007 勝手に人を嘘つき呼ばわりするな
澄みきった天高い空が、そのまま落ちたかのように広がる大きな海。
それこそが、ドラハム王国から馬で数日南下した際に到着する港町レックスの最大の特徴だった。
ドラハム王国が中世ヨーロッパじみているというのであれば、レックスは南国の雰囲気が漂う。
大小様々な船が並ぶ港の近くでは、活気溢れる露店が船乗りを相手に商売をしていた。忙しなく積み荷を運ぶ男たちは大抵が上半身裸で、豪快な笑い声を響かせる。
「ふうん。レックスってドラハムよりも人口が多いんだな」
何気なく感想を漏らした敬を、脱いだフードみたいに、兜を首の後ろへ下げているレリアが綺麗な碧眼で見上げる。
「ケイ様はレックスに来たことがあるのですか?」
「ないな。女神の知識だよ。ドラハムの人口は十五万で、レックスは二十万。そして北の鉱山街ガージが十万か。小さな村を合わせても、合計で五十万を超えるくらいなんだな」
道中で敬が異世界から女神に召喚されたと説明していたのもあり、レリアは僅かな好奇心に瞳を輝かせる。
「ケイ様がおられた世界では、もっと人が多かったのですか?」
「俺の住んでた国だけで一億三千万だったかな。世界全体だと確か五十三億だったか」
「億!?」
ギョッとした気配が、背後から伝わってくる。少し離れた場所を歩く半魔の少女ルーファだ。聞き耳を立てるくらいなら近くにいればいいと思うのだが、当人曰く人間と慣れ合うつもりはないとのことである。
お前も半分は人間だろと何気なく言ったところ、もの凄い目で睨まれたので、以降は好きにさせていた。
「す、凄いです。聞いただけで目が眩んでしまいそうです」
未知の人口数に興奮を露わにする女聖騎士に対し、目深にフードを被っているルーファは皮肉げな声を届かせる。
「そんなわけあるまい。貴様はからかわれたのだ」
「そ、そうなのですか?」
真偽を確かめる視線を向けてきたレリアに事実だよと告げ、半眼でルーファを睨む。
「勝手に人を嘘つき呼ばわりするな」
「フン。貴様が妄言を吐くからであろう。そのような人数がおったら、エスファーラから零れ落ちてしまうわ」
エスファーラというのは、人間たちが暮らす世界の中央に位置するこの大陸名である。
穏やかな気候で、水や木といった資源も豊富だ。地球同様に豚や牛、鶏などの家畜もいる。
主食はパンで、野菜や肉もある。中世ヨーロッパというよりは、慣れ親しんだゲームの世界そのままという感じだった。
「こことは世界の規模が違うんだ。エスファーラみたいな大陸が幾つもあるんだよ。文明も発達してるぞ。鉄の塊が空を飛んで人を遠くまで運んだりする」
「……っ! 貴様……あくまでもあたしを愚弄するつもりか」
言葉に殺気を滲ませたルーファに、体ごと向き直った敬は肩を竦める。
「本当だって。飛行機って言うんだよ。二人が地球を見たら腰を抜かすぞ」
「是非、行ってみたいです。ケイ様は魔王を討伐されたら、お戻りになるのですか?」
「いや、この世界で暮らすよ。勇者として、人々の生活を見守っていかないとな」
素敵ですと女聖騎士がうっとりする。まさか元の世界では、すでに挽肉になっているので帰れないとは言い出せない。
「どこまでも甘い男だな。反吐が出る」
「おいおい。可愛い女の子が、そんな乱暴な口をきいたら駄目だろ」
「……ふざけているのか、貴様」
「本気で言ってるんだよ。もっと女性らしくしてれば、レリアみたいに綺麗に成長できるぞ」
頭を撫でようと伸ばした手が、力任せに振り払われる。
「やはりふざけているだろうが。あたしを子供扱いするな」
「そういうところが子供っぽいよな」
「貴様……! いや、少し待て。貴様、あたしをいくつだと思っている」
「十三か四だろ」
「あたしは十六だ!」
フードを被っていても睨んでいるのがわかる殺気を浴び、敬は驚きを露わにする。
「俺やレリアと同い年だって? 嘘だろ……」
確かに顔立ちはわりと大人っぽかったが、背格好などですっかり年下だと判断していた。特に、女性ならばあるはずのふくらみの乏しさが決め手となった。
「どこを見ている……! 魔王の前に貴様を殺してもいいのだぞ」
「街中でナイフを取り出すんじゃねえよ。悪目立ちするだろうが。ま、勇者たる俺がいるんだ。溢れんばかりの聖なるオーラで嫌でも注目を集めてしまうか」
隣でレリアが拍手をする。
「凄いです。さすがケイ様です」
「はっはっは。もっと褒めてくれ」
後頭部に手を当てて調子に乗る敬に、女聖騎士がさらなる賞賛を贈る。
やっていられないとばかりにため息をつき、ルーファはナイフをしまって港を指差す。
「遊んでいる暇はない。さっさと暗黒大陸へ向かう船を確保しろ」
「わかったよ。けど、王様の書状があるからって、危険な場所へ船を出してくれる奴がいるかね。この世界じゃ暗黒大陸が魔物の住処ってのは常識なんだろ?」
女神の力でそれを知った敬とは違い、住民たちは魔物の恐ろしさを身を以て理解している。
その本拠地へ攻め込む手伝いをしろというのだ。勇敢な船乗りといえど、怖がって腰が引けてもおかしくはない。
「勇者であられるケイ様が真心を尽くしてお願いすれば、断る方などおりません」
「それもそうだな」
レリアの言葉にあっさり頷く敬。
道中で幾度もあったやりとりに、少し離れたルーファが何回目かもわからないため息をついた。