第29条の2「賃金不払い残業」
クリストス事務次長の発言は、こちらが「仕事量が変わっていないか」とだけ聞いたのに、残業が減った理由を説明したと私は受け取った。
ということは、仕事量が減っていないのに残業時間だけが短くなるはずないだろうという指摘を想定しての回答であると認定するよりほかない。
そもそも月に40時間。日本時間に置き換えると80時間か。
仕事の効率化だけでそれが全部なくなることはあり得ない。
「頑張ってもらった」「残業をしないように指示した」で、残業が減る場合はほとんど何かからくりがある。
私はこういったことからクリストス事務次長に賃金不払い残業をさせている認識は確実にあると考えた。
おそらく、アルテミス事務長にも賃金不払い残業の認識はある。
問題は、明確にアルテミス事務長から「残業申請をするな」とか「出勤予定表通りの時間をかけ」とか「残業代は払わないから」と明確な指示をしたのか否かだ。
私の心情だけ言えば、絶対に指示している。
そうしないとここまで組織的に全員が全員なくなるわけないからだ。
それを認めさせる方法を見つけないといけない。
こういう場合で一番よくないのはトカゲの尻尾斬りに逢うことで、つまりは、クリストス事務次長が全て指示したことだという責任逃れをさせないこと。
あれ待てよ。
賃金不払い残業が中央ギルド長からの指示の可能性もあるな。
そういえば、手数料を1割多く取っている問題があったな。
この辺の諸悪の根源はどこであろうか。
私の中の正義感がその不正も暴くべきだと言っているが、権限がない。
どこまでできるかわからないがやってみるしかないか。
「すみません。単刀直入に言います。
仕事量が変わらずに、意識改革だけで月40時間の残業が無くなることはあり得ません。
したがって、この出勤簿は実態を正しく反映していない可能性が出てきました。しかるに――。」
「馬鹿なことを言っちゃいけませんよ。
これは私が事務次長として毎日確認しているんです。それを疑うって言うんですか。」
なるほど人の話を遮ってまでそう来るか。
よろしい。ならば徹底的にさせていただく。
「毎日ですか。100名分を本当に毎日全数確認しているのですか。」
「そんなくどくど聞かなくてもいいじゃないですか。ほぼ毎日ですよ。」
「ほぼ。ということは確認できてない日があるんですね。ならば調査がひつようです。
というかそもそも私は、説明がつかないものに説明をつくようにしたいだけです。
今のままでは、時間の減り方に説明がつきません。
この出勤簿以外にその人が働いた時間が分かるものはありますか。」
「疑ってかかっているのであれば、そうおっしゃればいいじゃない。
他に時間が分かるものはありませんよ。」
疑ってません、は流石に嘘なのでここは流して他の話題に切り替える。
「ほんとですか?例えば、そうですね。
中央ギルドは、夜に誰もいない時間は施錠してますよね?
解錠・施錠を誰がしたかとかありますか?」
「ありますね。」
「それを持ってきていただいていいですか。」
これまで無言だったエラスミオス庶務部長が急に発言したのに誰もが驚いた。
ただ、アルテミス事務長は、すさまじい目つきで見ている。
しかし、エラスミオス庶務部長はそれを意に介さず、意図的にそちらを見ないようにしている。
その不自然な対応といきなり会話に入ってきたことから、こちらに協力的にするつもりなのだろうかという期待が出てくる。
しかし一方でそうすると初日の態度は何だったのだ?
何を考えているのか図れないうちに、彼は施錠解錠記録簿を持ってきた。
「すみません、カリカさんとイリニさんで、出勤簿上、まだ来ていない人や休みの人の名前が出てこないか確認してください。」
「わかりました。」
「さて、他には、と。」
これでわかるのは、「自己申告した時刻と出退勤の時刻に乖離がある」という事実だけ。この時間に何をしていたのか。
そしてこういう場合に、賃金不払い残業を指示した自覚がある人がする言い訳は……。
「多分、居ない人が閉めてたりするでしょう?
友人を待つとか言って早く帰ろうとしないんですよ。」
「なるほどそうなんですねぇ。」
私の予想通りの説明をアルテミス事務長がしてきた。
その予想から私の中で確信になったことがある。
賃金不払い残業はアルテミス事務長の指示に違いない。
この前提のもと、私は別の指示を出した。
「テオファニス君、私達が2回訪問した日の出勤簿と在籍者の名前を照らし合わせてください。」
「了解っす。」
「そういえば、ここで働いている人はお昼ご飯はどうしてます?」
「取らせてますよ。
窓口はずっと空いているんで、半分ずつ交互に。
さすがにそれが取れていないということはないと思いますけどねぇ。」
クリストス事務次長が完全にこちらを敵視して勝手に発言を勘ぐってくれるのはいっそ清々しいまである。
が、今回の質問の目的はそこじゃない。
「お弁当とかですか?近くに食べるところはなさそうですけど。」
「そうですね。まとめて注文してます。」
「注文記録あります?先月の。」
「えっと、残ってる?エラスミオス部長。」
「いや、すぐに捨ててます。」
「そう、でうか。わかりました。」
捨てられていたか。
頼みの綱の一つが消えた。
そううまくいかないのがこの仕事の常。仕方ない。
「えぐちさん。」
「ん?カリカどうした?」
「やはり、帰ってるはずの方が閉めてますね。
ただ、休んでるはずの方が閉めてるのはまだ見つけられてません。」
「そうか。うん分かった。
アルテミス事務長。この辺の資料、いったんお借りしていいですか。」
「何に使うのですか。」
「持ち帰って内容を精査したいので。
そのうえで次にお会いする日を決めましょう。」
「今日で終わりではないのですか。話が違いますよ。」
「私は今日で終わりなどは一言も言っていません。
必要に応じて数日ご対応していただくこともあります。」
「まあ何日も!そういうことはもっと早く言うべきじゃないかしら。
最初に。」
「数日に及ばない場合、1日で長時間対応いただくことになり、それも失礼かと思いますし、何より必要な調査です。
ご協力をお願いします。」
「普通、何も言わなかったら今日で終わると思うでしょう。
私おかしなこと言っています?
大体違反があると言われているのも納得がいかないのに、この対応。」
「違反があるとは申し上げておりません。
それの有無の確認の調査です。
そもそもこの出勤簿と施錠記録の乖離。これがあることで精査が必要になりました。」
「なんですかそれ。嫌味ですか。
まったく。労基隊の実務の一番手がこの状態だと組織の質も疑われますね。」
言われのないクレームは散々聞いてきたので私は受け流すことができたが、カリカとテオファニスは違った。
二人はアルテミス事務長の発言が終わるや否や、書類を見ている手を止め、顔を上げ、眉間にしわを寄せて発言した本人を睨みつけた。
私はそこに触れることなく、次回の日程を2週後に決めて、憤る2名を抑えつつ中央ギルドを後にした。




