「痛いよ、どこもかしこも。頭が、すごく痛い。とても寒いし。う、」
また、吐いた。レックスは、
「食中毒かな。食いなれない物を食べたせいかもしれない。」
「いや、野兎病の可能性がある。ウサギから人にうつる病気だよ。この前、野ウサギをつかまえたろ。それを荷台にいるエルのそばに放り込んだじゃないか。たぶん、そのウサギからうつったんだよ。」
「ウサギの病気? そういえば、そういうの昔きいたことがある。でも、それだったら、ウサギを料理した、おれにもうつるはずだ。」
「君がまともに病気したの、結核以外、見たことないよ。エルは、ウサギのそばにいたはずだよ。馬車がゆれたとき、さわったのかもしれない。野兎病は、傷口から感染する病気だし、エルはあの時、ナイフをいじってたしね。
ともかく、なんとかしよう。レックス、近くの川から水をくんできて床を掃除してくれ。そのあと、汚れ物を洗濯して。吐しゃ物は、すぐに洗わないとおちないから。エルの治療は、ぼくがする。」
レックスは、露骨にいやな顔をした。
「吐いたモンを掃除して洗濯しろってのかよ、こんな夜中に? お前、やれ。いいや、いっそのこと、護衛呼びよせてやらせよう。」
ライアスは、レックスをにらみつけた。
「それだったら、すぐにマーレルへ帰るよ。旅は中止。」
「わかった、わかった。掃除して洗濯するよ。エルをたのむ。こういうのって、お前じゃなきゃ、とてもじゃないが無理だ。」
エルの熱は、朝には下がり、荷台でスヤスヤ眠っていた。レックスは、掃除に看病にと、眠れない夜をすごし、ヘトヘトになっている。ライアスは、半分眠りつつ馬車を進めているレックスの背中をたたいた。
「ほら、寝ていると道をまちがえてしまうよ。紅竜達への指示は、ちゃんと出さなきゃね。エルはもう大丈夫だよ。少し休んで、きちんとした食事をさせれば、すぐに元気になるよ。」
「おれの元気がなくなった。マジ、つかれた。子供の病気って、こんなに大変だったのかよ。もう、野生動物は食べないことにしよう。」
レックスは、眠そうに目をこすった。ライアスは、
「野生動物だけじゃなく、キノコとか山菜もやめておいたほうがいい。うたがわしきは、なんとやらだよ。けど、子供の結核よりは、だんぜんマシ。きっと父さん、君が入院してた時、生きた心地しなかったと思うよ。」
「言うな。けど、お前がいてくれて、たすかった。いまさらながら思うんだけど、お前、ほんとになんでもできるんだな。病気とかにもくわしいしさ。」
「いくら、知識があっても、体がない分だけ、やれることには限りがある。レックス、眠かったら寝ててもいいよ。町につく手前で起こすからさ。」
レックスは、大きなあくびをした。そして、たのむと言い荷台に入り、エルのとなりでいびきをかき始めた。