第26条の2「労働者の権利」
「命と身体です。」
「おう。さすがですね。その通りです。
給料と考えている人がいるようですが、やはり命と身体の安全が最優先なんですね。
労働基準法もそれを前提に考えています。」
「だって、法律作る会議でえぐちさんが言ってたじゃないですか。」
「あれ?言ってましたか。
失敬失敬。
で、実は給料が命にかかわることがあるの知ってます?」
「お金が払われないと、生活ができなくて餓死してしまう?」
「もちろんその可能性もありますが、それよりもすぐに結果が出ることとして、自殺や心が破壊されてしまうかもしれないこと。」
「え――自殺。」
「そう。これはあくまでも私の経験則で、なんの医学的な根拠もないのですが、どれほど忙しくても、仕事をした分ちゃんとお金が払われていれば、人間は耐えて仕事をし続けることができる。
でも、仕事いくらしてもそれがお金につながらないとなると、人間は心が壊れる。」
「でも、そんな仕事場からは逃げちゃえばいいじゃないですか。」
「実はね、逃げるということは現状を変えるということなんだけど、現状を変えるには非常に体力が要るんだよ。
だから、逃げようと思っても逃げられないまま、心を壊して体力がなくなって逃げることができなくなってしまうんだ。」
「そんなことって――!」
「ある。嫌なら辞めればいいというが、辞める体力がないときはある。
でも、死ぬことはできるんだ。
逃げるということは簡単そうに聞こえるけど、仕事を辞めるのは生活が懸かっている以上、簡単なことでは絶対にないんだ。」
「自分で死ぬのって大変じゃないんですか……辞めるほうがよっぽど楽な……!」
立ち上がり大きな声を出したカリカは、話しながら泣いてしまった。
私はどうしていいかわからず、一緒に立ち上がり、近づこうとした。
するとカリカは私の胸に体を預けて来たので、思わず抱きしめた。
「ここで泣けるカリカは優しい子だね。
私はもう泣くことができなくなってしまったよ。
私は死ぬことでえられるものは何もないと思っている。
でも、逃げ場をなくした人、いや、逃げる体力をなくした人は、死を選ぶ。
確かにどれほど残業代が払われていても死ぬ人はいるし、残業代が出なくても死なない人もいる。
そうは言っても、ちゃんと残業代が払われれば死ぬ人が減るのは確かなんだ。」
「だったらなおのこと、中央ギルドに対して厳しくいってほしいのに、なんでえぐちさんは――。」
「厳しくしないなんて言っていないよ。むしろ全部きっちりしないといけないからこそ難しいと思ったんだよ。
何か信用をなくすことをしてしまったかい?」
「そうじゃないんですけど、なんか――いえすみません。
私がこれまで警邏隊で話を聞いた中で、給料がもらえなくて生活が困っているという方がいて。
それで、労基隊になったからにはそういう会を絶対になくそうと思っていたんです。
なのにえぐちさんの態度が、私の勘違いだったんですけど、中央ギルドのやり方を肯定しているように見えてしまったんですごめんなさい。」
少し涙が落ち着いたカリカを抱きしめながらどのようなことを言えば良いかわからず、時間が過ぎていく。
身長は私よりもかなり高いのに、身体の線は細く簡単に抱きしめることができている。
女性の顔が私の肩にのっているのは初めてのことで、私の撫でる手が私の頭より高い位置にあるのも初めてだ。
カリカが落ち着いたので、私は彼女の両肩をもって顔を起こし、また寝具に座らせた。
「すみませんほんと。」
「大丈夫大丈夫。でね。中央ギルドの話していい?」
「はい。」
「私はね、今回、絶対に中途半端な臨検監督はできないと思っているんだ。
仮にここで適当なことをしてご覧?
中央ギルドは『労基隊をだますことなんて簡単だ』と思うだろう。
そして、中央ギルドをはじめ、全ギルドが同じようになっていく。
するとそこから噂が広がり、各会や冒険者の中でも『労基隊はちょろいらしい』という話が広がる。
それはそれは最悪なことなんだよ。こうすれば騙せるとか違反しても指摘されないとか思われてしまっては、労働基準法は守らなくてもいい法律となっていまう。
それだけは絶対に避けないといけない。
だから、この中央ギルドへの臨検監督は失敗できないんですよ。」
日本で守られていない法律は、と言うと道路交通法か労働基準法か、と言われる時代があった。
両方の共通点として、日々行われているということと、取り締まりが追い付いていないということがあると私は考えていた。
このトロニス=ヘラクレイオンで、監督隊はたかだか50名。50名ですべての会の取り締まりなんて絶対にできない。
雑な臨検監督をして行く会を増やしたところで、焼け石に水であるし、
よくない噂が広がり、法律を守らなくなっていく。
だから、私は1個1個を丁寧に、見落としや失敗が無いように心がけている。




