1.始まり
人間と魔物が共存する世界テレスティアル。
大きく分けて三つの大陸に分かれており、世界の中心にある一番大きな大陸には現在、カーディナル国、ノースグラン国、マナラジア国、ウィザーシルバー王国の四国家が治めている。海を隔てて北西にアストリア王国が治める大陸と、南東には魔族が支配する大陸が存在する。南東の大陸以外は人間が治めているが、魔物はそこかしこに点在している。
世界各地にはダンジョンと呼ばれる洞窟や森林が多数存在し、そこが魔物を生み出す瘴気の溜まり場となっているのだ。この為、度々人間に襲い掛かるなどして危害を加えることがある。
尚、およそ五十年という短い周期で魔物の頂点である魔王が復活した場合、話が違ってくる。
魔王から吐き出される瘴気が、様々な場所で魔物を生み出すだけでなく、既に存在している個体にも大きな影響を与えてしまうのだ。その代表たるものが、魔物の暴徒化だ。
普段は近寄りさえしなければ脅威となることも無い魔物まで、集団になって近くの村や町を襲い掛かるようになってしまう。
各国は国民を守る為に、国軍と魔物の討伐などを生業としている冒険者が協力し応戦するが、次々と生まれる魔物に対し、戦力の数に限りのある人間側は、時間経過と共に対応する力が削ぎ落とされていくことを余儀なくされる。
しかし、絶望するような現実を前にしても諦めずにいられるのは、人間側の救世主となる勇者の存在だ。
この世界では、十五歳の成人を迎えた年に成人の儀と呼ばれる儀式があり、天啓により職業を授かる。どんな小さな村でも、この世界を創造したとされる創造神が祭られており、その前で儀式を受けると職業が授けられるというシステムだ。
数ある職業の中で、勇者は魔王が復活した年の成人の儀で一人だけが選定される。
宿命を背負った勇者は壮絶な戦いの末、魔王を討伐し、戦いの終止符が打たれるという歴史が何百年もの間繰り返されてきた。
現在、十一代目勇者ルークが魔王を倒してから、既に五十年以上が経過している。
歴史を覆すように、魔王と勇者の共同生活が魔王城で行われているのは、ここで暮らす住人しか知る由もない話だ。
テレスティアル南東の魔族が支配する大陸に魔王城は存在する。
この大陸には全土に亘って、普通の人間にとって毒でしかない瘴気の壁で覆われている為、近づくことが出来ない。
勇者が魔王城での生活が可能なのは、勇者が持つ固有スキル「瘴気浄化」のお陰だ。読んだ文字のごとく、このスキルが自身の周りの瘴気を無害化させているというわけだ。
魔王を唯一倒すことが出来る存在というだけあってチート級である。
「アリスちゃん、クッキーを焼いたからお茶しない?」
「アリス、街へ買い物に行きましょう」
魔王城の白を基調とした広い廊下を歩いていると、二人の美女からアリスはお誘いを受けた。
一人はファリシア。セミロングの柔らかい金髪に真っ青な空と同じ瞳を持つその姿は、爽やかな朝の陽射しという表現が当てはまる。全てが浄化されるような空気が漂っているのは、彼女の職業が聖女だからだろうと思っているのは、残念ながら魔王城の中ではアリスしかいない。
対してもう一人の名はミラリス。漆黒のストレートのロングヘアーに炎に似た赤い瞳を持つその姿は、まるで闇夜に浮かぶ月のようだ。磨かれたような美しい体のラインに沿った赤のドレス姿も、見る者に不快なものを一切感じさせない。妖艶という言葉がこれ程にも似合う女性はいないだろう。
「私が先に声を掛けたのだから、ミラリスは引っ込んでくれない?」
「相変わらず聖女様とは思えない発言ね、ファリシア」
この二人の関係性は良くも悪くもないが、アリスの事となると話が変わってくる。
睨み合った二人の美女はお互いに引く気配が無い。今はまさにアリス争奪戦が、静かに繰り広げられているのだ。
アリスは二年前に魔王城へやって来た。その頃は、酷くショックを受けており、毎日塞ぎ込んでいた。その理由を聞いてただ同情したわけでは無く、アリスの見た目の可愛らしさからも、いつの間にか二人が奪い合うような戦いが始まっていたのである。
淡い水色のロングヘアーに、同色の丸い大きな瞳は、小動物のように愛らしい。また、アリス自身の素直で優しい性格も相まって、より一層構いたくなるのだそうだ。
「折角のお誘いなのですが、今からルークさんと訓練がありますので、お時間をずらしていただくか、日を改めてお願いしても良いでしょうか?」
丁重に断りしつつ、後ろにいる俺に向かって頭を下げた。
「今日はよろしくお願いします!」
「ははっ、気合入ってんな。ところでファリシア、クッキーは沢山あるのか?」
「ええ、あるわよ」
「なら、アリスの訓練が終わったら皆で食おうぜ」
「ルークは甘いもの好きね。じゃあ、ミラリスとお茶の準備しておくから、終わったら広間に来て」
何故か手伝い要員に入れられたミラリスは抗議の声を上げたが、ファリシアが作る菓子の美味しさの魅力には敵わず、後をついて行った。
「では、ルークさん急ぎましょう!」
アリスもまた、ファリシアが作る菓子に魅了されている一人だ。
急ぐアリスを追いかけるように、俺も中庭に続く扉を開けた。
「昨日は、アーディンさんから褒めて貰えたんですよ!」
魔王城に住む者が毎日入れ替わって、アリスに実戦形式の稽古をつけている。
少し前までは、アーディンが人を褒めたり、ましてや自分よりも弱い相手の稽古の対応をするなど考えられなかったことだ。
十二代目勇者のアリスがこんなにもはしゃぐ姿を見せるようになったのは、いつ頃からだろうか。魔王城へやって来た頃と比べると、見違えるように明るくなった彼女の姿が、遠い記憶の少女の面影と重なる。
―――もう何十年も経ったというのに・・・
まだ心の中に残り続けている。
だが、それが幻影だけでなく、過去の忌まわしい記憶と重なるような悪意がアリスに向かって放たれた。
魔王となった俺が死を意識するような攻撃を受けたあの時と、比べ物にならない白い光が空から降り注いだ。
「ティアナぁぁぁ!!」
魔王城周辺だけでなく、大陸全土を揺るがす程の衝撃を受けた俺は、薄れゆく意識の中、自分の名を呼ぶ声と別の誰かの声が聞こえた。
だが、その意味を理解する前に、俺の意識は完全に途切れてしまった。