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第20条「特別安全(衛生)指導事業場」

 ついに、「労基隊」が活動を開始した。

 私は、王都であるサッカーラの詰所、サッカーラ所、日本で言うと労働基準監督署、の責任者になった。

 そのうえで、単なる管理者ではなくこの国全土に必要に応じて臨検に行く権限を得た。責任者とは言え、管理のみをするのではなく、実際に臨検を行うことが必要不可欠なので、第一方面主任監督官という立場になったのだと自分には言い聞かせていた。


 王を前にした発足式や族長会議へのあいさつ回りが終わって、1週間。

 初めて臨検することにしたのは、王都サッカーラに所在するところではなく、工業都市エレファンティネにある、製鉄所「トロヘラスディーロ工会」。

 この国の主幹産業である製鉄業とその企業城下町から安全衛生の考え方と労働基準の考え方を広めていくことが、もっとも効率的だと判断した結果である。


 サッカーラからエレファンティネまでは、馬車で1日かかる道のり。サッカーラ所を私とカリカと、カリカの部下のテオーネの3人で出発した。

 テオーネはドワーフと人間のハーフの女性で身長は160センチと日本人的には普通なのだが、腕の筋肉量は明らかに私を超えている。


 道中、車内で私は彼女らに声をかけた。

「緊張するかい?」

「さすがに初めてなので緊張しますね。」


 落ち着いてそう答えるカリカに対して、テオーネは興奮気味に笑顔で話し始めた。


「初めてですから、緊張しないと言ったらうそになりますけど、正直楽しみです。」

「楽しみなの?」

「そうですよカリカさん。だって普段見れないところを見に行くわけじゃないですか。

 よくわかんないところが多いでしょうけどせっかくなら楽しもうかなって。」

「ふっ。いい心がけと思うよ。」


 実にいい心がけだ。私が初めて部下を連れて行ったときには全くそんな余裕はなかった。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 金森綾香監督官は昨日採用され、嶋本労働基準監督署の第一方面に配属された新人監督官。

 法律の知識は一生懸命勉強してきたが、建設業に関する知識は皆無というだけでなく、工具を私生活で扱うことは全くなかった。そんな金森監督官の初めての臨検は、第四方面主任監督官である、江口将臣に連れられてのものだった。


「金森さん、こっち来てもらっていいですか。

 今から、墜落に関する災害調査に行くんですが、概要を立山専門官から説明してもらいますから、一緒に聞きましょう。」


 そう江口が声をかけた。

 立山専門官は、嶋本署の安衛課に配属されている技官で、監督官ではない。高校を卒業して技官になった立山専門官は職歴が長く、知識も非常に豊富だった。


「今回は、マンションの基礎やってるところで、竪坑掘って、下水用のφ300の隧道を推進工法で掘り終わってから、埋め戻ししようとしてたんだ。

 そのとき、土留の腹起しと切梁をつなぐ火打ちの解体中に、指二本落ちちゃったんだよね。しかも、人夫出しっぽいてのは聞いた?」

「聞きました聞きました。もしかしたら指つながらないですね多分。てことは障害認定出ちゃうんですね。」

「そうそう。」

「わかりました。じゃあ巻き尺とか――。」

「いいよいいよ。図面あるでしょ向こうがもってるから出してもらおうよ。」

「あ、そうしますか。了解です。」


 指が落ちてしまう痛ましい災害ではあるが、被災者が1名なので重大災害には該当しないため、そこまで細かい調査は不要と小林次長は指示をした。

 小林次長は通常であれば、方面の監督官が一緒に調査に行くほどでもないと思っていた。しかし、今回江口を行くように指示した理由は、人夫出しを調査する必要があると考えたからだ。

 派遣が禁止されている建設業の現場作業員において、人手が足りないときに、請負契約を結ぶのではなく、建設業者が自社の作業員を他社の現場に派遣し、その作業員が他社の指揮命令のもとで作業させる。これを人夫出しという。

 派遣法違反なだけでなく、安全管理の所在があいまいになり危険性が高く、労災保険がおりない可能性があるもので、悪質性が高いとして、嶋本労働局では警察に告発することも少ない事案である。


 その災害調査にあたっては人手が必要であることから、方面は違うが、江口が第一方面の金森監督官を連れていくことになったのだ。


「打ち合わせ、意外とすぐ終わっちゃって。ちなみに金森さん、今の話どこまでわかった?」

「すみません。勉強不足です。ごめんなさい。」

「ですよね~。いいんですよ。勉強不足とかじゃなくてここからゆっくり知って行けば。

 特に今のうちは、分からないことのほうが多くて当然です。だから、分からないときにわからないことを、ちゃんと知ったかぶりしないで聞くなり、調べるなりしてください。私はそう教わってここまで来れましたから。

 当然、私が1年目の時は全部わからなかったですよ。」

「ありがとうございますっ。

 それでも自分で調べたいんで、言葉だけ教えてください。さっき、立山専門官が『なんとか300』って言ってたのはなんて言ってたんですか。」

「『ファイ』だね。こういう字を書く。ちなみに、300の単位はミリメートルね。」

「ありがとうございます。調べてみます。」


 金森監督官は、この仕事にあこがれて働くようになった。採用試験の結果は上から数えて14番目。

 200人から採用している監督官で考えると、どれほど勉強を頑張ってきたのかが分かる。

 それでいて彼女は、それをおごることなく、とにかく真面目に仕事に打ち込んだ。

 江口は現場の雰囲気を感じてもらえれば、よもすれば採用2日目とか暇に違いないので、暇をつぶすために一緒に行ければ、というぐらいで誘ったつもりであった。

 しかし、彼女にしてみれば初めて現場にいく絶好の機会ととらえ、出発までの1時間で、先ほど立山専門官が説明したすべての単語をスマホや辞書で調べ、どのような災害が発生したのかということを理解しようとした。


 江口にはその姿がまぶしかった。自分がここまではできていなかったであろうことを振り返り、反省をした。

 しかし同時に、自分が教わってきたすべてを、できる限り教えて、彼女が自分を超えていく存在になる、そういうことを願った。


 現場に到着して、竪坑の中に3人で降りて行った。雨上がりの竪坑の底は、ぐちょぐちょで歩きにくいなんてものではなかった。

 しかし、金森監督官は嫌な顔をせず、現場代理人の話に耳を傾け、メモを取り、写真を撮って、できる限りのことをした。


 署に戻っても一生懸命調べて確認しようとするその姿を見た江口は、自分がアドバイスをするまでもないことに気づき、「焦らなくていい」という言葉を出しかけて止めたのだった。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


――なんてことがあったな。

 金森監督官とテオーネの性格は全く違うが、ものおじせずに、向かっていこうとする姿勢はとてもいいものだ。むしろカリカの緊張のほうが、気になってしまった。


「大丈夫?」

「大丈夫ですよ。テオーネに感化されたわけじゃないですけど、初めて見るところなので、しっかりしないとなって。」

「頼もしい。」


 そう言って私はにっこり笑うと、手元にある保護帽と呼吸用保護具に目をやった。

 保護帽は鉄製で、中に布を敷き詰めてある。飛来落下用としては効果はあるだろうが、墜落時保護用としては微妙かもしれない。

 墜落時保護用の保護帽についている樹脂わ発砲スチロールの構造はよくわかっていないので、私ができる精いっぱいはこれだけだった。

 そして、呼吸用保護具。

 安全技術研修でたまたま聞いていたのだが、昔はフィルターに帯電させた羊毛を使っていたということで、使い捨て式に似た形に切った布の間に、プローヴァトという羊のような動物の毛を挟んだ。

 完全に素人知識なので、これで本当に鉄を溶かしたときに出る有毒ガスを防ぐことができるができるのか全く自信はない。

 しかし、少なくとも、鉱物を投入するときに出る粉じんぐらいであれば防げるのではないかと思っている。


「えぐちさん、何見てるんですか?」

「明日行くところが、これをちゃんとつけてくれてるかなって。重たいし、暑いしみんな嫌がるだろうなって思ってね。」

「いやぁ暑いですよね。私も嫌ですもん。でも、これ付けとかないと、咳が止まらなくなるんですよね。やばいですよね。」

「正直1日居たくらいで咳が止まらないような病気になる、ということはと思うけどね。

 それでも監督する側がちゃんとした格好をしておかないと、他の人が言うことを聞くはずはないと思ってるから。」

「大丈夫です。ちゃんとします。」


 テオーネはにこやかに話しながら呼吸用保護具を付けて見せた。隙間も空いてなさそうだし、いい感じだ。


「えぐちさん、明日なんですけど。」


 テオーネと和気あいあいと話していると、それを遮るようにカリカが話しかけてきた。


「なんで事前になにをするか連絡したんですか?普通しないんですよね。」

「うん。今回、普通の臨検とはちょっと目的が違うからね。」


――特別安全(衛生)指導事業場。重大災害の発生している事業場、職場環境に問題がある場合や健康障害が懸念される事業場を個別に指定し、安全衛生管理体制、機械設備、職場環境、安全衛生教育等についての改善事項を安全衛生改善計画書として作成させ、短くとも1年間の継続的な指導を通じて、課題を解決することにより安全衛生管理体質の向上を期するもの。

 具体的には、1年の始まりに臨検を行い、改善計画を提出させ、毎月報告と数か月に1回の臨検を行うことで、安全な事業場にしていく。


 今回、この制度をトロヘラスディーロ工会に適用することにし、今日は臨検の第1回目だ。

 改善計画を出してもらう必要があること、それは1回目の臨検の結果に基づいて行っていただきたいこと、その辺を事前に調整していた。今回の臨検で、改善するべき点をすべて指摘する必要があるので、工場全体を見させてももらうことになるし、書類や管理状況の説明も必要になってくる。

 そしてなにより――


「悪いことをしているという情報がある会でもないし、突然行く意味は今回はあんまりないよね。

 むしろ、1年間ずっと付き合うんだから、ちゃんと連絡調整しておかないと。

 もしかしたら、色々隠すかもしれないけど、今回は向こうの知識がそんなにないから、多少隠されたぐらいじゃ見つけられるものですから、そんなに心配してないですよ。」

「すごい。見つけられるなんて。」

「ちょっと言い過ぎたかも。」

「ふふふ。それでもすごいですよ。」

「ありがとう。」


 そんな話をしていたら、サッカーラの宿についた。今日はここで泊り明日朝から1日かけて製鉄所を見て回る。

 さすがに私も1年以上ぶりの臨検ということで、ただでさえ慣れていない土地なのに緊張が増してきた。

 頭名の中で何回も明日のことを想像し、どうしようかどうしようかとやり方を考えながら眠りにつく。


 起きてみると、うまく寝れたのか、意外とすっきりしている。

 服を着替え、安全靴を履き、道具一式を持って出発した。

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