第九夜
「なにを……ハァハァ、している……吸血鬼がいるのが、ハァハァ、わからないのか……」
現れた人間は若い男だった。
男に見覚えはない。
「おい……ハァハァ……聞いているのか……」
男は一度こちらを振り返ったが、すぐにまた吸血鬼の方を見ていた。
誰だ?何をしている?
朝織の見間違いでなければその男は上から現れたはずだった。
聖十字の捜査官ではない、吸血鬼ではない。ならば何者だ。
正体の分からない男に困惑していた朝織だが、またあの黒い球が見えた。
もう防ぐことはできない。
「おい……逃げろ」
せめてこの男だけでもと思い忠告したが、正直、逃げても無駄だと思った。
今さら逃げたところであの攻撃から逃げ切ることはできない。
『黒月玉』
あぁ、ダメだ。
黒い球が向かってくる。
え?は?なに、何が起こってる?
目の前で信じられない光景があった。
あの無数の黒い球を突如現れた男が剣で受けていた。
その動きは速く、一瞬だったが確かにそれが朝織にはわかった。
私でも躱すか『血壁』で防御するしかできなかったのに、受けきるだと。あの攻撃に対応しきるなんて……
「俺の……黒月玉を受けきった……だと?」
男が目の前にいるので吸血鬼の様子はよくわからなかったが、朝織と同じように驚いている様子が伝わってきた。
「なんだ……その力は……」
本当に何者だ。たかが人間にこんなことができるわけがない。仮に聖十字の捜査官だとしてもそれなら私より強い捜査官ということになる。しかし、それはない。そうであればさすがに顔を見たらわかる。
「お、おい!」
男は空に浮かび吸血鬼の方へ飛んで行った。
やはり、吸血鬼の力を持っている。そんなことありえない。聖十字の人間以外で吸血鬼の力を持つ人間がいるなんて……
は?
「何が起こった……」
空中のことで朝織にはよくわからなかったが、男が吸血鬼の方に向かってすぐ、何かが落下した。
よく見るとそれは、体の大部分が欠損した吸血鬼だった。
あいつがやったのか?一瞬で?ありえない、ありえない、ありえない。だってそれじゃ、上位1級捜査官レベルじゃないか……
何をしたかわからなかった。かろうじて、吸血鬼が攻撃を放ったのはわかったが。
クソ、まだ再生が完了していない。早く、早く、再生を終わらせねば。
朝織が再生に気をまわしているその間に、男は、大型種と捜査官二人が戦っている方へ飛んで行った。
早く、早く、早く……よし!
時間はかかったが完全に貫通孔は塞がった。
男に少し遅れて、後を追った。
空に浮かぶ男の背中を寸前に捉えたその時、一閃を見た。
剣を振り放たれた黒い一閃は、大型種の体を真っ二つに切った。
三人がかりでも致命傷を与えることができなかった硬い大型種の体をいとも簡単に断斬し、またも一瞬で倒してしまった。
一帯に静寂が流れる。
朝織はその状況に圧倒されたが、色々聞かねばならないことがある。
すぐにどこかへ行ってしまうかもしれないので、
「おい!」
大型種の死体を見下ろしている男の肩をつかもうとした。
手が肩に触れる寸前のその時、男の体が下に落ち、鈍い音が響いた。
なんだ?どうした?
朝織は下降し、うつ伏せで地面に伏せている男に触った。
脈が弱い。呼吸も浅い。
「意識を失ってる……?」
「蕗守さん!」
一緒に戦っていた中年の捜査官が駆け寄ってきた。
そういえば、もう一人の若い捜査官は……
中年の捜査官のバディであろう若い捜査官の姿が見えない。
「誰ですか。その男」
「私にもわかりません、わかりませんがなぜか気を失ってしまったようです」
「こいつを一撃で殺るなんて」
中年の捜査官が大型種の遺体を見ながらそう言った。
「あの人型の吸血鬼もこの男が殺してしまいました。それも一瞬で」
中年の捜査官が驚いた顔で振り返った。
「だって、あいつは」
「えぇ、魔力を使いました。確実にこの大型の吸血鬼より上位の個体です」
「そんなこと、あり得るんですか」
「あり得ません。そんなことがあり得るはずがありません」
あり得ないことは、中年捜査官もわかって聞いたのだろう。「そうですよね」と小さくつぶやいた。
「あり得ませんが、我々の目の前で起こったことは間違いなく事実です」
「お二人とも」
中年の男と話していると、姿が見えなかった若い捜査官が近づき声をかけてきた。
「おい、大丈夫か」
「はい、大丈夫です」
中年の捜査官の問いにそう答えた男はボロボロだった。
「何ですか、そいつは?」
若い捜査官も気を失っている捜査官のことが気になるようだった。
「俺にも、蕗守さんにもわからない」
「蕗守さん、その男どうします」
「とりあえず、東京の聖十字本部まで連れて帰りましょう。聞かねばならないことがありますから」
男は気を失っている。この男には聞くべきことがある。都合がよかった。意識を取り戻したら抵抗されるかもしれない。上位種の吸血鬼2体を一人で倒した男だ。抵抗されたら厄介だった。
朝織は意識を失ってるうちに体を拘束し、東京にある聖十字本部まで連れて帰ることにした。
「もうじき、ほかの捜査官達も通報を受けてここまでやってくるでしょう。まずはそれを待ちましょう」
『血術・血縛鋼線』