第五夜
体の地獄はもう無かった。
目が覚めた礼衛の見つめる先には、月が浮かんでいた。
えっ?生きてる?
吸血鬼の血は確かに飲んだ、あの激痛が嘘のはずがない。
今のこの状況に困惑しながら、体を起こす。
そういえば、吸血鬼の攻撃による痛みも全くなかった。
ゆっくり自分の体を見てみる。
なにもない……
実際に攻撃された後、自分の体を確認したわけではないが、いくつも攻撃が体を貫通したのは確かだった。
ただ、体に貫通した痕跡は一つもない。それどころか血も出ていないようだった。
手で触ってみるとやはりジットリと服が湿っていた。
ふと横を見ると、隣で老いた吸血鬼が地面に伏していた。
先ほどこの吸血鬼に感じた恐怖はもうなかった。
構内に現れた巨大な吸血鬼は虚構ではない、吸血鬼に受けた体を貫通した攻撃は虚構ではない、吸血鬼の王と名乗る吸血鬼の血を飲んだのは虚構ではない……
今のこの状況を静かに受け取り、一連の時間が現実であったと礼衛は理解した。
だとすると……確かに血は飲んだし……
到底信じがたいが、この現状を意味することは一つだけだった。
「吸血鬼の力を手に入れた?……」
状況を完全に飲み込めてはいない。
吸血鬼の血を飲んで生きているなんて……
吸血鬼の力を手に入れたなんて……
しかも、取り込んだ吸血鬼は自らを吸血鬼の王と名乗り、納得させられるだけの雰囲気を持っていた。
ありえない、ありえない、ありえない……
目が覚めて、だんだんと頭はすっきりしていったが、冴えれば冴えるほどわからなくなった。
別に特別体に変化があるわけではない。
あるわけではないが、傷が癒えているのはまごうことなき事実で、吸血鬼の死体らしきものが確かにそこにある。
あらゆる情報と常識が錯綜し、考えはまとまらず、ジッとその場で礼衛は座り込んでいた。
「おい、おい少年」
礼衛が混乱していると、どこからかあの吸血鬼の声がした。
え?死んでるんじゃ……
聞こえるはずのないその声に驚き、隣に倒れている吸血鬼を勢いよく首を振り、見た。
礼衛は、完全に死んでいると思ったが……
恐る恐る見つめていたが、動く様子は全くない。
やっぱり……死んでいるよな……じゃあ、さっきのは幻聴……
「少年……いくら見つめても無駄だ、儂はもう死んでる」
どうやら幻聴ではなかったようで、またあの声がした。
というよりも、その声は直接頭に語り掛けているようだった。
どういうこと……?
礼衛はまた混乱を深めた。
「素晴らしいぞ少年、見事だ。この私の血をモノにするとは」
「えっ……」
混乱する礼衛をよそにあの吸血鬼の声は話を進めた。
「さすがに儂だな、取り込まれた後も血に意識が残っているなんて。普通はそんなことはないぞ少年」
意識が残ってる……?この頭に響く声はそのせい?
「ただこれも一時的なものだろう。血も次第に少年の体に順化し儂の意識も途絶えるだろう。少年、お前も今のこの状況が飲み込めずにいるだろう。そんなお前に一通り伝えなければならないことがある……と、その前にまだお互い名前を知らなかったな。私は、吸血鬼の王ブベルブゼ。少年お前の名前はなんだ?」
「はぜり……枦里礼衛です」
戸惑いながら名前を答えた。
「うむ、礼衛、では儂が今から言うことをよく聞くんだ」
そういって吸血鬼の意識とやらは、一部始終を話してくれた。
大昔、世界に始祖と呼ばれる5体の吸血鬼が誕生し、それが吸血鬼の始まりであった。ブベルブゼはその始祖の一人である。
始祖は各々が、人間を襲い、眷属・配下の吸血鬼を生み出し、勢力を拡大していった。勢力を拡大していった始祖は、次第に自分一人が吸血鬼の王となろうと考えるようになり、ある時に始祖5人とその眷属・配下で大規模な吸血鬼の戦争が始まった。
戦争は、長期化しそれに伴って激化した。
ブベルブゼも元々、他の4体と同じように戦闘狂であり、散々人間を殺したが、戦争中ある出来事を機に人が変わった。
そこで戦争を止めなくてはと考えたブベルブゼは、吸血鬼を封印する術である『覚めぬ夜』を完成させ、ブベルブゼ以外の始祖4体とその眷属・配下を封印した。
ブベルブゼの話によるとそういうことだった。
その後も話は続き……
しかし、その始祖の封印がブベルブゼの配下によって解かれ、始祖のうちフェゴルベルという吸血鬼が解き放たれ、あの左肩の欠損は、そのフェゴルベルにやられたという。
なんとか止めなくてはと、ブベルブゼは思ったがもう命は長くない。
そこで、窮余の策ではあるが、転移した先にいた礼衛に血を取り込んでもらい、力を手にしてもらおうとしたらしい。
最後に、
「すまない、少年。こんなことに巻き込んでしまって。だがそういうことだ。儂の代わりに始祖を止めてくれ」
と言われた。
静かに聞いていた礼衛は、そんなことできないと一通り話を聞いてまず思った。
吸血鬼と戦うなんて……しかも、始祖ってとんでもなく強いんじゃ……
「そんなことできません……それに封印できるならまたやれば……」
よく考えればそうだった。
始祖を封印して戦争を終わらせたなら、その封印が解けたといってもまた封印すればいいじゃないか。
「それは無理だ」
その提案はブベルブゼに、きっぱり否定した。
「封印には儂に従属している吸血鬼の命が必要となる。さっきも言った通り、もはや儂の配下たちに忠誠心はない。それに礼衛、お前の体に取り込まれたことによって、配下たちとの従属関係は完全に切れている。始祖を止めるためには、戦うしかない」
「いや、でも戦い方もわからないし……」
「それは大丈夫だ。吸血鬼の血を取り込んだ人間は、自然と取り込んだ吸血鬼の力を使える。それは吸血鬼にとって血がすべてだからだ、だからお前も儂の力を考えずに使うことができる」
「でも……」
どうにか戦わずに済まないかと礼衛は考えた。
「せっかく儂の血を取り込めたんだ。頼む覚悟を決めてくれ。このままだと吸血鬼が世界を亡ぼす。礼衛、そうなればお前の大切な人間も確実に殺されるぞ」
その言葉に、妹の美香の姿が浮かんだ。
「礼衛、後ろをみろ」
自然と体が後ろを向く。
「は?」
見つめた先では、吸血鬼が暴れていた。
そうだ、そうだ、そうだ。
混乱は、視野や聴覚を鈍らせ、今の今まで気づかなかった。
大型吸血鬼と、ぼんやりだがもう一体人型の吸血鬼が、誰かと戦っている。
まだ構内に残っていた。
あれは……聖十字?
よく見えないが、吸血鬼のほかに三人分の人間の姿があった。三人が着ている真っ白な服装は確かに聖十字のものだった。
聖十字の人間が二体の吸血鬼と戦っていた。
しかし、ここからでもわかる。かなり苦戦している。
「礼衛、お前もまだ混乱しているだろ。しかし、これは世界のためだ。吸血鬼の支配を止めるぞ」
「いや……」
「儂の意識もまだある。あの二体の吸血鬼を教育材料に、この儂が戦い方、力の使い方を教えてやろう」
「えっ、ちょっ、まっ、まって」
礼衛の制止は意味をなさず、勝手に体が空に浮かび、猛スピードで二体の吸血鬼、そして聖十字の人間がいる方に向かって飛んだ。