5.水の神殿へ
「アーディン!もう帰っちゃうの?」
近くの宿に泊まった俺達を見送りに来てくれたゲイル達の元から離れて、子供のロイが先に駆け寄って来た。昨日、酒盛りしている途中で起きてきた時もアーディンがロイの相手をしていたが、帰ると知った途端、今にも泣きだしそうな顔になってしまった。ロイの目線に合わせるようにしゃがんだアーディンは、いつもの仏頂面が嘘のように優しく笑いかけると、小さな頭をくしゃりと撫でた。
「またすぐ来るから、それまで教えたこと復習してろ。できるな?」
「うん!」
微笑ましく見られていると知ったら機嫌を損ねてしまいそうだ。ゲイル達も幾度となく見ている光景らしいが、人族自体を嫌っていたアーディンを知っているだけに二人を見ていると、いつも心が温かくなるらしい。
「僕の方でも底なしの渓谷について調べてみますね」
魔導学術会のトップともなれば、様々な情報はいくらでも入って来るようだ。とはいえ、人が近づかないあの場所について調べるとなれば、国家機密レベルの文献くらいだろうか。例え無かったとしても、他に有益となる情報があればクリスは調べていてくれるだろう。
「助かる・・・と言いたいが、ゼーレの事もあるのに大丈夫なのか?」
「はい。僕をまた利用しようとするのであれば、ルークさん達が来られる前に現れているはずですから。ただ、状況次第では僕達が足を引っ張ってしまう存在になってしまわないか心配ではありますけどね」
ゼーレが関与する勢力である以上、通常の魔物を相手にするレベルの話ではない。だが、魔王城以外に狙われた地域が無いのが現状だ。
―――そもそもゲームとは一体何を意味してるんだ・・・?
ただの謎解きとは思えない。
「心配すんなよ。俺たちも元冒険者だ。自分たちの身くらいは守るさ」
「それが疑わしいんだよ」
カッコ良く決めたつもりのゲイルに、アーディンが容赦ない言葉を浴びせた。
「ホントに私達の事は気にしないで。ルークやアスレイさんが気にかけて来てくれただけで嬉しかったんだから。アリスちゃんも来てくれてありがとね」
「状況次第では再度伺うことになるかもしれませんが、それまで皆さんお気をつけて」
手を振って見送ってくれるゲイル一家とクリスに別れを告げ、俺達は再びモルビスの森へ向かった。
目的地の水の神殿は、アストリア王国の北西にある。湖に浮かぶように建つその姿は幻想的な場所としても知られている。リーディアの町はアストリア王国の最南端の為、馬車で移動するとなると、数日はかかってしまう。のんびりした旅をしているわけでも無い俺達は、モルビスの森からアーディンの背に乗って神殿へ向かうことにしたのだ。しかし・・・
―――なんか空気がおかしいのは気のせいか?
出発してから違和感が半端ない。
いや、正確にはそれより前だ。朝、目が覚めてから昨日の事をアスレイに尋ねた時から妙な感じがした。普段、空気を読むなんてことはしないが、明らかにアスレイは機嫌が悪い。そして、アリスは元気がない。アーディンは・・・いつも通り?
昨日はクリスに勧められた酒に口をつけた所までしか記憶が無い。つまり、それ以降酔い潰れるまでの記憶が全く無いのだ。その時に何かやらかしたのであれば謝罪なりなんなりしたいのだが、誰に聞いてもすぐに酔い潰れて寝てしまったとの答えが返ってくるだけだった。ならば、気のせいなのかとなるが、そう思わせてくれない雰囲気がある。
さり気なくアーディンに近寄って、こっそり尋ねた。
「なあ、昨日ホントに何も無かったのか?」
「・・・・・・ないですね」
その間は何だ?
でも、怖くて聞けない・・・
しかし、これはやっぱ俺が何かやらかしているに違いない。
「ちょっと待った!」
俺の制止に前を歩いていたアスレイが足を止めた。しかし、振り返らない。
「なあ、昨日やっぱ俺なにかやらかしてるだろ?レイもアリスも変だぞ?覚えてない俺が悪いけど、聞いても答えてくれないなら謝りようがないだろ?」
これから各神殿を調査するが、そこで何が起こるかも分からない。ギスギスした状態では、マイナスな状況を生みかねない。それをアスレイが分かっていないとは思えない。
「――ティアナ」
「な・・・ッ」
何故その名前が今出て来るんだと言葉にする前に呑み込むこととなった。
「貴方がアリスさんに対して呼んだそうですよ?」
「うそ・・・だろ?」
ぎこちなくアリスの方を振り返ると、黙ったままこくりと頷いた。
全身の血の気が引く。
どうりでアスレイの機嫌が悪いわけだ。それにアリスにとっても気分が良いはずはない。
「貴方がアリスさんにティアナの姿を重ねていたのは知っています。ですが、名前を出すのは論外です。貴方はアリスさんを何だと思っているのですか?」
「――すまない」
いつ口走ったのかは全く覚えていないが、昨日の話ではないというのは分かる。恐らく昨日の席で、俺が話題になる切っ掛けを作ってしまったのだろう。そこでアスレイの耳に入ったといった所か・・・
―――最低だろ・・・
妹のティアナを重ねてしまうことはあっても、アリス個人として接しているつもりだっただけに、これはかなり自分自身に絶望する案件だ。
深い溜息を吐きながら、頭を抱えてしゃがみ込んだ俺の前に影が出来た。恐らく今、物凄く情けない表情をしているはずだが、顔を上げると同じ目線の高さにアリスの澄んだ瞳があった。
「気にしていません、と言ったら嘘になると思いますが・・・でも、ルークさんの辛い記憶や苦しみがある以上、私は構いません」
「いや、それじゃ・・・」
アリスも自身が原因で、家族を始め村の住人が虐殺された過去を持っている。そんな彼女に――まだ十七歳の少女に気を遣わしてしまうのは、あってはならない話だ。
「昨日、ルークさんの本音は聞きました。私とティアナさんは別人だと分かっていても、自責の念に囚われてしまっているルークさんを責めることは出来ません」
酔っぱらった自分が昨日何をやらかしたのかは大体見当がついた。やはり俺が切っ掛けを作っただけだったようだ。
「アリスさんは本当にそれで構わないのですか?」
「はい」
「・・・だそうですよ」
「――すまない・・・それから、ありがとう」
いつもの明るい笑顔ではいと答えてくれたアリスの為にも、いい加減気持ちの整理をすべきだろう。彼女の優しさに甘えて良い理由は無いのだから。
「解決したなら行きましょうよ」
アーディンからの催促に、今度は全員へ謝罪し、俺達は水の神殿へと向かった。
気配遮断の魔法をかけて、マウリア湖が視認できる距離まで近づくと、人気の無い雑木林に降り立った。ここからは徒歩での移動だ。
マウリア湖があるのは、テレスティアルに存在する大陸の最北端に近い場所の為、比較的温暖な魔王城がある場所とは違ってかなり肌寒い。リーディアの町も朝晩は冷えるが、ここまでの寒さにはならない。
「アリス寒くないか?」
「平気です!」
防寒対策用の動きやすい生地が使われたミドル丈のコートは昔ファリシアが着用していたものだ。魔力を高める効果と防御力が少し上がる付与が施されている。魔王城を出発する日に気づいてくれたファリシアがアリスに渡してくれたのだ。
「モルビスの森と違ってこの辺は魔物が多いみたいですね」
人の姿に戻ったアーディンが周辺を探知しながら呟いた。
「人族が近くに住む場所ですから、ルークは特に魔力等の扱いには気を付けてくださいね」
「ああ、分かってる」
草木に隠れて直接姿は見えないが、少し距離を置いた場所にいる魔物はこちらの様子を窺っているのか、今すぐに襲ってくる気配はない。魔力を抑えているとはいえ、人族よりも敏感な奴等からすれば此方が格上であることは気づいているはずだ。そんな相手には、集団か不意打ちで襲える状況を狙っているのかもしれない。魔王の固有スキルを使えば大人しくさせる事は可能だが、人族の冒険者などがいるかもしれない中では避けるべきだろう。
「――!」
全員気づいたのか、不自然にならない程度で目を合わせた。
「人の流れがあるようには思えませんが、この近くに拠点でもあったようですね」
「オレ狩ってきましょうか?」
「いや、下手に騒がれるのは避けたい」
この辺りは、神殿近くの町と王都との中間地点でもある。だが、アスレイが言ったように、町と王都を繋ぐ道からはかなり外れている為、冒険者が討伐依頼や採取目的で来ることはあっても、それ以外には近づくことすら無いはずだ。そんな場所に次々と人が集まってくる様子に、二年前とは比べられないほど強くなったとはいえ、アリスは緊張しているようだ。
「大丈夫だ」
軽く肩を叩いて声を掛けた。
「どうしますか?」
「そうだな・・・そろそろ全員揃ったようだし、俺がまとめて対応するよ」
周囲の草木に隠れているのが十人以上と、木の上にも一人いるようだ。
俺達四人に向かって今にも襲い掛かろうとしている野盗に向かってスキルを展開した。こちらに注目しているお陰で、彼等の後方頭上高くに広がった荒波のように蠢く漆黒の影には全く気付いていない。薄暗い場所とはいえ、気づく様子の無い野盗達に影が覆い被さるよう呑み込んだ。生い茂る草の上に倒れ込んだのか、一斉にガサガサと音を立てる中、別の音が紛れ込んだ。
―――地面に落ちたか。
打ち所が悪くなければ生きてるだろう。全員の意識を奪っただけだが、魔物が多く生息するこの場所で気を失うことは死を意味する。襲われる前に気が付けばいいが、それを俺達が心配する必要はない。
今のは闇属性の能力を持つ魔王の固有スキルだ。至って地味だが使い勝手が良い。俺自身の影を自在に操り、野盗達に対して行ったように意識を奪うといったことや、実体化すれば物を掴むことも可能だ。しかし、扱い方次第では生命力まで奪ってしまう為、危険でもある。
「気にする必要はありません。人を襲って来ようとした以上、自分達も襲われる覚悟はあった筈ですから」
神殿に向かおうとする中、倒れた野盗達を気に掛けるアリスの姿を見たアスレイが声を掛けた。
実際、俺達が此処を動けば、ずっと様子を見ている魔物達がすぐにでもやって来るだろう。アリスの優しさがこういった場面で出てしまうのは仕方が無いことかもしれないが、相手によっては身を滅ぼすことになりかねない。アスレイの言葉の中にはアリスを否定するものでは無く、野盗達に対して自業自得なのだと伝えただけだ。そしてこの先同じような事が起きたとしても仕方が無いことだと、割り切る覚悟を持つよう暗に伝えてもいるようだ。正確にアリスへ伝わったのかは分からないが、俺達は神殿に向かって歩き始めた。
「うわぁ・・・」
森を抜けてマウリア湖に辿り着いた時、アリスの口から感嘆の声が漏れた。
マウリア湖に浮かぶように建つ神殿だが、透き通った湖面には太陽の光が反射してキラキラと輝き、その姿は幻想的だ。湖の上に建てられたように見えるが、それが正しいかは定かではない。底なしの渓谷と同様に、いつ建立されたかは文献に記載が無いからだ。
この水の神殿は、アストリア王国から選ばれた神官達によって管理されている。神官という職業にアリスはまだ抵抗があるようだが、ここへ来るまでの途中で念の為、ステータスを偽造しておいたので鑑定スキルを使われたくらいではバレることはない。
「大丈夫、堂々としていれば良い」
少し強張った顔をしていたアリスに声を掛けた。アリスが深呼吸して落ち着いた様子を見計らってから、俺達は神殿の入口まで伸びる橋を進むことにした。
門番を務める二人の魔道士に挨拶を交わし、装飾された入口の扉を開くと荘厳な内部は勇者時代に訪れた時と変わらない美しさがあった。内部の構造は、天井を支える太い柱が左右均等に並び立つだけで複雑なものではないが、大きな窓から差し込む陽の光が磨かれた床を照らしている。そして一際大きく輝くのは、最奥にある祭壇に掲げられた青い宝玉と呼ばれる水晶だ。祭壇がある場所の天井部分はガラス張りになっているが、光は無くても宝玉自体が輝きを持っている。ここに神の力が宿っているのだ。水の神殿では水神の加護を授かることが出来るのだが、かなりの額を請求される為、実際には誰でもとはいかない。
この場では普通に加護を授かる流れを試してみることにして、何も起こらないのであれば、神殿の内部をくまなく調べるつもりだ。その為には、此処を守る神官達には少し眠って貰う必要がある。
―――祭壇前に神官が一人と、修道士が二人。神殿内の警備に魔道士が四人か・・・
「ようこそいらっしゃいました。此方へは祈りに来られたのですか?」
此処にいる者達と船の旅に出かける為に、加護を授かりたいとアスレイが申し出た。勇者一行向けとは違い一般的に水神の加護には、航海における安全が保障される。当然そんな予定は無いが、何も疑わず神官の男は穏やかな表情で献金を納めた後、祭壇に向かって祈りを捧げるよう説いた。神官が詠唱する間、宝玉に向かって祈りを捧げれば加護を授かれるのだが、俺達の目的は違う。普通に加護を授かるのか、違う事象が起こるのであればアスレイが予想した通りヒントを得られるはずだ。しかし、クリスが危惧したものとなれば、一筋縄ではいかないだろう。それらのことを全員覚悟の上で祈祷を受けることにした。
―――今のところ何も起こらないみたいだな・・・
神官の詠唱が始まったが、特に何かが起こりそうな気配はない。やはり神殿内部を調べた方が良いのかと考えが頭に過った時、事態は動いた。
空から光の帯が舞い降り、ガラスの天井を突き抜けて宝玉に吸収されたように見えた。だが次の瞬間、目が眩むほどのまばゆい光が神殿内に放たれた。直視していたら目がやられていただろう。
「――どうなってるんだ・・・?」
光が収まり、再び目を開いた誰もが息を呑んだ。
そこには宝玉以外何も無かったはずだ。
「女神様・・・?」
アリスが思わず呟いてしまう程、人族や魔族には無い神々しさと美しさを併せ持った人の姿があった。腰まで伸びた輝くブルーシルバーの髪に、左右を折り重ねて纏った装束は、テレスティアルのどの国でも見たことが無い。
「半分正解。正しくは水神よ」
透き通るような声で答えた後に微笑んだ姿は、全ての人に対して慈しみを帯びているかのように見えるのだが・・・
「お・・・おお・・・!水神様、お初にお目にかかります。私はこの水の神殿の管理を任されております神官の――」
「貴方達が来るのを待っていました」
神官の言葉を遮るように水神は俺達に向かって話しかけてきた。それに対して気に掛ける余裕は残念ながら無い。二十年前に出会ったゼーレと同じく、この水神も何を考えているのかが全く読めないからだ。
「待っていたと言われても歓迎されているようには思えないけどな」
「フフフ。警戒されているようですね」
「ゲームというからには、あなた方が我々に対して何かを課すものと予測しております」
アスレイの見解に少し目を見張る仕草を見せたが、すぐにまた微笑を浮かべた表情に戻った。
「流石は先代勇者を導いた賢者ですね。彼の地についても、いち早く推測したようですし」
「何が目的なんだ!?」
「フフフ、それはあの方しか知り得ない事。私は魔王と勇者が争う世界では、此処を訪れた者に対して加護を授けておりましたが、今はステージが変わりました。従って、現在は試練を与える者となっただけです」
水神から魔力が溢れ出したと同時に、値踏みするような視線を神官達に向けた。嫌な予感が襲ったのはアスレイも同じだったようで、声を張り上げた。
「神官や他の方々は早く此処から退避を!巻き込まれます!」
「いいえ。神に仕える者達ならば、協力して頂きましょう」
アスレイの言葉に戸惑い、顔を見合わせていた魔道士や神官達の足元に赤黒い魔法陣が浮かび上がった。影を使って救い出そうとしたが、障壁に阻まれて近づくことも出来ない。一方で、何が起こっているのか状況が掴めないでいた神官達からの悲鳴が神殿内に響き渡った。
「行くなッ!」
助けに行こうとしたアリスの腕を掴んで引き留める間に、神官達の姿が変貌していく。肉が溶けたような、もはや人とはいえない姿へ変り果て、言葉を交わすことが可能なのかも分からない。
「先ずは、こちらの化け物で貴方達の力を確認することにしましょう」
「なんて事を・・・!」
従属化する為、強制的に魔力を与えたことで体が耐え切れず、このような状態になったのだと何の罪の意識も無く答えた。
「貴方が魔王の力で魔族となった事と、それほど変わらないと思うのですが。それに、神である私が何をしようとも人が受け入れる事は当然でしょう」
「あの人らは関係ねーだろ!元に戻してやれよ!」
「それは不可能です」
アスレイとアーディンの非難の言葉をものともしない水神は、神官達が元の姿に戻れる方法は無いと断言した。
「そんな・・・っ」
俺達ですら人が異形の姿へ変えられるような場面に出くわしたことはない。大きなショックを受けてよろめいたアリスの体を左手で支え、右手に愛剣である黒いブロードソードを召喚して構えた。
「しっかりしろッ、これが戦うってことだ!萎縮してたら死ぬぞ!」
「心を強く持ってください!」
異形の姿へと変わった神官達がこちらに向かって進み始めた。それをアスレイが結界を張って止めながらアリスに声を掛ける。
「魔王城での稽古を思い出せ!」
アーディンも双剣を構えながらアリスに声を掛けるが、体の震えが伝わってくる。
実戦――しかも、いきなり命の危機が迫るような戦闘だ。無理もないが、越えなければここで終わってしまう。俺自身も神という未知数の相手に守りながら戦うというのは限界がある。
「アリス、何の為にここへ来たのか。どうして強くなりたいと思ったのかを思い出すんだ」
この状況を克服するには、アリス自身が踏み出さなければならない問題だ。そして、それが俺達の明暗を分けることも意味する。
「わたし・・・は―――っ」
一人で立っていることもままならなかったアリスの足に力が入ったようだ。深呼吸を数回繰り返し、召喚した翡翠色のロングソードを両手で握った。
この剣は、物質の解析から生成まで出来るミラリスがアリスの為に作成したものだ。その能力はアリスの成長と共に進化すると説明を受けた。俺が今手にしているこの黒い剣も、魔王となった俺用に作成してくれたものだ。
「ご迷惑をかけてすみません。もう大丈夫です!」
アリスの目に生気が戻ったようだ。それを全員が確認し、士気が上がったところで声を出した。
「よし!皆、行くぞ!」