第10条「工場法」
しばらくぼうっとしていたら、中央議場庁舎に到着した。入口の門番にアレクシスが声をかけ、城壁の中に入り、中央議場庁舎の真ん中にある通路を使って中庭に入った。
奥には別の宮殿のような建物があるがそこにはいかず、通過した中央議場庁舎の中庭に面した入口の前に戻って車を止めたところで、従者が車の扉を開けた。
アレクシスに続いて私が降り、後ろから警邏隊の2人が続いた。
中央議場庁舎は、今通った通路で左右に分かれているようで、今から入るところは前回来た警邏隊とは反対側にある。中に入ると左右に廊下が続き大仰な外観からは想像がつかないほど細かく部屋が分かれていた。
外から見える各窓一つ一つが別々の事務所になっているようだ。
入って正面にある階段をのぼり3階にある扉から中に入るように言われた。
私が入った扉はその部屋の端に位置していたので、中の様子が一望できた。
かなりの広さがある部屋で、裁判所の中みたいな配置だった。ただ、傍聴席が裁判官の後ろにあるのが大きく異なっている。
私が入った扉の左手にある壁に背を向けた椅子が、証言台のように置かれていた。対面する位置には長机がコの字に設置され、その中央に1脚大きな椅子が置かれ、左右に7脚ずつ、合計15人が座れるようになっていた。
中央の椅子の後ろ側には、傍聴席のように椅子が証言台の椅子に向いておかれ、すでに座っている30人ほどが、私を見ている。
アレクシスは3階に上がったときに分かれたので、私は一緒に車に乗ってきた警邏隊の2人に連れられている。
彼らは私を証言台の席に座るように言ったのでそれに従い着席をする。
そのまま2人は両側に立った。
この2人以外ここに今いるすべての人が私の視界に入る。傍聴席からはいろいろな話声が聞こえてくる。私に関する話を色々しているようで緊張が高まってくる。
ただ、カリカの姿が見えたことで私はすこし落ち着けた気がした。
長机の横の扉が開かれ、見るからに色々な種族の人が14人、入ってくる。彼らは長机の中央の大きな席を空けて、銘々が座った。
そしてどこからか「議長入場、起立」という声が聞こえ、私を含めた全員が起立し、見た目40代後半ぐらいのごく普通の男性が入ってきて、正面の席に座ったのを見て全員が着席した。
「こんにちは。議長のニコラオスでぇす。今から実務者連携会議を始める前にぃ、聞き取り調査をおこないまぁす。
え~皆さん知っていると思いますが、先日、そこに座っている『えぐちまさおみ』という人間が入国してきましたと。
本人は『にほん』という異世界から来たと主張していることも不思議なんですけれどもぉ、なにより『ろうどうきじゅんかんとくかん』という初耳な仕事をしていると言っているんでぇすよ。
働く人のための決まりを定めぇ、それに従って各会に行って調査をする仕事をしているんだと。
で皆さん知ってると思いますが、最近いろいろなところで働いている人の問題が言われていてぇ、何とかしないといけんと族長会議の話題になってまぁす。
そこで、いったん彼の話を聞いて、なにか今後の参考になることがないかということを検討しようと、そういう流れです。
今日はまぁず、彼に自分の仕事を話してもらってぇ、それを受けて皆さんから色々質問をしていけばいいんじゃないかなと思います。
事前にうちの担当者が皆さんのもとに説明しているとお思いますんで、それでよろしいですかねぇ。
――大丈夫そうなので、さっそく。
座ったままでいいんでぇ、ちょっと具体的に話をしてもらっていいですか。」
「わかりました。改めて江口将臣といいます。働く人のことについて私が知っている限りのことを今から説明します。決まりを定めたのは私ではないので知らない部分もありますが、そこはご了承ください。働く人のことを私の国では、労働者といいまして……」
「待ちなさい。」
「どぅしましたか。バシラ直会長。」
「まずは異世界からどうやって来たかの説明をするべきじゃなくて。確かに説明してもらいましたけどね、結局はわからないというんでしょ。
とてもじゃないけど納得できませんよ。」
「それについて今回は不問にしまぁす。キリアキ警邏長のご判断です。」
「そうね。嘘をついていなかったからね。」
「ということでバシラ直会長、それで納得してもらわないとちょっとこまりますよ。」
「ニコラオス議長。今回、彼が説明するでしょう内容は大体把握しています。
そして今後についてそれを認めてやっていくということで動いていくということも聞いています。
その内容は、商会や公会などの各会にとても大きな影響を及ぼすことでしょう。
そしたら、その信用性をまずは吟味していくことが大切と思いますよ。
キリアキ警邏長のことは疑っていませんが、ここで彼の来し方の説明を求めることが間違ったこととは思いませんよ。よろしいですか。」
「いやま、そうは言ってもわかりきっていることを説明してもらうのも時間の無駄じゃないんですかねぇ。」
「いいえ。無駄じゃありません。そこを説明してもらうことで、信用性が増すことも減ることもありますよ。」
「んじゃいいです。説明してもらうことにしましょう。どうぞぉ。」
「はい。とはいえ、どこから説明すればいいのか……
わかりました。私の仕事が必要になった経緯、働く人の歴史から説明して、私がここに来た経緯を話します。
とはいえ、歴史家ではないですし、知っている部分のみになります。
私が生まれる200年ほど前から、物を作ったり売ったりする方法に大変革が起こりました。
それまでは自分で作った物を自分で売っていました。しかし、徐々にお金を出して物を作る道具と場所と材料を提供する人と、その場所に行って働くだけの人が出てきました。
お金を出した人が働く人を雇うことから、お金を出した人を使用者、働く人を労働者と呼ぶようになりました。
この形態の方が、効率よく物を作れるのです。
そして、物を売った利益を使用者が回収して労働者に配分するようになりました。
これで物がいっぱい作られ、世の中が発展すると思われましたが、実はそうなりませんでした。
ひどい使用者が、安いお金で危なくて汚い環境で労働者に仕事をさせるようになったのです。だってその方が、利益をたくさん手に入れることができますから。
本来であれば労働者はそんな酷いところを辞めて別のところで働けばいいのですが、辞めても他のところにすぐに行けるかわからなかったり、辞めたらどうなるかと脅されたり、使用者に借金があってそれを返さないといけなかったり、逃げ出せない要因がいっぱいあったのです。
特に力のある男性なら逃げ出しやすいのですが、子供や女性は簡単に逃げ出せず、こういう人たちを無理やり働かせることも横行しました。
ここに、完全に使用者が強くて労働者が弱いという構図が出来上がってしまいました。」
「ふざけるな!そのようなことがまかりとおる野蛮な国とこの国を同一視するでない!」
「ままま、ちょっと落ち着いてくださぁいイウリオス裁判隊長。」
「気持ちはわかりますが、使用者と労働者の関係は非常に外から見えにくいのです。これが現実です。」
「仮に見えにくかったとしてもこの国では警邏隊が常に見回っている。そもそもの話の前提が違っているこれ以上聞く必要はないわ!」
「お言葉ですが、これまでこの国で聞いた話では、労働の対価に衣食住の保障というのがあるそうですね。
それはつまり悪用すれば監禁です。いつ強制労働に発展するかわかりません。
現状の制度はそういう危険性をはらんでいることを認識してください。
さらに、実際に作業しているところを見させていただきましたが、私の国の基準では、危ないところだらけです。」
「なにをっ…!」
「まぁまぁ、えぐちくん、続けて」
「一つの国の中にいては現状に問題がないように思えてしまいます。そこでわが国でも、外国の事例を参考にしながら労働者保護の法律を作ることにしました。
法律はいくつか作りましたがその中でも一番有名なのが『工場法』です。
そこには、子供と女性に危ない仕事をさせないこと、無理やり働かせないこと、仕事中に怪我したり死んだりしたら補償してあげることが、定められました。
しかしそこには、成人男性に対する規制がなかったり、金額の規制がなかったり、なにより、この決まりを破ったら誰が取り締まるのかが決められていませんでした。
このように不充分な法律であったのと、戦争がすべてを破壊したのもあって、今から80年前に新しく労働者を保護する法律が作られました。
それが『労働基準法』という法律です。
この法律の重要なところは、使用者と労働者は対等であること、労働者は文化的な生活を営む権利を有すること、が確認されたことです。
このことを前提に、すべての労働者の生命、身体、健康を守るために必要な最低限度の基準が定められ、使用者に対しては、罰則をもってこの法律を守るように強制しました。
さらに、警察組織とは別に、労働基準法を守らせる特別な組織を作りました。それが労働基準監督署であり、そこで働くのが労働基準監督官です。
この労働基準監督官には、労働者がいるところはいつでもどこでも行ける権限を与え、労働者に関係する書類をいきなりすべて見る権限が与えられました。
ある意味警察、こちらでは警邏隊と呼ぶのかもしれませんが、それ以上の権限が与えられました。
使用者が労働基準監督官の調査を拒絶するとそれだけで罰則が与えられるようにしたのです。
警察は街中を見て回るだけでその存在価値は充分にあります。
一方で、使用者と労働者の関係、特に給料の話であったり、働いている年齢であったりは、街中を見て回る、いわば外から見ただけではわかりません。
使用者と労働者の関係について実態をできる限り把握するにはこの方法が最適なのです。
労働者から、働く環境が良くない、と情報提供が無いところこそ、積極的に行きます。
情報提供があるところは確かに問題ですが、ほんとに危ないところや大変なところ、は情報提供が無いところにある可能性が高いです。
なぜなら危ないのに働いている人が危険な状態にに気付けていない、異常な状態で働かせていることも働いていることも当人たちが気付いていないのですから、永遠にそのままの可能性があります。
これは、警察の権限ではできません。
さらに、私の国では、本当に色々な仕事があります。物を作ると言っても、食べ物をとったり作ったり、鉄を作ったり、服を作ったり、建物を作ったり。
また、自分では作らずに色々な物を運ぶだけ、売るだけの人もいます。
お金を商品として扱う人もいます。
労働基準監督官は労働者がいるところはすべて行かないといけないので、すべての種類の仕事の内容をある程度は知らないといけません。
私は、この仕事を始めて12年になりまして、色々なところに行ってある程度の知識を身に着けてきました。
ここからは私がここに来た経緯になるのですが、ある日、13階建ての建物を作っている建設現場に行きました。
労働基準監督官は、すべての労働者の模範となる格好、行動をしないといけないのに、お恥ずかしい話ですが、穴があることに気が付かず、墜落してしまったのです。
高さは20メートル以上あったでしょうか。墜落していくなかで気を失ってしまい、気が付いたらアレクシスさんに起こされたのです。
ここが私がいた世界と別の世界なのかは不明ですが、少なくとも、トロニス=ヘラクレイオンという国の名前は初耳ですし、エルフやオークは私の世界にはいません。
ということは違う世界に来たとしか思えないのです。以上が私が今説明できることです。」
「えーということだそうでぇす。何か質問ありますかぁ。」




