違和感
俺は車両の影で地図を広げながら、指で現在地をなぞっていた。王都から北に、街道を約1日進んだ地点。黒の森と呼ばれるこの一帯は、地図上ではただの濃い緑で塗りつぶされているが、実際には王国側が「管理を諦めた領域」だ。
──スタンピード。
王様から聞いたその言葉を、頭の中で反芻する。
魔物が異常発生し、群れを成して森の外へ溢れ出す現象。原因は不明、周期も不定。王国では「災厄」として扱われ、発生すれば騎士団と冒険者、時には国家の主力である魔導師団が動員される。
だが、今回はそれだけではない。
「ここから先は、王国としても詳細な記録がありません。魔物の種類も多岐にわたります」
「聞いてる。ゴブリン、オーク、コボルト……」
「ええ。いわゆる“低位魔物”ですね。集団行動を取る知能を持つものたちです」
俺はその言い方に、少しだけ引っかかりを覚えた。
「低位、ってことは……上もいるんだな」
「当然です」
ゼインは即答した。
「オーガ、トロル、ワイバーン。さらに森の奥では、アンデッドや魔獣、場合によっては──」
言葉が一瞬、途切れる。
「……ドラゴン」
人型と同じく、知能を持った魔物。ワイバーンの上位種で、空を飛ぶ上に攻撃力・防御力も尋常じゃない。まさに「生きる災害」だそうだ。
俺は地図を畳み、立ち上がった。
「つまり、想定より厄介ってわけだ」
「そうなります」
ゼインは苦笑したが、その表情はどこか安心しているようにも見えた。
「ですが、あなた方が来てくれた」
「……過大評価だ」
「いいえ。我々も、あなた方の装備を見て動揺しています」
ゼインは少し言葉を選びながら続けた。
「魔法を使わず、詠唱もせず、それでいてあの威力。正直に言えば……恐ろしいです」
恐ろしい、か。
俺は遠くで整備を続ける隊員たちを見た。
銃を点検し、弾倉を揃え、車両の足回りを確認する。いつも通りの光景だ。
「俺たちも怖いさ」
ぽつりと漏らすと、ゼインがこちらを見る。
「未知の土地、未知の敵。魔法も通じない世界だ。怖くならないほうがおかしい」
それでも進む。
自衛隊だからだ。
その時、森の方角から、低く不快な鳴き声が響いた。
獣とも人ともつかない、複数の声。
隊員の一人がこちらを見る。
「隊長、前触れですかね」
「ああ」
俺は頷き、無線を取った。
「全隊、警戒態勢。索敵ドローン上げろ。まだ撃つな、様子を見る」
進軍再開から、三時間。
車列は間隔を広めに取り、低速で北へ進んでいた。
馬車道はとっくに途切れ、今は森を切り開いただけの獣道だ。装輪車のサスペンションが細かく軋む。
上空では、小型ドローンが静かに旋回している。
可視光と赤外線、二系統。高度は三十メートル。森の上をなぞるように飛ばしている。
『ドローン1号機、異常なし。熱源、野生動物レベルのみ』
「了解。航続を維持しろ」
俺は無線機を下げ、地図に目を落とした。
地形、問題なし。遮蔽物が多く、奇襲には向かないが、逆にこちらの視界も制限される。それにしてもこの手書きの地図は大雑把すぎるな。
(……静かすぎる)
昨日と同じ感覚だ。
違うのは、隊の空気。
誰もが安全装置に指を掛けている。
もう、迷いはない。
『熱源、複数。距離、六百。進路正面、やや右』
ドローン操縦員の声が、少しだけ硬くなる。
「規模は」
『小型です。数、二十前後。散開してます』
低ランク魔物。
昨日までなら「害獣」と呼んでいた存在だ。
「車列停止。各車、戦闘配置」
即断。
ブレーキ音が連なり、車列が止まる。
「第1・第2班、下車。第3班、車上支援。機関銃、扇陣で警戒」
「了解!」
隊員たちが素早く展開する。
動きに無駄がない。昨日の夜を越えて、確実に変わっていた。
ゼインたち近衛騎士は、車両の陰で待機させた。
「ゼイン、まだ出るな。今回は様子を見る」
「承知しました」
ドローン映像が、タブレットに映る。
犬に似た魔物。毛並みは硬く、牙が異様に長い。
「……数、多いな」
隣で、分隊長が呟く。
「群れ行動だな。統率は……ない、はずだが」
その瞬間。
『動きます! 一斉に接近!』
「全員、射撃用意。まだ撃つな」
魔物たちは、まるで合図でもあったかのように、同時に森から飛び出してきた。
一直線ではない。左右に散り、こちらの正面火力を避けるような動き。
(……避けてる?)
嫌な感覚が背筋を走る。
「距離三百!」
「二百五十!」
「撃て!」
命令と同時に、銃声が炸裂した。
5.56ミリの弾幕が、魔物を次々と叩き倒す。
即死。あるいは転倒。
だが──
「まだ来るぞ!」
「数、減ってません!」
倒れているはずの個体の影から、別の魔物が飛び出す。
死体を盾にしている。偶然にしては、出来すぎている。
「機関銃、前方集中!」
12.7ミリが唸り、地面ごと魔物を削り取る。
ようやく、群れが崩れ始めた。
生き残った個体が散開し、森へ逃げていく。
「追うな! 撃破確認のみ!」
数分後、静寂が戻った。
被害、なし。
怪我人もいない。
だが、誰も気を抜かなかった。
「……なあ、隊長」
若い隊員が、死体を見下ろしながら言った。
「コイツら、俺たちの射線、分かってましたよね」
「……ああ」
否定できない。
ただの低クラス魔物にしては、動きがいい。統率はないが、学習しているように見えた。
ゼインが、死体を見て眉をひそめる。
「この種は、本来ここまで賢くありません」
「断言できるか」
「はい。記録にあります。数で押すだけの存在です」
俺は、頷いた。
「……違和感は、気のせいじゃないな」
ドローンを回収し、再び進軍を開始する。
隊員たちは、無言だった。
(魔物は、俺たちを見ている)
そう思った瞬間、寒気がした。
ただの害獣駆除ではない。
だが、まだ入口だ。
この世界の本気は──
まだ、顔を見せていない。
あーまた書きすぎた




