第14条「死亡災害(転落・墜落)」
「そうだ。4時に決まった。何を驚く。なにか考えていることでもあったというのか。」
――4時、日本時間で言うところの午前8時か。
「いえいえ、昨日の今日で早いなと思っただけです。」
「ね。早くてびっくりしちゃいますよね。」
カリカが同意してくれたが、アレクシスから疑われていないだろうか。
単純に国の方針を決めるのにそんなにとんとん拍子に行くものとは思ってもいないからびっくりしただけなのだが、痛くもない腹を探られる言動をしてしまったかもしれない。
「まあよい。それまでに準備をしておくことだ。」
「準備?」
「服と識字だ。ありがたいことに、レフテリス様がご対応なさるとおっしゃっておられる。」
「そうだね。えぐち君が嫌でなければ。」
「まさかまさか。むしろ、部屋と食事を提供いただいているのにそれ以上までしていただくのはさすがに……」
「とはいえ、服を買うお金も教えを乞う人もないじゃあないか。」
「それは……」
確かにそうだ。財布は持っているが、中身は日本円しか入っておらず、ここでは使えない。
実務者連携会議での話し合いが何日続くかわからないが、そのあいだ、給料はもらえるのだろうか。その先の生活はどうするのか。
なんとなく大きな流れに乗ってしまっていて忘れかけていたが、この世界でいつまでいるのか、何をして生活していけばいいのか、将来がなにも見えない状態なのを突き付けられた気がした。
嫌味があったわけではなく、単純に心配して気を使ってもらっただけであろうに、私には深く刺された気がして、続ける言葉を持たなかった。
「はっはっは。なにも気にせず我々に頼ればいいじゃないか。ね、お父さん。」
「家長のお主が決めるんじゃ。反対するべくもあるまいよ。」
「いいかね?」
「わ、かりました。ここで固辞するのも失礼と思いますので、お言葉に甘えさせていただきます。」
「よし、そうと決まれば、エウスタキウス、よろしく頼むよ。」
「承りまして御座います。」
「改めて、ようこそえぐち君。」
夕食を食べおわり、席を立つと、エウスタキウスさんが部屋まで案内してくれているので、思わず聞いてしまった。
「家長のレフテリスさんを案内しなくて私についてくるんですね。」
「さようの通りで御座います。
レフテリス様の御人格は、えぐち様御自身でも感じ取られておられる通りで御座います。
のみならず貴方は、御客人でおいでになるのですから。」
「ご客人……確かにレフテリスさんは素晴らしい人です。
とはいえ、執事の中でも一番のエウスタキウスさんが私につかれなくてもと思います。」
「私の対応が至らぬところで御座いますのは重々承知して御座いますが、全力を尽して御世話申し上げる次第で御座いますので――」
「いいえ!ありがたい限りですよ。なんというか、いえ、今後ともよろしくお願いします。」
「有難い御発言に御座います。
明日はお着替えを準備させていただきます。」
丁度部屋について、エウスタキウスさんは深々と礼をして廊下を歩いて1階に行ってしまった。ここまで丁寧に接してくれることはあまりに身に余る待遇だと思いながら、また、何より自分の知らないところで段取りがすべて決まっていることが不安で仕方ないと思うようになった。
さて、これからどうするか。あまり遅い時間ではないから寝るには早いし、識字の勉強をしようにも何をしていいのか。
そんな思慮にふけるとすぐに扉をたたく音が聞こえた。
「えぐちさん、おられますか?」
「あ、はい。」
「初めまして。コンスタディーナと申しますわ。
えぐちさんがトロニス文字を読めるようになるのを、お世話させていただきますわ。よろしくお願いします。」
「あ、よろしくお願いします。」
コンスタディーナさんは、子供向けの文字を書き写すタイプの練習帳を持ってきてくれた。これを書き打つして覚えるということから始めることになった。
法律を作るのであれば、言葉の定義を一つ一つ明確にする必要がある。
特に処罰を定める労働基準法や労働安全衛生法は、罪刑法定主義の観点から、拡大解釈を差し込まないようにしないといけない。
そうなってくると、文字を理解できないことは問題である。もしかしたらこの国に存在しない概念を導入する必要もあるかもしれない。
それに向けて文字を覚えるのは重要な作業になるだろう。
「文字についてはお伝えした通りですわ。続きはまた明日よろしく願いしますね。」
「はーいありがとうございます。」
コンスタディーナさんが気さくな話し方をしてくれたおかげで、こちらも打ち解けた気になって話を進めることができた。
実務者連携会議事務局に行く前日になって私の服が出来上がった。
袖を通すと本当にぴったりで、下半身は革製の靴に黒の細身のズボン。上は日本でも普通に着ている白のワイシャツのような感じで襟周りに紐を蝶々結びのようにして巻いている。
上から着る赤いベストには、ボタンに沿うように金糸の刺繍が施されていた。そして、ハットタイプの黒い帽子を渡された。
「非常に良くお似合いで御座います。」
「ありがとうございます。帽子は屋外だけでなく、室内でも被ったほうがいいんですか。」
「御面倒お掛けして恐縮に御座いますが、正式な場ではお被り頂きますよう。」
「わかりました。」
正式な場、と言ったということは、これが正装になるのか。
上着がないのに正装というのは違和感があるが、気軽に動き回れるのでありがたい。この服を着たことでこっちの世界に来て1週間以上がたってようやく前の世界から離れて来たのだという実感がわいてきた気がした。
その日の夜寝る前になって、いつも通りカリカが私の部屋にやってきた。
この3日間、毎日この時間に文字の勉強に付き合うと言って来てくれていた。
今日も勉強かと思ったが、手ぶらで来ていたことから、それとは違うということが分かった。
「明日のことでちょっと相談したいことがあるんですけど、いいですか。」
「はいはい。どうしました。」
「通常事務局で法律を作る際、それぞれの隊の中から、補佐を筆頭に事務を行っている人が参加して決めていくんですね。
まぁ、そうは言っても補佐は初回とか節目とかに顔を出すだけなんですけどね。
で、でですね。
その事務を行っている人というのは、例えば警邏隊で言えば、昔は外で警邏活動を行っていたのに、今はしていない人たちなんですよ。そんな人たちが、実際にどう動いていくのが一番いいかなんてわからなくないですか。」
「ま、確かに。それでも過去の経験があるのなら、なんとかなりそうなもんですけどね。」
「多少はあるでしょうけど、昔と今では色々変わってますから。」
「それも確かに。」
「それで、私が参加したいなぁって。」
「――どうやって?」
年齢だけで言えば私が年下なので、敬語を使うべきであろうが、ここ数日でさらに距離が近くなった気がするのと、なにより見た目が年下なので、どうしても端々に普段通りの話し方が出てしまう。
「それはもう、えぐちさんの手伝いとして連れて行ってくださいよ。」
「なんですって?そんなことができるんですか。」
「多分?」
「いや、カリカさんがわかんないなら私は絶対わからないですよ。」
「ふふふ。冗談です。
実は、法律を作るとき、それぞれの隊の補佐が参加していますが、それは形だけなんですね。
実態は、各隊の事務関係をやっている人が実務者連携会議の事務職として参加してるんです。」
「各隊の間接部門ってやつですね。」
「そうですそうです。各隊には会議の記録係がいたり、提案することをまとめる人がいたりと、仕事を分担しているんですよ。
それで、えぐちさん、そんな人要りませんか。」
随分と遠回しで、だが、可愛らしい申し出だ。つまりは、警邏隊としてではなく、私の書記的な立場を利用することで参加したいというのであろう。「利用」という言葉は不適切かもしれないが。
「なるほどですね。でも、そこまでして参加したい理由ってなんですか。」
「あんまり楽しくない話ですけど、いいですか。」
「もちろんですよ。」
「この国の警邏隊は、街の中を警邏するだけではなく、詰所に待機して、色々な人の相談や訴えを聞くことがあるんですよ。
詰所に待機するのは若手で、警邏するのはある程度経験がある人なんですけれど、私も若手のころに詰所に待機していました。
ある日、小さい子供を3人連れた、ドワーフの女の人がやって来たんです。そのお母さんが訴えるには
『私の夫は、30年以上、製鉄所で働いていたんです。1か月ほど前のある日、製鉄所の高いところから落ちて死んでしまったんです。
ずっと、夫は、高いところでの作業がある、怖いけど働かないと親方に怒られる。高いところは怖いが親方はもっと怖い、とずっと家で言っていました。
私は、何か対策してくれって親方に言えばいいじゃない、って言ったんですけど……
聞き入れてもらえなかったらしくて……
親方だけじゃありません。会長だって同じところで仕事してたはずだから、全部知ってたはずなんです。
なのに、働かされて死んじゃって……
私の夫は工会に殺されました!会長に殺されたんです!
警邏隊さん、お願いです、会長を逮捕して罰を与えてください。
私たち家族4人どうやって生きていけばいいんですか……
お金がないと生きてはいけないんです。この子たちはまだまだ子供で私が働くこともできないし、養ってくれる人も、私が誰かと結婚することもできません。
どうやったらいいですか。このまま死ぬしかないんですか。
いいです死んでも。
でもあの会長だけは、罪を償ってもらわないと納得いきません。
お願いです。何としてでもお願いです……』
ということだったんです。調べましたけど、本人が足を滑らせただけで、突き落としたとかそんなのは何もなかったんです。
だからその会長を逮捕することも、罰を与えることもできなかった。
たまたまと思いますけど、そんな訴えを5,6回受けたことあるんです。それで調べたら、仕事中に死んでる人が毎年500人ととても多くてびっくりでした。
それ以降、私は何とかして働く人に注目した法律を作りたいと思っていたんです。
そこに、この会議、絶対に参加したいし、もしできればえぐちさんと一緒に働きたいなって。」
「――わかりました。
そこまで言われたら、頑張るしかないじゃないですか。一緒に行きましょう。どこに言えばいいですかね。」
「ありがとうございます!
ふふふ。実はもうアレクシスの了承は得ているので、えぐちさんが良いって言うだけでした。後出しみたいになってごめんなさいね。」
「まったく問題ないです。では、明日よろしくお願いします。おやすみなさい。」
「おやすみなさい。」




