第8条「休憩」
「まさかカリカさんがご飯を持ってきてくれるなんて。」
彼女は、身長が190cm超えているだろうか。その長身に真っ白なワンピース、長袖で足首まで隠れる丈が、美しく広がる様子は、あまりに似合っていて可愛いというより美しいという表現が正しい。
寝起きだったのと、アレクシスに比べると厳しい印象があったのでおもわず本音が出てしまった。ご飯を持ってきた経緯もわからないし、とりあえずお礼を言ってやり過ごそうとしたが、カリカの目的は持ってくることだけではなかったようだ。
「あ、いえすみません。ごはんありがとうございます。」
「いいんですいいんです。ちょっと聞きたいことがあったんで、正直に話してほしいですし、そのために打ち解けるのは必要なんで。」
書斎机に配膳を置くと、その椅子にカリカは座って私のほうを向いた。
「聞きたいこと……」
「はい。警邏長も隊長もあなたが嘘を言っていないと信じているんですけど、私にはその確証がないんですよ。
だから、それを確認したいと思ってるんです。」
「どのように?誓えというならば何にでも。」
「何にでもって……あなたは信じる神はいないのですか。」
「神様はいると信じますが、信仰の対象ではないです。
私のいた国の宗教で、文化と密接にかかわっている宗教を神道と呼びます。神道については趣味以上の知識を持ち合わせてはいないので詳しい説明は難しいですが、勉強の神様、物の神様、病気の神様、山の神様、など色々な神がいると思われています。こちらの国、えっと」
「トロニス=ヘラクレイオン」
「ここには神はいるのですか?」
「民族ごとに、そして民族内でもいくつもの宗教があって、みんな信じる神は違いますが、一番多くの人が信じている神様は、太陽の女神オウラニアと月の神アダマンティオスという夫婦の神様なんです。
えぐちさんの国に、色々な神様がいるのはちょっとびっくりしました。」
「そうなんですね。」
「はい。とはいえまさか国の名前を覚えてないなんて。本当に何も知らないんですか。」
「ええ。少し説明、特に産業についてしてもらえるとありがたいです。」
そういわれた彼女は私の顔を見詰めたまま、無言になった。じっと見つめられると私はどうしても目をそらしたくなるが、ここでそらしてしまったら痛くもない腹を探られることになるので、私もじっと見つめ返した。
「わかりました。この国の私が知っていることを話します。」
彼女の説明によるとこうだ。
トロニス=ヘラクレイオンは、王国で、王都サッカーラが最大都市で、城郭都市となっておりその周りに酪農を含めた農地が広がっている。
細かい町や村があるが、王都以外の都市で大きいところは、製鉄所を中心とした工業都市であるエレファンティネと、国のほぼ中央に位置する商業都市カルナックだそうだ。
城郭都市に人が集まっているのは、海を隔てた先にあるフランク・ゴディオン国に住む巨人族との戦争のせいらしい。フランク・ゴディオン近海の水産資源を大量に乱獲したことから外交問題になったが決着がつかず、海岸線の領地戦争になり、まだその緊張がほどけていない。国防のためにも先の戦争で失った国力の回復が不可欠と言われているらしい。
民族は、オークとドワーフとエルフと人間。ウルクハイと思っていた種族はオークと呼ばれるらしい。仲良く住んでいるだけにとどまらず、混血も進んでおり、王様に至ってはオークと人間の混血だそうだ。
「てことは、カリカさんも混血だったりするんですか?」
「はい。祖父母は父方が両方エルフ、母方は人間とオークです。」
「へ~偏見とかないんですね。」
「全くないわけではないですけどね。一部には純血こそ至高とする人もいるみたいです。」
「なるほど。そういう文化はどこにでもあるもんなんですね。ちなみにエルフって長命なんですか?」
「はい。他民族に比べれば、平均寿命400年くらいですね。」
「人間は?」
「え、70年ほどですよ。どうしてですか。」
「いやいや私の世界では医療水準や食生活などの違いで地域ごとに人間の寿命はかなり開きがあります。70年と分かれば大体どれぐらいの医療や文化が発達しているかがわかるかなと思って。」
「なんだそういうことなんですね。人間のはずなのになんで聞かれたんだろうと思って。それで、あなたの居た世界のことなんですけど、すごい技術があるとアレクシス隊長も言ってたのはそのとおりだと思うんですね。
そんなところでも戦争はなくなってないんですよね。」
「まだまだありますね。技術の進歩で『効率的に大量に人を殺せる方法』あるいは『狙った人だけを殺す方法』ということに重きを置きつつあります。
結果、一つの爆弾で100万人殺すことも、ここからは見えないはるか遠いところ走っている車を、周りに被害を出さずに壊すことも可能になりました。」
「100万人――さっきも言ったんですけど、トロニス=ヘラクレイオンは戦争で疲弊しきってるんです。100万人もは死んでいませんが、多くの人が死にました。
巨人族が国土全体を奪いに来る想定をしていかなきゃってなってて。
それで国を強くしないといけないのかなと。江口さんの国ではどうやって強化してました?」
「どうやって・・・いろいろ意見があるとは思いますが、僕は教育と産業に力を入れたおかげだと思います。一朝一夕で国が強くなるわけではないという前提のもと、多くの人に教育を施して知識や考えを持っている人を増やすこと、そして、産業を発展させものを豊かにしたことが、国の強さにつながると思います。」
「そんな考えでもって国を強くするんですね。私たちに足りないところかもしれません。
あなたの仕事、名前なんでしたっけ。」
「労働基準監督官です。」
「長いですね。」
「いや全くそのとおり。初めて聞いて覚えられる人はほぼいないですね。労基官って略す人もいますが、私たちは監督官って呼ぶのが多いですかね。」
「ろうき、のほうがいいかもしれないです。で、警邏長がいうようにあなたの仕事が国の発展に有効とは私は思えないんですよね。」
「何でですか。」
「仕事がやりにくくなるから。働くときの決まりは、工会や商会の人と働く人の間で決めるのが一番いいと思いますね。」
「当事者同士の決まりはどうしても限界がありますよ。
監督官は、労働基準法や他の法律を会社と労働者に守らせるのが仕事です。
法律をどう作るかによるかもしれないですが、私の国の法律では、学校に行っている子供たちが働くことを原則禁止しています。これは教育にも貢献するのかなと思いますね。さ
らに労働基準法の理念に、人々の生活を豊かにするということがあります。生活が豊かになるということはつまり産業が発展するんじゃないかな、
そしてそのことは国の発展には大事なんじゃないかなと思います。」
「すごいですね。なんか色々考えてしているんですね。」
「いや、大部分は私が新人のときに世話してくれた偉大な上司から色々教わった内容ですよ。そんな大層なもんじゃあないです。」
「嘘ついてるかどうかはわかんないですけど、少なくともフランク=ゴディオンの人ではないと思います。
そんな考え方しないもん。
特に今、戦争で人が亡くなって、子供が働いている状態ですもんね。やはりそれはやめさせるべきですよね。」
「ありがとう。分別がついていない子供の労働は無理やりであろうと生きるために仕方なくであろうと、いい結果に終わることはないと思います。」
「いろいろ聞かせてもらってありがとうございます。
ごはん、食べてくださいね。終わったら部屋の外に置いといてもらえればこちらで回収しますから。」
「わかりました。そういえば、使用人って何人いるんですか?」
「はい。エウスタキウスのほかにもう2人いますよ。家事担当として。かわるがわる様子を見に来ると思うんで対応してあげてくださいね。ではまた。」
また、か。彼女が部屋を後にして、一人でご飯を食べた。なんの肉かはわからないけれど、非常においしかった。ご飯を食べながら、そして配膳を外に出した後椅子に座って、狭い窓から空を見ながら色々な考えを巡らせた。
まず元の世界への戻り方について。そもそも来た方法がわからないので当然戻り方もわからない。調べようにも知識もない。
最初に倒れていたところは通りの真ん中だったので、そこに行っても何もないだろう。来たところから戻る方法というのは考えるだけ無駄だと切り捨てたいところだ。
仮に元の世界では行方不明になっているとしたら、妻と子が不安に思っていることは間違いなく、その気持ちを考えたらいたたまれなくなる。この葛藤の着地点を見つけることができずにもやもやした感情が心の真ん中にある。
すぐにも帰りたいのに帰られない焦りのような感情。戻れないとしても諦めて最初から何もしないのと、方々手を尽くしてできなかったのは意味が違うのはわかっている。
しかし、今回は手の尽くしようがないのではないか。わからないことが多すぎるので探すにしても時間がかかるだろう。少なくともここで軟禁されている状態では調べることもできないだろう。
できないことで悩むのは時間の無駄だとさんざん部下にも言ってきた。今こそ自分でそれを実行に移すときだと思う。という半ば無理やりな結論付けを行った。
じゃあこの世界で何ができるのか。警邏長はまた連絡すると言っていたので連絡が来るだろう。一番可能性として高いのは、投獄された状態で、尋問を受け、私がもっている知識を全部吐き出させてそれを国益に利用すること。
そうしてすべてをさらけ出して使えるものが無くなった時に私に訪れるのは死刑か無期か、いずれにしろ獄中死は免れないだろう。
日本で死にかけてこっちに来たから、こっちで死にかけたら日本に戻れるのかな。ほかの可能性は国外追放か。スパイ疑惑が晴れているから死刑にまでしないというのが普通の閑雅だが、国の秘密を知られたから監禁するかこれ以上知られる前に死刑という可能性もある。
恩赦で追放もなくはない。
それから4日が過ぎた。とにかく暇で部屋の中で考え続け不安がどんどん膨らんでいく。
その不安に反して服の着心地はよくご飯はおいしいしお風呂は快適。身体的な負担は最小限になっているおかげか夜は眠れている。
同じく何もやることがないうえに集団生活のせいで不眠症になった労働大学校での生活とは大違いだ。
家事担当の使用人のうち背の低い女性がコンスタディーナ、おそらく人間の男性がプラトン。名前を聞いてびっくりしたが、師匠はソクラテスではないらしい。
カリカが様子を見に来ると言っていたが、この2人はお風呂ができたと知らせるときに挨拶をする程度で素性はわからない。
そしてそのカリカは何回か部屋に来てまたこの国の話や私の身の上話をいろいろした。少しは打ち解けたのではないかとも思う。
5日目の昼に、エウスタキウスさんが声をかけに来た。
「失礼いたします。どうもお寛ぎのところをお妨げ致しまして恐縮に堪えませぬがアレクシス様がおよびでございます。
お手元のものはそのままに、こちらにお願い申し上げます。」
「あ、はい。このままの格好でいいですか?」
「結構でございます。お手元のものについてもそのままにこちらに。」
1階の応接室に通されるとアレクシスとカリカが座っていた。
「聞けばこの4日間、部屋から不必要に出なかったようだな。今日は、警邏長からの言葉を伝えに来た。2日後、貴様を事務者連携会議に出席させる。その場で、貴様の仕事内容を説明してもらう。」