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羊の短編集。

独占欲と所有欲。

作者: シュレディンガーの羊
掲載日:2011/08/11


「私は宵汰の幸せを一番に願ってるよ」


樹里は花咲くような微笑でそう言った。

夕日が世界を朱に染め上げて、手を繋いで家路につく二人の影を淡く伸ばす。


「私はそれだけを願ってるから」

「ありがとう」


切々と繰り返される言葉に笑みを零す。

樹里は嬉しそうに宵汰の手を指が絡む様に握り直した。

華奢なその指はひんやりと冷たい。

その手をあまり力を入れずに黙って握り返す。


「宵汰はきっと幸せになれるよ」


いまはもう遠いあの日。

最後にそう言って彼女は微笑んだ。




まどろみの中で二人が手を繋いでいた頃の夢を見た。

あの頃は確かに幸せだった。

ゆるゆるとした覚醒。

腰掛けた椅子の感覚と夏の香りが、次第に鮮明になっていく。

風にはためくカーテンに、夕日の色が透けて見えた。

ここが教室だと理解するのに、寝ぼけた思考が5秒を要する。

なんで教室なんかで寝ていたのだろう。

そして、黒板の前に一人の少女がいることに気づく。


「……樹里?」

「あ、起きたんだ」


長い黒髪を翻しながら彼女は振り返る。

まだはっきりしない頭は夢の中にいるようで、何もいわず曖昧に頷く。


「起きるの待ってたんだから」


艶やかな唇が三日月を形作る。

音のない妖艶な笑みが宵汰をまっすぐに見つめた。

いつから樹里は声を出さずに笑うようになったのだろう。

そんなことをふと思う。

突然に樹里が唇に手を当てて、ねぇ宵汰、と首を傾げた。

甘えるような仕草と蜂蜜のような絡み付く艶やかな声音。


「先週の月曜、三組の子と下校してたよね」

「あぁ、日下部さんのこと?確かに委員会で遅くなったから送った」

「そっか」


ひとつ頷いて樹里が一歩だけこちらに歩を進める。

なんでそんなこと聞くのだろう。

日下部と樹里は友達だっただろうか。

突然の問いに内心、首を捻る。


「あと、クラスの子の家に行ったよね」

「え?あ、えーと米澤さん?それは休んでたから学級便りとノートを届けに」

「そう」


目を猫のようにすっと細め、樹里はまた一歩だけ近づく。


「でも、それ一ヶ月も前だろう?よく覚えてるな」


重ねられた問いに思わず眉を潜めて尋ねる。

けれど、樹里は答えずに静かに笑みを浮かべるだけ。

そういえば、なんで樹里はそんなことを知っているんだろう。

届けに行ったのは宵汰の独断で知る人はいなかったはずなのに。


「ぢゃあ、六組のあの子のことは?」

「え?」


完全に予想外の質問に疑問符を返す。

くすりと唇から零れた声は不思議な温度で耳に届く。


「三宅さんて言うのかな?」


宵汰のカノジョ――――踏み出された一歩と共に、冷水をかけられたように頭が冴えた。

気づけば、樹里は宵汰の目の前にいた。

半分影を落としたその顔は仮面のように歪つに目に映る。

樹里は唇を静かにつり上げ、そっと囁く。


「言い訳はだめ。白を切るのもなし」

「……なんで知ってる」

「宵汰のことなら、なんでも知ってるもの」


動揺を殺して問うても、樹里はふざけた返事しか返さない。

喉が、乾く。

言葉にならない何かが教室を支配する。


「だからね」


樹里はそこで言葉を区切る。

その瞳に研ぎ澄まされた感情の一片が過ぎった。

あぁ、そういえば、樹里は後ろ手に何を持っているんだろう。

違和感の積み重なりが宵汰の思考の思考を鈍らせる。

樹里は後ろに回していた手を、ゆっくりと胸の前に持ってくる。


「どうしても許せないの」


鈍く光沢を放つそれは、一部を赤く染めていた。

樹里は愛おしそうにナイフの刀身を指でなぞる。


「だって、宵汰の一番の幸せは私といることだもの」


恍惚としたその顔に言いようのない感情を覚えた。

幼なじみの初めて見る顔に、宵汰は動けなくなる。


「なんでわからないのかな?私しか宵汰を幸せにできないのに。宵汰と手を繋いでいいのは私だけなのに。それなのにそれなのにあの子はっ」

「それ、どういう意味だ」


台詞の後半から明らかな憎悪が見て取れて、慌てて口を挟む。

とある予感が頭を掠めていく。

そのナイフについた赤は。

青ざめた宵汰に樹里はすっと冷めた視線を寄越す。


「気になるの?」

「いいから答えろっ!」

「……あの子、馬鹿なの。呼び出したらなんの疑いもなく来た。聞いたの。宵汰とつき合ってるのかって。初めは否定したけど、しばらくして認めた」


淡々と機械的に吐き出される言葉に熱はない。

だから宵汰は訊いた。


「それでどうしたんだ」

「殺しちゃった」


悪びれもせず樹里は嗤った。

まるで、小さな悪戯をばらす子供のように。

ひたすらに無邪気に。

全身から力が抜けた。


「宵汰は私といればいいの。それ以上、願っちゃだめ。だって、私は宵汰の幸せを一番に願ってるから。宵汰は私とだけいればいいの」


溢れ出すように吐露されていく、限りなく閉ざされた世界。

やっと思い出した。

どうして、教室なんかで寝ていたか。

樹里に薬を飲まされたんだ。

その後、気を失って、ここに運ばれた。


「宵汰が私以外の子を選ぶはずない。宵汰の幸せは私。私は宵汰の幸せ」

「俺の幸せは俺が決めるよ」

「え……?」

「お前の幸せを押し付けないでくれ」


目を伏せて、首を振る。

視界の隅にちらつく金属光沢は知らない。

ただただ、間違っていると思った。


「私のこと嫌い?」

「そういう問題じゃない」


壊れそうなほど頼りない声が頭上から降ってくる。

それに再度、首を振る。


「なんでわかってくれないの?」


どうして――――悲痛な叫びを無視する。

短く息を吸う音が聞こえた。

顔を上げれば泣き出しそうな樹里の顔。

それに優しく手を伸ばしかけ、


「なら、死んでよ」


そのまま、動きを停止する。

一瞬で膨れ上がった感情の爆発。


「死んでよっ!」


閃く銀色の軌跡。

頬を掠めた刃。

今度こそ本当に動けなくなった。

樹里は両手でナイフを握り締めて、震える声を荒ら上げる。


「なんでわかってくれないのよっ!?私は宵汰の幸せを願ってるだけなのにっ」


違うよ。

口の中で囁く。

違うよ。

樹里は自分が幸せになりたいだけだ。

宵汰の幸せなんて考えていない。

押し付けの本当の幸せなんて幸せじゃない。

その言葉は空気を震わせない。

そして、震わせたところで樹里には届かない。

だからこそ、宵汰はただ笑った。


「樹里は嘘つきだ」


驚愕に見開かれた瞳から、涙が頬へと滑り落ちる。

それが床を叩く前に、樹里は訳のわからない叫びを上げながら宵汰に向かってナイフを振り上げた。

宵汰はその姿を見つめ


「ごめん」


すんなりと謝罪が口から伝い出た。

手を伸ばし、ナイフを上手く反転させる。

そして、そのまま倒れ込むように体重をかけてきた樹里を抱き止める。


「……あ」


樹里がか細い吐息を零した。

嫌な音がした。

嫌な感触がした。

床を血が叩いた。

樹里の身体が大きく痙攣する。

その腹部にナイフが深々と刺さっていた。

瞬く間に赤がシャツを浸食していく。


「ごめんな」


耳元でもう一度だけ囁く。

それを合図に樹里が床に崩れ落ちた。

床に血溜まりが広がっていく。

何が起こったのかをやっと理解した樹里が身体をくの字に折り、口に手を当てた。

途端に吐き出されるた血の塊に目を見張る。

そして涙に濡れた瞳を宵汰に向けた。


「どう、して……?」

「どうしても」


唇を震わせ懸命に吐き出された言葉に即答する。

椅子から立ち上がり、服が血溜まりに浸るのさえ構わず傍らに膝をついた。

樹里の目から次々に溢れる涙を拭う。


「許せなかったんだ」


彼女が口にした台詞を唇にのせる。

愛おしかったから、許せなかった。


「俺を欲しいって言わなかったから。俺のためって言い訳したから。俺のものになろうとしないから。決して俺にお願いしなかったから」


呪詛のように途切れることなく紡ぐ。

樹里は膝を折り、額を床につけ、乞わなかった。

宵汰が欲しいと言わなかった。


「だからだよ」


焦点の合わない瞳から、最期の涙が流れて血に波紋を打った。

樹里はもう息をしていなかった。

雪のような白い肌を指でなぞる。

華奢で冷たい樹里。

あの日と同じ。


「これで一生、俺のものだ」


宵汰は呟いて、笑みを浮かべた。

殺されると思った時、身震いするほど嬉しくなった。

だが、同時にそれでは駄目だと思った。

それでは樹里は手に入らない。

なら、自分が殺してしまえばいい。


「幸せだ。俺は一番幸せだ」


樹里が宵汰を追い詰めるたびに、近づく距離に心が弾んだ。

わざと他の少女と接触してみたのは成功だった。

宵汰を手に入れるために、その少女を殺したこともおぞけが走るほど歓喜した。


「樹里」


宵汰は嗤う。

樹里の腹部に刺さったナイフを、そっと抜くと心酔したように。


「樹里」


そして、宵汰は自らの腹部にナイフを振り下ろした。

友人からのリクエスト。

病んでる少女。


二回目に読むと印象が変わる話が書きたかった。

が挫折。いつか再挑戦したい。

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