二、出発(1)
その晩、ライアスは久しぶりに、シエラの中で休んでいた。夢の中で、二人はずっと語り合っていた。いろんな話が出た。小さいころから今にいたるまで、シエラが忘れてしまったことまで、ライアスは詳細に記憶していた。
ライアスは、
「時間の長さでは、君とすごした時間が一番長い。だから、ぼくの半分は、君とすごした時間でうめられているんだ。最初は君を愛して、次はレックスを愛した。そして、今はクリスだ。愛する人は、時間とともに変わってきている。たぶん、これからも変わり続けていくだろうね。」
「クリスのこと、一生愛するんじゃないの?」
ライアスは、目をとじた。
「さあねぇ、どうだろうねぇ。レックスを愛した時、彼だけを一生愛すると決めてたけど、今はクリスをそう思っている。それはたぶん、その時間だけの思いなんだよ。けど、今はこの時間を大事にしたい。」
「兄様は今、ライアスとして、やり残したことをしていると考えていいのかな。本来ならば、もう結婚していて子供もいて、立派な中年になってたはずでしょ。」
ライアスは、苦笑した。
「中年は、よけいだよ。まあ、四十過ぎてるだろうけどね。君の体をかりたばかりに、最初に君、つまりシエラとしての人生を、しばらく歩むはめになったけどもね。でも、それはそれで、とてもすばらしいことだった。」
「ね、兄様。もう一度、私にならない。やっぱり、兄様がいないと半分なくなったみたいなの。」
「君はもう、立派な一人の女性だよ。ぼくなんかよりも、夫をたよりとするべきだ。それが、君という女性が歩むべき道なんだから。」
「やっぱりもう、前みたいにならないのね。」
「ああ、卒業だ。レックスはすでに卒業しているよ。一人前の大人の男性だ。ぼくをとっくの昔に追い越してしまったよ。今では、ぼくが彼を、たよってばかりだけどもね。」
シエラは、笑った。
「兄様は、卒業してないじゃない。ううん、それでいいのかもね。兄様、レックスのこと、たのむわよ。私、もう、ついていけなくなったから。」
「君は立派なレックスの妻だよ。そして、国王の后だ。ぼくは君を誇りに思う。」
「ありがとう、兄様。それだけでいい。」
シエラは、涙をふいた。
国王が、しばらく留守にして旅に出るなんて、そう簡単に側近達が納得するはずがない。さんざん、もめたあと、シエラの説得もあり、とりあえずなんとかなった。が、条件がきっちりつけられてしまった。
必要行事や重要な国会があるときは、必ずもどって出席すること。何もなくても十日に一度はマーレルに帰ること。そして、旅行期間は、イリアに行く前三ヵ月間だけとし、イリアには、必ずマーレルから出発すること。
同行するライアスは、シエラに報告をするために毎日帰ってくること。何かあったら、旅行を中止するなどなど、その他、実にうるさい条件をつけられて、マーレルを出発できるようになったのは、春も半ばになってからだった。
三ヵ月、という短い制約があるのだから、旅行はかなりの効率を考えて、東側をまわらなければならない。幸い、マーレルと連携しているクリストンの情報部が、東側に出入りしていたので、その情報をもとに作成した、現時点のでの東側勢力地図みたいなものがマーレルの情報部に用意されていた。
ライアスは、その地図を見ながら、出発前の前夜、東側について、いろいろと説明をした。
「東側諸部族は、大小合わせると、百以上もの部族がある。その中で、最大の勢力をもち、イリアから王女をもらっているのが、ラベナ族だ。
以前、ぼくの叔父サイモンが、同盟取り付けのために奔走した部族だよ。この部族を説得できたからこそ、今の同盟があるんだ。まずは、ここの部族を目指そう。
そのラベナ族と、前々から同盟をむすんでいたのが、西側にある三番手のナギ族。そのとなりにあるのが、二番手のカリス族だ。
カリス族は、バテントスと部族領地が接している関係上、バテントス寄りで、族長の娘が二人、バテントス皇帝の後宮に人質にとられている。当然、同盟には入っておらず、他部族と常に緊張状態にあるときいている。」
レックスは、地図の上、北側にある小部族を指さした。
「カルディア族と書いてあるな。ユードス・カルディアの部族だろ。」
ライアスは、うなずいた。
「カルディア族は、太古の精霊と交信ができるとされる部族だ。少部族だが、その大半は、ユードスのような霊能者だという。ウワサだけど、ドラゴンをあやつる騎竜兵もいるらしい。
いちおうニキスの戦いのあと、同盟には入ったが、他部族との接触は必要以上にしてないようだ。住んでいる場所も、人が行き来がむずしい山岳地帯が多いし、東側でも、謎が多い部族とされている。」
「クリストンに兵を送ったくらいだから、バテントス寄りだとみていいんだな、その部族は。」
「兵を送ったからって、バテントス寄りとは限らないよ。同盟ができるまでは、それぞれの部族で、勝手にバテントス対策をしてたくらいだ。人質として、何十人でも部族から取られていたとしても、おかしくはないだろう。」
「じゃ、同盟は、かなりの決断で結ばれたんだな。お前の叔父さん、よくやったよ。」
「それだけ、東側もせっぱつまってたんだよ。仲の悪い部族まで、まとめての同盟なんて、第三者でなきゃできないことだったしね。サイモンももう、六十のおじいちゃんだし、この世にいるうちにマーレル呼んで、君からじきじきに、その功績を認めてあげた方がいいよ。」
「だよな。イリアから帰ってきたら、勲章用意するか。サイモンとも、何年か前に会ったっきり、会ってないよな。もう、そんな歳になったのか。」
「そ、光陰矢のごとし、って言うしね。シエラともしばらくお別れだ。」
「十日に一度は、帰ってくるんだぜ。しばらく、お別れじゃないよ。そう言えば、お前、ここんとこシエラと仲いいな。仲なおりして、もとのサヤにおさまったみたいだな。」
「うん、おさまった。けど、ふつうの兄と妹としてね。以前のように、きょうだいだか、恋人だかわかんない関係は、もうおしまい。君との関係もすっきりしたし、なんだかホッとしている気分なんだ。」
「きょうだいで思い出したが、シゼレんとこ、また子供が産まれたってきいたな。何人、いるんだ。あそこは。」
ライアスは、両手で数えた。
「九人になるな。双子もいるしね。いま、産まれた子を含めて、男四人。女は五人か。名前は、全部おぼえてない。多すぎてさ。」
「なんか、うらやましい。こっちは、マルーをのぞいて三人だけだ。ルナは養女だし、実質二人か。シエラももう三十だし、できたとしてもあと一人が限界かな。」
「側室という手もあるよ。けど、君はもらう気は無いみたいだしね。」
「無い。おれは、シエラ一人で満足してるから。」
ライアスは、律儀なことでと思った。国王の妻は、確実に跡継ぎを残すよう、最低でも二人はいるから、レックスは例外と言ってもいい。レックスは、あくびをした。
「もう、寝よう。明日は早い。」
翌日、レックスとエルは、通常の護衛とともにマーレルを出発した。海岸にある避暑用の王族の別邸での長期休暇という、ふれこみだ。十年以上、休みなく働き続けてきたので、ここらで休みをとって精力をたくわえたい、そんな理由である。
別邸までは、馬車で四日間程度の旅だ。そして、別邸についたら、一般人に変装して港まで行き船に乗り、大陸に到着次第、あらかじめ用意していた馬車で二人旅、という筋書きである。
別邸に到着したレックスは、金色の髪を黒く染めた。そして、エルは女の子にされる。とびきりかわいい下町の女の子になった。本人は、鏡の前で、いやそうな顔をした。
「ぼく、女の子いやだよ。父ちゃんみたいに髪そめるよ。」
「めだちすぎるんだよ、お前は。女の子だったら、まだ、ごまかしようがあるんだ。旅行楽しみにしてるんだろ。だったら、がまんしろ。お前の名前は、フラム。むかーし、母ちゃんが使ってた偽名だ。」
エルは、ますますいやそうに顔をしかめた。そして、鏡の中の父親に話しかける。
「お母さんてさ、昔はちゃんとした女の人だったんでしょ。どうして、男装なんかしてるのさ。」
「そりゃ、なんども命をねらわれて、ああするしかなかったんだよ。はじめて会ったころの母ちゃんはな、そりゃ、きれいだったんだぞ。栗色の髪がフワフワでな、ほっぺたはピンクだったし、くちびるなんて、花びらみたいだったんだぞ。」
エルには、ピンとこない。ふだんのシエラは、たとえドレスを着ていても、化粧なんてほとんどしないし、おしゃれとは程遠い。
「父ちゃんの趣味って、結局、男の人みたいな人が好きなんでしょ。いさましくて、しっかりしていてさ。ライアス兄ちゃんみたいなタイプ。兄ちゃんとは、今はどうなっているの? 兄ちゃんは、お母さんになれるし、まだ夫婦なの?」
「今は、ただの友達だ。お前も、おれ達のフクザツな関係、わかるようになったのかよ。もう十歳だもんな。もうすぐ、十一になるんだよな。そろそろ、生意気な口きくようになってきたんだよな。ところで、マルーとはどうなっている?」
「キスなら、よくしているよ。あのさ、ミランダがね、おとといの晩さ、マルーが大人になったって言っていた。意味がよくわかんなかったけどさ。」
どうやら、初潮がきたようだ。マルーも十三だ。心身ともに大人になっていく歳である。
「まあ、そのうち意味がわかるさ。あのな、エル。マルーはお前が好きなんだよ。お前は、マルーをどう思ってんだ。そのことをききたかったんだよ。」
エルは、鏡にうつっている自分の姿をながめた。
「きらいじゃないよ。けど最近、なんかうざったい。だから、旅行楽しみにしてたんだ。ね、帰ったら、マルーとは別の部屋でいい? 一人になりたいんだ。」
「お前は、マルーと結婚してんだ。夫婦なんだよ。父ちゃんと母ちゃんみたいにな。いっしょにいるのが当たり前だ。聖堂での結婚式、おぼえてないのか。」
「わすれちゃった。ねぇ、どうして結婚することになったの。ぼくだって、父ちゃんみたいにレンアイしてみたかった。」
レックスは、エルを抱きしめた。
「ごめんな。イリアとの同盟のために必要だったんだよ。おれとシエラも当時の複雑な事情で、お前と同じような理由で結婚したんだ。相手をえらべなかったのは、お前と同じだ。でも、恋愛したんだ。好きになったんだ。お前も、マルーを好きになればいいんだよ。」
エルは、父親からはなれた。
「どうやって、好きになったらいいのかわからない。ルナ姉ちゃんは、マルーの味方だから、もう少し優しくしろとか大切にしろとか、うるさいけど、どうやって大切にして優しくしていいのか、それもわからないんだ。女って、どうしてこう、めんどくさいのかな。父ちゃんが、お母さんみたいな人、好きになった理由がわかるよ。」
レックスは、エルのふてくされている顔を見つめた。
「あせる必要はないさ。お前ももう少し大きくなったら、わかるときが必ずくる。でも、マルーを、うざったいなんて思うのはよくないな。お前が、逆の立場だったら悲しいだろう。」
「そうだけどもさ。でも、やっぱりうざったい。」
エルもそろそろ思春期なのだろう。マルーを異性と意識し始めたからこそ、うざったいなんてセリフが出てくるのだろう。レックスは、エルの肩をたたいた。
「さて、準備もできたし、そろそろ出発するぞ。おい、ライアス。紅竜と白竜は、マーレルから呼び寄せたんだよな。到着してるんだろ。」
レックスは、二階の窓から顔を出して庭にいたライアスに話しかけた。