第38条の1「休息時間」
1週間ぶりにカッサーラ所に出勤した。
申告者のルキアノスは警邏隊に逮捕されたらしい。
エルピダ商会が壊滅しているとはいえ、法人として存続している限り給料の支払い義務が消えるわけではない。
したがって、私はエルピダ商会への行政指導の継続をし続けるか、ルキアノスに対して行政指導を引き続き求める意思を聞く必要がある。
そのために、私が警邏隊の詰所に行って、エルピダやルキアノスに会って話をしようとした。ししかし、さすがにアレクシスから行かないように指示が出た。
その指示に加えてお叱りもいただいた。
「えぐちよ。ひとまずは無事でよかった。しかし、なぜ一人で行ったのだ。」
「いや、それは私の算段が甘すぎた、というしかないですね。」
アレクシスはその太く長い腕を組んで、本当に大きなため息を一つついた。
「今後は、こういう場合の単独での臨検を禁止する。全労基隊に周知するつもりだ。」
「妥当な判断かと。私が言うのもなんですが。」
「従ってくれるな。」
「もちろん。さすがに規範を示さんといかんでしょうからね。」
こんな感じで今回の件は、口頭注意?いや、注意すらされていない気もするが、とりあえず、口頭注意で終わった。
1週間も不在にしていたので、他の労基隊の隊員が行った臨検監督の報告書の決裁がたまっている。
私的には体調は全快していていつでも臨検可能だったが、念のため、今週1週間は内勤を行うようにアレクシスから追加で指示を受けた。
私は、労働基準監督官は外に出てこそ、と思っているし、それが性に合っていた。
そうであるにもかかわらず1週間も事務仕事をさせられるのは、中々、不満ではある。
しかし一方で、アレクシスの指示も一理あるなと思い、仕事をすることにした。
3日後、エルフの家族が私の元を訪ねて来た。
要件は、娘がエルピダ商会に誘拐されていたこと、そして、それを助けてくれたお礼がしたいとのことだ。
私が何かをしたわけではない。むしろ人質になってしまっていた。
コンスタンティノスさんが今回の突入の対応してくれたからよかったものの、これが別の人なら、私を含めた全員が売られていた。
そのことをその家族に伝えようとしたが、果たして伝えて良いものか二の足を踏む。
とりあえずは、私のおかげではない、周りの方が助けてくれただけだと説明した。
さらに1週間後、エルピダ商会から人を買った者に関する情報が警邏隊から労基隊に共有された。
それによると「エルマーリ工会」というところが、大量に買っているらしい。
この工会にはすでに警邏隊が接触したそうだ。
結果、エルマーリ工会の会長は、買った事実は認めるが、働き手として必要だったからで、給料も払っている。そして、被害者にそこを辞めて自分の生活に戻る意思はないとのことだった。
警邏隊は、給料を払っている事実までは確認できないし、給料を払うぐらいなら人身売買で人を集めずに普通に雇えばいいのに、ということで違和感を抱いて労基隊に情報提供に来たらしい。
要は、強制労働の疑いあり、と。
早速臨検することにする。今度はちゃんと数名で。
次にやるべきことが決まった週の休みに、カリカとふたりでお出かけすることになった。
この世界にも管弦楽団というものがあり、演奏会が行われるので聴きに行こうと誘われたので、喜んで誘いにのっかった形だ。
私は大学で軽音部に所属していたが、管弦楽曲を普段からよく聴いていた。
演奏会にもよく行ったものだ。
個人的にはシカゴ交響楽団が好きで、フィリッツ・ライナーが指揮したベートーヴェンの5番が最も好きな演奏だ。
実際にシカゴ交響楽団の演奏会は一度だけ行った。リッカルド・ムーティ指揮で、マーラーの1番という演目だったのだが、これもまた記憶にすさまじく刻まれている。
この世界には録音技術がなく、これまでは演奏会に行く機会もなかった。
実に2年ぶりにしっかりとした音楽を聴けることがとても嬉しく思える。
カリカとふたりで歩いて会場に向かうのも、心なしか、足取りも軽くなる。
「まさか、えぐちさんが音楽に興味あるなんて。」
「え、意外?」
「うん。だって趣味の話とか聞かなかったから。」
「音楽は一番の趣味よ。ちょっとだけやってたし。」
「へ~どんなのやってたんですか?」
「ラムシュタインのコピーバンド。ってなにもわかんないよね。こっちには存在しない種類の音楽なんだよ。いつか機会があったら聞かせるよ。」
たぶん無いだろうな、と心の中で思って笑ってしまった。
「はい。わかんないです。」
と、カリカも冗談交じりの笑顔で返してくれた。
本当に今日は羽を伸ばす感じだ。
この2年間、特に中央ギルドの件からこっち、ずっと気を張っていた気がする。
新しいところで新しい仕事を新しい人たちとする。
このことの心理的な負担は振り返れば、ものすごいものだったのだろう、と思う。
いくつか記憶が抜け落ちているところもあるし。
なんてことを考えながら、演奏会場に着いた。
「すごくいい席が取れたね。」
「ちょっとお父様にわがまま言いました。」
「わがまま言うとか、カリカにそんな可愛い一面があったんだね。そんなわがままが通るレフテリスさんって。」
「たまにはいいかなって。」
コンスタンティノスさんに助けられて以降、カリカとの距離が近づいた気がする。
その理由として、好意を持たれていることが大きく作用している。多分だが。
その気持ちは素直にうれしいと思う。




