第36話 呪いみたいな守り神
ご無沙汰しております。
体調不良でほぼ寝たきりになってしまい更新が出来ませんでした。
更新頻度は下がりますが出来るだけ更新して行きたいと思っておりますのでお付き合い頂けると幸いです。
沈黙は、炉の火が鳴らす小さな音すら飲み込んでしまいそうだった。
さっきまで「生きたい」「死にたくねぇ」という人間の叫びの話をしていたせいか、部屋の空気そのものが重くなっている気がする。 息を吸うだけで、胸の奥に鉛を流し込まれたような感覚があった。
(概念……どうも出来ない……)
神を殺す。 その言葉だけを支えに、どれだけ自分は歩いてきたのか。
エマを失って。ルナを奪われて。村を焼かれて。 魔獣の血を浴び、そして今は半分魔獣になって——それでもなお、しがみついてきた目標。
その相手が、「切ったり殴ったり出来ないもの」だと、あっさり言われてしまった。
(どうしろって言うんだ……)
シンは、無意識に拳を握りしめた。 指先に力を込めると、背中の紋様が、じり、とわずかに熱を帯びる。
だが、その熱は何も焼き切ってはくれない。 神に届くわけでもない。
うつむきかけた視線の先で、木の床板に走る筋がやけに鮮明に見えた。
◆
最初に沈黙をぶち壊したのは、やはりニールだった。
「……でもよ」
低く息を吐き、乱暴に頭をかいたあとで、顔を上げる。
「それでも、なんか引っかかる」
スルトラが眉を上げる。
「どこがだ」
「生きたいって概念だろ?」
ニールは、言葉を探すようにゆっくりと口を開いた。
「『死にたくねぇ』『生きたい』——それが集まって神になった。人間の守り神だ。そう言ったよな?」
「ああ」
「だとしたらよ」
ニールの声に、いつもより深い苛立ちが混ざる。
「そいつが人を殺したり、不幸にしたりするのは……おかしくねぇか?」
スルトラの目が、少しだけ細くなる。
「生きたいって願いから産まれたんなら、生かす方へ動くのが筋だろ。
なんで天使憑きだの魔獣だので、あちこちで人が死んでんだ。なんでロランみたいなやつが踏みにじられなきゃなんねぇ」
ニールの手が、テーブルの端をきゅっと掴む。
「生きたいって気持ちから産まれた“守り神”が、どうして今みたいなクソみてぇな真似してんだよ」
その問いは、シンの胸にもそのまま突き刺さった。
(そうだ……)
生きたいと願った結果が、あの“天使憑き”か。 ルナのあの笑いか。 村のあの有り様か。
スルトラは、少しだけ息を吐いてから口を開いた。
「神は——“全人類”の生きたいって気持ちから産まれた」
言葉の頭を、強調するように押し出す。
「だから、神にとっての目的は“人類”の存続だ。個々の人間じゃねぇ」
「……」
「何人死のうが、どれだけ不幸になろうが、神にとっては大した問題じゃない。
『人類』という塊全体が続いてくれればいい。どこかに人の群れが残って、生き延びればいい」
スルトラは、指を一本立てた。
「だからあいつは、『生きていればいい』って考える。
“誰が”どう生きるかには、ほとんど興味がねぇ」
シンの胃の辺りが、ぞわりと冷たくなった。
「……つまり」
自分の声が、驚くほど掠れている。
「神にとって、ロランはどうでも良かったってことか」
「言い方はきついが、そういうことになる」
スルトラはあっさり頷いた。
「足を潰されて、静かに炭焼いて、その途中で聖騎士に首を刎ねられようが——『人類』が生きてるって条件からすりゃ、誤差みたいなもんだ」
ニールの喉が、ごくりと鳴る。
「それだけじゃない。
黒粉で壊れる奴も、魔獣になって暴れる奴も、聖騎士が聖戦だなんだと叫んで人を殺すのも——全部、『人類』の存続さえ揺るがなきゃ、あいつにとっちゃ些細な揺らぎだ」
「……何だそれ」
ニールが、低く呟いた。
笑っているような、怒っているような、歪んだ声だった。
「死んでなきゃいいってことかよ。
何人踏みつけにされようが、飢えようが、泣こうが叫ぼうが——息さえしてりゃ用済みか。そんなもん、守り神でもなんでもねぇ」
ニールは、ぐっと歯を食いしばった。
「呪いだ」
その言葉には、変な軽口も、笑いも一切乗っていなかった。
「死んでなきゃいい。生きてりゃ何してもいい。
そんな考えで世界をいじくり回してんだったら、それは“守り神”じゃなくて、ただの呪いだろ」
その表現に、シンの背中の紋様がわずかに疼いた気がした。
(呪い……)
言い得て妙だった。
生きることを願ったはずの祈りが、いつの間にか、自分達の首を絞める縄に変わっていたのだとしたら。
◆
「神もな」
スルトラは、ふと視線を落とした。
「最初から、今みたいだったわけじゃないらしい」
それは、意外な言葉だった。
シンとニールが同時に顔を上げる。
「さっきも言ったが、あいつの記憶の断片が流れ込んできた時期がある。
全部が全部分かるわけじゃねぇが、それでも少しは“昔”が見えた」
スルトラは右腕を組んだまま、視線を炎に向ける。
「最初の頃の神は——」
言葉を選ぶように、少し間を置いた。
「“皆が幸せになれるような世界”を作ろうとしてた時期もあったらしい」
「……え?」
思わず声が漏れた。
ニールも、ぽかんと口を開ける。
「皆が……幸せ?」
「ああ」
スルトラは頷く。
「病に苦しまない世界。飢えに怯えない世界。
獣に怯えず眠れる寝床。子どもが簡単に死なない生活。
そんなものを、真面目に作ろうとしてた時期が、確かにあった」
炎の揺らめきが、ほんの少し柔らかく見えた。
「乗り移って得た知識を使い、田畑を耕し。
人の心が和らぐような夢を見せたり。争いを避けるように導いたり——そんなことをしてた頃の記憶が、確かにある」
スルトラは、ふっと鼻で笑った。
「今のあいつからは想像もつかねぇがな」
「それで……どうなった?」
シンは、喉が乾くのも構わず問いを重ねた。
「神がそんなことをした結果、世界は、どうなった?」
「簡単な話だ」
スルトラは、指を二本立ててから、一本を折った。
「そんな“平和ボケしてるような世界”は——他国からの侵略で、あっさり滅んだそうだ」
炉の炎が、ぱち、と鋭く弾けた。
「争いを避けるように導かれた人間は、武器を持たなくなった。
誰かを傷つけることを嫌って、鍛えることもやめた。
病や飢えから守られた人間は、死を遠くに感じて、危機感を失った」
スルトラの目が、冷たく光る。
「そこへ、他国が侵略してきた。豊かな国が羨ましかったんだろうな…
焼き、奪い、犯し、殺し……あっという間に、その“平和な国”とやらは地図から消えた」
静かな語り口なのに、その情景は嫌に鮮やかだった。
「皮肉な話だろ。
“生きたい”“皆で生き延びたい”って願いから産まれた神が、皆を甘やかせすぎて、かえって皆殺しにした」
スルトラは、軽く肩をすくめた。
「多分な。あいつはそこで学んだんだよ」
低い声になった。
「“個々の人間の幸せなんか、守っても意味がない”ってな。
“生き延びたいなら、弱い奴は切り捨てろ。強い奴だけ残して、群れとしての生存率を上げろ”って」
シンの胸の奥が、冷たい怒りでじわりと満たされる。
(だから……)
ルナを選び。エマを殺し。ロランを殺し。
使える器を選び、使えない者は切り捨てていく。
全ては、「人類」という曖昧な塊のために。
◆
「……じゃあさ」
今度はニールが、顎を指で掻きながら、ぶっきらぼうに口を開いた。
「そんなに“生存率”だの何だの考えてるなら——いっそ“全人類乗っ取っちまえば”良いんじゃねぇのか?」
スルトラが、少しだけ目を見開いた。
「全員、天使憑きだか何だかにしてよ。
神様がぜーんぶ操ればよ、戦争も病気も一発で片付くんじゃねぇのか。
元は人間の祈りから産まれた奴なら、人間をまとめて操るぐらい簡単だろ」
半ば皮肉、半ば本気の疑問。
「そしたらよ。
『こいつは弱いから切り捨て』『こいつは強いから残す』なんて選別しなくて済むじゃねぇか。
皆まとめて“神の意思”で動かせばいい。そうすりゃ、確かに人類は滅びねぇだろ」
スルトラは、少し黙り、それから「ああ」とあっさり頷いた。
「考えたことはあるらしいぞ、あいつも」
「……マジかよ」
「マジだ」
スルトラは苦い顔をする。
「だがな。誰でも乗っ取れるわけじゃないらしい」
「……?」
「天使憑きがいるのは、この国だけだ」
静かな言葉に、シンの背筋が冷えた。
「お前らも気づいてるだろ。
他国からの使者や商人の話を聞いても、『天使憑き』なんて言葉はまず出てこない。この国だけだ。神殿と聖騎士団と魔獣の噂がセットになって流れてくるのは」
「確かに……」
シンも、教会で聞いてきた旅人たちの話を思い出した。
「何だ? 条件でもあんのか?」
ニールが、いらついた声で言う。
「この国に生まれたやつにしか“神様”は乗れねぇのか? それとも“信仰心の量”とか、そういうふざけた条件付きか?」
「昔ならいざ知らず——」
スルトラは天井をちらりと見上げた。
「今はどこの国も、それなりに豊かになってる」
その言葉は、意外なほど落ち着いていた。
「少なくとも、“常に死と隣り合わせ”ってほどじゃない。
飯は何とか手に入る。病で倒れても、すぐ全滅とは限らない。
『生きたい』『死にたくねぇ』って叫びは、昔ほど“全員一斉に”には鳴り響いてねぇ」
スルトラは、指でテーブルをとん、と軽く叩く。
「だから今は——“生への渇望”より、もっと扱いやすいものを利用してる」
「扱いやすいもの?」
「宗教だよ」
スルトラは、はっきりと言った。
「信仰心を利用してる」
シンの喉の奥が、ひりつく。
「祈りの言葉。感謝の言葉。賛美の言葉。
『神様は偉大だ』『神様は正しい』『神様のために生きたい』——そういう“言葉”を、きれいな形で集める仕組みとして、宗教を作った」
スルトラの目が、シンをちらりと見る。
「神殿も、教会も、そのための器だ。
お前みたいな神父は、その言葉を民から引き出して、神の方へ差し出す役目だった」
胃の底が、ひどく冷たくなる。
(……分かってたはずなのに)
どこかで薄々感じていたことを、今、はっきりと突きつけられた。
「つまり、今はな」
スルトラは続ける。
「“生きたい”と願っている奴らだけじゃ、神の力は昔ほど膨れ上がらない。
だから代わりに、“神を信じたい”“神にすがりたい”って気持ちを集めて、燃料にしてる」
ニールが、顔をしかめる。
「それじゃあ——」
「他所の国に逃げれば、大丈夫ってことか?」
あまりにも率直な言葉だった。
「天使憑きがこの国にしかいないなら、神殿も教会も、この国にしか本気出してねぇなら——“信仰心”が薄い国に逃げりゃ、乗っ取られずに済むってことだろ」
しばしの沈黙のあと、スルトラは頷いた。
「今のところはな」
その言い方は、妙に現実的だった。
「この国は、神の“本拠地”ってやつだ。
信仰の形も整ってるし、天使憑きって仕組みも根付いてる。魔獣狩りって名目で血も集められる。
正直言って、使い勝手が良すぎる」
スルトラは、口の端を歪める。
「だが、あいつもそれは分かってる。
だから、そのうち——“外”にも手を伸ばす」
「攻めてくる、ってことか」
「ああ」
スルトラは、真っ直ぐニールを見る。
「昔みたいに、じっとしてたら攻められる。
信仰が薄くなった国に、強い“信仰の枠組み”を持ち込んで、根付かせる。
そうやって、じわじわと“自分を信じる人間”を増やす。そのうち、どこも逃げ場がなくなるかもしれねぇ」
窓の隙間から差し込む光が、やけに心もとないものに見えた。
◆
「……ちょっと待て」
それまで黙っていたシンが、そこで口を挟んだ。
自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。
「さっき、お前はこう言ったな」
シンは、指を一本立てる。
「“信仰心を利用している”」
スルトラは視線を向けてくる。促すように見ている。
「つまり——」
シンは言葉を一つ一つ確かめるように、ゆっくりと紡いだ。
「信仰心が無いと、乗っ取られない。そう言っているのか?」
スルトラの目が、わずかに細くなる。
「ああ」
短い肯定。
「完全にゼロとは言わねぇ。だが、少なくとも“神を信じてる奴ほど、乗っ取られやすい”のは事実だ。
神に憧れてる奴。神を愛してる奴。神に救われたいと願ってる奴——そういう連中ほど、器としては上等だ」
ルナの顔が頭に浮かんだ。
神の家で、一生懸命祈りの言葉を覚えていた、小さな背中。 あの笑顔。
(……上等な器)
吐き気が込み上げる。
「逆に言えばだ」
スルトラは続けた。
「神を信じてねぇ奴。信仰なんざクソ喰らえだと思ってる奴。
そういう連中は、乗っ取ろうとしても、根が張りにくい。
心の中に“神の居場所”がないからな」
「……」
シンは、ゆっくりと息を吸い込んだ。
胸の奥が、ひどく冷たいのに——同時に、細い火が灯ったような感覚があった。
「概念は、消せない」
自分の言葉が、部屋の空気を震わせる。
スルトラが目を細め、ニールがこちらを見た。
「『生への渇望』なんて、誰の中にもある。
それを“なくせ”って言われたら、そりゃ無理だ」
エマの顔。ルナの笑い。ロランの最後の息。 それら全部が胸を刺す。
「人間が、生きたいって思うのをやめることなんて出来ない。
そんなものまで消せって言われたら、もはや人間じゃない」
シンは、握りしめた拳にさらに力を込めた。
「けど——信仰なら」
言葉の先が、自分の口から滑り出る。
「信仰なら、消せないか?」
室内の空気が、きゅっと締まった気がした。
スルトラの瞳が、驚きと興味を混ぜたような色に変わる。
ニールはぽかんとしていたが、すぐに眉をひそめる。
「おい、待て。どういう意味だ、それは」
シンは、ゆっくりと視線を上げた。
「神そのものは、“生への渇望”って概念かもしれない。
殴れない。切れない。どこにいるのかも分からない。
それは分かった」
背中の紋様が、じわりと熱を増す。
「でも——この国で、あいつが好き放題出来てる理由は何だ?」
自分に問いかけるように、言葉を続ける。
「神殿。教会。天使憑き。聖騎士。
そして、『神様は正しい』『神様は守ってくれる』と信じている人間の心だ」
シンは、拳を開いた。
かつて説教台に立っていた時と同じように——いや、それとは真逆の意味で——言葉を紡ぐ。
「だったら、そこを崩せばいい」
自分でも震えそうになる声を、無理やり押さえ込んだ。
「概念そのものは消せなくても、“神という形”を支えている信仰なら、壊せる。
信じる人間がいなくなれば、神殿も、教会も、天使憑きも、全部、意味を失う」
ニールが息を呑む。
スルトラは、目を細めたまま、じっとシンを見ていた。
「……何をする気だ」
低い声で問われて、シンははっきりと答えた。
「神の正体を——ばらまく」
胸の奥で、ざわめきが小さく震えた。
「守り神なんかじゃない。
“人類さえ生き残ればいい”と考えて、人を踏みつけにする呪いみたいな存在だってことを。
天使憑きも、聖騎士も、魔獣も、その呪いの延長線上にあるってことを」
シンは、静かに息を吐いた。
「信仰を根こそぎにしてやる。
あいつが燃料にしてる祈りの言葉を、一つずつ腐らせてやる。
神殿も教会も、立ってるだけの空っぽな箱にしてやる」
その瞬間——
背中の紋様が、ぼうっと熱を放った。
黒紫の幹に、赤い枝がじりじりと光を帯びる。 皮膚の下で、何かが静かに燃え始めた気がした。
スルトラの口元に、初めて見る種類の笑いが浮かぶ。
「——やっと、“打算”の話が出来そうだな」
彼女は、ゆっくりと言った。
「こっちも、そのためにお前を生かした」
炉の炎が、大きく揺れた。
概念は、切れない。
だが——信仰なら。
そこから先の道が、ほんの少しだけ、形を取り始めていた。
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