一、招待(2)
シエラは、
「レックス、公人という立場を考えなさい。あなたは、あなただけのものではないのよ。エイシアという国の王なのよ。ったく、いつまでたっても、運び屋時代の感覚が、ぬけないのね。いまだにフラッと、一人で出かけるくせがあるしさ。それとおんなじように、親子二人旅を考えているんじゃないの? 無責任すぎるわ。」
だまってきいていたライアスは、
「シエラ。これは、エルのためにやるんだよ。紅竜ですぐに帰れるんだし、ぼくもいっしょだから、そんなに大げさに考えてなくてもいいだろう。たしかに、国王が国をあけるのは、さまざまな問題もあるだろう。君の言うことももっともだよ。
けど、イリア国王からの招待もあるし、どのみち秋をはさんで、三ヵ月間は留守にしなきゃならなくなる。留守にしただけで、国王としての責任を放り出していると決めては、イリア国王の招待も断わらなければならない。招待してくれた同盟国に対して失礼じゃないか。」
「兄様は、だまっていて。これは、私とレックスの問題よ。」
「いいや、だまらない。公人とか言っといて、何が私とレックスの問題だ。公私混合しているのは、君の方じゃないのか、シエラ。」
シエラは、ライアスをにらみつけた。
「兄様こそ、イリア国王の王女なんかと付き合って、こっちの情報、垂れ流してるんじゃないの? 色香にまどわされてさ。」
レックスは、シエラのほおを軽くたたいた。そして、怖い目で言う。
「ライアスは、そんなことはしない。二人の交際は、あくまでも個人としての関係に限定されているんだ。でなきゃ、四年も続かない。」
シエラは、ほおをおさえ、ツーと涙をながした。
「なぜ、あなたは、そんな顔をしていられるの? とられちゃったのよ、私達の大切なものが。私とあなたをつなぐ大切なものが、とつぜんやってきた見知らぬ女に奪われちゃったのよ。私達だけの大切な宝だったのよ。とても大切な。なのに、とられちゃった。こんなに、あっさりと。」
ライアスは、
「ぼくは、だれにも、とられてはいない。たしかにクリスを愛しているけど、ぼくの居場所は、ここだ。だから、向こうに出かけても、帰ってきているじゃないか。」
「愛している、なんなのそれ。レックスが一番好きだったんじゃないの? 私が一番大切だったんじゃなかったの? クリスと付き合い始めてから兄様は、私の体を使わなくなった。いつも、レックスだけ。レックスだけよ。」
レックスは、
「それは、お前が原因だろうに。いつも、不機嫌だったら、使わせてくれなんて、たのめるはずもないだろう。」
シエラは、
「ぜんぶ、あのイリア女のせいよ。あの女がきたせいで、めちゃくちゃになってしまった。返してよ、私の兄様を。私の大事なあの子を。」
シエラは、ベッドにふせ、ワッと泣き始めた。ライアスは、悲しげな顔を残し、その場から消えてしまう。レックスは、
「おれからは、そのことにかんしては何も言えない。おれは、ライアスを愛しているから、クリスとの付き合いに賛成してるんだ。あいつの笑顔を見たいからな。けど、お前をこうまで苦しめる事になるなんて考えもしなかった。」
「考えたら、反対してくれた?」
レックスは、いいやと首をふる。シエラは、
「レックスは、いつだってそう。私よりも、あの子の味方だもんね。」
「嫉妬してるのか。クリスにも、そして、おれにも。」
シエラは、何もこたえなかった。ただ、顔をベッドにおしつけているだけだ。レックスは、仕事に行くとだけ言い残し、寝室を出て行った。シエラは、そのまま仕事にも行かずに、ずっと寝室のベッドですごしていた。
昼近くになった。ミランダが、様子を見に入ってくる。シエラは、はれぼったくなった目を、ミランダに向けた。ミランダは、無言で一通の手紙をシエラにさし出した。内容を読んで、シエラはびっくりする。
ミランダは、
「マルー様は、前々から、クリス様とライアス様のことで、シエラ様が苦しんでいらっしゃるのを御存知でした。だから、そのようなお手紙をクリス様に宛てて書かれたのです。マルー様が、これを私に託したのは数日前でした。イリアへの書簡に混ぜて出してくれと。」
「マルーは、宮殿から出される書簡類は、個人的な手紙もふくめて、内容はすべてチェックされることを知らなかったみたいね。ありがとう、ミランダ。おかげでたすかったわ。」
シエラは、手紙を破り捨てた。そして、暖炉に入れ火をつけ燃やしてしまう。ミランダは、
「マルー様は、周囲を気づかう、とても優しいお方です。シエラ様のお気持ちもわかりますが、これ以上はもう、お心を乱さないでほしいのです。だれよりも、マルー様が傷つかれますから。」
シエラは、目をふいた。
「わかってるよ、そんなこと。でも、どうしようもないもの。ずっと、いっしょだって、死ぬまでこのままだって信じてたのよ。なのに、こんなにもあっさりと、バラバラになってしまうなんてさ。」
「私の目からは、この状態が、本来の姿であったように見えます。ライアス様が、肉体をお持ちでしたら、このようになっていたはずです。お相手はクリス様ではなく、エイシア人でしょうけどもね。」
「わかっているよ、何度もそう思い、自分に言い聞かせたもの。でも、四年しても無理だったの。だって、兄様は、二十六歳のままなのよ。なのに、私達のほうが、どんどん歳をとっていく。生きていたら、兄様だって、四十過ぎているわ。けど、現実には、私達のほうが兄様より年上なのよ。」
ミランダは、
「でしたらもう、男装は、やめてください。女性としてのシエラ様にもどってください。髪をのばし、美しく着飾ってください。王后らしくです。シエラ様は、ライアス様としての生き方をしすぎたのです。
ライアス様にお体をかしていたのですから、男装したほうが、お仕事がやりやすかったのは事実でしたが、これ以上続ける必要なんてないはずです。もどってください。女として生きて下さい。」
「無理よ。女としての感覚を忘れてしまったもの。いまさら、もどれないわ。」
「ですから、見た目だけでももどってください。そうすれば、そのうち、感覚がもどってきますから。」
「女としての感覚。私、見た目だけじゃなく、ほんとに男になってしまってたんだ。レックスや兄様の役に立ちたくて、強くなりたくて、努力し続けた結果が、これだったなんて。ウソ、悲しすぎる。」
シエラは、ベッドで力をおとしてしまった。そして、
「ミランダ、すぐにドレスを用意して。ドレスがととのいしだい、今ある服はすべて処分するわ。化粧品や宝飾品もたのむわ。」
ミランダは、うなずいた。シエラは、
「私ね、レックスが、最近よくわからなくなってきたの。ゼルムとの戦争が終わったあたりから、どんどん変わり始めて、私が知っていたレックスじゃなくなった。何を考えているのかすら、わからなくなり始めているの。」
「どう、わからなくなったのですか。」
シエラは、ベッドにチョコンとすわる。
「最初はね、レックスと結婚した当初はね。バテントスを追いはらったら、ごくふつうのダリウスの王様になると思ってたの。今までの王様と同じようにね。なのに、数年もたたないうちに、レックスはエイシアから外の世界に目を向け始めている。
こんなエイシア島なんて、ちっぽけな存在のように思っている。私には、この島がとても広く感じられるのに、レックスは小さいって考えているのよ。そして、外へと飛び出そうとしている。私を、ここに残してね。」
ミランダは、うつむいた。シエラの言うこともたしかだ。急速に進む外交。異国人との交じり合い。鎖国が長く続いたエイシア人の感覚では、レックスの方針に、ついていけない者も多い。
シエラは、
「エルの時代には、もっと多くの異国との関わり合いが、できてくるでしょうね。そして、それにともなうトラブルもね。だから、レックスは旅をしたいと言い出したのね。おちついて考えればわかることなのに、私、取り残されることばかり恐れて、ケンカになってしまった。」
「でも、いきなり旅に出るなんて言われたら、だれだって驚いてしまいますよ。言い出したレックスもレックスですよ。深く考えもせず、思いつきで言い出したんでしょう。」
「思いつきじゃないと思う。たぶん、前々から、海の向こうへ行きたいと考えてたんでしょうね。イリア王から招待がきたので、ずっと考えてたことを口に出したんだと思う。」
「でも、親子二人旅なんて、国王がすることではないですよ。昔じゃあるまいし。」
「だからだと思う。レックスは、父さんのあとを追ってみたいと思ったんじゃないかな。父さんが、何を考えて旅をしていたのかってね。警護とか、いろいろと問題あるでしょうけど、まずは心配ないと思う。兄様もいっしょならね。」
「ですが、シエラ様の負担が大きすぎます。」
シエラは、小さく笑った。
「それが、私の役目なのかもね。レックスにはもう、いろんな意味で、ついていけなくなったしね。ついていくことができないなら、私は留守を守るしかない。レックスが安心して帰ってこられる、この国を守り通すのが私の役目。王后である、私の仕事。まちがってないよね、ミランダ。」
「私からは、スケールが大きすぎて、なんとも。私は、ただの主婦ですからね。夫の留守の家を守るだけです。」
「家が国になっただけじゃない。でも良かった。まちがってなかったみたい。」
「やはり、大きいですよ。シエラ様は御立派です。」
そして、昼過ぎ、ライアスはシエラの執務室に顔を出した。
「さっき、クリスに会ってきた。イリアに正式に訪問するまで、もう会いに行かない。ごめん、ミランダとの話、廊下できいていた。」
「そう、クリスは悲しんだでしょうね。」
「マルーに、そんな思いをさせてたなんて知らなかったって。ぼくも、浮かれすぎてた。彼女に会うのが、すごく楽しくて、家族の気持ちなんて眼中になかった。君に、ああ言われても当然だよね。」
シエラは、書類に目を通していた。ライアスを、まったく見ていない。ライアスは、
「でも、これだけは信じてほしい。ぼくは、国を売るようなマネは、いっさいしてない。クリスもだ。ぼく達は、たがいの国の事情は、公式ルート以外は知らないし、しろうともしない。その証拠に、イリアからの招待は、使者がくるまで、ぼくは知らなかった。知ってたら、レックスはもっと早く、旅に出たいと言ったはずだよ。」
シエラは、顔をあげた。ライアスは、
「レックスには言わなかったけど、クリスと付き合うことで、いろんな妨害があったんだ。国王以外は、たしかにぼくの存在を知らないけど、宮殿にイクソシストとか何度も呼んできたんだ。クリスを、女にもどして、適当な貴族と結婚までさせようとしたし、これ以上、娘にまとわりつくなら、マルーを連れもどすとまで言われた。」
シエラは、おどろいた。
「じゃなぜ、直接レックスに言ってこなかったのよ。それだけ迷惑がっていたらさ。」
「ぼく相手に、脅しは通用しないよ。それに、好きな女性に会いにきて何が悪いと、ぼくは考えていたからね。」
「つまり、どうどうとクリスとお付き合いしたいと、国王陛下に言ったのね。なんども、しつこく。」
ライアスは、うなずいた。
「一年目をこえたあたりから、折れ始めてきた。ぼく自身が、双頭の白竜を呼び出せるし、幽霊という特殊な立場を利用して、国政をかぎまわらないとも限らない。だったら、いっそのこと立場を認めて、交際ルールを決めて、守らせたほうが得策だと判断したんだ。それで今では、すっかり気に入られてしまったというわけ。」
「ついでにレックスも気に入られというわけね。ほんと、兄様らしい手際ね。で、出発はいつなの?」
「夏が終わるころだよ。旅程を考えると、そのあたりがベストだ。人選は、君にまかせる。けど、大げさにはしないでくれ。レックスの方針だから。」
「東に、いつ行くのかときいてるの。」
ライアスは、耳をうたがった。シエラは、
「きこえなかったの。東にいつ出発するかときいたのよ。早い方がいいんでしょ。」
ライアスは、シエラに抱きついた。
「ありがとう、シエラ。」
シエラは、赤くなった。ライアスはすぐに消えたが、シエラの体には、ライアスが抱きついた感触がいつまでも残っていた。