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第3条「使用者と労働者」

 私が2人に連れられて、3階建ての建物に着いた。

 構造は鉄製の柱にレンガのようなものを組み合わせているもので、日本で例えるなら鉄骨レンガ造が一番近い。

 横長の建物が2棟並んで建っており、玄関は手前の建物の中央にある。アーチ状の天井に両開きの鉄扉をあけると、エントランスは奥の建物につながる通路を兼ねており、右と左に部屋が続く。

 さきほど、アレクシスと呼ばれていた男が右に入っていったのでそれに続き廊下を進んでいくと、「中に入って座って待っていてください。」と私を連行してきた女性が指示した。


 入るように言われた部屋のドアはガラスは入っておらず鉄が格子状になっているだけの小さい丸窓がついている。

 壁はレンガ造り、床は木張り。部屋の中には木でできた椅子が一つあるだけで他には何もない。

 壁の高い位置、私がかろうじて手が届くか届かないかくらいの位置に、ガラス窓がある。まるで、警察署の取調室みたいな部屋だ。

 ただ、机がないことを見ると、供述調書を取るためではなく何かを話させるだけの部屋なようだ。

 その時点で私はこれから拷問される可能性も考えつつ、一つ置かれた椅子に腰かけた。


 普通であれば、元の世界に戻れるのかとか、こちらの時間軸と元の世界の時間軸の関係性、嫁と子供が泣いてはしないだろうか、と考えるものかもしれない。

 しかし私は一体何を考えればいいのか判らずうなだれて、自分の膝に目をやると、フルハーネスに目がいった。

 結局フルハーネスをつけたまま座らせているから拘束具と考えているのだろうか?見方によっては防具、あるいは武器にも見える。

 ランヤードの先についてるフックなんて全力で人を殴れば殺せる気もする。よく考えれば身体検査をしなかったな。

 なぜだろうか。

 不思議に回収されなかった腕時計に目をやると、時間は14時10分をまわったところで、ここにきてから10分ほどたっている。そこにアレクシスと先ほどの女性が私の監督鞄を持って入ってきた。


「改めて、私がアレクシス、彼女がカリカだ。貴様の話を聞かせていただこう。」

「話、というとどういうことを説明すれば。」

「先ほど世界がどうとか言っていましたね。その話も含めて、あなたの素性を説明してください。」


 横からカリカが割って入った。

 最初は、すべて言おうとしか考えていなかったが、今思えば言ったところでどうなる?

 ここの事情が一切わからない。先ほどほかの国があるようなことを言っていた。

 もしバチバチの交戦状態で敵国のスパイと思われたら、私の説明が嘘と決めつけられてひどい拷問を受けるかもしれない。

 かといってここから軌道修正してうまく嘘をつける自信もない。

 ここで死んだら元の世界に戻れるとかがあるのか。

 何一つわからないが、結局自分のできることは正直に話す他ないという結論に至った。


「改めまして、私は江口将臣といいます。名前が二個あるのは、私の国では、家、先祖代々から受け継いだ名前と、私個人につけられた名前を名乗ることになっているからです。

 私の場合ですと、江口が先祖から受け継いだ名前、将臣が私個人につけられた名前になります。

 私の国と言いましたが、私が生まれ育ったのは、日本という国です。おそらくこの国の地図にはどこにも載っていないと思います。

というのも、別の世界、この世ではないあの世、どのように言ったら通じるかわかりませんが、まったく違うところから来たもので、どのような方法で来たかは私にもわかりません。」

「まってください。まったく違うところでは説明になっていません。ちゃんとした説明をしてください。

 なにより、来た方法がわからないとはどういうことですか?どうしてあなたはあそこに倒れていたのですか。あなたが言っていることが本当なら、来た方法も説明できないはずがないじゃないですか。」

「どうやって来たかは、本当にわからないんですよ。15階建ての建物の建築現場で、13階から落下し、落下していく途中で気を失ってしまいました。

 本来だったら、1階の地面にぶつかって死ぬはずのところ、そこのアレクシスさんに起こされて目が覚めたんです。

 てっきり病院だと思っていたのに、全く違ってびっくりした、としか言えない状況です。どこから来たのかというと……」


私は深く息を吸い、それに見合った長さのため息を一つついて荒唐無稽と取られるであろうことを話す覚悟をつけた。


「例えば。この指より細い棒で、人を3人支えられる物質、自動で物を運んでくれる道、遠く離れた2人がいつでもどこでも会話ができる道具、そこにあるものの瞬間を切り取って永遠に保存できる道具、100以上の階層をもつ雲よりも高い建物、そんなものを生み出せる技術を持った国、まるで若い人の想像の中や子供たちに読んで聞かせる話にしか出てこない、誰も存在するなんて信じていない国、そんなところから来たのが私なんです。

 そこで私は労働基準監督官として仕事をしていました。労働基準監督官は、国家に直接雇われていて、労働者を雇ううえで、最低限の基準を定めた労働基準法を守っていくのが仕事です。」


 あまりの無感情さに我ながら供述調書みたいなしゃべり方だなと思いながら、つらつらと説明した。

それに対して、カリカが相変わらず怒りを含んだ困惑顔でこちらを見てくる。


「そんなおとぎ話みたいなこと、どうやって信じればいいんですか!!100階以上の建物!?

 そんなの存在しないって考えればわかるじゃないですか。100階まで昇り降りする不便さを考えれば当然ですよ。そこまで荒唐無稽な嘘をついてまで私たちの街に来た理由を隠したいんですか!?」


 少し声を荒げて私に詰め寄ってくる。とはいえ、これ以上のわかりやすい説明をする方法が思いつかずに、黙るしかなかった。


「それよりも。」

 アレクシスが遮った。

「今の説明では、貴様が持っていた道具や今身に着けている拘束具の説明にならない。そもそも、雇うとか雇わないの話が出てきたが、それは一体どういうことか。」


 こちらのほうが、幾分か敵対心がないためか私へのあたりが優しい。

 カリカの反応のほうが正解なのだろうが、アレクシスは暴れても抑えられるという自信から来ているのか。

 何はともあれ、順を追って説明するよりほかはない。それにはこの世界の、この国の、前提を理解する必要がある。


「まず聞きたいのですが、こちらの国では、働くとはどういったことを指すのでしょうか。」

「やっぱり、何か探りに来たんじゃないですか?どうしてそんなことを聞くんですか。絶対なにか裏がありますよね。」


 相変わらずカリカは私のすべてを疑っているようで、少し苛立ちが募る。怒りに任せて一気呵成にまくしたてるのもありだな。

 どうしようかと考えるとアレクシスが遮ってくれた。


「まずすべての説明を聞こう。そのうえで矛盾点があれば問いただす。

 そちらの疑問については私の判断で答えることができる部分に限って回答する。

 で、働くということは労働をすることで、対価として衣食住の保障や金銭を得ることをいう。」


 衣食住の保障と来たか。

 対価が金銭に限らないのはどうかと思うが、家賃の賃金天引きは認められている場合もあるため、一概に絶対おかしいとは言えない。

 とはいえ、労働者の概念もあるし、何よりお金の概念もある。そうであれば、監督官についての説明はだいぶ楽になる、と思う。


「そのように労働している人のことを私の出身地では労働者といいます。そして、労働者に金銭を払っている人のことを使用者と呼びます。

 使用者と労働者を比べてみたときに、絶対的に使用者が強く労働者が弱い立場にあります。

 誰がどこで働くのか自由に決めることができるのを資本主義経済や自由主義経済といいます。この制度だと働く場所は本来であれば、自由なので、労働者はいつでも辞めてもっと良いところに行くはずです。使用者は自分の会社を良いところにしないと労働者が来ないので、もっと良くしようとするはずです。

 これが理想でした。しかし、現実は違いました。

 使用者が強く労働者が弱いので、悪いところでも、使用者は労働者を無理やり働かせることが可能になっていたのです。そこで、その人たちの命を守るための最低基準を決め、その最低基準に違反している使用者には罰を与えよう、という考えで法律を作りました。

 そして私の仕事はその法律を守らせること、いわば警察、こちらの国では警邏隊というのでしょうか、そういう仕事です。」

「我が国でも、種族を問わず誰でも商いをすることは可能であるし、どこで働くことも可能である。

 しかし、貴様のいう『良いところ』とはどういうところを指すのか。

 普通の者は体が動かなくなるまで、各会で働き続ける。働くところを変えるのが普通なのか。そして、その働く者を警邏するのか?」


 ここまで来る途中、少なくとも普通の人類っぽい人と、エルフっぽい人と、このアレクシスとカリカの二人はウルクハイのような感じで、3つの種族は確認できた。

 制度上の差別がないのだろうが、店頭に立っていたのはエルフばかりだったから、事実上の差別はあるかもしれない。

 そんなことはさておき、終身雇用が基本か。体が動かなくなるまでということは定年退職制度はないのだろう。


「『良いところ』は高い対価を払うことがまず挙げられますが、そのほかにも一緒に働く人が優しいとか、仕事の内容が自分の好きなものかどうか、とかいろいろです。

 同じ仕事ならば、対価が高いところに行くのが当然、という考え方も私の国にありました。

 取り締まるのは、働いている人ではなく、組織です。

 先ほど『各会』とおっしゃっていましたが、我々は会社と呼んだり、事業場と呼んだりします。

 私たち労働基準監督官は、例えば、鉱石を採掘しているところ、家を作っているところ、服を作っているところ、売っているところ、食事をするところ、働いている人がいるところはすべて行って、会社が法律に違反していないか、を確認して、書面や口頭で相手に違反のない状態にするように迫ります。

 違反は、法律に載っていることがすべてなので、あくまで中立に判断します。別に労働者の味方という訳ではないですし、会社の味方でもないです。

 この格好も、働いている人が居るところに行くのに最適な格好です。」


 矢継ぎ早に説明をしたのち、沈黙が流れた。私はコミュ障なので沈黙が嫌いだ。

 コミュ障とは、意思疎通のへたくそな人を言う、と私は考えている。

 私の場合は会話をするのではなく、ひたすら自分の話をするか相手に質問し続けるかない、という種類のコミュ障だ 

 あまりに沈黙が長いので、そんなことを思い出してしまった。おそらく2,3分の沈黙ののち、アレクシスが口を開いた。


「――ということは、貴様は、すべての業種について詳しいはず。今からとある会に行ってもらって、仕事内容の説明をしてもらおう。」


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