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第19条「労働基準監督『署』」

 4名が退席したのち、いつもの軽口をいうニコラウス議長に戻っていた。


「意外とあっけなく終わりましたねぇ。」

「俺らの出番無かったじゃないっすか。わかりますよいたほうが良いってのは。

 それにしても何もなさすぎっしょ。」

「まぁまぁ、ヨルゴス治水土木隊長そういわずに。何もなく終わった、それでいいじゃないの。」

「それはそうですよ。

 それに我々直会の名前を出すのに同席しないというのもどうかと思いますよ。

 さて、えぐちさん。よくアエネアスの前であれだけのことが言えましたねぇ。」

「いえいえ。私もすごく頑張りましたよ。安全はすべてに優先すると自分に言い聞かせましてね。」

「あなたの国の人はみなそのような胆力なのですか。それともあなたが特殊なのかしら。」

「どうでしょう。

 私個人についていえば、怖いもの知らずだね、とは言われたことがありますが。」

「やっぱり。では、その怖いもの知らず、どこまで行くのか見せていただきますわ。」


 バシラ直会長が私を値踏みするような発言をしながら、全員で会議室を後にした。


 この女性の印象は、これまでは烈女、という感じだったが、今はなすとかなり柔和で話しやすい気がした。

 ただ、最後の言葉には含みがあったようで怖かった。


 カリカの家に帰り、エウスタキウスさんに出してもらったお茶とおかしをいただくことにした。


「えぐちさんさすがですね。」

「え、なにが?いや、何がとかいっちゃった。なにがですか?」

「なにが、でいいですよ。」

「ほんとに?じゃ遠慮なく。それで、さすがというのは?」

「王族特務機関ですよ?警邏隊はおろか軍部も言うことを聞かないといけない相手ですから。

 恐縮したりものおじしたりするもんなのに。」

「無知は強力な武器なり、というやつじゃないかな。知らないから。そんなこと。」

「ふふふ。冗談なのか本気なのか。」

「さて。これからどうなるのかなぁ。」

「えぐちさんは本当に隊長をしなくていいんですか?」

「いいよいいよ。

 実務者連携会議を見ていると、隊長や補佐は会議とか色々出ないといけないみたいだし、それには知識とか経験が必要だろうけど、私にはそれがないから。

 それに何より、現場を回りたい。だから、アレクシスさんを隊長に据えて、補佐には直会からセレーネさんを連れてきてもらって。

 彼女は立派な人なんでしょ?」

「そうですね。

 何回か仕事で一緒にしましたが、すごく気が利く人で、優しくて。

 私のこともいっぱい見てもらいましたよ。」

「じゃあ安泰だ。私は、現場の責任者として色々なところを走り回るのが性に合っているよ。」

「そうなんですね。

 私も労基隊に行くことが決まりましたし、一緒させてくださいね。」

「もちろんよろこんで。」


 アレクシスは自分はまだ隊長の器ではない、とかなり渋っていたが、キリアキ隊長が後押ししてくれたこともあり、隊長に据えることができた。

 補佐のセレーネは、直会で事務の総責任者をしていた人間の女性で、誰に聞いても評判が良かったので、バシラ直会長に私から直訴して引っ張ってきた。

 人事は私の希望通りになっていることから、アレクシスから「これ以上口を出すのであれば、私は辞める」とくぎを刺されたので、これ以上のわがままは通せなかった。


 だから、カリカが来たのは私の指示ではなく、本人の希望だ。

 ここまで来たのだから、最後までやりたいと色々なところに掛け合ったらしい。


「働き出したら、新しい家を借りないといけないな。」

「え、出て行っちゃうんですか?」

「部屋代も食事もお世話になっているからね。それも無料で。

 理由の大きいところは収入がないこと、だったけど、今後収入があるのなら、残り続けるための最大の理由がなくなっちゃうでしょ。

 だから仕方なく出て行かなきゃかなって思ってるんですよ。」


「話の途中失礼するよ。その必要はないんじゃないかな。」


 突然、入ってきたのはカリカのお父さんのレフテリウスさんだ。


「ただいま帰ったよ。

 それでね、えぐち君。君が望むのならば、この家にはずっと居てもらってて構わないのだから。

 なぁキシリア。」

「えぇ。いいわよ。いて頂戴な。」

「お父様とお母様、お帰りなさい。」


 カリカにつられて私も「お帰りなさい」と言って2人の顔を見た。

 カリカのおばあさんは数年前に他界したらしく、今この家に住んでいるのは、カリカと両親と祖父の4名。

 キシリアさんとも毎晩食事の時に顔を合わせていたので、まるで家族のようにはなっていた。しかし――


「有難いお言葉なのですが、何かこう、申し訳なさというのが付きまといまして。」

「お金の面かい?」

「それもですし、家事をしてもらっているのも申し訳ないですし。」

「はっはっは。

 そんなことか。執事たちがやってくれるからね。

 1名増えてもそんなに違いはないし、お金の心配は不要なぐらいには余裕があるんだよ?」

「えぐちさん、これから新しい組織を立ち上げて、そこで中心的な人物となってらっしゃるんでしょう?

 それなら、ゆっくりできる家があったほうがいいのじゃないかしら。」

「それはもちろんそうです。」

「そういうことだ。いいかね。」

「わかりました。またしばらくお言葉に甘えさせていただくことになります。」



 その日の食事を終えて、一人部屋に帰ってきた。

 異世界に来て約1か月半。

 怒涛の1か月半だった。

 法律どころか解釈通達や要領なんかも作ったことがない私が、いきなり法律の草案を出す仕事をさせられた。

 どんどん話が進んでいって最速で作ることになっている。


 ここまで話が簡単にすすむとなると、なにかの意思が介在しているとしか思えないくらいだ。

 そういえば、レフテリウスさんが、以前晩御飯の場で話していた、転移魔法の実現。本当にこれを誰かが行って私を招き入れたのだろうか。

 そう思えば、この話の進み具合に納得がいってしまう。

 ということは、日本に戻るにはこの私を転移させた人を突き留めれば、可能なのではないか、と考える。

 ただ、この生活を通じ、それなりの立場を与えられえて、元の世界に戻りたいのか戻りたくないのか自分でも分からなくなってきている。

 自意識過剰かもしれないが、このまま行ったら、カリカと結婚させられそうな勢いだ。


 それが嫌だとは言わないが、私の中では日本に帰りたい気持ちが大きい。それは今後もきっと変わらないだろう。

 そう考えると自分の気持ちに整理がつき、おかかげで、再度自分ができることをしようという気持ちを持つことができた。



 それからさらに1か月。

 国王名で、この国に「労働基準法」が公布された。これから1年間、私たちは、様々な場所に行き、法律の周知を行っていくことになる。

 法律全文が載った本を作り、色々なところで配布する予定だ。特に直会には協力してもらい、直会に所属するすべての会の代表者を集めて説明会もする。

 治水土木隊が行っている工事に関係している会を読んでの周知活動も行う。

 教会の協力をうけ、学校の生徒たちにも本を配布してもらい、子供から大人まで知ってもらう。


 そういうことをしていたら1年なんてあっという間だった。

 日本で言うところの労働基準監督署にあたる「労基隊詰所」を国内3か所に設置した。

 日本語では労働基準監督「署」であり、「所」ではない。これは大きな意味を持っている。

 労働基準監督署は単なる場所ではなく、行政官庁である。

 「所」は場所や施設そのもの、「署」は役割や機能を重視する言葉であるという違いから、行政官庁であることが分かるように「署」になっている。

 ただ、この国でそこまでの意味の違いを説明することが難しく、取り合えず意味が通じる言葉になっている。

 この国の人口が1200万人くらいなので、30か所は欲しいところだが、それだけの人員を要請する時間的余裕もなかった。

 だから、主要3都市に1つずつ配置することにした。

 その窓口には連日、使用者側、労働者側、その家族、色々な人が相談に来た。今このやり方はあっているのか、違法ならばどのようにしたらいいのか。

 規制に向けて、期待を込めて相談に来る人と、批判をしに来る人と。それを相手する毎日は非常に精神に来るものがあった。


 労基隊の隊員は、50人まで確保している。

 各詰所に20人以上はほしいというところで動いていたが、1年がかりで教育して、監督指導を行えるまでに成長した人数がこれだけだった。


 誰もしたことがない「臨検」をこれから行うにあたり、私は彼らに1つの決まりを定めた。

 それは少なくとも1年間は必ず、2名以上臨検をすること。

 日本では監督官が1名で臨検を行うことがほとんどだ。人員が不足しているために、そうせざるを得ない部分もある。

 それよりも人口比で考えると更に少ない人数でこの国を管理しようというのだから、同様に1人ずつで行動させることも考えた。

 しかし、誰も経験がないない現状、1名ずつ行かせるのは不安であろうし、何より労働基準法の考え方が定着していないので、各会からの反発が大きく、1名では御せない可能性があるという判断だ。


 かくして、トロニス=ヘラクレイオン王国に、労働基準法が施行された。今は働く人の生命身体と生活を守るという機運が高まっている。

 我々は作業着をまとい、新しく作った監督官の徽章を胸に付け、各会に対する臨検監督に向けて着々と準備が整っている。


 この徽章の形は、500円玉ぐらいの大きさで、人々の生活を守るということで盾の形にし、盾の中は4分割され、左上に安全衛生の十字、右下にこの国で人々の生活を意味する食器を配置した。


 私の趣味ごりおしで、なかなかの出来になったので、通勤時間中に紋章学の本を読んでいた甲斐があったなと、その徽章を一人見つめながらそんなことを思っていた。

次は7/2水曜日 17時の更新です

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