二、出発(2)
庭には、すでに紅竜と白竜がそろっていた。エルが、ベランダに出てきた。
「ライアス兄ちゃん、その馬、変装しなくていいの? 二頭とも、すっごくめだつよ。」
二頭のそばにいたライアスは、ベランダのエルを見上げた。
「エル、にあっているよ、その格好。ぼくも昔、女の子に化けて、よくサラサの町に遊びに出てたんだ。さすが、ぼくの息子だ。」
「息子じゃなくて、兄ちゃんでいいだろ。フクザツな関係は、もういいよ。」
ライアスは、ベランダに移動した。
「なんだよ、もう一人のお母さんって呼んでくれてたじゃないか。まあいいや。今から、ちょっとおもしろいもの見せてあげるよ。エル、紅竜と白竜にむかって、ライアス兄ちゃんと父ちゃんの命令で、めだたなくなれって言ってごらん。」
「言ってどうするのさ。命令なら、兄ちゃんが、すればいいじゃないか。」
「言ってごらん。でなきゃ、出発できないぞ。」
エルは、チェと言い、言われるままにした。とたん、白竜は、灰色がった色に、紅竜は、赤茶系の地味な色合いに体色が変化した。びっくりしているエルに、ライアスは、
「白竜と紅竜は、ドラゴンの中でも特別なんだよ。もともと、この島の守護神みたいな存在で、非常に力がある神竜だ。双頭の白竜に変化することもできるから、体色を変えるくらい簡単にできる。この二頭には、馬車を引いてもらう。」
「えー、乗れるんじゃなかったの?」
「馬車の方が長旅では楽なんだよ。話、きいてなかったのか?」
「きいてない。なんだよ、がっかり。」
レックスは、
「港までは乗れるから、それでいいだろ。ライアス、エルを白竜に乗せてくれ。その方が、からっぽの馬を引くよりいい。エル、たづなはお前がとるんだ。ただし、白竜をたたいちゃだめだぞ。」
「わかった。でも、見た目がああじゃ、白竜乗ってる気分、出ないな。」
「ごちゃごちゃうるさいな。置いていくぞ。」
「いい子にするよ、もう! けど、父ちゃん、なんて偽名つかうんだよ。ぼくがフラムなら、父ちゃんはなんて名乗るのさ。ウォーレンとかじゃないよね。」
「理屈っぽいな、お前。ったく、だれかとそっくりだ。ウォーレンでいいんだよ。めずらしくもない名前だしな。」
ライアスは、
「だれかって、だれだよ。ぼくじゃないよね。」
「お前だ。お前の息子なんだしな。」
エルは、
「だから、フクザツな関係は、やめてって。わけ、わかんなくなるしさ。」
レックスとライアスは、顔を見合わせた。そして、笑い出してしまう。エルには、なんで二人が笑ったのかわからなかった。
船は、ダリウスの港を出港した。エルは、はじめて見た海に大はしゃぎだった。けど、夕方近くになり、はしゃぎすぎて船酔いをしたらしく、船室でぐったりしていた。ライアスは、王家の剣を使い、エルを眠らせる。そして、甲板に出てきて、暮れゆく海をながめているレックスによりそった。
ライアスは、シエラに変化した。レックスは、
「もう、複雑な関係は、終わったんじゃなかったのか?」
「こうしていたい。やっぱり、君が好きだから。」
「クリスに会えなくてさびしいんだろ。おれが代わりか。」
「たぶんね。でも、こうしていたい。」
レックスは、シエラの栗色の頭を見てほほえみ、海をまたながめた。
「いつまでも子供じゃないんだな、エルは。エルと二人で向き合って話すことなんて、今までなかったから、あそこまでいろんなことが、わかるようになってたなんて、気がつかなかった。子供の成長って早いものだな。」
「きっと、この旅で、エルもいろんなことがわかると思うよ。君もそうして、父親の背中を見続けていたんだろ。エルも、この旅で、君と言う父親を見続けるはずだから。」
「父親の背中ね。当時のおれには、父親なんて、飲んだくれて女の尻ばっかり追っかけまわしている、だらしない男にしか見えなかった。こんな最低の親もいないんじゃないかって、まじめに考えてたくらいだ。」
「でも、ちがったろ。」
「ああ、ちがった。時がたつにつれ、その大きさやすごさが、わかるようになった。今のおれじゃあ、とてもじゃないが太刀打ちできないよ。」
「ぼくは、父さんが好きだったよ。こまかいことなんて考えずに、ぼくを受け入れてくれたしさ。なんだかんだ言いつつも、仇の娘のシエラを君の妻にしてくれたし、大きな男だったと思う。とてもね。」
「ああ、大きかった。ほんとにな。」
海風が、黒く染めたレックスの髪をなでる。レックスは、シエラをそっと抱きしめた。
大陸東側の港湾都市へ到着したのは、ダリウスの港を発って五日後だった。港は今、漁業の最盛期で、次々と到着する漁船からの水揚げが、ひっきりなしに続いている。レックス達親子が港に下りた時も、大量の魚が港中に充満していた。
「父ちゃん、すごく臭い。魚ばっかりじゃないか。」
ライアスは、
「今年はかなりの大漁みたいだね。これ全部、近くの加工工場に運ぶんだろうな。でも、これだけ大漁じゃあ、さばくのも大変だろうな。エル、今夜は魚料理だぞ。楽しみだろ。」
「魚はもう、船でたくさん食べたよ。お菓子が食べたい。」
レックスは、
「ずいぶん、活気があるな。部族だってきいたから、もう少し、部族っぽい町かと思ってた。」
ライアスが笑った。
「ここは、この港を中心にした港湾都市だよ。クライス族の領地だ。東側には、都市と呼んでいいくらいの大きな町がいくつもあるんだ。港にある漁業組合に行こう。そこで、馬車の手配ができる。アッシュさんの知り合いと言えば、すぐに出してくれるよ。」
それでもって、手配されていた馬車、昔、レックスが荷運びに使っていたような幌付き荷馬車が、組合の倉庫におさまっていた。レックスは、受け取りのサインをし、船でいっしょに運んできた紅竜と白竜を荷台を取り付けた。
レックスは、
「さて、町に出て、旅支度の用意でもするか。生活必需品に食料に、えーと、着がえも、もう少し必要だな。薬も買わなきゃな。この幌、雨よけ用の油が、だいぶ切れているみたいだな。それも買って塗り直さなきゃ。」
エルは、
「そんなの使用人にさせればいいじゃないか。父ちゃんがすることでもないだろ。」
「使用人はいない。全部、自分達でするって約束だったじゃないか。エル、さっさと馬車に乗れ。夕方になる前に準備を終えてから宿に行くぞ。ライアス、今夜の宿は、あらかじめ予約してあるんだよな。」
「ああ、今夜だけはね。エルもはじめての旅だから、上等な宿を用意してある。」
「上等かよ。ふつうの宿でもよかったのにな。まあいい。どうした、エル。さっさと乗れ。」
「どうやって乗っていいかわからない。馬車って言うから、ふつうの馬車かと思った。荷馬車なんて、きいてない。」
レックスは、やれやれとエルを抱き上げ、御者席に置いた。
「かたい、座布団ないの? お尻、痛くなっちゃうよ。」
レックスは、どれだけ王子様なんだと思ってしまう。けど、そういう自分も、やわらかいイスになれきってしまってるせいか、かなり、すわり心地が悪い。レックスは、ムチではなく、行けと紅竜達に命令した。馬車は、ガラガラと走り始める。
町は、港同様、活気にあふれていた。道の両側には、びっちりと出店が並び、魚をはじめ、野菜、果物、肉、穀物、乾物、そして軽食やおかずを出す屋台が並んでいる。レックスは、時々馬車を止めつつ、保存がきく食料を中心に荷台につめこんでいった。
エルは、お腹がすき始めた。レックスは、馬車を止め、屋台から野菜や肉をたっぷりはさんだ大きなパンを買い、エルにわたした。
「どうやって食べるの。ナイフとフォークほしいな。お皿とナプキンも。」
「そのまま、かぶりつけ。口のまわりを汚したら、袖ででもふいておけ。」
「やだ、きたない。」
エルは、パンをレックスに返してしまった。レックスは、エルを横目でチラとながめたあと、かぶりついてしまう。そうして、おいしそうにムシャムシャ食べてしまった。指についた、ソースとか油をなめてしまう。
じっと見ていたエルは、
「父ちゃん、すごくきたないよ。昔、運び屋だったって、ほんとだったんだね。」
「信じてなかったのか。でなきゃ、馬を荷台につけるなんて、できやしないさ。おい、腹の虫がさわいでるぞ。あげパンの屋台が見えてきたな。いい匂いだ。さあ、どうする。」
エルは、てこずりながらも、なんとかパンを食べきった。汚れた指を父親のマネをしてなめてしまう。そして、うんざりした顔をした。レックスは、大きな金物屋で馬車をとめた。
エルをつれて店内に入り、調理器具や食器類、その他、日用雑貨などを購入したあと、薬屋で薬品類をそろえ、他にもいくつかの店に行き、必要だと思われる物すべてを馬車に積み、やっと宿へと向かった。
夕方だった。エルは、なれない荷馬車でつかれきってしまい、古い座布団を枕にして、荷台で横になっていた。そして、マーレルの感覚で言えば、けっして上等とは言えない宿に着き、すぐに眠ってしまう。
レックスは、やれやれと思いつつ、息子の寝顔をながめた。ライアスは、
「エルはたぶん、朝まで起きないよ。ぼくが見ているから、食事に出かけたら。」
「十歳でこうだもんな。五歳じゃあ、とてもじゃないが、たまったもんじゃなかったろうな。しかも、命からがらの逃亡生活じゃあな。親父が、イライラしていたのもわかる。」
ライアスは、ほほえむ。
「だから、つれてきたんだろ。エルのため、と言うよりも君自身のためにね。旅は始まったばかりだよ。エルもそのうちなれるさ。めげない、めげない。がんばれ、お父さん。」
「お前は気楽でいいよ。」