三、苦難(1)
エルが、目をさましたら、父親は宿の部屋には、いなかった。どこへ行ったのかと不安になっていたら、ライアスが現れ、レックスは宿の裏にいると言う。いっしょに裏へ行くと、父親は、宿から脚立をかり、雑貨屋で買った油を馬車の幌に塗っていた。
「エル、起きたのか。もうすぐ終わる。そしたら、朝飯食べに行こう。」
「何してるの。」
「ああ、油を塗っているんだ。こうしなきゃ、雨で濡れちまうからな。うんとひどい雨だと、だめだけど、小雨程度なら防げるからな。」
「どうして、そんな仕事、父ちゃんするの? 下男の仕事じゃないか。」
レックスは、最後の一塗りを終えた。道具類を馬車の道具箱にしまう。
「昨日、言ったじゃないか。何もかも自分達でするって。この旅の間は、おれはただの旅行者だ。どこかの国の王様じゃあない。そして、お前もだ、エル。いや、フラムだったな。」
エルは、口をとがらした。
「わかってるよ、そんなこと。でも、フラムって呼ぶのは人前だけでいいだろ。旅行だって言うから、どんな楽しい旅行かと期待してたけど、こんな下働きする父ちゃんなんて見たくもなかったよ。かっこ悪いよ、英雄なのにさ。」
「おれは、英雄だなんて思っちゃいない。人が勝手にそう思ってるだけだ。下働きするのが、かっこ悪い? 下働きしなきゃ、その上の仕事もできないんだぞ。
おれは、国王という仕事をしている。国王の仕事をするには、国王にその仕事をさせるために、それこそ、数え切れないほどの下働きがあって、はじめて国王という仕事ができるんだ。
お前が、宮殿で食べている料理だってそうだ。泥がついている野菜を、下働きの人が水であらって、その上の人が料理してから、お前の口に入るんだよ。泥つきのまま料理して、食べているわけじゃない。」
「わかってるよ、だから、そこまで言うことないだろ。父ちゃんて、こんなにうるさかったっけ? マーレルじゃあ、なんにも言わなかったのにさ。」
エルは、ムッとして宿へと引っ込んでしまった。
港湾都市を出発してからまもなく、マーレルからの護衛が現れ、レックスに武器類をわたしてくれた。片手剣が二本、銃が一丁、ナイフが大小三本、それと爆薬類。毒薬を入れたビンまであった。
レックスは、銃を手にとった。クリストンにいる時に使っていた銃とは、別物と言ってもよいくらい改良され、しかも連射できるようになっていた。これは、完成したばかりの試作品らしい。レックスに実際使ってもらって、使用感をたしかめてほしいようだ。
銃の使い方の説明を受けたあと、レックスは、銃と片手剣一本を荷台へと置き、小型ナイフを一本、エルにわたした。そして、残りをすべて座席の下の物入れにしまう。
「護身用だ。だれかに襲われたら、目の前の敵はなんであれ、これで刺せ。」
エルは、手渡されたナイフを見つめた。エルは、フルーツナイフでさえも持ったことがない。レックスは馬車を出した。エルは、キラキラと光るナイフの刀身をながめつつ、
「襲われるって、ここって、そんなに危険な場所なの? ただの旅行じゃなかったの。」
「旅行だよ。できるだけ、安全なルートを選んで護衛もいるが、万が一という場合もある。自分の身は、最低限、自分で守らなきゃならない。ナイフは、上着のポケットにでもしまっておけ。小型ナイフだし、サヤにしっかりいれておけば危なくない。」
エルは、ナイフを荷台へと放り投げた。
「やだよ、怖いよ。マーレル帰ろうよ。お母さんに会いたい。」
レックスは、ジロリと横目でエルをにらんだ。エルは、ビクッとして、だまりこんでしまう。レックスは、エルが投げたナイフを拾い、そして、何事もなかったかのよう、馬車を進めた。山へと入った。季節は初夏で、風が気持ちいい。
レックスは、馬車をとめた。そして、エルに声を出すなと言う。エルは、だれかが襲ってきたとびっくりして、こそこそと荷台へとかくれた。レックスは銃を取り出す。そして、茂みに向けて発砲した。
「こりゃ、すごい。使い勝手が軽い。今まで使ってた銃が、銃じゃなくなるな。ロイドのやつ、よくここまで改良したな。」
レックスは茂みの中から、野ウサギを拾ってきた。それを、エルがいる荷台へと放り込む。はじめて見たウサギの死体に、エルはふるえた。
「昼飯用だ。ライアスがもう少し走ったら、水があると言っていた。そこで、昼食にしよう。」
そして、水場に到着した。エルは、ライアスといっしょに焚付け様の薪を集め、レックスはそのかん、さきほどの野ウサギをナイフで解体した。それを、ナベに入れ水を張る。
町で買った携帯用のカマドに薪を入れ、ナベをセットし火につけ沸騰したら灰汁をすくい、ナイフで切った野菜をまぜ、塩だけで味付けをすました。エルは、父親手づくりの食事に、なかなか手をつけなかった。さっきのウサギの死体が頭にこびりついていたからだ。
父親に、再三うながされ、やっと口にはしたが、宮廷の味になれた舌では、まずいとしか感じない。エルは残した。父親は怒った。
「旅行してんだぞ。材料も限られているし、ワガママ言ってないで、全部食え。食べないと、旅を続ける体力がもたないぞ。」
エルは、泣きそうになった。けど、こんなに怖い父親も始めてた。涙をこらえつつ、無理やり飲み込んだ。
マーレルへ帰りたい。エルは、再び走り出した馬車の中で、涙をこらえつつ、そうつぶやいた。その言葉をきき、レックスは、ある事に気がついた。
マーレルへ帰りたい、それは、幼いころのレックスが逃亡の最中、なんども、心の中でつぶやいていた言葉だった。レックスは、馬車を走らせつつ、ギュッと目をつぶる。
(エルは、昔のおれだ。そして、エルとこうしているおれは、父さんそのものじゃないか。おれが、怖いと感じていた父さんそのものだ。)
その晩は、野宿になった。次の宿場町まで行く道が、山に数日降り続いた雨のせいで地盤がゆるみ、昼過ぎあたりに土砂崩れを起こしたとかで通行止めになっており、かなり迂回しなければならなかったからだ。
エルは、荷台で毛布にくるまり、かたい床で眠れない夜をすごしていた。真っ暗な夜の山にこだまする野生動物の鳴き声。バタタと近くで鳥が飛び立つ音がし、エルはそばで寝ている父親に抱きついた。
「フクロウか何かだよ。紅竜と白竜がいるから、動物は襲ってこないから安心しろ。何かあったら、ライアスが教えてくれる。どうした、ふるえているのか、寒かったらいっしょに寝よう。」
レックスは、ぎゅっと息子を抱きしめた。ふるえていたエルは、まもなく寝息をたてていた。わすれていた記憶が、脳裏によみがえってくる。自分もこうして、今は亡き父親の胸にだかれて、夜をすごしていた。
そして、次の日の昼前、宿場町にたどりついた。レックスは、宿に行く前に食料を調達する。そして、町の食堂にエルをつれていき、食事ついでに店のマスターから、いろいろと話をきいていた。
「盗賊とか夜盗の類は、ほとんど出ないよ。この辺りの街道や町は比較的安全だ。けど、山道に入ったり野宿する時は、気をつけたほうがいい。クマとかオオカミにおそわれた話をよくきくから。」
「ああ、気をつける。」
エルが、温めたミルクを飲みたいと言ったので、レックスは注文する。ミルクを持ってきたマスターは、
「しっかし、あんた、実にかわいい娘さん持ってるね。あんたもいい男だし、この辺りじゃ見かけない顔立ちだし、いったいどこからきたんだ。」
「イリアからだよ。去年死んだおれの女房が、ラベナ族の出でね。娘がどうしても、死んだ母親の故郷を見たいって言うから、つれてきたんだ。」
「イリアからか。エイシア経由の海路を使って、ずいぶん遠回りしてきたんだな。バテントスが海側の小国を占領するまでは、陸伝いにこれたんだがな。イリアに出稼ぎにも行けたし、家族ぐるみで稼ぎに行く連中もいて、そのまま向こうに住み着いちまったりしてたしな。あんたの嫁さんの家族もそうだったんだろ。」
「まあ、そんなモンだ。ところで最近、バテントスのこっち側に対する動きはどうだ。イリアとの国境沿いは、いまのところ静かだが。」
マスターは、むずかしい顔をした。
「カリス族が、また娘をバテントスにとられたらしい。前に出した娘二人のうちの一人が病気で死んだとかでな。あそこの後宮は、女同士の争いがひどいらしいよ。特に皇帝の子を産んだ女は、嫉妬の的になるらしく、いびり殺されるって話だ。毒でも盛られたんじゃないかってウワサだ。」
「いびり殺されるって、それ、ほんとの話かよ。はじめてきいたよ。そんなんで、よくまた娘を出す気になったな。でも、子供を産んだだけで殺されるなんて、ひどい話だな。」
マスターは、
「皇帝は、嫁にした女は、一度しか相手しないそうだ。若い時分はともかくとして、もう五十だし、本妻をふくめて数が多くて、人質妻など相手にしてられないらしい。そんな中で、運よく、子を産むことができた女は、大事にされるそうだ。けど、子を産むこともできなかった女は、タコ部屋におしこまれて、そこで死ぬまで暮らさなきゃならない。これじゃあ、嫉妬されてもしかたがない。どっちにしても地獄だよ。」
ユードス・カルディアの母は死んだときいた。ユードスの母親の死もたぶん、マスターの話と同じかもしれない。レックスは、
「じゃあ、死んだ娘は、子供を産んだってことだよな。その子は、今どうしているんだ。母親がいなければ、そんな修羅場みたいな後宮じゃあ、生きていけないんじゃないのか。おれは以前、人質妻から産まれた皇帝の子は皇族にもくわえてもらえない、冷や飯食いだってきいたことがある。」
「ああ、それは、私も知っている。みんな、知っている話だ。まあ、皇帝の子は、それなりの価値がある。政略結婚の他、中央政府に組み入れたりして、国の中枢を担わせたりする。一族総支配で成り立ってるんだよ、あの国は。だから、産まれれば産まれるほど、それなりの使い道はあるんだ。」
「なんか、モノ扱いだな、人質妻も、その子供達もさ。カリス族も、そこまで自分達の娘をモノ扱いされているのに、なんで、逆らったりしないんだ。」
「もう、逆らえるレベルじゃないんだよ、あそこは。四十年くらい前の族長が弱腰だったから、それで、つけこまれて言いなりになっちまったんだ。バテントスの政策も受け入れて、古来からの神々を祭った神殿も焼いてしまったって話だし、併合されるのも時間の問題だって、みんな、言ってるよ。」
話をきいていたレックスは、かなり驚いていた。マスターからきいた話は、クリストンからの報告には無かった。
「じゃあ、あそこが併合されたら、カリス族のとなりの部族が、バテントスの最前線にたたされちまうじゃないか。たしか、その部族は、」
「ああ、ナギ族だ。ラベナ族と仲がいいな。そうしたら、また戦争が始まるんじゃないかって、みんな、不安に思っている。ナギ族とカリス族は、今でも小競り合い程度の争いはしているんだ。それが、併合されたら本格的になっちまう。ラベナ族もだまっちゃいないはずだ。」
レックスは、がくぜんとした。マーレルの情報部は、まだまだ小規模だ。本格的な大陸情報を集めるまでは至ってはいない。それゆえ、大陸情報は、クリストンにたよりきるしかなかった。
(クリストンは、すべてをマーレルにつたえているんじゃなかったんだ。こんな、ちっぽけな宿場町の食堂のマスターが知っている話でさえ、おれは知らなかった。シゼレの方針なのか。)